5.エピローグ
リビングの床の上で、オレンジ色の小さなボールが跳ねた。
ポン、ポンと鳴るその音に清香は気付いて、キーボードを打つ指を止める。
ソファが揺れる。ボールはソファから壁へと飛んでいき、ぶつかって地面に落ちた。ボールはころころ転がって、すぐに消えた。
そこに居るのは、今年六歳になる娘の秋音だった。
秋音は清香が仕事を始めると、こうして清香の気を引きにリビングへとやってくる。
普段であれば少しくらいはかまってあげているのだけど、エッセイの原稿の締切が近かった。正直を言えば、今すぐにでも秋音を誰かにでも預けて仕事に集中したいところだった。
けれど、ただでさえ娘を見ることが出来なくてコミュニケーション不全に近い状態だというのに、そのうえ一緒に居られる時間まで自分から放棄するとなると、いよいよネグレクトだと言われても言い訳できなくなる。
秋音がまだお腹にいた時、見えなくたって絶対に良い母親になってやるんだと、自分を追い込むために周囲に言い回ってしまったことが今となっては悩ましい。あんなことを口走っていなければ、今頃は両親に同居してもらって遠慮なく秋音の面倒を見てもらえていたはずなのに。
秋音の一人遊びを無視して、清香はキーボードを鳴らし続けた。
しばらくそうしていると、やがてボールが跳ねる場所がだんだんと清香が座っている方へと近づいてきた。
その時、ぺしっ、とボールが清香の頬に当たった。
「秋音ーッ!?」
清香は立ち上がり、部屋を見回してボールを当てた犯人を探す。
リビングを走り回る足音。
ガタン、とソファが揺れた。
コツン、と窓ガラスに何かが当たる音がした。
カタカタ、と小刻みに揺れるテーブル。
……完全に秋音に遊ばれていた。
その手には乗らないぞ、と清香は再び座って仕事を始める。
すると突然、パソコンの原稿入力画面がものすごい勢いで改行されていった。
「こらっ! 秋音っ! ママのパソコンで遊ぶのは止めなさい!」
清香は言った。
リビングの入り口にある鈴がじゃらんと音を立て、足音が階段を上っていく。ちりんちりんと二階で小さな鈴が鳴った。
その後すぐ、玄関の方でも扉が開く音がして『きらきら星』のメロディが鳴った。
ようやく幸太が帰ってきてくれた。
清香は胸を撫で下ろす。
<ただいま>
リビングの壁に掛かった意思疎通用のモニター画面に、メッセージが表示された。
「おかえり。ねえ、ちょっと秋音のこと見ててくれない? 原稿が締め切りやばいのよ。秋音がいたずらしてきて全然進まない」
清香は言った。
<いいけど、秋音にまた嫌われるぞ>
幸太は清香の肩を叩いた。
「今は原稿の方が大事。私が稼げる間に家のローンをさっさと返しちゃおうってこの前話したじゃない。秋音の学費のことだってあるし、病気のことでメディアにチヤホヤされてるうちにもっとお金貯めないと」
清香は幸太のいる方へ振り返りながら言った。
<無理するなよ。疲れたらいつでも言って。まだ有給かなり残ってるから>
幸太は清香の後ろから抱きついた。
「ありがとう」
清香は幸太の腕に触れて言った。
<秋音は子供部屋?>
「うん、たぶん。さっき二階に上がっていったから」
清香は言った。
<じゃあ、ちょっと行ってくる>
「ごめんね。おねがい」
清香はリビングの入口の方を向いて言った。
<清香。愛してるよ>
モニターにメッセージが表示された。
幸太はこういうメッセージをたまに唐突に打ってくる。その度に、近くでにやけ顔をしながら清香の反応をうかがっている幸太の姿が目に浮かんだ。
事あるごとに照れ顔を一方的に見られる、夫婦関係においてこれほどアンフェアなことがあるだろうか。
幸太はリビングから一向に出ていく気配がないようだった。
あー、もう。
清香は息をついて、仕方なく立ち上がった。
「幸太、私も愛してるよ!」
清香は言った。そして、天井を見る。
「秋音もだよ! お母さんは秋音のことが見えなくたって、秋音のことを世界一愛しているからね!」
天井から、とんとん、と秋音が床を踏み鳴らす音が聞こえた。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
ほぼ小説書くのは初めてなので文章読みづらかったと思います。申し訳ありません。
次作ではもう少し読みやすい文章にできるように頑張ります。
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「こんな話が好きだよ」、「普段こんな本読んでるよ」、
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