【番外編】ハロウィンな木崎家の人々(1)
時間軸とか、10月31日までの間にあった話とか、割と無視した適当な番外編です。温い目で見てやってください。
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☆三条和之&木崎明奈編☆
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「Trick or Treat!」
ハロウィン。
俺の曖昧な記憶によれば、確か本来、11月1日の前夜に行なわれるカトリックの祭りだったはずだ。
仏教徒の俺には、あいにく無関係な祭りである。実際には何のために行なわれている祭りなのかも、よく分からない。子どもたちの仮装にも、ちゃんと意味があるんだっけ? ちょっと調べればわかるのだろうが、俺は別に、興味は無い。
まぁ、神様仏様悪魔に天使、幽霊妖怪宇宙人、果ては超能力者や魔術師などの人外(?)の存在が、大なり小なり、国民に色々な形で愛されている日本だ。特に必要でない限り、この国おいて、ハロウィンの正しい趣旨を理解する必要はないだろう。
要は、騒いで楽しめればいいのだ。参加して悲しくなったり虚しくなったりする祭りなら、俺も断固拒否するが。
でもって。
ハロウィンは、楽しい祭り……だよな。うん。
俺――三条和之は目の前にいる恋人の、見る者全てを魅了する可愛すぎる笑顔につられて顔を綻ばせながら、そんなことを思った。
ありがとう、日本の寛容かつ柔軟な文化よ! そして、その発展に力を注いできた人々よ! 商業戦略だろうが、自分の欲を満たすためだろうが、目的はどうでもいい。俺は今夜、貴方たちに、心の底からの感謝と敬意を捧げます!!
「ほら、和之。早くお菓子をくれないと、悪戯してしまうよ?」
どうぞ、ご自由に。むしろ、是非。
思わずそう言いたくなってしまうほど、可愛らしさと色っぽさが見事に融合した猫耳魔女っ子スタイルの明奈が、俺を見上げてちょっと拗ねた表情をしていた。
日本・万歳!! 俺は今日、初めて『猫耳』と『魔女っ子』の素晴らしさがわかったよ!! これ、ほんと可愛いな!! しかも凄い威力だ!! 今まで俺、正直こういうの馬鹿にしてたけど、認識を改めるよ!!
10月31日、午後9時過ぎ。
俺の家に突如として現れた来客は、猫耳魔女っ子スタイルの俺の恋人――木崎明奈だった。
明奈が日本に帰って来ていることを知らなかった俺は、彼女の突然の来訪に仰天した。
というか、彼女の格好と第一声に驚いてしまったのだ。
明奈、その服とアイテムはどうしたんだ!! ミ、ミニのスカートとか、普段は絶対に履かないくせに!!
明奈のふわふわした茶色い髪、その頭のてっぺんには、真っ黒でふさふさした毛並みの猫耳が、ばっちり装着されていた。
そして、明奈の完璧なスタイルがよく分かる、体にフィットする形状の黒い魔女の服。
ハイネックの首元から覗いている、腰の辺りまである長さのマントを留めている銀色のリボンとは別の、紺色の紐。あれは多分、明奈が背中にやっているトンガリ帽子についているものだろう。
明奈の着ている魔女服(というのか?)は、ノースリーブだった。明奈、寒くないのか……とは聞くまい。聞くだけ無駄だ。俺は明奈が暑がっている姿も、凍えている姿も、見たことが無い。昔、真冬に実の父親である要さんを氷の張った湖に突き落として、ついでに自分も落っこちた際にも、明奈は震えてすらいなかったのだ。考えるだけで俺の常識が喪失しそうだから、敢えて無視しよう。
ノースリーブから伸びたしなやかな腕――実は成人男性を一振りで吹っ飛ばす凶器でもある――の部分は、二の腕半ばまである長さの、ピッタリとした形の黒い手袋を嵌めていて、左腕には茶色い編籠を下げていた。
そして、明奈の……その、何ていうか……。ほら、あれだ! 女性の美しさの一部である、あの、素晴らしく形のいい魅惑の膨らみの部分!! その下のほっそい腰のくびれ、そこできゅっと絞られた、フリルがたっぷり付いたスカートは、明奈の白く柔らかそうな――実際には一蹴りで成人男性を吹き飛ばすことができる、恐るべき力が秘められている――太ももを半分しか隠していない、ヒラヒラしたスカート!
