第七話:水龍のちからを得た少年は再び少女を救う
身体全体があたたかい。
生命力のようなものが流れ込んでくる。
指の先までが熱くなり、心が満たされてゆく。
まぶたを閉じているのに、目の前が金色に輝く。
不思議なほどすがすがしい気持ちになって、あたしは目を開けた。
ごつごつとした岩場の向こうに、荒涼とした暗い海。吹きつける潮風が、あたしの意識を現実に引き戻す。
身体の感覚が戻ってくると、座った誰かに後ろから支えられているのに気がついた。
胃のあたりに心地よい熱を感じて視線を落とし、まぶしさに目を細める。回復魔術だろうか、虹色の光をまとった手がかざされている。
ふと左を見てあたしの肩を抱く、人間のものとは思えない白い指に気付いたとき、また彼に助けられたことを悟った。
「よかった。意識戻ったんだな」
耳元でささやくやわらかい声。
振り返ると、樹葵がやや疲れた顔に安堵の微笑を浮かべていた。「ちったぁ楽になったか? 回復魔術的なの試してたんだが」
「的なのって――」
つっこむあたしに、
「はじめて使ってみたから俺の気を流し込んでただけかも」
ちょっとはにかむように笑った。
会ったら絶対ぶん殴ってやる! と心に決めていたのに、その決意は彼のどこか寂しげな笑みを前に、真昼の朝顔のようにしぼんでいった。
「ここは――」
あたりを見渡すと、すぐそこに大きな鳥居の太い柱。もう一方の柱を背に座る樹葵が、抱きとめるようにあたしを支えていた。荒れた海の向こうに港町が見える。
「入り江の先にあった小さな無人島だな、この島は」
と樹葵が教えてくれる。「島の神様が祀られてるみたいだ」
そう言って大鳥居を仰ぎ見た。小山のような島全体を覆う木々が強風に揺さぶられ、ごうごうとうなりを上げている。
「結構、流されちゃったんだね」
「風が強いからな。さっきよりおさまってきたみてぇだが」
思い返せば船番所の二階から、こんもりと緑に覆われたこの島が見えていた。青い海から続く参道に立つ白い鳥居を覚えている。もっとずっと近く感じていたのは、干潮時に眺めていたせいだろう。
あたしの左肩を抱く樹葵の手に、わずかに力がこもった。向き直ると彼は、真剣なまなざしであたしをみつめていた。
「玲萌、いくら魔術があるからってこんなときに海に入っちゃだめだよ」
「だって樹葵がクピドを海ん中に撃ち落とすんだもん」
間髪入れずに言い返すあたし。
「でも、玲萌の命の方がだいじだろ?」
だけど、と開きかけた口を中途で閉ざす。普段はふざけてばかりいる彼の緑の瞳に、いつになく真摯な光が宿っていた。
「二度も救われちゃったね」
あたしはぽつんと言った。濡れてウェーブの強くなった彼の銀髪に、絡んでいた小石を指先でつまむ。海の中は海底の砂や小石が波で舞い上がって、魔物の身体を持つ彼でも危険だったはずだ。
「水が濁って全然見通しきかなかったでしょ?」
あの時は本当にもう駄目かと思った。
「ああ、おみおつけみてぇな色してやがった」
と苦笑する樹葵。
「よくあたしを見つけてくれたよね」
「まあな。こっちの目で見えなくても――」
と、指先を目の下にあててから、
「俺には秘密の第三の目があるからな」
白い牙を見せてにやりと笑い、着物の前をはだけて見せた。「こいつは暗闇でも利くし、気の流れや魔力も視えるんだ。いーだろーっ」
鼻高々である。今は閉じているが、彼の胸の真ん中には赤い目玉がくっついていて、以前あたしが見たときは魅了のような術で相手を操っていた。
「俺は額に第三の瞳が欲しかったんだけど、摩弥に止められたんだよなぁ、かわいくないって。俺はかっこいいと思ったんだけど」
こいつは十六だか十七にもなって、まだ中二病なのか?
