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最悪な休日に見た空の色(呆然×絶句編)

 お父さんが予約していたレストランが、格式ばった高級なところじゃなく、温かな雰囲気のレストランでよかった。ついでに、個室の予約で、本当によかった。

 でないと、わたしが最初に大声出した時点で、4人まとめて店を追い出されている。


「……はぁ……」

 人生で初めてお父さんにひっぱたかれて、ショックでレストランを走って逃げ出して。そこから最寄の駅へと向かったわたしは、トイレの個室の中で声を殺して号泣して、その後、泣いたのと十河圭太に水をぶっかけられたせいでメイクが斑模様になってしまった自分の顔を手鏡で見つめていた。


 とりあえず、涙は止まった。今、わたしの中にあるのは、大泣きした後の虚脱感だけ。

 ああ、ほっぺた、じんじんする……。

 赤くなっている、お父さんに叩かれた左頬をそっと撫でる。

 ちょっと、ファンデーションでも隠れないだろうなぁ、これ。っていうか、冷やした方がいいかな。放っておくと腫れそう。

 

 口の中にも、チリチリとした鋭い痛みがある。ひっぱたかれた拍子に口内にある頬の肉を噛み切ってしまったのだ。血の味がして、不愉快でたまらない。


 ここが改装したばっかりの駅でよかった。トイレ、綺麗だし。

 そう思いながら、個室の中から出て、もう思い切って顔を洗う。ウォータープルーフのは使ってないし、涙でほとんど流れてたから、綺麗に取れるだろう。それに、わたしは素が綺麗だから、化粧なんごくごく軽いものだ。マスカラなんかつけてないし、水洗いで問題ないだろう。


 ばしゃばしゃと顔を洗って、ついでに口の中を軽くゆすいで、それからハンドバックに入れていたお気に入りのハンカチで顔を拭く。おかげで、ハンカチはびしょびしょになってしまった。 もういいや、と思って、そのままハンカチを軽く絞って薄っすらと赤くなっている左頬にあてる。ひんやりとして、気持ちいい。


 一回思いっきり泣いて落ち着いたら、自分のことを振り返る余裕が出てきた。

 

 ……正直、まずかった、とは思う。

 

 本当は、分かっていた。お父さんが、冗談なんかで「付き合ってる人がいる」とか、わたしに言うはずがないって。

 お父さんは少しずつ、少しずつ十河母子のことをわたしに話そうとしてくれていた。でも、わたしはお父さんがお母さん以外の人と恋人のような関係になるのが嫌で、冗談を言って誤魔化してはそれを曖昧に受け流していた。

 それなのに、あんな風に喧嘩売っちゃって。お父さんが怒るのも、当たり前だ。


 でも、お父さんだって悪い。

 だって、まさかあんな普通のおばさんと再婚するだなんて。おまけに、生意気なクソガキつき!

 しかも夫と死に別れた、とかならわかるけど、離婚って。それって、性格の不一致とか、浮気とか、借金とか、そういうのが理由でしょ? 最っ悪!! そんなの、どっちにも問題ありじゃない!

 そもそも離婚したっていっても、そいつはクソガキの父親でしょ?! 新しい男見つけてないで、よりを戻せばいいじゃない! いい歳したおばさんが色気出して、みっともないったら!!

 

 そう思ったら、またムカムカしてきた。

 お父さん、優しいから、十河由里に迫られて断れなかったんだ。子ども好きだし、あの女、自分の息子も利用してお父さんに近づいたんだ。絶対そうだ。でないと、あんなおばさんと再婚したいだなんて、お父さんが言い出すはずがない。


 やっぱり、わたしは正しい。お父さんは絶対に騙されてるんだ。目を覚まさせてあげなきゃ。ああ、でも、わたし、逃げ出してきちゃったし、お父さん、怒ってた…。


 わたしは、十河由里があの後、お父さんに泣きながら擦り寄る姿を想像して、ぞっとした。

 やばい、失敗した。今なら、お父さんは十河由里の言いなりになってしまう!


