南極からあなたへ
風が吹いた。極寒の世界に冷たい風が吹く。遠くの崖から氷が崩れて海に落ちる音が聞こえる。氷はしばらく塊のまま海の上を漂い、やがて溶けて無くなるのだ。漠然と、生きるとはそういうことなのかなと思う。そんなものなのかなと思う。
「今日は暖かいね」
「そうね。風が無ければもっといいんだけど」
「ちょっとその辺を歩いてくるよ」
「どうしたの」
「暇だからさ。お腹もいっぱいだし、君が卵を産むまでやることがないんだ」
「そうなの。気を付けてね」
「うん。行ってくるよ」
二人はペンギンの夫婦だ。氷の大地の上では寄り添わなければ寒くて生きていけない。あの氷塊のように崩れて離れてしまっては終わりなのだ。必然的に、どんなやつでも夫婦になる。極限状態の生物は他の誰かと強烈な繋がりを求めるのだ。
「ふむ。一人になると少し寒いな」
群れから離れ散歩をはじめたペンギンは孤独を感じていた。望んでそうしたのだが、それはやはり孤独だった。
「そうだ。あの山に行こう」
このペンギンには気に入っている山があった。それはこの島では少ない活火山、麓に温泉もある山だ。
ひたすらに歩いた。代わり映えのしない白銀の世界。雪が少し降って来たかと思えば、風も少し強くなる。しかしこの程度は日常茶飯事。ペンギンにとっては何の障害にもならなかった。ひたすらに歩いた。
「この山だ」
ペンギンは丸いクレーターのように凹んだカルデラの縁に立って辺りを見まわした。
このあたりになると雪が少しはげて地表が見えるようになっている。もちろんこの世界でもなんら珍しいことではないし、地面が見えるということが我々の世界に比べて珍しいということ以上の意味もない。
「む……あれは」
山の麓、海に面したビーチの辺りでやたらと動き回るいくつかの影が見える。
「人間か」
この世界では人間という生き物をたまに見かける。何が目的か知らないが、特に意味のあることをしているようには見えない。試しに近づいてみたこともあるが、特に危害を加えるでもなくあちらから近づくでもなくじーっと見つめてくるのだ。何かを吸い取られているようで不気味だと思ったが、特に害はないようなので、こちらからは放っておくことにしている。
「温泉は、今日はあきらめるか」
人間たちがはしゃぎまわっているあの場所こそが温泉なのだ。ちょっとした楽しみではあったが、なんだか面倒だと思ったので温泉はあきらめた。
「引き返すか」
そう思った時。
「やぁ」
近くの岩陰から声がした。
「誰だい」
「僕だよ僕。ネズ吉」
「え?!ネズ吉さん!帰ったのかい」
彼はネズミの冒険家。ネズミが持つにしては大きい凸凹している中身の詰まった帆布の鞄を背負っている。ネズ吉は世界中の色々な場所に行き、探検をしている。このペンギンは、以前にネズ吉が南極へ来た時に一晩の宿を提供した。その日の夜、ネズ吉は一晩中、世界中の不思議な場所や不思議なもの、面白い出来事の話をしてくれた。二人は良き友人になった。ペンギンはネズ吉の話を聞くのが大好きだった。
「帰ったというか、ここに来るのも僕にとっては大きな冒険の一つなのだけれどね」
「それでネズ吉さん。今度はどのくらいここにいるんです?」
「あそこの、温泉で遊んでる人間たちと同じ船に乗って来たんだ。だから帰りもあいつらと一緒で、一泊したら帰らなくちゃいけないんだ。また泊めてくれないかい?」
「いいですとも。今度はどこに行ってきたんです?」
「砂漠っていうのを知ってる?そこに見える灰色のビーチの砂なんかよりも、もっと細かくてサラサラした砂が海の水のようにズラァアっとなっている大地があるんだ。そこの砂を小瓶に入れて持ってきたんだ。ほら、これさ」
「すごい。こんなに綺麗でサラサラした砂を見るのは初めてです。そこにはどんな生き物がいるんです?」
「人間はラクダっていうのに乗ってたぜ。ラクダっていうのは馬の背中に……馬を知らないか。クマ……も、南にはいないんだっけ。うーん。説明が難しいな」
二人はペンギンの群れへ向けて歩き出した。するどい風も冷たい雪も、ネズミは苦手のようだったが、そうでないペンギンが盾になって歩くので、少しずつ進むことができた。
