第二話:人魚の正体は、あのトラブルメーカー!
水滴が一粒、額に落ちた。その冷たい感触が、あたしの目をさました。
石の上に寝かされているのだろうか。腰の下が固い。
ゆっくりと目をあけると、白いまつ毛にふちどられた緑の瞳と目が合った。心配そうにのぞきこむ少年の、波打つひと房の銀髪から、また雫がしたたる。
「あ、玲萌、気付いたか?」
少年としては少しだけ高いその声に聞き覚えがある。
「えっ、樹葵!?」
あたしは思わず彼の名を呼んだ。だんだん意識がはっきりとしてくると、雁木の階段に座った樹葵に膝枕されていることに気が付いた。
「玲萌くん、大丈夫ですか」
樹葵の横に腰かけていた凪留も、あたしを見下ろす。
身を起こそうとするあたしの肩を、
「無理すんなよ」
と樹葵が支えてくれる。その手はぬらりと青白く、透き通った鉤爪が生えている。この銀髪の少年――橘樹葵は、芸術家すぎて常人には理解できない美的センスの持ち主で、自ら望んでヒトでない姿へと己を変えた変人である。
詳細はあたしたちの先月までの旅について書いた『時之螺旋階段』にゆずるが、要約すると失踪中だった天才魔道医・紅摩弥に出会って彼女と恋仲になり、怪しい魔術で身体改造してもらったのだ。詳しくは前作を読んでね!←宣伝!!
あたしも樹葵に並んで石段に腰かける。見渡せば目前に青い海が広がり、空には輝く昼の太陽、船が行き交う港町はへーわそのもの。
正体不明の空飛ぶ何かを追って、金色の光によるこれまた正体不明の攻撃を受けて―― 記憶を整理していたあたしは、
「夕露は!?」
と叫んでいた。
「樹葵くんの話によれば、夕露くんは漁船に救助されたようです」
落ち着いた声は凪留のもの。「僕は『天翔け』がくちばしにくわえて、陸まで運んでくれました」
あの状況から危機一髪、なんとか召喚主だけは助けたのか。なかなか優秀な召喚獣である。
「ほら、あの船だよ、夕露が乗ってるの」
と、樹葵がこちらに近付いてくる一隻を指さす。誰かがこちらに向かって手を振っているが、その顔かたちまでは分からない。野生動物なみの視力をもった夕露には、あたしたちの姿が見えているのだろう。
「あれ俺が乗ってた船なんだ。まさかあんたたちがこの港に来てるとは知らなかったからさ、空から落ちてきた玲萌の姿に気付いて慌てて飛び込んだんだよ」
「えっ、じゃあ樹葵が泳いであたしを助けてくれたってこと?」
「まあな。俺はこのヒレのおかげで多少、水中でも細胞に酸素をとりこめるから、深く潜るのは得意なんだ」
と、腕に生えた小さな翼のようなものを示す。
「そっか、助けてくれてありがと」
樹葵に微笑みかけたあたしに、
「玲萌くん、そいつに礼を言う必要はありませんよ。僕たちを海に落とした張本人ですからね」
と凪留が水を差した。
「えっ!?」
言葉を失うあたしに、
「だからごめんて。まさかあんたらだとは思わなかったんだよ」
樹葵が泣きそうな顔で言い訳する。「だって下から見たらでっけーニワトリの腹しか見えねえんだもん。上に人間が乗ってるとは思わないぜ」
「ニワトリじゃありません!」
間髪入れずに反駁する凪留。
「コケコッコーって鳴くだろ?」
「鳴きませんっ!」
想像でもの言う樹葵を一喝した。
海原をすべって涼やかな風が吹く。あたしは思わずくしゃみをした。
「濡れたままじゃ寒いよな」
そう言った樹葵の、水かきのついた手のひらが、ふんわりと赤く発光しはじめる。
「必殺、遠赤外線!」
おどけた調子で言って、赤い光であたしの肩や腕をあたためてくれる。
「気持ちいい~ 眠くなるぅ」
まだ回復しきっていないのか、からだが重い。樹葵の胸によりかかってまぶたを閉じる。温泉みたいにちょうどよい温度で発熱する彼の指先が、あたしの桃色の髪を優しくすべってゆく。
