後編
仙道アリマサ様主催の『仙道企画その3』、参加作品です。
お時間のあるときにお読みいただけると幸いです。
夢の中で、俺は村を出たときの十歳の子供の姿になっていた。
そして村の外れ、普段から人の来ないところに連れ出された俺は、泣いている小さな女の子に詰め寄られていた。
その子は二人いる村長の娘の小さい方の子で、名前はダニエラ。
俺と同い年の幼馴染で、仲が良い子でもあった。
いつも俺の後ろをちょこちょこと付いて歩いて来ては、一緒に遊んだりとしたもんだ。
だからか、俺が村を出るって言ったら今までに見たことがないくらい凄く怒って詰ってこられたんだよな。
アメジストを思わせる紫色の瞳、銀色の髪で村ではかなり可愛い方に入る彼女だったが、もともと吊り目がちな目を更に吊り上がらせながら俺を詰っている姿はなかなかに迫力がある。
「なんで!?なんで村を出てくなんて言うの!?いいじゃない、村に居れば!おじさんもおばさんも、そんなことしなくていいって、気にしなくていいって言ってるんでしょ!?」
「そんなこと言ったって、俺んちが大変なの知ってるだろ?まともに働けない俺が出ていくのが一番なんだよ。行商のおっちゃんが来る時がチャンスなんだ。おっちゃんに付いていって、商人になれば村に俺が行商に来ることだって出来るだろ?そしたら、今より安く、村のみんなに色々売ったりできるし」
兄弟が男ばっかり五人、俺達を食べさせるために猟師の親父は一生懸命、猟に出てくれていてお袋は親父が狩ってきた獲物を色々と加工して、基本的に物々交換の村で少しでも多くの物と交換できるようにしてくれていた。
でも、その獲物があんまり獲れない時期、冬に備えて蓄えていても、かなりぎりぎりになる。
村の中でお互いに助け合うって言っても、その村全体が冬になると厳しくなるんだ。
助け合うにしても限界があるし、かろうじて死人が出ないようにするのが精いっぱいだった。
だから、俺が家を出て村を出て、食い扶持を減らすことで少しでも楽になればって思ったのはおかしなことではないと思う。
行商のおっちゃんが冬前に、村へ色々と売りに来るのは知ってたから、それまでに説得しないとって家族、村長と話をしてたんだけど、こいつ、どこかでその話を聞いてたな。
「村に行商に来るなんて言って、そのまま村に戻って来ないつもりなんでしょ!村から出ていったみんな、誰も戻って来てないじゃない!」
「そいつらと俺は違う!絶対に、村に戻ってくる!約束する!俺は絶対に約束を破らないから!」
そう言って女の子の手を握り、じっと目を見つめる。
流石に凄い剣幕で泣きながら怒鳴っていた女の子も、そうされるとびっくりしたのかこちらをじっと見つめ返してくる。
怒って顔を真っ赤にしてて、見つめてくるって言うより睨んでくるって言った方が正しい気がするけど、それでも俺は目を逸らさずに見つめ続ける。
こういうときは絶対に目を離したらいけないって、一番上の兄貴が言ってたからな。
「絶対に帰ってくる、だから、俺を信じて待っててくれないか?」
「えっ?」
「必ず戻ってくる、帰ってくるから待ってて欲しいんだ」
真っ直ぐ見つめてそういうと、女の子はもじもじして俺から目を逸らしてしまった。
よし、勝った!こういうとき、視線を逸らした方が負けだって二番目の兄貴が言ってたからな。
内心で勝利の余韻に浸っていると、握っていた手をぎゅっと握り返される。
「約束」
「えっ?」
「約束して」
いかん、勝ったと思って油断してた。勝ったと思った瞬間が一番隙が出来るから気をつけろって、四番目の兄貴が言ってたのに、しまった!
