第一話:ねらう獲物は未確認飛行生物!?
湿った風に磯の匂いが混ざる。
雁木の石段に寄せる波が、次々と砕けてゆく。
海原には点々と船が浮かんでいる。
「あっ、玲萌せんぱい」
隣で空を見上げていた沙夕露が、あたしの名を呼んで袖を引いた。「なんか飛んでるけど、あれかな?」
夕露は王立魔道学院の一年後輩で、くるくるとしたショートヘアが愛らしい美少女だ。彼女が指さすほうを見上げると、カモメが弧を描いて遠ざかってゆく。
「あれ、鳥じゃないの?」
「そっちじゃなくて、あっち」
難易度高い説明しながら、はるか遠くを指さす。夏を心待ちにする空は、梅雨どきの貴重な晴れ間。あたしは陽射しに目を細める。
「えぇどれよ? 夕露あんた目いいわね~」
「僕にもよく分かりませんね」
と言いながら眼鏡を上げるのは汀凪留。王立魔道学院の同学年で、つねにあたしと成績一位を競い合う仲だ。「そもそも今回の依頼、捕獲対象が正体不明ですからね」
凪留の言う通り、この港の船番所から王立魔道学院に入った依頼は、漁場を荒らす未確認飛行生物を駆除して欲しいというもの。陸揚げされた魚が奪われ流通にまで悪影響が生じているのだが、問題は「未確認」がついている点だ。
「羽の生えた猿だとか、白い天狗だとか証言がまちまちなのよね。もうこの際、空飛んでる生き物全部、撃ち落とす?」
「さすが玲萌せんぱい! 野蛮!」
感心する夕露とは反対に、凪留はあたしをにらんだ。
「短気をおこさないで下さいよ、玲萌くん。師匠の話を忘れたんですか。研究のため生きたまま捕獲せよというのが学院長の意向ですからね」
「ちぇーっ、めんどくさ……」
口をとがらすあたしに、夕露がうんうんとうなずきながら、
「丸焼きにしてタレつけて食べるわけにはいかないんですね」
と、なぜか残念そう。
「地上から眺めていても埒が明かない。『天翔け』を呼んで、夕露くんの視力を頼りに空から探しましょう」
と凪留が提案した。「天翔け」とは彼が召喚する、どでかい鳥の名前である。チャームポイントはキラキラお目々と真っ赤なトサカ。ただしニワトリと呼ぶと怒られる。
「褐漠巨厳壌、其の大なる力を以て空歪ましめ――」
凪留が呪文を唱えだすと、この世のものとは思われぬ異様な風が吹きはじめ、頭上の空間に小さな孔穴があらわれた。
「我らが世より彼方なる次元へ続きし門あきたまえ」
虚空に空いた穴は、目にも止まらぬはやさで回転しながら膨張してゆく。
「我がまめやかなる友天翔けよ、我が願いに応え今その眠りよりおどろき、この方へ至らなむ!」
いまや視界の半分ほどを埋め尽くす、青空に空いた洞から、巨大な鳥が羽ばたき出でた!
「よっしゃー! 一番乗り!」
あたしは走り出し、巨大な鳥の背に飛び乗った。青空を覆っていた暗い虚空は急速に収束して消えてゆく。
「玲萌せんぱい、待ってぇ」
夕露も駆け寄ってくると、大きく跳躍してあたしの後ろにひっついた。ほとんど魔術を使えない夕露はつねに唯一の武器である金棒を背負っているのだが、かなり重そうなわりに身のこなしは軽い。
「きみたち!」
と不服そうな凪留が声をかけてくる。「僕が天翔けに指示を出すんだから一番前に乗りますよ」
まったく偉そうな物言いである。これであたしと同い年、王立魔道学院でもしっかり者だと師匠たちに評判だ。「七海玲萌は魔術の腕こそ確かだが落ち着きがなさすぎる」と無駄な心配をする師匠たちが、あたしのストッパー役にと凪留をくっつけてきたので、ペアで課題をこなす羽目になったのだ。
天翔けは不格好に羽をばたつかせると、あたしたちを乗せて青い空へ舞い上がった。
見る見る間に水面が遠のき、浮かぶ船がどんどん小さくなる。
「凪留せんぱい、あそこの帆の上にいるおっきな紋白蝶みたいなやつ!」
黄色いカールヘアを風に吹かれながら、夕露が遠くの千石船を指さす。
「近づいてみましょう」
と凪留が天翔けに指示を出した。
「あれ、蝶っていう形じゃないでしょ」
近づくにつれ、あたしにもソレの姿が見えてきた。羽は鳥っぽいけど、手足がついてる点では虫っぽいから、夕露的には紋白蝶なのか。
「カモメより大きいかな。手足が長いだけだろうか」
と凪留も目をこらす。
目のいい夕露には、はっきり見えてきたようで、
「ちゃんとヒト型みたいだよぉ。羽が生えてるから天狗かなぁ」
「天狗? 白く見えますが」
と凪留。こいつ、ぼんやりとしか見えてないな。
「あたしあれ、どこかで見たことあるんだよねえ……」
と、夕露が首をかしげる。「なんて言ったかなあ……」
「名前があるの?」
尋ねるあたしに夕露が、そうなんだけど、と言いかけたそのとき、空間を切り裂くように光の矢がソレを襲った。
「なに!?」
思わずあたしが声を上げたと同時にソレはふわりとかわし、光線は空の彼方へ消えていった。
「雷かなぁ?」
場違いなのんびり声は夕露。
「いやいや、いまの下から来たでしょ!」
雷は空から落ちるもの。何者かの攻撃に違いない。見下ろすと海上にはいくつも船が行き交っている。
「僕たち以外にもあれを狙っている者がいるのだろうか」
凪留はつぶやいて、慎重にソレとの距離を詰めてゆく。
そのとき再び下から光線が走った!
