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奥様の溜息~狐と長男の決意の話~

※注意:動物に対して、若干の残酷描写があります。苦手な方はお避けください。

 自慢じゃないが、わたしの夫の外見は滅多にお目にかかれない極上品である。


 指通りのよい柔らかな髪は濃い栗色、美しいアーモンド型の目の中にある瞳は薄い茶色をしている。眉は剃らずとも完璧に整っており、すっと通った鼻梁は高く、形のよい、薄い唇はいつでも艶やかだ。

 美しくも男性の色気を兼ね備えた顔立ちは全体的に彫りが深いものの、完全な西洋人の顔ではない。本人はわたしに対して、自分は西洋人と東洋人のハーフだと言っているが、さて、どのような人種から生まれたのやら。これは夫自身にもわからないから、仕方がない。

 恐らく、現代の科学技術を以てすれば、夫を構成する人種の特定は容易いだろう。しかし、夫は自身のルーツに全く興味がなく、わたしもそんなもんを知ったところで今更夫に対する評価が変わるわけがないので、どうでもいい。せいぜい、夫の中身が魔物や宇宙人ではない、ということの科学的根拠を突きつけられて、ちょっと安心するくらいだ。


 夫は顔に似合って、スタイルも抜群にいい。

 背はすらりと高く、胴は短く足が長い。一見して細身だが、実は非常に無駄なく、しかも美しく筋肉がついている。また、姿勢も凛としていて綺麗なため、どのような服を着ていても美しく見える。

 つけ上がるから絶対に本人には言わないが、奴の身体にはある種の芸術的な美しさがあると、わたしも思っている。彫刻のモデルとかしたらいいんじゃないだろうか。……あっ、なんか刺し傷とか銃痕とか不審な傷があるから駄目か。


 また、夫は声も素晴らしくいい。

 よく研いだ刃物のような鋭さと、甘い色気を兼ね備えた耳心地のよいバリトン。あの声と夫が生来もつ独特の妖艶さによって、姿は見せずとも電話越しに腰砕けにされた老若男女の数々をわたしは知っている。

 実は、わたしが夫のパーツの中で最も好きなのが奴の声なのだが、それを奴は知っていて、色々と有効活用してくるため、非常に腹立たしいことこの上ない。絶対にそのうち仕返ししてやる。


 ……まぁ、つまり何が言いたいのか、と言うと。

 夫は昔から非常にもてる人間だった、ということだ。それも、老若男女問わず。

 それでも夫の性格が分かれば皆自然と離れていくのだが、如何せん、奴が外見だけでなく能力も人並みはずれて高く、それを活かした職業で超高給取りなため、あわよくばと玉の輿を狙う女もごくごく少数、いた。

 そしてそんな女――時には男――からわたしが謂れのない嫌がらせや侮辱を受けることも、しばしばあった。


 そういうとき、夫は大体の場合、にこにこと嬉しそうに笑っている。奴は、わたしが自分のせいで落ち込んだり怒ったりするのが、大好きなのだ。あの変態が!! 

 しかし、そんな変態でどうしようもない夫が、ごく偶に本気で怒ることがあった。それは例えば、嫌がらせが度を過ぎて、わたしの命の危険があったときや、夫以外の原因のせいで、わたしが傷ついたときだった。


 ちょうど、こんな風に。


「……四つ足の獣の分際で、僕の妻の体に傷をつけるとは」

 とてつもなく慈愛に満ち溢れた笑顔と声音。

 聖人さながらに清らかな笑顔だ。そして、虫一匹すら殺したことがなさそうな優しげな声だ。

 …………なのにどうして、こんなに背筋がぞわぞわするほど禍々しいんだろうか。


「か、要?」

「ん? 大丈夫だよ、梓。殺しはしないから。ちょっときつく躾をするだけだからね」

 たかが狐の分際で、僕と梓の息子を何回も攫っていくだけならまだしも、梓を傷つけるなんて愚かな真似をしてくれたんだから、2度とこんなことをする気が起きないように、馬鹿な獣の頭でも理解できるようにちゃんと思い知らせてあげないと――――云々。

 寝室のベッドの上で力なく横たわるわたしの髪を右手で優しく撫でながら、そんなことを柔らかく微笑んで言う夫に冷や汗が流れた。

 

 怖ぇ。

 

 邪気の無い、光り輝くオーラが出ていそうな、キラキラとした笑顔がこれほど恐ろしく見える人間も滅多にいないのではなかろうか。まずい、これは本気で怒っている。

 