「や、約束ってどんな?」
「絶対に帰ってくること。帰ってきたら、私を迎えに来ること。約束」
「わ、分かったよ。絶対に帰ってくる。それで、帰ってきたらお前の事、迎えに行くから」
じっと、さっきよりも力強く見つめられて、俺はこくこくと頷くことしか出来なかった。
なんだろう、なんだかとんでもない約束をしてしまったような気がする。
内心、頭を抱えている俺とは対照的に、さっきまで泣いていたのに満面の笑みを浮かべて手を離さす女の子に、ますますまずいことを言ったのではと思ってしまう。
「約束、だよ?絶対に絶対の、約束。私、待ってるからね?ずっとずっと待ってるからね?」
そう言って、女の子は村の方へと走っていく。
一方、俺はというと茫然とその背中を見送ることしか出来なかった。
「随分と、懐かしい夢を見たな……」
私は人買いはしたくないんですが、と渋る行商のおっちゃんを村長と両親とで説得してなんとか付いていくことを了承してもらい、俺は村を出ることに成功した。
最初渋っていたのは、十歳で成年していない子供を連れて歩くのは大変だし、人買いと誤解されたら商売が出来なくなるってこともあったんだって今なら分かる。
あくまでも人買いではなく、弟子に取ってもらうという形で押し通したんだけどな。
そしてそれから暫く行商のおっちゃんに文字や計算、色々なことを教わった。それから、大きな街でここで仕事をして色々なことを学びなさい、と万屋の元締めに預けられるまで一緒に旅をしていた。
で、そのまま迎えに来て貰えず、元締めからそろそろ一人前になってきたことだし、って言われて行商のおっちゃんに捨てられたことを教えられた。
まぁ、捨てられたっていうと語弊があるか。たぶん、俺に行商人の素質がなかったんだろうな。
それを言っても俺が納得しないだろうから、何も言わずに元締めに預けたんだろう。
それに俺もこっちの方が性にあってたのか、それなりの仕事を貰えるようになったし。
空を見ると、もう東の方から白々と明るくなってきてるのが分かったので出発の準備を整え、焚火の始末をしてから村への脇道へと入っていく。
あれから十五年、村はどうなっているだろうか。
まさか待っててくれてる筈がない、と思いながらも何処か期待をしてしまっている自分に苦笑いをしながら、道を歩く。
行商人が来ることもあるから道は荷馬車が通れるくらいの幅があって、整備もされてる。
流石に綺麗に整地まではされてないけど、荷馬車が通るには何の支障もない道を歩き、だんだんと村に近づいていくに連れて懐かしい思い出が蘇ってくる。
「この辺りの木、こんなにでかかったっけ。俺が背が伸びたみたいに木も大きくなったってことか。昔は良く、木登りをしては遠くの方を眺めたり、行商のおっちゃんが来るのを待ってたりしたな。それから、村まで一緒に行きながら外の話を聞いたりしてたっけ」
もしかすると、その頃から外の世界に出たいって思ってたのかも知れないな。
口減らしは只の口実だったのかも知れない、村長と親父達はそのことに気付いてて俺を止めてたのかもな。
見上げれば生い茂った木々越しに太陽が真上に上ってるのが見える、そろそろ村の入り口が見えてくる頃合いなんだけど……ああ、見えた見えた。
ぐるっと村を囲うように建てた柵、その入り口部分が見えてくると急に郷愁に駆られてしまう。
ああ、帰ってきたんだな、十五年ぶりに故郷の村に。
そう思うと胸に熱いものが込み上げてくるものの、流石に泣くのは堪えて入り口に近づいていくと、たまたま近くにいた男がこちらを見て不審げな顔をする。
俺より年上っぽいし、俺を知らないってことはないと思うんだが……寧ろ、誰だっけ。