氷と雪の大地は寒く、足が凍えたネズ吉はペンギンの背中に鞄を上手く利用して張り付くようにして移動している。ペンギンがネズミを背負っているという不思議な構図だ。
「ネズ吉さん。ここに来るのも大変だと思いますが、今回の目的はあるんです?」
「前回も言ったがね、ペンギン君。この氷の世界ほど珍しい場所も無いんだよ。そして君たちのような生き物もこの世界では珍しい。人間たちがここに住んでいたり、ここに遊びに来たりするのもそういうわけなんだよ。ようするに興味があるんだ。そういう意味では、私も人間たちとそれほどは変わらないんだ。それにね、この氷の大地の話は喜ばれるんだよ。ジャングルや砂漠、サバンナの生き物たちにね。海の向こうには雪と氷の大地があり、寒いほど涼しい。極めつけには、人間もほんの少ししかいない。なんて話をすると、みんな胸が膨らむんだ。人間の数が少ない大地に住んでいるというのは、実は幸福なことなんだよ」
「そうですか。人間は悪さをしないから、もうちょっと居ても良いと思いますけどね。あんまり少ないから、絶滅するんじゃないかって長老が言ってましたよ」
「ははっ。そんな心配をしているのは地球上でも君たちぐらいだ。人間が悪さをしないと言ったね。まさにそれなんだよ。この大地の上では、人間の法で人間が動物に何かをすることは禁止されているんだ。多くの動物たちにとってね、ここは楽園と言ってもいい。ちょっと寒いけどね」
「へぇ。ここがそんなに良いところですかねぇ。何にも無いですけどねぇ」
「この大地に何かあると思っているのも人間と私ぐらいだろうな。君たちやこの大地は貴重なんだ。地球の歴史や謎を解き明かすカギがこの氷の大地の地下深くに眠っている。住みついている人間はそれを調査しているんだよ。私は歴史より未来をどうにかすればいいのにと思うがね」
「へぇ。難しいお話ですね。まあ僕にはわからないので長老にでも話してやってください。普段から難しいことを言っている人だから、きっとネズ吉さんと話が合いますよ」
「そうか。それは楽しみだ。氷の世界で生きる飛べない鳥たちの歴史の物語、ぜひ聞いてみたいね……ところでペンギン君。泊めてくれる場所っていうのは、前と同じ洞窟かい?」
「そうですね。あそこなら不自由しないと思いますけど、ちょっと狭いですかね。みんなに聞いてもっと良い洞窟を探しましょうか?」
「いやぁ大丈夫。なんというか。思い出の地に赴く、というのが好きでね。世界中のどの動物に話しても伝わらない感動。誰にも共感できない、僕だけの物語さ。そんなわけで昔と同じところがいいんだ」
「そうですか。では同じところにしましょう。おっと、風が強くなってきましたね。鞄は絶対に離さないので鞄の中に居ていただいていいですよ」
「そうかい?悪いなぁ。確かに……ネズミの体にはこたえる寒さになってきた。お言葉に甘えようかな」
風は次第に吹雪になる。ペンギンはテクテクと進み続ける。視界を遮るように降る雪の中を歩き続ける。しばらくするとペンギンの視界に二つの光が見えた。光は少しずつ近づいてくる。ペンギンの何倍ものスピードで、力強く、吹雪にひるむこともなくそれは走っている。少しずつ近づいてくるその光の正体はトラックだった。ペンギンは、それを以前に見たことがある。人間がそれに乗り込むと、パワフルに、自分たちと比べものにならないようなスピードで走り出すのだ。それをこんなに至近距離で見るのは初めてだった。
「……?」
吹雪のせいで視界が悪く、ペンギンがそれに気づいた時にはもう遅かった。
走ってくるトラックがあまりにも近すぎることに気づいた。トラックはペンギンに気づくことなく、どんどんと進んでいく。
「ガッ」
「……ん?なんか、ぶつかった?」
運転席の男のその言葉に気づいた助手席の男はヘッドホンを取り、ぼうっとフロントガラスを見つめて言った。
「そうかぁ。気のせいだろ」
「そうかな」
「少なくとも車体が揺れたような感じはしなかったぞ」
「じゃあ大丈夫か」
「おう」
