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2.人生の選択

 それは、付き合って二周年の記念日から一ヶ月ほど経った七月のことだった。

 週に一度の定期通院の日、清香を二年前から診続けてくれている先生が、清香と彼女の両親にこう告げた。


『発作の間隔がだんだんと短くなっている気はしませんか。もしかしたら今後、清香さんは永続的に他人を認識出来なくなる可能性があります。今のところは可能性という段階に過ぎませんが、もし突然そうなった時のために、今のうちに最低限の心と生活の準備だけでもしておいてください』


「……ごめん、幸太。私と別れて」

 その翌日、清香は幸太を部屋に呼び出し、うつむきながら言った。

 突然別れを切り出され、幸太は完全に気が動転してしまった。たった一ヶ月前に、ずっと一緒に生きていこうと決めたのに。その気持ちは今でも全く変わっていないのにどうして――。

 少し考えて、すぐに答えはわかった。

 それはきっと、幸太を自分の病気のことに巻き込まないためだった。


「でも、今はあくまでも可能性なんだろ。可能性って言ったら、病気が治る可能性だって」

 幸太は言った。清香は首を振る。

「ないよ。私の病気は世界でたった一人なの。治療法を見つけるには、ある程度の症例が必要なんだって。だから、私が生きている間に治療法が見つかることはあまり期待しないでくださいって、最初の頃に言われた」

 清香は感情を押し殺すようにして淡々と続ける。

「私、これから一生、幸太のことが見えなくなるかもしれないの。幸太だけじゃないよ。お父さんも、お母さんも、真那だって、誰一人――クソっ」

 突然固まって、汚い言葉を吐く清香。


 幸太は自分のスマホをポケットから取り出して、メッセージを打ち始める。

「……だからね、幸太は私なんかと違って受験だってあるでしょ。幸太は私なんか気にしないでそっちに集中するべきだよ。お願いだからさ、私なんかのために将来をダメにしないで。私なんかほっといて、ちゃんと幸せになって」

 いつの間にか泣きながら、清香は言った。

 そんな清香を見て、幸太も不意に涙が止まらなくなってしまった。


 涙で液晶が濡れて、文字が打てなかった。

 仕方なく、幸太は鞄からノートを取り出し、一番後ろのページを開いて文字を書き始めた。

 幸太がそんなことをやっているとは知らず、見えない清香は言葉を続ける。

「いっそのこと、私なんかこのまま消えていなくなっちゃえばいいのにね。そうすれば、幸太も、お父さんもお母さんも、誰も苦しまなくて済むのに」

 清香のその言葉で、幸太はその場で泣き崩れてしまった。

 ノートがテーブルに落ち、幸太の流した涙が丸い水滴をつくる。

 それを見て、ようやく清香は幸太が泣いていることに気づき、唇を噛んだ。

「幸太……ごめん……私……」

 清香は言った。そして、黙り込んだ。


 清香の視線はずっとノートに向けられていた。彼女は幸太の言葉を待っていた。

 幸太は涙を拭き、ノートに文字を書く。

『私なんかって言うな』

「うん、ごめんね」

 清香は頷いて言った。

『清香がいなくなったら、みんな悲しむよ』

「うん……」

『だから、いなくなっちゃえばいいなんて二度と言うな』

「うん。ごめんなさい」

 清香が泣きながら言った。


 それから、清香はしばらくずっと泣いていた。幸太はそんな清香の泣いている姿を見ているうち、急に気持ちが落ち着いて冷静になってしまった。

 清香の病気が一生続くということは、これから清香はずっと独りになるということだった。

 泣いていても誰からも声をかけてもらえない、誰とも楽しいことを現実で分かち合えない、そんな孤独な毎日がこれから一生続く――それがどれほど絶望的なことなのか、見える幸太には全く見当もつかなかった。