明奈のミニスカートなんて、いつぶりだろうか……。普段は、絶対に膝の上まである丈なのに! その下から見える、太ももまでの長さのピッタリとした黒いロングブーツとの対比が……! 絶対領域って、このことか……!!
俺がそんなことを考えているのを知ってか知らずか、明奈は形のいいぷっくりとしたピンク色の唇を軽く尖らせて、右手を俺に向かって差し出してきた。
「ほら、和之。悪戯されたいの?」
早く、早くと菓子の催促をしてくる明奈に、俺は慌ててポケットを探った。幸い、ジーパンのポケットの中に、ミントガムが1枚入っていた。
明奈からの悪戯も、かなり心惹かれるが……ここは我慢だ。いい意味で絶叫する羽目になる確率が6割、悪い意味で絶叫する羽目になる確率が4割。
せめて8:2くらいの割合でないと、明奈の悪戯に臨むのは無理だ。チキン野郎の俺の場合、まず自分の精神面での安全が優先される。
「ほらよ。こんなんしかないけど」
「ありがとう!」
たかがガム1枚に、天使のような笑顔を見せる明奈。もうほんと、めちゃくちゃ可愛い……。
……じゃなくて。
「明奈、今日はいつ帰ってきたんだ? 急に家に来るなんて、驚くじゃないか」
いつもは日本に帰ってくる際、必ず俺に入る帰国の連絡が、今日はなかった。なんでだ?
すると明奈は、右手に持ったミントガムを大切そうに籠の中に仕舞いつつ、少しだけ照れたように微笑んだ。
「うん。和之を驚かそうと思って。びっくりしただろう?」
「そりゃ確かに、びっくりしたけど……」
「それに、すぐに向こうに戻らなきゃいけないんだよ。正味3時間くらいしか、こっちにいることができないから」
「3時間?!」
短い!! じゃ、もうすぐに日本を経つってことか? せっかく、そんな可愛い格好してるのに!!
俺が残念に思っていると、明奈はにっこりと笑って、「それで?」と言ってきた。
「和之は、わたしに他に言うことはないの?」
その言葉に、俺は暫し考えて、それから口を開いた。
「お帰り、明奈。その格好、すっげぇ似合ってる。ほんとに可愛い。
ええと……あと、『Trick or Treat』?」
猫耳魔女っ子明奈は天使のように微笑んで、左腕に下げていた籠の中から、黒い物体を取り出した。
……ちょっと待て、明奈。それは、違う。食い物でも、悪戯に使っていい道具でもない。
「おい……。それ、違うだろ」
「あっ、ごめんごめん。間違えた。こっちだよ。はい、和之」
思わず顔面の筋肉が引き攣ってしまった俺による指摘を、明奈は何事もなかったかのようにサラリと流した。そして、日本では一般人の所持が法律で禁止されている危険物を籠の中に仕舞い、代わりに可愛らしくラッピングされた包みを2つ、取り出した。
何故そんな凶器と一緒に食い物を入れるんだ、とか、他に何かマズイもん持ち運んでやしないだろうな、とか、色々と思ったものの、それ以上は考えるだけで怖いので、俺は何も見なかったことにした。平和主義・万歳!!