ヘッドホンからは音楽が鳴り響き、運転席の男は視界の悪い吹雪の中、ぼーっと進んでいく。
幸いにも、ペンギンは右腕を負傷しただけで済んだ。だが、ペンギンはそれを気にすることなく進んでいった。友達と一緒にいると、自分が怪我をしているのかどうか分からなくなることがある。ペンギンもそうだった。怪我に気づいたのはそれから数時間後、無事に自分の群れに戻った時だった。
「あなた、大丈夫?!吹雪が酷くなったから、心配してたのよ」
「大丈夫、大丈夫。友達に会ったからさ、連れてきたんだ。こちらネズ吉さん」
ネズ吉はすっと鞄から這い出て、ネズミが持つには大きな鞄を背負い、挨拶をした。
「どうも。ネズ吉です。探検家をしていまして、以前ここに来た時にペンギンくんにはお世話になったので」
「ネズ吉さん。こちら僕の奥さん」
「あらあら、主人からお話は聞いています。長老にもネズ吉さんの話を以前にしましたら大変うれしそうで、長老のところにご案内しても?」
「ぜひ。私も長老様とお話をしてみたい」
ペンギンたちは、ネズ吉を歓迎した。知らない土地の面白い話を沢山して、砂漠の砂や珍しい植物の種というような珍しいものを見せてくれるネズ吉さんはみんなに面白がられ、すぐに受け入れられた。小高い山のふもと、吹雪の風を避けたその場所で小さな宴会が行われた。ネズ吉さんも腕をふるって料理を作った。
「ネズ吉さんはすごいだろう」
「えぇ、地球とは広い場所なのね。この土地なんて、狭いものなのね」
「そうなんだ。しかも人間がそこらかしこにいるらしい。見てみないと想像もできないな」
「えぇ……あら、あなた、その腕」
「実はそうなんだ。来るときに人間の乗り物に軽くぶつかったみたいでね。すごい吹雪だったから、向こうも気づかなかったようなんだ」
「な、そんなこといって……分かってるなら早く言って!治療をしましょう」
ペンギンたちの宴の席から一番の友達が消えたことを、宴の中心にたネズ吉は見逃さなかった。
「ペンギンくん。ペンギンくん」
「……ん」
「大丈夫かい?腕、どうかしたの?」
目を覚ますと、ペンギンの目の前にいたのはネズ吉。
「あー。ネズ吉さんをここに連れてくるときに人間の乗り物とすれ違いまして。その時にぶつかったみたいなんです。こんなに腫れてると思わなかったなぁ」
ペンギンの右腕、付け根の少し下あたりがぷっくりと腫れていた。
「これ、巻いておくといいよ」ネズ吉は鞄から何かを取り出した。
「これは?」
「包帯さ。人間の治療の道具で、巻いておくと治りが早いみたいなんだ」
「へぇ。人間はやっぱり不思議ですね。そんなものを作っちゃうんですか」
「人間はすごいよ。そうか。車か。それならラッキーだったと思うべきかな」
「そうなんですか?」
「世界にはね、車にぶつかって死んでしまった動物も沢山いるんだ。人間の不注意で奪われた命が沢山ね」
「そうなんですか。人間はやっぱり海の向こうには沢山いるようですね」
「あぁ。それはもう沢山、車も同じくらい沢山ね。人間は本当にすごいよ」
「なんで人間はあんな大きなものを操れるんですかね。車もそうですけど、船もそうですよね。あれはいくらなんでも大きすぎます」
「それは人間の優秀なところの一つだね。彼らは道具を使うんだ。そしてその辺にあるもので道具を作るんだ。それがどんどん進んでいってあの素材があればあの道具が作れるのにな。となる。何かで代用できないかな。となるんだ」
「なるほど、すると、人間と、我々自然の動物の一番大きな違いは道具を使うことですかね」
「それは大きな違いだが、人間の最も優れていて我々と違うところはね、環境に適応するところだよ」
「環境に、ですか」
「この土地に住んでいる人間は見たことがあるね。灼熱の山の話も前にした。砂漠やジャングルの話、高原やサバンナ、渓谷、滝、それらすべての場所にね、人間は住んでいるんだ。ここに住んでいるのと同じように、もしくはもっと大勢でね」
「なるほど……。確かにすごいですが。不可能な事じゃないような気もしますね。服を着たり、食べ物を合わせたり、住みやすい家を作ったり、やっぱり人間は道具がすごいんじゃないですか?」
