【ライオネル】性格の悪い中年
「で? 何があったっていうんだ?」
団長の問いに、俺は答える代わりに手元のグラスを持ち上げた。
クイと酒をあおる。喉を通る冷たい感触が、どうにも味気ない。
隣では、俺の様子を面白そうに眺めている性格の悪い中年──ヴィンセント団長がいる。昼間の失敗もあって、いつものように強く抗議する気力は湧かない。
団長の視線から逃れるように、俺は黙々とグラスを傾け続けた。
ここは城下町の酒場。王立騎士団御用達の店だ。いつもなら最高に美味い酒が楽しめる場所だが、今日はどうにも味がしない。
「お前が二回もヘマをするなんて、何かあったとしか思えないだろう?」
団長の追及は容赦ない。無言を貫く俺への興味は尽きないらしい。
──性格が悪すぎる。
確かに、今日は訓練で二度も失敗した。防御のタイミングを誤り、受け太刀をしくじったかと思えば、模擬戦では足元をすくわれて地面に転がった。
騎士という職業において、不注意は死を意味する。言い訳の余地はない失態だった。
当然、団長からはその場で強烈な叱責を受けた。
しかし、それだけでは終わらず、団長は「面白いものを見つけた」とばかりに訓練後すぐ俺を酒場へと連れ出し、こうして原因の追及を続けているのだ。
それでも俺は無言を貫く。
だが、その様子すら団長にとっては愉快らしく、肴にされてしまっている。
「──女だろ」
「っぶ……!」
グラスに口をつけていた俺は、思い切り噴き出した。
酒が気管に入ったのか、咽せ返る。
団長はそんな俺を見て、満足そうに口角を上げた。
「お前はわかりやすいなぁ、ライ!」
団長は心底楽しそうに、太い腕で俺の背中を思いきり叩いてくる。
おそらく、むせている俺を助けようとしているのだろうが、逆効果だ。痛いし、咳が止まらない。
「やっとお前にも春が来たってことか! で、相手は誰なんだ?」
まだ喉の奥に酒が残っているのか、咳き込みながら、俺は“彼女”の姿を思い浮かべた。
──いや、違う。そんなことはない。
胸のあたりに妙な違和感が広がる。喉元に手を当て、無意識に服を掴んだ。それが酒のせいなのか、それとも別の理由なのか──俺は考えないようにした。
「……そんなのじゃありません」
「嘘つけぇ! 堅物のお前がここまで動揺するんだ。本気なんだろ?」
団長のしつこい追及に、俺は唇を噛む。
──馬鹿らしい。
彼女は八歳も年下の少女だ。それに、彼女には婚約者がいる。しかも相手は王太子殿下──将来の国王だ。
将来の王妃になるような人に、そんな感情を抱くなんて……
そこまで考えて、胸の奥がさらに重くなるのを感じた。息苦しい。
「なんだ、まさか学生か? まぁ、さすがに学生のうちに手を出すのはやめておけよ。押し倒すのは卒業してからにしろ」
団長の軽口に、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。
ヴィンセント団長は、十歳年下の令嬢と恋愛結婚したという。しかも、当時その令嬢には婚約者がいたが、それを破棄してまで団長を選んだらしい。
俺が団長の奥方に初めて会ったのは、彼女がすでに二児の母となった頃だった。穏やかで柔らかい印象の女性だったが、そんな大胆な決断を下して団長と結婚したとは思いもしなかった。
ちなみに、今は四児の母だ。もうすぐ五人目が生まれるという。
──とはいえ、団長のようなケースは例外中の例外だ。
俺は胸のざわつきを酒で無理やり流し込み、視線をグラスの中に落とした。
紫の果実酒が、彼女の瞳を連想させる。
無自覚だったとはいえ、あんな至近距離で彼女の瞳を見つめてしまった。
「ありがとう」という言葉とともに浮かんだ、かすかな微笑みが脳裏をよぎる。
──あの笑顔は反則だ……
胸がまたざわつくのを感じ、俺は慌てて頭を振った。
「……そういや今年、学園に特待生が入っただろ」
団長は、俺の横顔を眺めながら不意にそう言った。
「リナ殿のことでしょうか?」
「ああ、そんな名前だったな。……なんだ、その子じゃないのか」
俺が冷静に応じると、団長はつまらなそうに酒を煽った。
どうやらカマをかけてきたらしい。本当に性格の悪い中年だ。
しかし、団長がリナ殿のことを知っているとは意外だった。
騎士団長という立場上、団長は多方面の情報を掴んでいる。それでも、学園の特待生にまで目をつけているとは思わなかった。
少し疑問に思うものの、回り始めた酒のせいで、思考が追いつかない。