「こっちが和之の分で、こっちがおじ様の分だからね。おじ様、今日は家にいないんだろう?」
2つの包みのうち、一回り大きい方が俺の分だった。この大きさの差に、明奈の愛を感じる俺って馬鹿なんだろうか。
「ああ。父さん、会社の人に誘われて、隣の県の温泉に1泊旅行に行ってるんだよ」
明奈は俺の父さんのことを『おじ様』と呼ぶ。昔は『かずゆきくんのお父さん』だった。それがいつの間にやら……。
明奈に『おじ様』と呼ばれて相好を崩している父さんは、別に変態親父には見えないんだが……なんか、微妙だ。うーん。まぁ、いいんだけどさ。
「へぇ。じゃあ、おじ様によろしくね。それ、わたしの手作りだから、味は期待してくれていいよ」
謙遜する必要のない料理の腕前をもつ明奈は、そう言って自信満々に笑った。可愛いなぁ……。
……駄目だ。俺、だいぶ思考がアホになってきている。恐るべし、ハロウィン。恐るべし、仮装……というか猫耳魔女っ子。
明奈は自分の頭に装着している猫耳を軽く弄りつつ、「じゃ、もう行くよ」と言った。
「……もう、行くのか?」
「うん。いったん家に帰って着替えてから、すぐに日本を発つよ。次は1か月くらい、帰って来れないかもしれない。でも、ちゃんと連絡するからね」
「ああ。……怪我、するなよ?」
「わかってるよ。わたしを誰だと思ってるの?」
愚問だ。破壊神にかなり近い天使である、俺の可愛い恋人の木崎明奈様だよな。
しかし、1か月か……。やっぱ少し、寂しいな……。
そんなことを思っていると、明奈が右手をちょいちょいっと動かして、俺に屈むように指示してきた。
明奈を覗き込むようにして素直に身を屈めてやると、明奈は自分の頭に装着していた猫耳……のカチューシャを外して、俺の頭にすぽっと被せてきた。
「ふふっ。可愛いよ、和之」
「…………そりゃ、どーも」
何なんだ……? 明奈の下の弟である純のような美少年が被れば、そりゃ、男の猫耳スタイルでも可愛いんだろうが……。身長が180センチを超えている、平凡な面した男子高校生が猫耳つけても、普通に痛いだけだと思うんだが。むしろ、視覚の凶器だな。うん。
しかし、背中にやっていた魔女のトンガリ帽子を被りなおした明奈は、俺の猫耳スタイルがえらくお気に召したらしい。満面の笑みを浮かべて、よしよしと俺の頭を撫でている。
……なんだかなぁ。いいのかなぁ、これ。かなり痛い子じゃないかな、今の俺。
少しだけ切なくなっていたら、不意に明奈が俺の頭を撫でるのをやめて、そのままぐいっと俺の頭を引き寄せた。
驚いて声をあげかけた俺の唇は、すぐに明奈の柔らかくて温かな唇に塞がれた。
明奈のしなやかな両腕がいつの間にか俺の首にまわされて、心地よい強さで締め付けられた。
俺は咄嗟に明奈の腰と背中に腕をまわして、バランスを崩して倒れそうになった自分の体を支えた。……彼女の体を使って自分の体を支える彼氏って、どうなんだろう。俺のほうが体重、重いはずなんだけどな……。
というか、左手に持っていた明奈手作りの菓子を、危うく落っことしそうになったんだが。明奈、こういうことするなら、事前に予告してくれ。
密着した明奈の体は柔らかく、甘くていい匂いがした。明奈の背中にまわした俺の右手に、彼女のふわふわとした髪の毛があたって、妙にくすぐったい。
始まりは唐突だったくせに、明奈のキスは激しいものではなく、優しいものだった。何度も何度も、柔らかい唇が俺の唇をそっと塞ぎ、離れていく。
それが3分くらい続いたあと、明奈は俺の首にまわしていた両腕を外して、それからぎゅうっと俺に抱きついてきた。俺も明奈の体を抱きしめ返してやる。
……ここで、俺の胴体を締め上げないように気を遣ってくれているあたり、俺は明奈に愛されているんだなぁ、と感じる。明奈の父親である要さんを彼女が抱きしめるときは、要さんの体からミシミシという、本来ならば聞こえてはいけないはずの音が聞こえるのだ。恐ろしい。
「……和之。今年のクリスマスは、一緒に過ごそうね」
「わかってるよ。待っててやるから、ちゃんと帰って来い」