「これがね、人間は僕らの想像を大きく越えてくる。ちょうど、ここからはよく見えるね。月がある」
「えぇ。月です。今夜もありますね」
「人間はあそこに行ったんだよ」
「は?」
「あそこには人間の足跡があり、人間の旗が立ってるんだ。さらにはね、宇宙に星を浮かべて、そこに住んでいる人間もいるらしい。使っているのはやはり道具だが、どんな環境でもなんとかしてしまう人間の能力は、やはりすごいよ」
「想像もできません……」
「すごく暗くて寂しいところらしいよ。そこから見た地球は青いらしい」
「青い?白ではなく?」
「あー。そうか。ずっとここにいたらそう思うよね。世界は君が思うよりずっと広いってことだよ」
二人は月を見上げた。丸々とした月が夜空にぽっかりとあって綺麗だった。
「よし、そろそろ寝床を整えようと思うんだけど、前来た時に僕が寝た洞窟ってどこだったかな。やっぱりあそこが良いんだ」
「……あ、はい。案内しましょう」
「腕、大丈夫かい?」
「大丈夫です。まだ痛みますが、ちょっと歩くくらいなら」
「なんだか申し訳なくてね、僕のせいでもあるような気がして」
「いえいえ、ネズ吉さんがいなくても僕は同じ道を通りましたよ。どうせ群れには戻りますから、同じことですよ」
「……そっちじゃあないんだけどね」
「はい?」
「いや、なんでも。行こうか」
二人は歩き出した。その洞窟までは二百メートルほど、天気は晴れて歩きやすい。ペンギンはチラチラと月をみていた。さっきの話がとても信じられないようだ。しばらく歩いて洞窟についた。そこに光はほとんどなく、暗い。足を踏み入れると音が少しだけ反響する。そんなに奥が深い洞窟ではないようだ。
「ここであってますか?」
「……うん。ここだ。間違いないよ。それにしても、今夜は予報通り晴れてよかった」
「予報?」
「ああ。人間がいってたんだ。今夜は晴れそうだって」
「人間は天気までわかるんですか」
「そうらしいね。けっこう当たるみたいだから私もアテにしてるんだ」
「ネズ吉さんは探検家でありながら、人間を研究する博士のようでもありますね。人間の友達もいるのでは?」
「……これは誰にも話したことが無いんだけれど、一人だけいたよ。人間の友達が」
「え?!本当にいるんですか?」
「あぁ。僕は人間の実験によって生まれたネズミでね。その博士とは仲が良かったな」
「人間の、博士によって……?」
「ちょっと難しいかな。ようはね、おもちゃみたいなものさ。人間の」
「は?ネズ吉さんが?」
「うん。仲が良かったんだけど、少しずつ怖いと思うようになってね。ある日抜け出してきたのさ。それ以来世界中を探検してるってわけだよ」
「なるほど!ネズ吉さんがすごいわけが分かりましたよ。ネズ吉さんは人間の能力も持っているということなんですね」
「まあそうかな。ネズミ一匹で生きていくのも結構大変だけどね。世界で自分だけだと思うと、誇らしい気持ちにもなるかな」
「やっぱりすごいなぁ。ネズ吉さんは!……あの、本当にここで寝るんですか?群れに混じって寝た方があったかいのでは?」
「ううん。ここが良いんだ。ペンギンくんには前来た時と違って奥さんがいるしね、早く群れに戻った方がいい。黙って抜け出してきたから、心配してるんじゃないか?」
「あ、そうですね。じゃあ戻ります」
「あ、待って。ペンギンくん。今思い出したんだけど、前に来た時に言ったこと覚えてるかい?」
「えーっと……なんでしたっけ?」
「今度会うときはタメ口で良いって言ったんだ。君も忘れていたようだけど、そんなことを言ったような気がする。覚えてないかい?」
「そういえば、言っていたような気がする……」
「せっかくだから約束を果たしてくれよ」
「わかったよ、ネズ吉くん」
「うん。ありがとう……あ、それと、僕が人間の実験で生まれたって話は誰にもしないでほしい。良い話じゃないからね」
「わかった。じゃあまた明日ね。ネズ吉くん」
「うん。また」