 ヒヤヒヤしつつも夫を止められないでいると、寝室の扉をノックする音がして、夫の返事の後に小さく扉が開いた。

 そこから長女の明奈と彼女の恋人の和之君、そして2人に押されるような格好で、泣き腫らした真っ赤な目をした長男の優吾が入ってきた。


「狩野さんがリビングで待っているよ」

 明奈の言葉に、夫は僅かに目を細めて、心配そうにわたしを見た。とりあえずここは「殺さない」と言った夫の言葉を信じるしかない、と思い、わたしは奴を安心させるように微笑んで「大丈夫だから、行ってきて」と言った。

 夫はふっと微笑んで(だからその優しげな笑みが怖いんだよ!)、わたしの額に唇を落とした後、明奈と和之君を連れて部屋から出て行った。


 そして寝室には、ベッドに横たわったままのわたしと、泣き腫らした目を隠すように俯いたままの小さな長男が残された。


「ゆう君、おいで」

 なんとか動かせる右手で長男をおいでおいですると、優吾は一瞬だけ体をビクっとさせて、それからわたしの方へおずおずと近づいてきた。

「……おかあさん、ごめんなさい……」

 夫譲りの可愛い顔を真っ赤にさせて、ぐしぐしと泣きながらそんなことを言う息子に胸が痛んで、わたしは右手で小さな彼の頭をよしよしと撫でてやった。

「ゆう君は何にも悪いことしてないでしょ? お母さんに謝ることなんか何もないんだよ?」

「でも、ぼくのせいで……」

「ゆう君のせいじゃないよ」

 どうにもわたしの怪我の責任を感じているらしい息子を痛ましく思いながら、わたしはなんとか、この小さく賢くそして優しい彼を罪悪感から解放しようと、慰めと説得を重ねた。

 

 


 優吾は、無口で大人しい子だった。

 

 長女の明奈は動き出すのは早かったが、言葉を明確に話し始めるのは遅かった。その分、話し出したら物凄いスピードでめきめきと言語能力を伸ばしていったが。

 それに対して優吾は、動き出すのも遅かったし、話し出すのも遅かった。現在4歳の優吾は幼稚園に入った当初も今も、他の子どもが大きな声で自分の主張をするのに対し、ほとんど口を開かない。話すのはいつも二言三言、それも文章ではなく簡易な単語のみ。

 幼稚園の先生には、こちらの言っていることはきちんと理解しているし挨拶もちゃんとできる子なので、恐らく本人の性格だろう、集団生活をしていれば自然にたくさん話すようになる、とアドバイスされたのだが、わたしと夫の見解は違うものだった。


 確かに話し出すのは遅い子だったが、話そうと思えば、いくらでも話せるのだ、優吾は。

 ただ、何かが邪魔をして、人の多いところでは極端に無口になる。いや、よく観察していたらわかるのだが、声を出さずに小さく唇を動かして何かを話しているのだ。仕事柄、そういった人の些細な動きに敏感な夫がまず初めにそれに気づいて、わたしに教えてくれた。

 

 そして、ここで問題が起きた。優吾が幼稚園に通いだすのと同時に、休日のふとした瞬間、急に優吾が家の中からいなくなる、という事態が頻発したのだ。

 一番最初のときはわたしもパニックになって半狂乱状態だったが、その時もその後も、優吾は突然いなくなる度に、必ず家から遠く離れた小さな無人の神社の中で近所に住む狩野さんに発見・保護された。

 

 それが何度か続いて、ついに習慣化してしまった頃、わたしが毎朝軽く掃除する家の前の道に、鴉の死骸が落ちていた。

 誤って車にでも轢かれたのかな、と少し可哀相に思っていたら、その翌日には鼠の死骸が、その更に翌日には猫の死骸が……と、一週間ほど動物の死骸が連続で置かれるにあたって、わたしはその時ちょうど仕事でロシアに飛んでいた夫を電話で呼び戻した。夫には多少無茶をさせたようだが、仕方がない。だって、これは明らかに嫌がらせだ。このときわたしは、夫の過去の女か男の仕業だろうと思っていたのだ。


 夫はわたしが電話をした2日後の明け方に帰国した。

 奴はその日の朝に置かれていた死骸を見た瞬間、奴にしては珍しく、不機嫌も露わに盛大な舌打ちをしてその死骸を処分した。そして、そのまま無理矢理幼稚園を休ませた長男を小脇に抱えて狩野さんの家に直行し、何かを夜まで話し合って帰ってきた。