 どうしよう、どうしよう。

 ぐるぐると考え込みながら、わたしはトイレを出て、人混みの中を歩いた。

 でも、いい考えは思い浮かばない。  

 また泣き出しそうになったところで、わたしは空いていたベンチに座り込んだ。


 わたしはその時になって、ようやく自分が駅ではない場所にいることに気がついた。

 ちゃんと前を向いて歩いてなかったからわからなかったけど、いつの間にか、駅に併設された大型ショッピングモールの中に入ってきてたみたい。

 たくさんの専門店が入っている大型ショッピングモールには、休日の昼間ということもあって、家族連れが多い。仲良く買い物をする家族の姿を眺めて、わたしは小さく鼻を啜った。


 お父さんは、今日、4人でお昼ご飯を食べた後、どうするつもりだったんだろう。

 どっちかの家に行って、そこで色々な話をして、晩ご飯も一緒に食べるつもりだったのかな。お父さんの誕生日ケーキ、今年はワンホールで買って、4等分したかったのかな。


 考えるだに、あの十河母子と和気藹々と過ごす自分とお父さんが想像できない。気持ち悪い。


「……気持ち悪い。最悪」

 

 小さく声に出したら、わたしの中でその通りよ、と肯定する声が返ってきて、なんとなく胸がすっとした。

 そうだ、なんであんなレベルの低いおばさんとクソガキがわたしとお父さんの家族になれるんだ。


「あんた達みたいな凡人が、わたしとお父さんとの間に入ってこれる筈がないでしょ。お父さんは、お母さんが一番好きなんだから。再婚なんて、絶対にしないんだから」

 

 そうだ、そうだ。お父さんだって、わたしが嫌がってるのが、さっきのことで分かっただろう。大事な一人娘が拒否してるんだから、無理矢理に十河母子と家族になろうとはしない筈だ。

 さっきは叩かれたけど、大丈夫。次にわたしが反対しても、お父さんはわたしを叩いたりしない。だってわたしは、


「お父さんの、大事なお姫さまなんだから」


 わたしの小さな独り言に、予想外の返事が返ってきたのはこの瞬間だった。


「うわ、気持ち悪い」

 

 澄んだボーイソプラノが、強烈な嫌悪と軽蔑の感情を込めてわたしにぶつけられた。


 ぎょっとして、声のした方を見る。大人が3人は余裕で座れるベンチの右端に座っていたわたしのすぐ左隣に、1人の少年が座っていた。

 少年、といっても、ちょうど十河圭太と同じ歳くらいの小学生のガキだ。でも、あのクソガキとは全然違っていた。

 その子は、物凄い美少年だった。

 ジュニアモデルだろうか。濃い栗色の髪に茶色の瞳、滑らかそうな白い肌をしていて、顔立ちはお人形のように整っている。

 こんなに綺麗な男の子を見たのは初めてで、わたしは思わずまじまじと彼を見つめてしまった。

 すっごい綺麗。うわ、これくらいの年頃の少年の生足にきゃーきゃー言う友達の気持ちがちょっとわかってしまった。その子は初夏に合った七部袖のTシャツとハーフパンツを着ていて、そこから除く無駄毛のない、それでいて細くて形の綺麗な腕や脚が目を惹く。


「……ちょっと。何、人の身体じろじろ見てんの?」

 嫌そうな声に、慌てて視線を脚から顔に向けると、男の子は綺麗な顔を歪めてわたしを睨んでいた。

 わたしはようやく、自分が変態のようなことをしていたのに気がついて、「ご、ごめん」と謝って―――あれ、と思った。

 この子、さっきわたしに「気持ち悪い」とか言わなかった?


 わたしが胡乱げな顔で見ていたら、彼は返事もせずに、ふいっと視線をわたしから右手に握った携帯電話に移した。あれは、形と色からしてジュニアケータイ、かな。少年は年齢に似合わない、物凄い指の速さでケータイのキーを押している。


「……ねぇ。気持ち悪いから、こっちをじろじろ見ないでくれる?」

 顔をケータイに向けたまま、少年が険のある口調でわたしに言った。

 なんなの、この子。さっきから、偉そうに。


「何なのよ。さっきから偉そうに……」

「うるっさいなぁ」

 むっとして文句を言ったわたしの言葉を途中で遮って、少年はわたしを思いっきり睨んだ。小学生のガキの癖に、綺麗な瞳にはぞっとするほど冷たい光が宿っていた。

 な、なんなのよ! その顔!! ガキの癖に、生意気!


