秘密 1
翌朝、朝日が昇りきり、柔らかな光が校舎を包み始めた頃。
私は木の陰に身を潜め、じっと校舎の入口を見つめていた。
──端から見たら立派な不審者だ。
それでも、姿を隠せる場所はここしかなかったのだ。仕方がない。
今日からリナの定期テスト対策が始まる。いわゆる「朝活」。ゼノが直接、リナを指導してくれることになっている。
ゲーム中でも、ゼノの個別指導イベントは存在した。だが、こんな朝活イベントはなかったはずだ。定期テスト前、ゼノの研究室に質問に行くイベントならある。
しかし──
誰もいない早朝、静まり返った校舎で、二人きりで毎日落ち合うなんて。
──いいぞ、もっとやれ。
ゼノの個別ルートは突入が難しく、好感度を上げるには細かいイベントの積み重ねが必要だ。こんな貴重な機会を逃す手はない。
……と、そこではたと気づいた。
──私、邪魔じゃない?
せっかく二人きりになれるのに、私がくっついていては台無しではないか。邪魔者がいる状態で、甘い雰囲気になるわけがない。
ゼノには「リナを連れてくるように」と言われたが、これはもう理由をつけて席を外した方が良さそうだ。
そう考えた私は、リナに伝えた時刻より一時間早く登校。六時に校舎へ来て、リナの下駄箱に手紙を入れた。
──「少し遅れるから、先に始めてください」と。
朝っぱらから何の用事だよ、というツッコミは自分でも理解しているが、リナは素直な子だ。
きっと、何の疑いもなく従ってくれるはずだ。
ちなみに、このゲームの時間の呼び方は、月日と同じく「六の時」「七の時」といった具合に少し違うだけで、現実世界とほぼ同じだ。便利でわかりやすい。
腕に巻いた魔術仕掛けの時計が、そろそろ七時を指そうとしている。
リナとゼノを二人きりにするつもりではあるが、万が一、リナが遅れでもしたら目も当てられない。そのときはゼノに言い訳をして、寮までリナを迎えに行く必要がある。
そういうわけで、私は今こうして木の陰で待機しているのだ。
「──こんなところでどうしたのかな、クラリス嬢」
背後から響いた低い声に、私は時計を確認するポーズのまま固まった。腕時計にかかる影で、背後の人物が肩越しに私を覗き込んでいるのがわかる。
「もうすぐ集合時間だね。もしかして私を誘っているのかな?」
耳元に響くバリトンに、腰が砕けそうになる。
だが、さすがはクラリス・エヴァレット。内心の動揺を表に出すことなく、その人物から離れるように一歩前へ出ると、優雅な仕草で振り返った。
「おはようございます、ゼノ先生」
──やはり。
背後に立っていたのは、ゼノだった。恐ろしいほどに気配を消して。
彼は眼鏡越しに柔らかな笑みを浮かべ、興味深げにこちらを見ている。アメジストの瞳が、まるで研究対象を観察するように細められていた。
──厄介な相手に、厄介な場面を見られてしまった。
不審者ムーブをしていたのを、よりによってゼノに見られるとは……
だが、ここで取り乱すわけにはいかない。平然を装いながら、頭の中で必死に言い訳を探していると、彼の手がすっと伸びてきた。
「君の行動は、興味深いね。どんな秘密を抱えているんだい?」
指先が私の頬に触れる。その感触に、思考がぷつりと切れた。
ゼノは、私が何か隠していると気づいている?
いや、そんなはずは……
「……先生といえど、気安く女性に触れるのはいかがなものでしょう」
反射的に、私はその手をかわすように一歩後ずさる。冷静さを失わないように、表情を保ったまま玄関へと向かった。
ゼノはそれ以上追及することなく、静かに後ろをついてくる。
「クラリス様! ゼノ先生!」
寮の方向からリナの明るい声が響いた。息を切らせて駆け寄ってくる彼女の姿に、私はなぜか安心し、肩の力が抜けるのを感じた。
──やっぱり、かわいい。さすがヒロイン。
朝日に照らされ、無邪気に笑うリナの姿は、紛れもなく乙女ゲームのヒロインそのものだ。内面はまだポンコツだけれど、ヒロインオブザヒロインであることに間違いはない。
「おはよう、リナさん」
リナの存在に救われ、私はようやくいつもの自分に戻れた気がした。
一瞬立ち止まったリナが、ぽっと頬を染める。
「お、おはようございますっ!」
動揺したように頭を左右に振るリナの姿が可愛らしい。少し不思議に思うが、彼女はたまにこういうところがあるので気にしない。
「おはよう、リナ君。これで全員揃ったね。私の研究室に行こうか」
ゼノは何事もなかったかのように、私たちの前を歩き出した。その後ろ姿を見ながら、私は無言でついていく。
揺れるワインレッドの髪が、朝日を受けてきらめいている。
──そんなはずはない。
美しい背中を見つめながら、私は込み上げてくる不安を噛み殺した。