「それに関しては、あたしも摩弥の意見に賛成かな」
「そっか。ま、どこについてても役立ってるしな。こいつのおかげであんたも助けられたし」
屈託なくそう言われると、胸にちくりと棘がささる。そういえば、ちゃんとお礼言ってなかった。そもそもこいつがクピドに攻撃しなければ、と思っていたが、荒れた海に飛び込んだのはあたしの選択だ。
「樹葵まで危険な目にあわせてごめんね。えっと――」
ありがとう、と言う前に、
「あはは、いいってことよ」
彼は笑って、空をあおいだ。「あんたに救われた命だからな。何度返したって返しきれねえ借りがあるんだ」
そう、あたしは言葉で、彼を死の淵から救ったことがある。まだ彼があたしを初対面だと思っていた頃のこと。友達になったらかえって、仄暗い内面を見せてくれなくなった気がする。ここで心配になるのはお節介というものか。
その時――
「玲萌くんたち!」
風音に混じって凪留の声が届いた。
「お、あれ凪留が飼ってるニワトリじゃないか?」
樹葵が視線を向ける先、曇天に羽ばたく大きな鳥の姿。
「迎えに来てくれたんだ」
あたしは手を振りながら立ち上がろうとする。
「だいじょぶか? 魔力は戻った?」
「うん、樹葵の回復魔術的な何かが効いたみたい。あいたたた、足が――」
波にもまれて草鞋は流されてしまった。足裏に貝殻や砂利が突き刺さる。
「俺の足の上に乗りねえ。ま、すぐに凪留が着くだろうから短けぇ間の辛抱だ」
両手であたしの手首を持って引き寄せようとする樹葵に、
「あんただって履き物流されてるじゃない」
「俺は舟に置いて飛び込んだんだよ。俺の足は龍神様仕様だから岩場でもへっちゃらさ」
と自慢げ。舟と聞いてあたしは、はっとする。
「そういえば漁師さんたちは!?」
「すぐに波止に舟つけて上陸してもらったよ」
それを聞いてほっと胸をなでおろす。海上には一隻も船の姿がない。
頭上で大きな羽音が聞こえ、天翔けに乗った凪留が風を巻き上げて到着した。
「無事でよかったですよ、二人とも。この島に上がったところを、目のいい夕露くんが見ていたんです。もっと早く迎えに来たかったんですが、天翔けが風におびえて――」
「きゅくんっ」
と鳥が鳴く。抗議か、言い訳か。飼い主には伝わっているようで、凪留は鳥の首を撫でながら、
「きみには感謝していますよ」
と、ねぎらった。
「急ぐこたぁねえよ。玲萌だってちぃとばかし前に意識が戻ったところだ」
言いながら両手であたしを抱きかかえ、鳥に乗せようとする。
「だぁぁ! お姫様抱っことかやめてよっ」
思わずじたばたするあたし。「もう回復したから! さして背丈かわんないのに無理しないでってば!」
「何言ってんでぃ、足痛ぇっつってたじゃんか。そもそも海からここまでだって、こーやって運んだんだぜ」
言われてみればそうなのか。気絶していて記憶がないのがつらいところだ。
先ほどと比べればいくらかおさまった風の中を、天翔けは岬へと飛んでゆく。
「寒っ」
海風をまともに受けて、濡れた着物に体が冷える。いつもなら後ろからひっついてくる夕露がいないのも原因だ。
「見ろよ、入江の地形がよく分かるぜ!」
強風の中、後ろから聞こえるのは、空飛んで興奮している樹葵のはしゃいだ声。
「この至近距離なんだからもう着きますよ」
凪留が冷めた調子で水を差した時にはすでに、天翔けは船番所へ向かって下降をはじめていた。
「風が強くて危ないから、夕露くんには番所に戻って待っていてもらったんです」
凪留の言う通り、船番所の庭にはこちらへ向かって手を振る夕露の姿。隣に番所の役人さんとおぼしき人物も並んでこちらを見上げている。
「玲萌せんぱ~い!!」
夕露のよく通る声が聞こえて、あたしは無事戻って来られたことをかみしめた。