『清香』

 幸太はメッセージを書いた。しばらくして、清香がそれに気がついた。


『俺は清香を何があっても独りにはしないから』

『死ぬまで清香のそばにいるから』

「でも」

 清香は幸太の方を向いて言った。

『別れる別れないって話は、もう少しお互い冷静になってから、二人で一緒に考えよう』

「……わかった」

 清香は小さく頷いて言った。

「ありがとう」

 清香がもう一度、微笑みながら頷いた。



 幸太が清香の部屋を出て、階段を下りていくと階段の一番下の段には、清香のお母さんが居た。

「話は終わった?」

 お母さんは穏やかな表情で幸太に言った。

 彼女は幸太と清香の話が聞こえないように待っていてくれたのだ。そう気付いて、幸太は途端にひどく申し訳ない気持ちになった。

「すいません、気を遣わせてしまって。今日はもう帰ります」

「いいのよ。清香のそばに幸太くんが居てくれて、本当に助かっているから」

 お母さんが幸太の肩に手を置いて続ける。


「けど、やっぱり君は君の人生を生きるべきだと私も思う」

 幸太はお母さんの顔を見た。彼女は微笑んでいた。

「清香のことで君が心配して、色々清香にしてくれるのはあの子の親としては嬉しい。けれど、あの子のことを一番に考えて生きるということは、本来、私達親がするべきことだから。あの子のために、あなたが本来するはずだった人生の選択を変えて生きるということは絶対にしてはいけない。あなた自身のためにも、あなたを育ててくれたご両親のためにもね」

 幸太の目をじっと見つめるお母さんの視線は、すごく温かいのに、幸太の考えていることなんて全て見通しているかのように鋭かった。

 お前は所詮、子どもだろ、って言われてるように感じた。

 でも、悔しいけれど、実際その通りだった。


「……また来ます。失礼します」

 幸太は小さく会釈をして、そのまま玄関の扉を自分で開けて外に出た。

 玄関から数歩歩いたところで、清香の家の方から誰かが泣いている声がした。

 立ち止まって耳をすまして聞いてみると、それは清香のお母さんの声だった。

 幸太は一瞬戻ろうかとも思ったけれど、なんて声をかけたらいいのか全く思いつかず、仕方なくそのまま清香の家を離れた。



 それから清香の症状は悪化する一方だった。

 先生が言っていた通り、清香の発作はだんだんと間隔が短くなっていて、秋になる頃には、もう清香は一日に二、三時間ほどしか他人を認識出来なくなっていた。

 それに伴って、幸太は清香と会える時間が減っていった。

 幸太が会いたいと伝えても、清香は色々理由をつけて断るようになった。

 そして次第に、幸太が送ったメッセージへの返信も遅くなっていき、丸一日何もやり取りしないという日も珍しくなくなっていた。



 自分が清香を守るつもりでいた。

 ……けれど実際は、彼女から返事をしてもらえないというたったそれだけで、彼女の傍に居られなくなるほど幸太は無力だった。

 日付の間隔の空いたメッセージ履歴が、否応なしにそれを幸太に思い知らせた。

「おい、幸太。食堂行かね?」

 背後から、幸太と同じクラスの加藤という男子が言った。

 その時、加藤は幸太が持っているスマホの画面を、ちらっと覗き込んだ。


「お前、まだ倉橋と付き合ってたの?」

 加藤は言った。

 瞬間、幸太は振り向いて加藤の胸ぐらを掴んでいた。

「はぁ? おい、『まだ』ってどういう意味だよ」

 幸太は言った。

「……いや、ごめん」

 加藤は怯えたような表情をして言った。

「おい! 謝ってんじゃねぇよ! どういう意味かって聞いてんだよ! すぐ謝るなら言うなよ!」

 幸太は加藤に怒鳴った。


 それを聞いて、周囲の男子達が幸太と加藤の間に割って入ってきた。

 その時、幸太の声が廊下まで響いていたのか、近くの廊下にいた隣のクラスの担任が様子を見に駆けつけてきた。

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