「あのさぁ、あんた、さっきから1人でブツブツ煩いんだよ。おばさんがどうの、再婚がどうの。おまけに『わたしはお父さんの大事なお姫様なんだから』とか言ってにやーっと笑ってるし。気持ち悪すぎ。頭おかしいの?」

 身長からして、座高もわたしの方が高いのに、少年は遥か高みからわたしを見下しているかのような口調でそう言った。

 その言葉を聞いて、わたしは顔中に熱が集まってくるのを感じた。もしかして、全部聞かれてた?!


「ぬ、盗み聞きするなんて、最低よ!」

「はぁ? 何言ってんの、あんた。俺が座ってたところをあんたが後からフラフラやって来て、隣にどかっと座った挙句、俺に聞こえるような音量でブツブツ言い出したんだろ。あー、自覚なしでやってたの? 気持ち悪いなぁ、ほんと。さっさと病院行けば?」

「なっ……」

「大体、初対面の人の身体をいやらしー目で見るとか、最低だろ。小学生に欲情すんなよ、変態女」

「っ……」


 絶句。


 わたしは生まれて初めて、絶句した。

 

 わたしは、友達からよく「口が悪い」って言われる。「性格がキツイ」とか、「ワガママ」とかも、よく言われる。

 でも、それはわたしが自分の意見をちゃんと出してるだけだ。周りの子たちみたいに、人の機嫌ばっかりとって、へらへらしてるのが嫌だから、自分の意見を出して、それを貫こうとしてるだけ。

 事実、小さい頃から、わたしに口で勝てる女の子も男の子もいなかった。だって、わたしはお母さん似の美人だし、成績だって優秀で、運動神経も抜群だから。わたしのことを悪く言う子は、みんなわたしに嫉妬してるだけだったもの。どの子も所詮わたしに劣っているっていう本当のことを指摘してやれば、みんな悔しそうに黙るか泣き出すだけだった。

 それなのに。

 こ、こんな……小学生、それも3、4年生くらいの男の子に、こんな風に馬鹿にされて見下されて、何一つ言い返せないなんて……!!


 わたしが真っ赤になって屈辱と怒りに身体を震わせていると、少年はあっさりとわたしから視線を逸らして、またケータイを弄りだした。

 なんなの、こいつ!! 絶対親の躾がなってない!! ちょっと綺麗だからって、甘やかせすぎじゃない?! そりゃ、綺麗な子だなーってじろじろ見たのは悪いと思うけど! 独り言なんて聞いてないふりするのが礼儀ってもんでしょ?!

 

 少年を睨んでいると、彼の体の向こうに買い物袋が置かれているのに気がついた。有名な生活雑貨の店の袋がいくつかと、服屋の袋がいくつか。

 もしかして、こいつ荷物番でもしてるの? 

 ……ってことは、この生意気なガキの親が、そのうち現れるんじゃない?

 そう気づいて、わたしは素早くあたりを見渡した。こんなに顔だけは綺麗な子の親なんだから、きっと美形の夫婦だ。でも、頭はちゃらんぽらんに決まってる。そういう親がいるから、モンスター・ペアレントととか、学級崩壊とかが起きるんだ。わたしがきっちり、文句言ってやる!


「何、馬鹿なこと考えてんの? あんた」

「はっ?」

 まるでわたしの心の中を読んだかのようなタイミングで、少年が顔はケータイに向けたまま、横目でわたしを睨んだ。な、なによっ、その態度!

「ああ、俺の言ったことが図星すぎて言い返せないから、代わりに俺の親に無意味ないちゃもんつけようとか思ってる?」

「なっ……」

「残念、俺今日は親とは来てないから。姉ちゃんとその彼氏と一緒に来てんの。で、この荷物は俺のもんじゃないから」

「えっ」

「俺の前にここに座ってた、俺とは無関係のおっさんが忘れてった荷物。なんか慌ててどっかに行ったから、そのうち勝手に取りに来るんじゃないの?」

「……」

「そもそも、俺は友達と約束があったから姉ちゃん達と一緒に来ただけで、帰りの時間までは姉ちゃん達とは別行動だし。あんたがいちゃもんつけれるような相手は待っても当分来ないけど?」