「樹葵くん、きみ呪文を唱えずに魔術を発動できるのですか?」
凪留の鋭いツッコミにあたしは、はっとする。いかん、まだ頭がちゃんと働いていないようだ。
「おう、これくらいの簡単な術ならな」
「あり得ないでしょう!?」
と目を見張る凪留。彼の言う通りである。魔術とは呪文・結印・魔法陣などを用いて気を集めることで、自然の力を人為的に引き出すものだ。修行を積んだ高僧や武道家が稀に、気そのものを操ることがあるが、それも相当の集中力を要するもの。いま樹葵がしているように気軽に会話しながら使えるとは考えられない。
「そういえば」
あたしはあの金色の光線を思い出して言った。「船から金色の光を放ってたのも樹葵だったってことでしょ? あれはなんの術?」
「魔力をそのまま発しただけだよ。呪文を唱える必要もないから、動く対象を狙うときに便利なんだ」
「なにその反則技――」
あたしも二の句が継げない。
「俺の鱗は伝説の水龍から拝借したものだから」
と、腕と足の外側を覆う白蛇のような鱗に視線を落とし、「俺の魔力量は膨大なんだよ。日常生活に使う魔術なら、思い描くだけで大概のことはできるから便利なんだ」
嬉しそうに説明する。
「伝説の水龍!?」
凪留がオウム返しに訊いた。「そんなものをどこで手に入れたんですか!?」
「ほら、俺らが住処にしてた葦寸の古い洋館―― あそこに封印のかかった宝物庫みてぇのがあってさ、そこに後生大事に保管されてた。古い木箱に収められて昔の言葉で説明書きがついてたんだ。摩弥がそれを読めて、いまでは伝説になってる水龍の鱗だって言ってた」
さらっと話しているが葦寸に建つ異国風のお屋敷自体、土地の文化財だったもの。樹葵とは別方向に常識のない天才魔道医・紅摩弥が勝手に住みついたのだ。
樹葵はうっとりとした調子で続ける。
「水龍の鱗は暗闇でもつねに青白く光っててすっごく綺麗でさ、俺の肌がこんなふうに輝いたらどんなに美しいかと思ったんだ。そしたら摩弥ができるわよって」
できるわよ、じゃねーよ。こいつら野放しにしておいちゃ絶対だめなコンビだな。
かわいそうに凪留が絶句している。規則を守るのが生きがいである彼にとって、樹葵と摩弥の行動は理解不能なんだろう。
「ま、あたしは両生類になりたいとは思わないけど、魔力量が膨大ってのはうらやましいな」
しかも呪文を唱えるタイムロスも発生しないと来ている。ほぼ無敵ではないか。
「そうか? 確かに便利だけど、凪留みたいにいつでも召喚獣に乗って空を飛べるってのも、ロマンがあって素敵だと思うけどな」
と、エメラルドのような瞳を輝かせる。
確かに今回、空飛ぶ対象を拘束するには凪留の召喚獣がいてこそ、あたしが自由に魔術を操れたわけで、パーティに一人いたら重宝するのは確かである。
「だから俺さ、摩弥に今度は翼が欲しいって話したんだよな、葦寸からの帰り道」
こいつまだ身体改造したいのか…… 呆れるあたしたちには構わず、樹葵は子供が夢を語るような口調で続ける。「摩弥が言うには、鳥の羽ってぇのは俺ら四つ足動物でいうところの腕だから、骨格的には手が四本になるわけで難しいかもって話なんだけどな」
「僕たちは四つ足動物ではなくて人間です。きみは違うでしょうがね」
凪留が無駄にケンカ腰なのは、天翔けをニワトリ呼ばわりされたせいか、それとも理解できない樹葵の存在自体が苦手なのか。
「玲萌せんぱ~い、凪留せんぱ~い、ついでに樹葵くん!」
夕露の声が聞こえて、あたしたちは海のほうを見る。船のへさきに、こちらに向かってぶんぶんと手を振る夕露の姿。あたし同様おぼれたはずなのに、野生の回復力で元気いっぱいである。