俺の胸元でくぐもった声をあげる明奈の背中を、優しく叩く。顔を上げた明奈の顔は僅かに頬が上気していて、とびきり可愛かった。
くるんとカールした長い睫に縁取られた、明奈の茶色い瞳。その中に、俺の顔が映りこんでいる。
「うん。……じゃあ、またね。和之」
「ああ。気をつけてな」
俺から離れていった明奈の体温に一抹の寂しさを感じつつ、俺は笑って彼女に手を振った。
明奈は俺に笑顔で手を振り、来たときと同じように帰って行った。
俺の部屋――2階のベランダから音もなくヒラリと飛び降りて、文字通り『風のように』消え去っていったのだ。
流石に、人目につかないように行動するのが上手いな……。まぁ、今日の明奈の格好はめちゃくちゃ可愛かったから、他の奴には絶対に見せたくないんだが。
そんなことを思いながら、俺はベランダの窓とカーテンを閉め、明奈からもらった菓子の包みを開けた。
中にはクッキーがぎっしり入っていて、一口齧ると、口の中にふわりとカボチャの甘さが広がった。
お化けやらカボチャやらの形をした、オレンジっぽい色の可愛い形のクッキーを口に放り込みつつ、俺は何気なく部屋のクローゼットについている姿見を見て、溜息をついた。
野郎の猫耳はないわ、やっぱ。明奈……これ見て「可愛い」とか言えるお前の感性、独特だよ……。
姿見に映った俺の猫耳スタイルは…………かなり、痛かった。
「……つーか、この猫耳、俺にどうしろと……?」
保存しとかないと駄目なんだろうか。というか、これ、俺用だったのか? 何故俺につけたままなんだ、明奈。
俺はこのとき、今年のクリスマスに、真っ白いウサ耳をつけてミニスカサンタの格好をした明奈に、天使のような笑顔でトナカイの着ぐるみを着せられる事態が生じることなど、予想だにしていなかった。
そして、俺のそうしたコスプレを『させられる』様子が高性能の隠しカメラでバッチリ撮られており、明奈がそれをコレクションしている事実は、更に後になって知ることとなる。
誰だッ!! 明奈に変な趣味植えつけた奴!! 出て来いコラー!!
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☆野中夕子&木崎優吾(+狩野敏行)編☆
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「トリック・オア・トリート!」
突然のあたしの言葉に、木崎君はきょとんとした顔をした。
えへへ、びっくりしてるね! さあ、どう反応するのかな、木崎君!
10月31日、午後4時過ぎ。
部活から帰宅したあたし――野中夕子は、いつものようにお母さんに頼まれて、おじちゃん――狩野敏行さんの家に、夕ご飯のおかずのお裾分けにやって来た。
そのとき、おじちゃんの家に遊びに来ていたのが、おじちゃんの年の離れた友達で、あたしの同級生である木崎優吾君だった。
木崎君は玄関に出てきたおじちゃんの後ろからやって来て、あたしに「まぁ、上がっていきなよ」と言ってきた。最近わかったんだけど、おじちゃんと木崎君って、年が離れてるのに、すごく仲が良い。お互いに遠慮がないっていうか……対等な友達関係を築いているのだ。普通、こういうのって家主であるおじちゃんが勧めるじゃない? でも、木崎君はいつも通りの顔で、淡々とそう言ったのだ。おじちゃんも反対せず、「夕子ちゃん、せっかくだからゆっくりしていってよ」と言ってくれたので、あたしはありがたく、おじちゃんの家に上がらせてもらった。
縁側がある、庭に面した8畳くらいの部屋で、あたしと木崎君、それにおじちゃんは仲良く談笑していた。
そこで、あたしはふと思い立ったのだ。
今日は10月31日、ハロウィンの日。部活が終わったあと、部室で部員の皆とお菓子の交換をしたんだけど、おじちゃんや木崎君はハロウィン恒例の文句――『お菓子をくれきゃ悪戯しちゃうぞ?』にどういう反応を返すんだろう。気になるなぁ。
ここはいっちょ、確かめてみよう!
そう思って、ちゃぶ台を挟んであたしの右隣に座っていた木崎君に、最初に声をかけてみた。「トリック・オア・トリート」ってね。
さてさて、木崎君はどんな反応をするのかな?