 話の詳しい内容は教えてもらえなかったが、概要だけは教えてもらった。


 優吾は、普通の人には見えないものが見え、聞こえない音が聞こえるらしい。それも日常的に。

 

 わたしとしては衝撃の事実ではあるが、なんせ優吾の遺伝子の半分(もしかしたら大部分かもしれない。というかわたしの遺伝子はほとんど夫の遺伝子に食い潰されてそうだ)は化け物みたいな夫から出来ているのだ。それに、世の中には科学的に解明できない不思議な現象や物体もあるのだ。その一例がわたしの夫であるからして、息子である優吾に何らかの特殊な能力があっても不思議ではない。

 むしろ、赤ん坊の頃から家の中のあらぬ方向をしきりに気にしたり、寝言が「うるしゃい…」だっりしたのはそのせいか、とわたしは納得したくらいだ。それに、人が多い場所で無口になるのも、わたしにはわからない『音』や『何か』のせいだとしたら、納得できる。家の中で明奈や和之君と遊んでいるときの優吾は、割とよく話すのだ。

 

 そして、そんな優吾のことを、我が家から離れた場所にある無人の神社の主たる『お狐さま』(夫曰く、正確には狐ではないそうだ)が気に入って、度々休日に優吾を勝手にうちから攫っていたらしい。

 その度に、代々その神社の狐の管理をしているという狩野さんが慌てて優吾のことを保護してくれていたそうだ。

 ちなみに、狩野さんの家系は直系の男子が何故か必ず「見えて聞こえて感じる人」らしく、対処方法も詳しく知っているので、色々と優吾の指導をしてくれることになった。

 ただ、優吾本人は賢いがまだ幼い子なので、もしかしたら成長過程で見えなくなる可能性もある、とのこと。念のため病院などで耳や目の検査をしてもらった方が、本人も自分の特殊性をちゃんと理解できていいそうだ。それについてはわたしと夫が、優吾の意思を尊重して決めたらいいらしい。


 で。

 その『お狐さま』はどうやら性格が悪いらしく、優吾が自分に懐かないことに腹を立てて、今度は優吾が懐いているわたしに嫌がらせをしてきたらしい。わたしはよくわからなかったが、道の前に置かれていた動物たちの死骸は全て獣に内臓をいくらか喰われ、切り裂かれたものだったそうだ。


 はっきり言って、胸糞の悪い話だ。

 神社の主だかなんだか知らないが、なんで狐ごときにわたしの可愛い息子を攫われなくてはいけないのだ。おまけに、嫉妬でどこぞのストーカーのような嫌がらせを受ける謂れもなければ、そんなことで無惨にも命を奪われた動物たちが可哀相すぎる。なんにしろ、命をそんな風に弄ぶのは許せない。

 

 話を聞いていて物凄く腹が立ったわたしを、珍しく夫が宥めた。

 やり方はどうであれ、相手の『お狐さま』は動物の命を簡単に奪えたり、離れた場所に人の子を攫っていける力のある奴なんだ、と。

 そして、色々とやりすぎな性格の奴ではあるが、『お狐さま』には代替わりがあり、12年後に今の『お狐さま』は役目を降りるから、それまでは下手に手出しは出来ないらしい。よくはわからないが、あの無人の寂れた神社には何やら大切な役割があるそうだ。

 

「まぁ、狩野さんが釘を刺しておくらしいから、滅多なことは起きないと思うよ」

 そう言って、夫は笑っていた。

 奴は明確に見えたり聞こえたりするわけではないが、気配は感じるらしい。それは明奈も同じで、もう本当に、どこまでそっくりさんなんだこの父娘は。

 また、夫の会社にはそっち系専門の部署もあるらしく、最悪そこのエキスパート兼夫の下僕数名を動かすつもりらしい。夫自身も、そっち系についての対処法はちゃんと知っているから平気らしいが……ほんとにどういう警備会社なんだ、あそこは。

 

 優吾には何があったのか具体的には教えていなかったが、聡い子だから心配そうにわたしを見つめていた。


 そんなことがあった2カ月後。

 狐も大人しくなったな、と思っていた矢先の日曜日の朝。

 夫と子どもたちが近くのパン屋に出かけて留守の間、わたしが1人きりでリビングを掃除していたときに、それはいきなり起こった。

 

 大きな地震、だった。

 