「あっ、あの船に誰か立ってる!」
と遥か下を指さすあたし。浮かぶ船の舳先に立つ何者かが、空へ向かって右手を差し出している。
「一体なんの術でしょう?」
凪留があたしに尋ねる。彼は魔道学院で召喚魔術を選択したので、魔術全般に詳しいわけではない。しかし魔術の成績一位のあたしにも心当たりがない術だった。
「雷を落とす術ってのはあるんだけど、電気を帯びた雲を呼びよせて本物の雷を発生させるのよ。あんなふうに手のひらから放つもんじゃないわ。炎にも見えないし、ただの光なら殺傷能力はないけれど――」
「獲物を横取りされちゃあかないませんから、玲萌くん、なんだか分からないならさっさとこちらからあの白い魔物をつかまえましょう!」
「オーケー、もうちょっとで風の術の射程圏内よ!」
凪留は鳥を操り、正体不明の飛行生物に気付かれないよう、大きく回ってヤツの上へ移動した。そこからじりじりと高度を落としてゆく。
「翠薫颯旋嵐、ほそく集き絆となりて――」
あたしは呪文を唱えはじめる。
千石船の真上、大きな白い帆がはっきり見える位置まで下降したとき、
「我が敵影、捕らえたまえ!」
目に見えぬ気が渦を巻き、鋭い風の鎖が網のように広がり対象へ迫る。
帆桁に腰かけていたソレは、はっとして上を見上げると羽を広げて飛びすさった!
「かの者、追いたまえ! 我が意のままに!」
あたしは鳥の上に立ち上がり、さらに術をしかける。
凪留が天翔けを操縦し、ソレとの距離をつめてゆく。不安定な鳥の背で、夕露が後ろからあたしの足を支えてくれる。
「よっしゃ、かかった!」
目には見えぬ風の網に拘束されて、羽を生やした猿のような生き物が空中でばたつくのを、あたしは慎重にこちらへ引き寄せていく。
そのときみたび、海面に浮かぶ船から金色の光線が放たれた! ソレは身をくねらせて光を避け、謎の光は風の術の一部を切り裂いた。
「くそっ
――翠薫颯旋嵐、かの敵影、捕らえたまえ! 我、希うままに!」
あたしは慌てて追加で呪文を唱え、風の網を補強する。あたしたちの乗った鳥が、いよいよ獲物に接近する刹那、
「危ない!」
夕露が叫んだと同時に海面から光の刃が襲いかかる。獲物が身をかがめてよけ、輝く凶器はあたしたちの目前に迫ってきた。
「きゅこぉぉおぉ!」
天翔けが鳴いて旋回する。間一髪、光線が天翔けのトサカをすり抜けたと思ったときには、あたしたち3人の体は空中に投げ出されていた。
一瞬、気が途切れたせいであたしの風の術は消え、獲物は真昼の太陽へ向けて飛んでゆく。その遠ざかる後ろ姿が逆さまに見える。
天翔けが、急降下するあたしたちを追う。だがそれよりずっと速く青い水面が迫り来る。
『うわあぁああぁぁぁぁ!』
三人の悲鳴が重なった。
視界いっぱいに海が広がる。
打ち付けられる衝撃に息が止まる。反射的に呼吸した瞬間、肺に大量の水が流れ込んだ。
意識が遠のいてゆく。海底へと引き込まれながら見上げると、遥か上、水面できらきらと光の網が踊っているのが見える。
視界の隅に、なにか銀色の光がちらついた。
――人魚?
暗く重い睡魔にひきずられてゆく最後の瞬間、青白い少年の影がゆらりと近づき、あたしのからだを抱きとめた。
雁木とは
潮位が変わっても船が着岸できるように、階段状に作った岸のこと。海に向かって石段が続いている。
帆桁とは
船の帆を張るために、横に渡した最上部の竿部分。