「あんたぁ、万屋か?こんな辺鄙な何もない村に何の用で来たんだ。何にもないぞ、この村は」
確かに何もない村だけど、何もないって二回も強調しなくてもいいと思うんだが。
「えっと、万屋なのは間違いないんだけど、俺、この村の出身なんだよ。パースって言うんだけど、十五年前に村を出た。知らないか?俺の事」
「んだぁ、パース?あの五人兄弟の末っ子の?んー?あぁ、よーく見たら微妙に面影があるような、ないような?じゃあ、兄貴四人の名前、言ってみ?ちゃんと言えたら信じてやるよ」
まぁ、余所者が来たら警戒するのは分かるんだけど、俺、一応はこの村の人間なんだけどな。
「上から、ポース、ペース、プース、ピース。ちなみに親父がはオーストで、母さんがラリア。飼ってた犬の名前はベラだよ。これで信じて貰えたか?」
「おお!飼ってた犬の名前まで知ってるってことは、本当にパースなんだな!俺の事、憶えてないか?隣に住んでたモレスだよ!ほら、一緒に柵の外に遊びに行って村長達に怒られただろ、あのモレスだよ」
「えっ、モレス?!うわ、久しぶりだな、元気だったか?はー、でっかくなったなぁ、昔はもっと小さくて細かったのに」
まさかの隣に住んでた幼馴染だった。いや、十五年も経つとこうも変わるのか、俺も人の事は言えないけど、びっくりだな。
昔は俺と負けず劣らず、背が低くて細かったんだけど今じゃがっしりした体つきになってて、木こりか猟師って感じだな。
「はは、でっかいお世話だこの野郎。でも、懐かしいなぁ、お前が村を出てってから十五年だもんな。あ、これから家に戻るんだろ?親父さん達も兄貴さん達も、ベラも元気だぜ?」
「いや、先に村長のところに行って仕事を終わらせてから家に帰るよ。仕事が残ったままだと落ち着かないしな。あ、そうだ!なぁ、モレス。ダニエラは元気か?」
村に戻る前から気になっていたことを聞くと、モレスは視線を下に向けて、心なしか顔を横に背けるような仕草をする。
なんだよ、おい、まさか……ダニエラの身に何かあったのか?
「おい、モレス、悪い冗談は辞めろよ。ダニエラは……」
「悪い、パース。俺の口からはなんともいえねぇ。今から村長のところに行くんだったら、村長から聞いてくれ。俺にはそれしか言えねえよ。じゃあ、仕事が終わったら家の方に行くんだな?俺も後からお邪魔すっから、んじゃな」
そう言うとモレスは村の方に走り去って行った。
『おーい、パースだ!パースが帰ってきたぞ!十五年前に、村を出たパースが帰ってきたぞー!』
遠くからモレスが叫んでいる声が聞こえる。けど、俺はそれどころじゃなかった。
「ダニエラ、まさか、何かあったのか……?」
居ても立ってもいられなくなった俺は、村長の家の方へと走り出した。
そんな、まさか……ダニエラ……頭に浮かぶ悪い想像を振り払い、途中、声をかけてくる村のみんなには軽く手を挙げて挨拶をしながら、俺は村長の家へと辿り着いた。
入口の扉の前で数回深呼吸をして、呼吸を整えてから扉を叩く。
「どなたさんかな?」
「村長、俺だよ、パースだ。依頼の品を届けに来た」
「ほぅ、パースか。随分と久しいな……それに大きくなった、元気そうで何よりじゃ」
扉を開けて出てきた、記憶の中の姿より幾分か老けてはいるものの、そこまで変わっていない村長に鞄から四角い箱に入った荷物を取り出して渡す。
ダニエラの話を早く聞きたいけど、まずは依頼を終わらせてからだ。
「まぁ、元気は元気だよ。それじゃ、村長、確かに荷物は渡したからな。これにサインをしてくれよ。依頼完了の確認のサインだから」
「分かっておる分かっておる、そう急かすでないわ。それにしても、あの小さかったパースが万屋になって村に帰ってくるとはの、長生きはするもんじゃ」