「……ああ……。今日、ハロウィンか」
ぽそっとそんなことを呟いた木崎君は、そのまま自分の後ろに置いてあった黒いデイバッグを開けて、何やらごそごそしていた。
そして、
「はい、野中さん」
あたしに、小さな箱を1個くれた。
「え……。これ、お菓子?」
「うん。姉さんが昨日の夜、大量に送りつけてきたんだよ。多分、中はクッキーだから」
「へー……。あ、ありがとう」
「うん」
何てことない、普通の表情をしている木崎君。きょとんとしたのは一瞬だけだった。
うーん、木崎君がまさか、お菓子を持って来てるとは思わなかったな。もっとうろたえるかと思ったのに。残念。でも、今日がハロウィンだってことに気がついてなかったのか……。日本のお祭りではないから、木崎君は関心がなかったのかな? お盆とかについては、すごく詳しかったのに。
木崎君があたしにくれた包みは、両手に乗るサイズの正方形の箱だった。夜空の柄をした包装紙で、綺麗に包まれている。
軽く振ってみると、ガサガサと小さな音がした。そんなに重くないけど、中はギッシリ詰まっているみたい。
木崎君のお姉さんは高校に行かず、もう働いているらしい。別に木崎君の家が貧乏だとか、そういうわけではなく、お姉さんは自分の夢のために頑張っているんだそうだ。しかも、海外の仕事がメインだっていうんだから、凄いなぁ、と思う。きっと、素敵なお姉さんなんだろうな。小学校のとき、ちゃんと観察しておくんだった。
そんなことを思いながら、あたしは次に、ちゃぶ台を挟んであたしの左隣に座っていたおじちゃんの方を向いて、「トリック・オア・トリート!」と言った。
おじちゃんは笑って、おじちゃんの後ろにある棚の上の団からお煎餅の入った四角い缶を取り出すと、「ほら」と言って、あたしにそれを寄越した。つまんない反応だ。もっとこう……盛り上がってくれないかなぁ。
それにしても、家主のおじちゃんはともかく、木崎君は絶対にお菓子なんか持ってないと思ったんだけどな。別に、木崎君に悪戯してやろうと思ってたわけじゃないけど、ちょっと慌てる木崎君を見てみたかったのに。
木崎君から貰ったクッキーの箱を膝の上に乗せて、おじちゃんから寄越された缶の蓋を開け、中のお煎餅をバリバリかじりつつ、ほんとにつまんないなぁ、盛り上がりに欠けるなぁ、と思った。
「野中さん」
「ん?」
木崎君の呼び声に、あたしは彼の方を向いた。
醤油味のお煎餅を半分口に突っ込んだまま、という間抜けなあたしに、木崎君はにっこりと微笑んだ。
き、木崎君の微笑みっ!! ……などとどぎまぎしていたら、木崎君はあたしに右手を差し出して、一言。
「Trick or Treat」
「………………へ?」
バキンッと口に入っていた部分のお煎餅を噛み砕いて、残りの半分を右手に持ったまま、あたしはとっても間抜けな返事をしてしまった。
……えっと。今、木崎君があたしに向かって言った、流暢な英語の意味は…………。
「聞こえなかった? 『Trick or Treat』だよ、野中さん」
き、聞こえました! 木崎君、相変わらず発音が完璧だね! カタカナ英語に聞こえないよ!
……じゃなくて。な、なんで急に?!
「ほら、野中さん。早くお菓子をくれないと、悪戯しちゃうよ?」
にっこり笑顔が眩しい木崎君。
え、ちょっと待って! 木崎君、今日がハロウィンだって、さっきまで気づいてなかったよね?! おじちゃんと2人して、あたしのことをアッサリあしらったよね?! おじちゃんへの差し入れのタッパー以外、明らかに何も持っていないあたしに向かってお菓子を要求するなんて、どう考えてもおかしいよね?!
突然の「悪戯しちゃうよ」発言にパニックになったあたしを面白そうに眺めていた木崎君は、あたしに再び声をかけてきた。
「野中さん?」
「あ、あの、あたし、お菓子持ってないんだけど……」
「うん。それは知ってる」
「は……?」
「じゃあ、悪戯決定ね」
「へっ?」
あ、あたしがお菓子持ってないこと知ってて言ったの?! 薄々気がついてたけど、木崎君、案外いじめっ子だよね?!
木崎君の「悪戯決定」発言にあたしが大混乱しているのに、そんなことにはお構いなしで、木崎君はあたしのすぐ近くにまで近寄ってきた。そして、綺麗な真っ黒い瞳を細めて、あたしの顔の方に両手を伸ばしてきた。
な、なんかよくわかんないけど、木崎君の悪戯は怖い!! ないとは思うけど、「ユ」から始まって「イ」で終わる、4文字の恐怖の存在をくっつけられるかも!! 今日、ハロウィンだし! いつもより、そういうのがいっぱいフヨフヨと漂ってそう!!