しかし団長はいったい何杯目だろう。相変わらずのザルっぷりだ。まともに付き合っていたら、こちらが潰れてしまう。
「で、その子はどうだ? 可愛いのか?」
「絡まないでください、酔っぱらい。……初めは授業についていけず、戸惑っていたようですが、今では周囲の助けもあり、なんとかやっているようです」
俺は軽くあしらいながらも、リナ殿の姿を思い浮かべた。
クラリス殿に頼まれ、学園に入学したばかりの頃から、リナ殿の様子を陰から見守ってきた。
その成長を見てきたからこそ、俺は知っている。
リナ殿が、今どれだけ努力しているかを。
──そして、彼女を支える存在がどれだけ大きいかも。
「そうか、それは良かった。俺はてっきり、クラリスの嬢ちゃんあたりにいじめられてるんじゃないかと……」
「──そんなことあるわけないでしょう!」
団長のあまりの発言に、思わず声を荒らげてしまった。
勢いよく立ち上がった拍子に、テーブルのグラスが揺れ、中の酒がこぼれそうになる。幸い、グラスの中身はほとんど空だったので大事には至らなかったが、俺は自分の過剰な反応を恥じた。団長も目を丸くしている。
「……ク、クラリス殿はリナ殿を本当によく助けています。彼女がリナ殿をいじめるなんて、そんなことが……」
「──お前」
しどろもどろにクラリス殿をフォローする俺に、団長は真顔で言った。
「クラリスの嬢ちゃんに惚れたのか」
「……っ!?」
突然の直球に、喉が詰まる。
「な、な、何を……!?」
「何を馬鹿なことを」と言いたかったが、舌がもつれてうまく回らない。
顔が熱い。体中の血が一気に上半身に集まるような感覚がある。これが酒のせいだけではないことは、自分が一番よくわかっていた。
そんな俺の様子を見て、団長は深いため息をつく。
「お前……なんでまた、そんな茨の道を選ぶんだよ」
額に手を当て、心底呆れたように俺を見てくる。反論しようと口を開いたが、どうにも言葉が見つからない。
団長はもう一度ため息をつくと、俺の肩にポンと手を置き、「でもまぁ」と言葉を続けた。
「障害が多いほうが恋は燃え上がるもんだ!」
ニッと笑いながら、片目をつぶって親指を立ててくる。明らかに面白がっている表情だ。
「あ、あなたと一緒にしないでください!」
「何言ってんだ。さすがの俺も、あの『氷の公爵令嬢』に手を出そうとは思わないぞ」
「手っ……!? だ、だから、そういうのじゃないんですって!!」
俺の必死の反論も、団長には届かないらしい。彼の中で、俺がクラリス殿に想いを寄せているという話は、すでに確定事項になっていた。
団長はニヤニヤと笑いながら二人分の追加の酒を注文すると、自分のグラスを一気に空ける。
少し静かになった店内に、グラスを置く音が響いた。
「しかしまぁ、クラリスの嬢ちゃんが、その嬢ちゃんのことを助けてるのか」
からかうような口調が消え、団長の声が一気に低くなる。
突然の雰囲気の変化に、俺は戸惑いながら口をつぐむ。
「ライ」
団長の視線がまっすぐ俺に向けられる。目の下には少し赤みがさしているが、琥珀色の瞳は、確かな理性を湛えていた。
「お前が思っている以上に、嬢ちゃんたちはこれから苦労することになる。──助けてやれ」
団長の唐突とも思える発言に、それでも俺は、どこか腹落ちした。
クラリス殿の行動は、何かから必死にリナ殿を守ろうとしているようにも見えた。それが何かはわからない。だが、おそらく団長はその理由を知っているのだろう。聞いたところで教えてくれるとは思えないが。
「……当然です。彼女たちは、俺の大切な教え子ですから」
特別講師とはいえ、彼女たちは俺の教え子だ。これから、彼女たちが困難に直面するというのなら、それから守るのも、俺の役目だ。
団長は満足そうに口角を上げると、新たに運ばれてきた酒を煽った。
「ま、惚れた女の一人や二人、守れないとなぁ」
「──だ、だから、そういうのじゃ……!」
どんなに否定しても、団長はニヤつくばかりで聞き入れてくれない。
そんな団長と深夜まで飲み明かした結果、俺は見事に二日酔いに見舞われることになった。
翌朝、鐘の音と共に訪れる頭痛に、俺は布団の中で静かに呻いたのだった。
来週から、月、水、金の週3回更新になります。
次回は2/3(月) 19:00更新予定です。
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