一話
私は幼い頃に母から黎明に咲く花の話を聞かせてもらった。
『……玉。そなたは黎明――夜明けに咲く花を知っているかしら』
『……わかりませぬ。なんですか?』
『それはね。日輪花よ』
日輪花と聞いて私は非常に驚いたのを覚えている。母――煕子の告げていた日輪花。後で父にこっそり訊くと答えを教えてくれた。
『日輪花というのは。夜明けに昇るお日様をさすのだ。母様はそれを言いたかったのかな』
本当は駄目なのだが。父に聞いてやっと意味がわかった。それから私は早起きができたら日の出を拝むようになる。キリシタンとなった後も。日輪花は私にいつも活力を与えてくれていた。
私は今日も日の出を拝む。傍らには、母の煕子もいる。二人共に手には念珠を持っていた。
空は淡桃色や藍色などが混じり合い、非常に美しい。見惚れてしまいそうだ。今は真夏だが、明け方はまだ涼しいと言える。
「……行きましょうか、玉」
「はい、母上」
頷くと、母はにっこりと笑う。私も笑い返した。母は絶世の美女と言われていたが。父に嫁入りする直前に赤裳瘡に罹り、顔には痘痕がある。そのせいで叔母が代わりに嫁ぐ事が決まっていたらしい。けど、父は母を諦めきれずに周囲を説得した。そのおかげで二人は婚姻できたのだが。
まあ、今でも両親は仲が良い。見ていて恥ずかしくなる程ではないが。私は母と一緒に朝餉の仕度を始めるのだった。
父や母、兄弟達と共に朝餉をすませる。静かな一時だ。それが終わると、母や姉達と縫い物を始めた。父は名を明智光秀といい、今は織田様に仕えている。織田様には仲の良い妹姫がいらっしゃった。確か、今は小谷の方と呼ばれていたか。絶世の美女と名高い容貌を持つと噂だ。一度お姿を見てみたくはあるが、叶わないだろう。縫い物をしながら、ほうと息をつくのだった。
夕刻になり、今度は母や姉達とで夕餉を作る。
「……玉、手が止まっているわよ」
「あ、本当ね。ごめんなさい、姉様」
「まあ、いいけど。怪我には気をつけなさいね」
「はい」
頷きながら、私は鍋をかき回すのを再開した。姉達や母は苦笑いしてそれを見守っていた。
夕餉が完成したので、お椀などによそっていく。姉達は手際良くやる。私も負けじと手を動かす。程なくして、家族の分の夕餉を大広間に持って行った。全員分のお膳を手分けして運ぶ。
「玉、配膳が終わったら。父上を呼んで来て」
「わかりました、姉様」
私はまた頷くと、父のいる部屋に向かう。いくつかの廊下を曲がり、障子戸を開けた。
「父上、夕餉ができましたよ」
「お、玉か。もう、そんな刻限かな」
「はい、母上や姉様達が待っています」
「わかった、一緒に行こう」
「……わかりました」
父はにっこりと笑うと立ち上がる。一緒に二人で大広間に行ったのだった。
夕餉を皆で一緒に食べた。静かに、食事は進む。私はふと箸を進めながら、日輪花を思い出した。やはり、暁に見ると綺麗だったなと感慨に浸る。それでも箸は止めない。気がついたら、お膳にあった物は無くなっていた。空腹だったから仕方ないか。そう思いながらも、片付けるために立ち上がる。自分のを土間に持っていく。明智家では、自身の事は自身でやるのが家訓だ。なればこそ、父や母、姉達も侍女などの手は借りずに大体の事はこなす。私もそうだ。お膳から食器を出して桶の中に入れる。水を瓶から汲んで、桶に移した。何度か繰り返したら、食器洗いをする。遅れて母や姉達がやってきた。一緒に後片付けをするのだった。
「……玉、もう後は。湯浴みをしてきなさい」
「はい」
頷いて、手ぬぐいやたらい桶などを取りに先に自室に戻る。廊下を歩いていたら、空にぽっかりと月が浮かんでいるのに気づいた。むうと湿り気を帯びた風が頬を撫でるが。火照った体には丁度良い。しばらくは月を眺めた。