頭の中がおかしな状態になったあたしは、木崎君の両手の指先があたしの顔に到達する寸前に、彼の綺麗な形をした唇に、右手に持ったままだったお煎餅の残りを押し込んだ。
木崎君は軽く目を見開いて、動きをピタッと止めた。それから僅かに眉を寄せて、あたしが口の中に押し込んだお煎餅を咀嚼しだした。
「お、お菓子! あげたから、悪戯はなしだよね?!」
座ったまま、木崎君から距離をとるように、ずりずりと後退する。
人から貰ったお菓子をあげるのって、駄目なんだっけ? セーフだよね? 今回はセーフでいいよね?!
ていうか、悪戯って! 木崎君の悪戯って! 気になるけど、なんか怖いよ!!
あたしが顔を真っ赤にして混乱していると、お煎餅を飲み込んだ木崎君が、少し首を傾げてあたしを見てきた。
お煎餅を噛み砕いている間に眉間に寄っていた皺は消えており、代わりに彼は不思議そうな目であたしを見ている。な……何…………?
「野中さんって」
「はいっ! い、悪戯は無しでお願いします!!」
「うん。まぁ、それはわかったけど。……そんなに怯えなくても、怖いことはしないのに」
「い、いやっ、なんか木崎君の悪戯って怖いっ!! 木崎君、いじめっ子っぽいよ!」
「そんなことないよ。痛いことも怖いこともしないよ」
「は、歯医者さんの『痛くありませんよー』っていう発言くらい信憑性が薄そう!」
「そんなことないって。
――それより、さっきの煎餅、僕が貰ってよかったの?」
「…………へ?」
「さっきの煎餅、野中さんが半分食べてたやつだよね?」
「…………あ」
「僕が貰ってよかったの?」
「………………」
あああああ、あたしの馬鹿!! 木崎君に自分の食べてる途中のものをあげるなんて、何やってるの!! あ、あたしの歯型がくっきりついてるお煎餅、木崎君の口の中に押し込んじゃった!! 混乱するにも程があるよ、あたしの馬鹿ぁああ!!
これが兄弟とかなら、全然平気なのに。おじちゃんでも、まぁ、大丈夫。でも、綺麗な綺麗な木崎君に、あたしが口に入れたモノを押し付けるなんて……。か、間接キスなんて可愛いもんじゃないよ、これ……。唾液とかついてたら、どうしよう……。ああ、だから木崎君、お煎餅食べてる間、ちょっと眉間に皺が寄ってたのか……。そうだよね、気持ち悪いよね、他人が口に入れたものの残りなんてさ……。
ズガーンと落ち込んでしまったあたしは、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになってしまって、泣きそうになりながら木崎君を見た。
木崎君は、相変わらず不思議そうにあたしを見つめている。うう、その綺麗な黒い瞳が居た堪れない……。あたし、汚い……。木崎君は、あんなに綺麗なのに……。神様、ごめんなさい……。これなら、大人しく木崎君の悪戯を受けた方がマシだったかも……。
「ごめんね、木崎君……。汚いものあげちゃって……」
「いや、別に汚くないけど。やっぱり気づいてなかった?」
「うう……。ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいって。全然気にしてないよ?」
「でも、木崎君、お煎餅食べてる間、眉間に皺が寄ってたよ……」
「それはほら、野中さんがこうやって後から落ち込むだろうなぁ、と思ったからだよ。野中さんの食べた残りを気持ち悪いなんて思ってないし、怒ってもいないから」
大丈夫だよ、と言って、いつの間にかあたしのすぐ側まで再び接近していた木崎君は、よしよしとあたしの頭を撫でてきた。
うう……あ、ありがとう……。でも、その優しさもなんか恥ずかしいよ、木崎君……。
顔が恥ずかしさでとっても熱くて、それを隠すように体育座りに近い格好で丸まっていたあたしの耳元に、木崎君の楽しそうな声が聞こえてきたのはその時だった。
「野中さんに悪戯できなかったのは残念だけど、まぁ、いいよ」
これって一応、間接キスだよね――という言葉に、あたしの思考は一瞬停止してしまった。
え? ……木崎君?