フォッフォッフォと笑う村長から、依頼完了のサインを貰い鞄に入れる。
長生きはするもんじゃっていうけど、村長はそこまで歳でもなかったと思うんだけどな。
「なぁ、村長。その、ダニエラは……」
「っ!……村はずれにいくといい。お主とダニエラが良く密会していた場所に行けば分かる」
「村長!?ダニエラに何かあったのかよ!ちゃんと教えてくれよ、なぁ!」
ダニエラの名前を出した瞬間、弾かれたように俯く村長。
肩を掴んで揺らして問い詰めても、行けば分かるとしか答えてくれない村長に、俺は村長の肩を離して項垂れる。
「分かった、村はずれだな。行ってみるよ……村長、乱暴にして悪かったな」
「いいんじゃよ、お主の気持ちを考えれば仕方ないわ。ほれ、早く行ってやれ」
村長の物言いに不吉なものを感じながら、俺は良く二人で密会するのに使っていた村はずれに向かう。
そう言えば俺が村を出る時も、あの場所で二人で話をしたんだったな。
何かあったのか、心配で焦った俺は記憶を頼りに村はずれに向かって走っていく。
幸い、ほとんど村の様子は変わっていなくて、記憶通り、直ぐに目的の場所に到着することが出来た。
でも、そこで俺が見たものは……盛られた土の上に乗った、石碑のようなものだった。
「嘘だろ、ダニエラ……嘘だと言ってくれよ!」
脱力して膝から崩れおちる俺、這い寄るようにして墓のようなものに近づいていき、そこに刻まれた文字を読もうとすると、後ろから足音がした。
「ちょっと貴方、そこで何してるの?」
「何って、それは……」
後ろから掛けられた声に振り向いた俺は、驚愕のあまり思わず固まってしまう。
俺の後ろに立っていたのは、右手に持った木の棒で肩をとんとんと叩いている、白いシャツに黒いズボンを着た、ダニエラと同じ、アメジストを思わせる紫色の瞳に銀色の髪をした同い年くらいの女性だった。
「まさか、ダニエラ、なのか?俺だよ!パ-スだよ!」
「ええ、私はダニエラだけど、貴方、だ……え?パース、なの?嘘、本当に……って、きゃっ!?」
彼女がダニエラだと確信できたとき、俺は思わず彼女へ駆け寄って抱きしめていた。
「良かった、ダニエラ、本当に良かった。村の奴に聞いても村長に聞いても、みんな口を濁すばっかりで、挙句の果てにここにきたら墓みたいなのがあるから、俺、てっきり……」
「私が死んだって思っちゃったわけね。でも、十五年も私の事を放っておいたんだから、それくらいの罰は受けて貰わないと不公平よね?でも、本当に帰ってきてくれたのね、もう帰ってこないんじゃないかって思ってた」
「約束しただろ、絶対に帰って来るって。俺は約束は守る男だぜ?」
抱きしめた彼女と見つめ合いながら、十五年ぶりにお互いに軽口を言い合う。昔は良くこうやって言い合ってたと思えば、懐かしい気持ちになる。
「それで、その……私の事、迎えに来てくれたの?」
「ああ、十五年も待たせてごめんな?ようやく迎えに来ることが出来たよ。ダニエラ、もし俺のことを嫌いになっていないなら、俺の嫁さんになって欲しい」
「パース……っ、うん、嫌いになんてなってない。ずっとパースの事が好きで、その気持ちは変わってないから、私をパースのお嫁さんにして?」
彼女の言葉に頷いて、十五年分の想いを込めてぎゅっと強く抱きしめる。
村を出てから十五年、色々なことがあって大変なこともたくさんあった。
でも、俺は長い長い旅の果てに、ようやくこうして生まれ故郷に戻ることが出来て約束を果たすことが出来た。
これからはこの村でずっと彼女と一緒にいられる、その幸せを感じながら、俺は涙で頬を濡らしている彼女の唇へ、そっと唇を重ねた。