【ルーク】僕だけが知っている 2
「リナは、姉さんのこと、どう思う?」
剣術の稽古の後、片付けをしながら、僕はふと口にした。
同じように木剣を片付けていたリナの手がピタリと止まる。そして、ぎこちない動きで、まるでカラクリ人形のようにギギギと顔をこちらに向けてきた。
「ど、どうって!?」
その顔は真っ赤だ。僕は女の子の顔を赤くするのは得意だけれど、この質問で赤くなってほしくはなかった。
「いや、ほら、姉さんってさ……ああだから」
僕は言葉を探しながら続ける。
「リナに無理させてないかなって、ちょっと気になってさ」
僕の言葉に、リナは「ああ、なるほど」という顔をした。そして次の瞬間、表情が綻び、どこか懐かしむような柔らかい笑顔を浮かべた。
「実はね、初めてお会いしたとき、クラリス様に叱られたの」
その言葉に、僕は軽く眉を上げた。
リナによると、入学初日に、アレクシスが王太子だと知らず、無視して通り過ぎようとしたところを姉さんに咎められたらしい。たしかに、姉さんならやりそうだ。
当のアレクシスは、きっとそんな些細なことを気にしていなかっただろうけど、他の貴族たちは違う。彼らの目がある以上、姉さんはリナの行動を見逃すわけにはいかなかったのだろう。
そうしなければ、リナが影で陰湿な仕打ちを受けていた可能性は高い。周囲の目を気にする貴族社会では、立場が弱い者ほど、そうした仕打ちを受けやすいからだ。
姉さんが動いたのは、リナを守るためだったのだろう。それでも、他人から見れば「『氷の公爵令嬢』が平民を苛めている」としか見えなかったのかもしれないけど。
「もちろん、あれは私が悪かったの。それはわかってるんだけど……それでも、そのときはびっくりしちゃって」
リナは小さな手で木剣をぎゅっと握りしめながら、ふっと遠くを見るような目をした。
「クラリス様のこと、怖い人だと思ってたんだ」
稽古のとき、姉さんがリナの手にそっと手を添えた光景を思い出す。
あのとき、姉さんはリナに何事か囁いていた。それを聞いたリナは、まるで花が咲いたような笑顔を浮かべた。
その瞬間から、リナの動きは目に見えて変わっていった。
「でも、違った」
リナは遠くを見つめながら、静かにそう言った。その視線の先にあるものは、彼女の心の中だけにあるものだろう。
だけど、僕にはそれが何なのか、容易に想像がついた。
リナは、僕と同じものを見ている。
「今は……とても、尊敬しているの」
──そう、彼女は僕と同じだ。
暗闇の中で、もがき苦しんでいたときに、一番自分を助けてくれないと思っていた存在に手を差し伸べられ、その強烈な光に吸い寄せられてしまった僕と同じ。
僕以外、誰も気づかなかったその光を、彼女は見つけてしまった。
そして何より、その光は今、リナを真っ直ぐに照らそうとしている。
なぜ彼女なのかはわからない。だけど、姉さんの行動を見れば、それが事実だということは明白だった。
胸の奥で、暗く重い感情が蠢くのを感じる。
それを強く押し留めると、心の中でそっと呟く。
エヴァレット家の人間は、”本当の”感情を表に出してはならない──
そして僕は、それを姉さんよりも上手く隠せる自信がある。
「ルークくんが羨ましいな。あんな素敵なお姉さんがいるなんて」
リナが僕に笑顔を向けた。その頬はほんのりと朱色に染まっている。
けれど、それが僕に向けられた好意ではないことくらい、簡単にわかる。
僕も、いつも通りの調子で明るく笑った。
「あの人の弟でいるのは、案外大変なんだよ」
僕の返事に、リナは苦笑を浮かべた。そうして僕たちは、他愛もない会話を交わしながら、片付けを終えた。
僕にとっての姉さんは──
すべてが完璧で、それゆえに近寄りがたく、そして──
「……僕だけが知っていればよかったのに」
家路につく馬車の中、ぽつりと呟く。
周囲に人がいないせいか、いつもの明るい仮面が剥がれ落ちた顔は、どこか冷え切った無表情を浮かべていることだろう。
まるで姉さんそのものだ。自分でも気づかないうちに彼女を真似てしまっているのかもしれない。
そのことに気づき、ふっと自嘲の笑みがこぼれる。
姉さんの冷たく、それでいて美しい光は、ただでさえ人を寄せつけない。
しかし、ひとたびその光に触れてしまえば、視線を奪われ、心を縛られる。
あの光に照らされた者は、誰も彼女から逃れられない。
リナがその光に気づいてしまったことを、嬉しいと思う反面、怖くもあった。
──誰にも渡したくない。
胸の奥底で渦巻くその思いを、無理やり押し込める。
仮面をかぶり直すように、「いつもの明るいルーク」の笑顔を作る。
僕はエヴァレット家の人間だ。決して”本当の”感情を表に出さない。
それが、この家に生きる者の宿命であり、僕と姉さんを結びつける唯一の証なのだから。