ぽかんとして顔を上げると、心底楽しそうな表情をした木崎君と目が合った。
……え? え? ――ええっと?
間接キス……って、まぁ、客観的に考えたら確かにそうかもしれないけど、そんなに可愛いものではないような。だって、木崎君の悪戯を回避するために、自分の食べ残しのお煎餅を木崎君の口の中に押し込んだんだし。しかも、自分で食べ残しと気づいていなかったとか、そういう最悪な展開だったんだけど。
……なんで、木崎君が楽しそうにしてるんだろう。
ぽかんとして木崎君の綺麗な顔を見つめていると、急に硬いものがぶつかり合う、物凄い音がした。
びっくりして、音のした方向を見ると――何故か、おじちゃんが額をちゃぶ台に激突させていた。ピクピクと身体が僅かに痙攣している。
そういえば、おじちゃん、木崎君の悪戯発言からあたしを助けてくれなかったな。どうしたんだろう。
「おじちゃん? ……大丈夫?」
恐る恐る声をかけると、おじちゃんはちゃぶ台に突っ伏したまま顔だけをあたしの方に向けて、力なく「あぁ……。大丈夫だよ、夕子ちゃん……」と答えた。
おじちゃん……なんでこの気温でそこまで脂汗が浮いてるの? びょ、病気?
「おじちゃん、熱でもあるんじゃない? 本当に大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。それより、そろそろ家に帰った方がいいよ。もう外も暗くなってきてるし」
あたしは壁に掛けられている時計を見て、おじちゃんの言葉に頷いた。
確かに、結構時間が経っていた。――あ、おじちゃん、ずっと正座だったから、もしかして、足が痺れたのかな?
あたしはおじちゃんと木崎君にお菓子のお礼を言って、狩野家宅を後にした。
木崎君の「送ろうか?」という親切な申出は、嬉しかったけど、辞退した。自転車だし、家まですぐだから。
それに……やっぱり、自分の食べ残しを木崎君にあげちゃったのが、恥ずかしかったから。
ああもう、今度から、もう少し考えて行動しよう……。
「……間接キス、かぁ……」
自転車を漕ぎながら、前カゴに入れた木崎君からもらった、お菓子入った箱を見る。
間接キス。うーん。
……なんで、木崎君、あんなに楽しそうだったんだろう。
もしかして……、と思いたい気持ちもあるけど、それはないでしょ、という気持ちの方が強い。
「あたしも、喜んでいいのかなぁ……」
木崎君と、間接キス。
………………駄目だ、恥ずかしくて死ねる。考えるの、やめとこう。
とりあえず、あたしはその日から当分の間、醤油煎餅が食べられなくなった。というか、見るのも無理。恥ずかしい!!
……なのに、日曜日におじちゃんの家で会う木崎君がしきりに醤油煎餅を勧めてくるのは、どういう意味なんだろう……。
木崎君って、やっぱり不思議な人だなぁ。
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(おまけの会話)☆木崎優吾&狩野敏行編☆
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「優吾君さぁ、俺にいきなり何してくれるの?!」
「少しの間、体を動けないようにしただけだよ」
「声も出なかったんだけど?!」
「うん。そういう仕様だから」
「(腹立つクソガキだな!!)大体、夕子ちゃんに悪戯って……何するつもりだったんだ?!」
「ん? 野中さんが痛くも怖くもなくて、僕がとっても楽しいことだよ」
「最悪じゃないか!!」
「えー、どこが?」
「どこが、とか言ってるところが!! 夕子ちゃんは心が清らかなの!! いい子なの!! 優吾君みたいに歪んでないの!!」
「僕は別に、歪んでないよ」
「嘘つけ! 夕子ちゃんが顔を真っ赤にして泣きそうにしてたの、思いっきり楽しそうに見てただろうが!!」
「だって、泣きそうな顔の野中さん、すごく可愛かったから」
「最悪だ!!」
「どこが?」
(以下、分かり合えない2人の会話がエンドレス)
適当すぎる話でした。季節モノですが、一応シリーズの中に入れておきます。
和之&明奈:バカップル……?
明奈は父親似なので、自分の欲望には忠実です。
夕子&優吾:『悪戯』っていい響きですよね。何をしても許されそうです。
優吾&敏行:年上を敬わない優吾。