第五話:見たり、魔物の正体
午後、さらに風が強くなってきたようだ。天翔けは風に乗って空を奔る。
「いた! あの白いやつじゃない!?」
沖の方に、カモメとは異なる形状の白い物体が飛んでいる。
「そうです!」
夕露が自信を持ってうなずく。
「あまり陸から遠ざかりたくないので、いったん沖へ出てから陸の方へ追い詰めましょう」
凪留はあたしたちに話しているのか、召喚獣・天翔けに指示を出しているのか。とにかくあたしたちを乗せた鳥は、上空にいる子天狗にみつからぬよう海面すれすれを飛行し、沖に出ると一気に高度を上げた。振り落とされぬよう両手両足でやわらかい毛にしがみつくと、天翔けの体温が伝わってくる。
あたしたちの存在に気付いた子天狗が向きを変える。
「バレましたか」
凪留が舌打ちする。
「でも凪留の読み通り、陸の方へ戻っていくわよ」
「待て待て~!」
夕露が叫び、あたしたちは距離をつめる。風は海から陸へ吹いているので、天翔けはほとんど羽ばたかずすべるように港へ近づいてゆく。
「あっ、あそこに紫蘭ちゃん!」
夕露が見下ろすのは波止の先端。片手に棒状のものをぶら下げて、誰かが立っている。あたしは目をこらす。
「あれ、弓矢持ってるの?」
「釣り竿だよ。紫蘭ちゃん、もうおなかすいたのかな」
そんなわけない。何か作戦があるんだろう。
沖から追い詰めるあたしたちと、波止から見上げる紫蘭、双方に挟み撃ちされる形となった子天狗に迷いが生じたのか、進む速さが若干遅くなり距離が近づいてゆく。
紫蘭が何をたくらんでいるかは分からない。とにかくあたしは自分の仕事をするだけ―― 三度目の正直でまた風の術を唱え始める。
そのとき紫蘭が竿を振り上げたのが見えた。釣り糸までは見えないが、おそらく糸の先に魚を括りつけてあるのだろう。紫蘭が右へ左へ振り回す釣り竿に、子天狗が吸い寄せられるように近付いてゆく。
「頭がよくて罠にかからなかったのでは……?」
とツッコミ入れる凪留。
宙を飛ぶ魚に気を取られた子天狗の後ろ姿は、いまや目前。
「我が敵影、捕らえたまえ!」
あたしは完成した風の術を放つ。が、揺れる鯵をつかもうと、ひょいっと右に飛んだ子天狗の左脇を風の鎖がかすめて行き過ぎる。
――あああっ 紫蘭! 邪魔!
舌打ちしながら再度、印を結んだとき、あろうことかあたしと同じ術が紫蘭の左手から放たれた!
「しまった!」
紫蘭の術からのがれようと、風の網の中で暴れまわる子天狗。その右手にはしっかりと、新鮮そうな鯵が握られている。
「食べろ食べろ――」
と紫蘭がつぶやくのが聞こえる。
――なぜ? と思ったとき、逃げようと紫蘭に背を向けた子天狗――いや、幼児と目があった。
「天狗なんかじゃない……」
そのかわいらしい顔に張り付いた必死の形相に息をのんだ瞬間、放つはずだった風の術はあたしの気力と共に霧散した。
「玲萌くん!?」
叱るような凪留の声。
「とったぁぁぁ!」
掛け声とともに夕露が鳥の上から跳躍し、紫蘭の術に拘束されたチビに飛びかかる。
「うわっ 夕露!」
紫蘭の慌てた声と同時に、夕露とその羽の生えたガキは海面に落ち――る寸前、幼児は空へと舞い上がった。
ばっしゃーーーーーーーん!