ペンギンは群れに戻るとき、やはり空を見つめていた。月がやたらと気になった。どうしても気になってしまう。群れに戻り奥さんの隣で寝た。
ペンギンはふと目が覚めた。
「……?」
目をこすり、暗い闇の中に動く影があるような気がして、ペンギンは歩いた。それはネズ吉が寝た洞窟のあたり、百メートル以上離れた場所から何かが動く影をみた。ひょっとすると、ネズ吉が危ないかもしれない。ペンギンはゆっくり、気づかれないようにひっそりと暗い闇の中を歩き出した。
近づいていくと、少しずつはっきりしてきた。影の正体はどうやら人間らしい。それも十人はいる。ペンギンは恐る恐る近づき、ゆっくりと中の様子をみた。
「よし、間違いない。続けろ」
そう言った人間の手にはキラキラと輝く石と、恐らく壁を砕くための道具、があった。人間はあれが欲しかったのか、洞窟の壁を見てみると、同じようにキラキラ光る石があった。それが偶然この洞窟の中にあるのを見つけてしまったんだ。よりによって今夜。ネズ吉くんが危ない。
ペンギンはバレないように少しずつ身を乗り出して辺りを確認した。するとネズ吉くんの面影はどこにもない。考えてみれば、ネズ吉くんは探検家だ。このぐらいのピンチは何度も乗り越えてきただろう。僕が心配することすら変な話だったかもしれない。それに、もしネズ吉さんが捕まっても、十人以上の人間を相手に僕ができることなんて一個もない。僕にできることは、ネズ吉くんの安全を祈ることだけだ……。
ペンギンは群れに戻って、もんもんとした気持ちはあったがそのまま寝てしまった。
翌朝、ネズ吉くんが心配で洞窟に行くと、なんてことはないと言うような顔で荷物をまとめるネズ吉くんがいた。
「大丈夫だったかい?ネズ吉くん」
「ん、ペンギンくんどうしたの。そんなに急いで」
「昨日の夜中、ふと目が覚めてね、ここに動いてる影があったような気がして」
「そうかい?気のせいじゃないかな。昨夜は何も異変は無かったよ」
「……でも、その、そこの壁はそんな形だったかい?」
洞窟の壁はえぐられていて、昨日みた人間たちが夢ではなかったことをペンギンは確信していた。
「……昨日からこんな壁だったんじゃないかなぁ」
「でも、僕、見たんだ。人間たちが、キラキラ光るものを壁から取り出して、ここに来ていて、壁を砕く道具を持ってた」
「夢でも見たんだよ。人間のトラックに怪我をさせられたばかりだから、嫌な夢でも見たんだよ」
「……そう。そうかなぁ」
「きっとそうだよ。さて、今日は晴れるみたいだからここからゆっくり歩いて船に戻ることにするよ。来るときは景色なんか見れなかったからね。一人でゆっくり帰ることにするよ」
「そっか。じゃあお別れだね」
「あぁ。また来るよ。きっとね」
「あ、夢の中の事だけど、人間の凄いところはやっぱり道具を使うところだと思うな。そんなに大きな道具じゃないのに、壁を掘ってキラキラした石を取り出しちゃうんだもん。あんなのどの動物にもできないでしょ?」
「そうだね。たしかにああいうのは人間しかやらない。夢の中の話だけどね」
「うん。夢の中の話だよ」
「うん。じゃあ、行くよ」
「あ、最後にひとつだけ。本当に偶然、僕も驚いたんだけど、今朝だよ。ここに来る直前に、奥さんが卵を産んだんだ。なんとも嬉しいんだけど、妙な達成感というか、使命感というか。誇らしい気持ちがあってね。こんな気持ちは生まれてはじめてで、少し戸惑ってて。ネズ吉くんは色んな生き物に詳しいから、最後に聞いておこうと思って。こういう気持ちはきっと、どの生き物にもあるんだよね。人間にだってあって、きっとこの気持ちは、全ての生き物にあってさ、それってすごいことだよね」
「うーん」
ネズ吉は少し考えて言った。
「子供がいないからなぁ。わからないや」
「そっか。でもきっとそうだと思うんだ。次来てくれた時は僕の子供の話を聞かせてあげるよ」
「お、いいね。楽しみにさせてもらうよ。またね」
「うん。またね」
比較的最近に書いたショートショートです。何かの賞に送るつもりで書いたんだと思うのですが、結局送らずにしまっていたようです。せっかくなので残しておきます。