「あ、あんたみたいな小さい子、1人でこんな場所に放っておくとか……」

「は? 傍から見てりゃ、あんたの方が危ないよ。

 独り言ブツブツ言ってにやにや笑うわ、小学生を卑猥な目で見るわ、気持ち悪すぎ。おまけになんかフラフラしてるし。俺よりあんたの方が絶対に拉致しやすいね。鏡で自分の顔色見たら?」

「…………」


 再び、絶句。


 な、なんなの、この子。というか、「ヒワイ」とか「ラチ」とか、このくらいの年齢の子ってこんな言葉、当たり前に使う? お、おかしくない?


 わたしが呆然としつつ、それでも尚、何とか言い返そうとしたとき。


 ぐぐぅ~ぎゅるぎゅるぎゅる~~~


 大きなお腹の音が鳴り響いた――わたしのお腹の中から。


「…………」

「……あんた、何歳児だよ……」


 混雑してて、BGMも結構なボリュームで流れているにもかかわらず、ちょうどわたしの前を歩いていた客の何人かがぎょっとしたような顔でわたしを見ていた。……は、恥ずかしすぎる。少年の心の底から呆れたような声にも、返事ができない。

 

 今日は朝が早くて、ついでに昼食が豪華だとお父さんから聞いていたから、朝ごはんはいつもより少なめで。なのに結局、一口も食べずにレストランを飛び出して、めちゃくちゃに走って、号泣したから――はっきり言って、わたしは今、物凄くお腹が空いていた。


「……はぁ」

 これ以上ないくらい真っ赤になって、ついでに恥ずかしくて泣きそうになって俯いたわたしに、少年のうんざりしたような溜息が聞こえた。

 こんな生意気な年下の少年に、女の子として聞かれたくない音ワースト3に入る音を聞かれてしまったことに、本当に泣きそうになる。……もう、やだ。最悪。消えちゃいたい。


「仕方ないなぁ」

 そんな言葉とともに、突然右腕をぐいっとひっぱり上げられた。

「えっ……」

「ほら、さっさと立ちなよ。行くよ」

 そう言って、少年はわたしの右手首と掴んだまま、歩き出した。


「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ! いきなり何するのよ!」

「うるっさいなぁ。声のボリューム落としてよ。そんなに注目浴びたいの?」

 わたしより小さい癖に、信じられない力の強さでわたしの身体を引っ張りながら、少年は馬鹿にしたように言った。

「そうじゃなくって、いきなりなんなの!」

「だから、うるさいって。口を縫い付けられたいの?」

 そう言って振り返った少年の目がぞっとするほど冷たくて、思わずわたしは口を噤んだ。

 な、何この子……。怖い……。

 

 少年はわたしを引っ張って、上りのエスカレーターに乗った。

 何? どこに行くの?

「3階のフードコートだよ」

 またもわたしの心の声を読んだかのようなタイミングで、少年は言った。

「な、なんで……」

「俺もちょうど腹減ってたし。あんたがすごい腹の音響かせてくれたおかげで、あのままあそこにいるのも恥ずかしいし? ついでだから連れてってやるよ」

「はっ…」

 な、なんで?

 っていうか、何その俺様な言い方!


「冗談っ、馬鹿にしないでよっ!」

「馬鹿になんかしてないよ、呆れてるんだよ、気づけよバーカ。別にいいだろ、俺も友達と会う予定潰れちゃったし。昼飯のついでに、姉ちゃんたちと合流するまで付き合ってよ」


 …………は?


「どうせ暇なんだろ? 1人でブツブツ言ってにやにやして怪しい人やってるより、俺と遊ぼうよ」


 …………へ?


「うん、そうしよう。いや、せっかく市街地に出てきたのに、暇になっちゃってどうしようかと思ってたところだから、ちょうどいいや」


 …………ええっと?


「じゃ、決まりね。帰りの時間まで俺とデートしようね、お姉ちゃん?」


 …………。


 少年の突拍子もない提案と、初めて見せた天使もかくやという笑顔に。


 わたしは本日3度目となる絶句状態に陥ったのだった。


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