夕露だけが派手に水没する。
「おおー 大丈夫か? 金棒と一緒に沈むんじゃないか?」
紫蘭がしゃがんで長い釣り竿を海中に差し入れると、夕露はそれにつかまってバタ足しながら波止へ泳いできた。その手にしっかり鯵を握って。
「夕露、その鯵食うなよ」
「どして?」
「摩弥さま特製睡眠薬入りだからさ」
「うえっ」
紫蘭の忠告に素直に従って、夕露は鯵を手放した。ぽちゃんと音を立てて、それは海底に沈んでゆく。
「それで、食べろ食べろ言っていたのか。眠らせて連れ帰る魂胆だったのですね」
凪留の推理が大当たりだったのか紫蘭は、まあな、とおもしろくなさそうにつぶやいた。
波止から海へと続く石段に腰かけて、向こうの雁木につどう船を眺めながら、あたしはぽつんと言った。
「あんなの、攻撃できない」
「ちょっ―― 玲萌くん! 僕たちの卒業がかかってるんですよ」
「だって凪留も見たでしょ!? 三歳くらいのかわいい男の子だったじゃない!」
色の薄い金髪に緑の目をした幼児が、紫蘭の術からのがれようと暴れていた姿を思い出す。
「だから保護して、魔道学院に連れて帰るんですよ」
凪留は言い含めるように話す。「僕たちは攻撃するわけでも駆除するわけでもない」
「でもなんで羽が生えてるのかな」
夕露の素朴な疑問に、
「また天才魔道医がからんでるからよ!」
皮肉をこめて答えると、紫蘭がつーんとそっぽを向いた。
「摩弥は改心したんじゃなかったの!? 一体あんな幼児に何をしてるのよ!」
あたしは紫蘭の袖を引っ張る。夕方になってさらに強さを増してきた風が、あたしの桃色の髪をひっきりなしに揺らす。
「玲萌、安心してくれ。あれは違うんだ。その、つまり、あたしたちみたいに存在している人間じゃなくて、どこにもいない人なんだ!」
「ん? 全然意味が分からないんだけど」
あたふたする紫蘭の次の言葉を待っていると、夕露がぽんっと手を打った。
「思い出した! ずっとどこかで見たと思ってたんだけど、うちで見たの!!」
「夕露ん家で飼ってるの? あれを!?」
思わず驚いた声で聞き返すあたし。凪留だけでなく真相を知っているはずの紫蘭まで、びっくりした顔で夕露を見ている。
「絵があるの。遠い異国からの舶来品なんだけど、さっきの子みたいに白い羽が生えた小さな男の子で、金髪でぽっちゃりしていて、おじいちゃんが『夕露みたいでかわいいのう』って気に入って、かなり高かったのを買ったんだ」
親バカならぬ爺バカである。夕露の祖父は大きな廻船問屋の大旦那様で、孫の夕露を目に入れても痛くないほどかわいがっているのだ。
「くぴどって言うんだよ」
と夕露が付け加えた。
クピド、か――と口の中でつぶやいたとき、陸の方からふらふらと夕日を背負って近付いてくる人影に気が付いた。
「紫蘭んんん!」
うらめしい叫び声を上げながら、海から吹き付ける向かい風に逆らってこちらへ歩いてくる。
「あ、今日いなかった樹葵くんだ。ちゃお〜」
夕露が空気を読まず、にこやかに手を振る。
「俺に睡眠薬を盛ったな!」
「そうそう、摩弥さまからもらった特製睡眠薬入り鯵は二匹あったから、一匹樹葵にあげたんだ」
と、あたしたちに説明する紫蘭。「火を入れたら効果がなくなっちまう弱いものだそうだけど、あいつ生で丸ごと食うじゃん?」
夕日に染まった銀髪が向かい風にあおられて、炎のように逆立つ。樹葵はこぶしをふるふるさせながら叫んだ。
「すっかり夕方になっちまったじゃんか!」
「おはよー樹葵くん」
いつでも夕露はのん気である。
「あいつはどこへ行ったんだ?」
と、ぐるり空を見渡す。あたしは、はっとして、
「樹葵、あの子をぶちのめしちゃダメだからね!」
「なんでだよ」
「魔物とか天狗じゃないの! ほとんど人間なんだから!」
「人間ならなおさら、港を荒らして魚を盗むのは悪事だろ?」
樹葵にしては意外にも、正論で言い返してきた。
「ぐっ…… 海の幸食べ放題なら、あたしが出世払いしてあげるから!」
報酬の面から攻めるあたし。
「なんか俺、あいつ気に食わないんだよな~。なんでだろ」
樹葵は自分のことなのに不思議そうな顔して、首をかしげる。
「ひどい! 間近で見たらすっごくかわいいんだから!」
力説するあたしに夕露が、
「ちょっと不気味ですけどねぇ~ 樹葵くんみたいに」
「俺は全く不気味じゃないが?」
顔をあげた樹葵は、きょとんとしている。
「自覚ゼロですか」
疲れた声を出す凪留に、
「なんだよ、前髪ぱっつん眼鏡」
樹葵が言い返す。見たまんまを言われて怒る凪留。「耳と牙が生えてる人に言われたくありませんっ」
「耳ならあんたもついてるぜ?」
二人の不毛な言い争いを後ろに聞きながら、あたしは陸を背に波止の先へ歩いた。夕焼けを反射する海に波が立つ。まだ梅雨も終わっていないというのに、季節外れの台風でも来るのだろうか。
波止の先端に立つと、たびたび浮世絵にも描かれてきた扇形の入り江を見渡せる。向かいの常夜燈に灯が入り、雁木をぼんやりと照らし始めた。