 初期微動なしの大きな揺れが唐突に部屋を襲って、掃除機をかけていたわたしは勢いよく床に倒れこんだ。体を思いっきり打って咳き込んだのだが、悲鳴もろくにあげれないほど強い揺れが上下左右に襲ってきて、わたしは混乱した状態のまま、体のあちこちを床やら壁やら家具やらに何度も強く打ちつけた。

 時間にして僅か5分ほど。しかし、その僅かな時間で体中が痺れて動けなくなるほど痛めつけられたわたしは、ぐったりと倒れこんだままだった。

 ただ、揺れが収まった瞬間に部屋に充満した、むせ返るほどの強い生臭い獣臭と、倒れたままのわたしを嘲笑うかのように響き渡った甲高い狐の鳴き声には久々にぞっとした。


 その後、帰宅した夫と子どもたちが異変を察知して駆けつけてくれ、現在わたしは夫から直々に手当てを受けてベッドに寝かされているのだが。




「おかあさん……ごめんなさい……」

 ぐすぐすと未だ泣いている優吾を、痛む体に鞭打って、強く抱きしめる。小さくて温かなこの子が、こんな風に泣く必要なんてどこにもないのに。

 夫も今回のことで前回すぐに動かなかったことを反省していたが、ぶっちゃけわたしは子どものためなら多少命の危機に瀕しようが全く気にしない。

 そりゃ、痛いのは嫌だ。しかし、それ以上に可愛い子どもたちが傷つくのも、泣くのも嫌だ。前回夫が狐に直接制裁を科さなかったのも、それによって動物の死骸のことが優吾にばれて、優吾が自分で自分を責めるだろうことを理解していたためだ。一応、奴にも人の親らしい感情はあるらしい。

 

 ただ、今回は……あの様子だと、『お狐さま』がどうなるか、ちょっとわからない……。はっきり言って、夫の方が『お狐さま』より何倍も怖い。

 来るべき時が来るまで、どうにか存在していてほしいらしい『お狐さま』。殺したら、まずそうなんだけど、なぁ……。


「おかあさん……」

 ようやく泣き止んできた優吾は、腕の中からわたしを見上げてきた。わたしに色だけよく似た真っ黒な瞳以外、泣きすぎたせいで目は真っ赤に充血している。

「おかあさん、ぼく、もっとつよくなる」

 泣きすぎて掠れてしまった声で、優吾はそんなことを言った。


「それでね、それでね。ぜったい、きつねをやっつけるからね。だから、ぼくのこと、きらいにならないでね…」

「ゆう君……」

 わたしは思わず泣きそうになった。

 優吾のバカ、嫌いになるはずがないじゃないか!

 夫はあんなんだが、娘もちょっとぶっとんでるところがあるが、優吾も、直接は血の繋がってない和之君も、わたしの大事な家族だ。多少変わったものに好かれようが、普通と違うところがあろうが、だからどうした!

 大体、この程度の怪我、夫との結婚前の騒動によって負ったわたしの精神的ダメージに比べたら些細なものだ!!

 

「……おかあさん、なんでおとうさんとけっこんしたの……?」

 力説したら、心の底から不思議そうに優吾に聞かれた。……ごめん、それは聞かないで……。

 まぁ、とにかく優吾も立ち直ったようで、わたしもほっとした。それに、優吾が強くなってくれるのなら安心だ。さっそく明日から明奈に鍛えさせよう。

 

 このときのわたしは、後に娘とは若干違う方向に強かに成長した優吾が、わたしに内緒で実は『お狐さま』を簡単に殺せる程度にまで修行を積んでいたり、自分の初恋を実らせるために狩野さんをあらゆる手段を用いて脅したりしていたことなどは、全く想像もしていなかった。


 ただ、先輩が和之君に会いにくる午後3時までに帰宅した、それまで神社に行っていたメンバー達――えらく清清しい笑顔の夫と娘、異常なまでに青ざめ震えている狩野さん、そしてどこか遠い目をした和之君――を見て、わたしが深い深い溜息をついたのは、言うまでもない。 


余談:

 奥様の受難、超常現象ver。

 「秘密の事情」でぼけーっとした子だった木崎君は、この後、姉に揉まれて強かになっていった姿なのでした。

 ちなみに、『お狐さま』は奥様大好きな旦那様とお母さん大好きな長女の超人タッグによって、「かろうじて存在している」程度にまでボコられました。

 狩野さん、本気で木崎家にびびる(ボコられてるのが見えるから)。和之、遠い目をする(見えないから神社の外で待機してたが、なんかマズイ状況だというのはわかる)。あっ、狩野さんにも不憫と巻き込まれ属性がつきました。

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