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温もりの記憶(前編)

※今回、少し毛色の違う話です。あしからず。

 

***********************************


 さーちゃんが死んだ。

 さーちゃんは、黒い犬に殺された。

 次は、あーちゃんが殺される。

 黒い犬に、殺される。


 逃げろ、あーちゃん。黒い犬に、つかまるな。


***********************************


 学校から帰って来て、あーちゃんが、まず1番にすること。

 うがい、手洗い。それから、部屋にランドセルを置いて、台所へ行く。

 台所の冷蔵庫に貼ってある、まーくんからのメモを読むのだ。


 まーくんからのメモには、あーちゃんの今日のおやつについてと、晩ご飯について。それに、まーくんが何時くらいに帰ってくるかが書かれている。

 

 まーくんのお仕事は、忙しい。メモに『今日は〇時に帰る』と書いてあっても、家に帰って来れないときがある。

 そういうとき、まーくんと一緒にご飯を食べたり、本を読んでもらうのを楽しみにしているあーちゃんは、とっても悲しくなる。

 

 あーちゃんは、まーくんといくつかのお約束をしている。その中に、「夜8時までにまーくんが帰って来なかったら、あーちゃんは先にご飯を食べること」「夜10時がきたら、あーちゃんはお風呂に入って歯を磨いて眠ること」というのがある。あーちゃんはまーくんのことが大好きだから、どんなに寂しくても我慢して、ゆーちゃんと一緒に眠るのだ。


 ゆーちゃんは、まーくんがあーちゃんの5歳の誕生日に買ってくれた、真っ白いふわふわのウサギのぬいぐるみだ。あーちゃんの、一番のお友だち。

 あーちゃんは、ゆーちゃんのことが大好きだ。ゆーちゃんは、あーちゃんと、いつも一緒にいてくれる。

 あーちゃんは、ゆーちゃんと一緒にいるときだけ、まーくんがいなくて寂しいのを、我慢できなくて泣くときがある。ゆーちゃんはまーくんみたいに温かくないけど、冷たくもない。ゆーちゃんは、あーちゃんが泣いても、何も言わずに、ずっと一緒にいてくれる。だから、あーちゃんはゆーちゃんが大好きだ。


 まーくんのお仕事は忙しい。毎日、朝早く起きて、朝ご飯の準備をして、すぐに家からいなくなる。だから、あーちゃんは毎日頑張って早起きする。少しでも長く、まーくんといたいから。


 でも、まーくんは、たまに何日も家に帰って来れないときがある。そういうときには、まーくんのお友だちのさーちゃんが、あーちゃんに晩ご飯を作りに来てくれる。

 さーちゃんは、きれいな女の人だ。さーちゃんは、あーちゃんに色々なご飯やお菓子の作り方を教えてくれる。

 まーくんがいないときには、あーちゃんはさーちゃんと一緒に晩ご飯を作って食べ、あーちゃんがお風呂に入っている間に、さーちゃんは明日の朝ご飯の準備をするのだ。さーちゃんは、明日が休みの日なら、昼ご飯の準備もしていってくれる。

 でも、さーちゃんはそれが終わったら、いつもすぐに帰ってしまう。あーちゃんは、それが寂しい。

 だから、あーちゃんは、さーちゃんよりもゆーちゃんの方が好きだ。ゆーちゃんは温かくないが、いつも一緒にいてくれるから。


 あーちゃんは今、小学校4年生だ。1人で何でもできる、偉い子だ。

 あーちゃんは、もう、夜中に1人でトイレにいけるし、お買い物も、お掃除も、お洗濯もできる。簡単なご飯を作るのだって、できるのだ。

 あーちゃんが初めて卵焼きを作ったとき、まーくんはあーちゃんのことを何回も褒めてくれた。「おいしいよ」と何度も言ってくれた。でも、何故かまーくんは、いつも最後にはあーちゃんに「ごめんね」と謝るのだ。

 あーちゃんは、まーくんに謝ってほしくなくて、とても困ってしまう。

 あーちゃんは、まーくんに謝ってほしいわけじゃないのだ。

 まーくんにもっと、あーちゃんのことを好きになってほしいだけなのだ。


 あーちゃんは、まーくんのことが、世界で1番大好きなのだ。

 まーくんは、優しくて、温かい。あーちゃんの、大事な人。


 でも、今日のまーくんのメモには、あーちゃんは困ってしまった。

 

 さーちゃんが来た日は、まーくんのメモではなく、さーちゃんのメモが貼ってある。何時に来て、今日は何の晩ご飯を作るのか、ということが書いてある。でも、たまに、まーくんがあーちゃんが学校に行っている間に家に帰って来て、あーちゃんにメモを残していくときがあるのだ。あーちゃんはそれが楽しみで、毎日、冷蔵庫のメモを確認する。


 まーくんは一昨日からお仕事から帰って来ていなくて、今日も、朝あーちゃんが確認したときは、冷蔵庫にはさーちゃんが昨日貼っていったメモしかなかった。

 でも、あーちゃんが学校から帰ってきて、冷蔵庫を見たら、まーくんのメモがさーちゃんのメモの上に貼ってあったのだ。

 

 あーちゃんは、嬉しかったけど、とっても困った。

 まーくんのメモの書いていることの意味が、全然わからない。


 メモの字は、確かにまーくんの文字だった。でも、急いで書いたみたいにその文字は歪んでいて、ところどころ震えていた。

 メモには、『さーちゃん』が『黒い犬』に殺された、と書いてある。そして最後に、あーちゃんに『逃げろ』とあった。


 あーちゃんは、まーくんのメモを持って、首を傾げた。

 さーちゃんが殺されたって、どういうこと?黒い犬って、どんな犬?逃げろって、どこに逃げたらいいの?


 あーちゃんはとっても困ってしまったけれど、まーくんの言うとおりにすることにした。あーちゃんは、まーくんのことが大好きなのだ。

 あーちゃんは、まーくんから渡されたお金の入っているピンクの可愛いお財布と、ついでにゆーちゃんを部屋から取ってきて、玄関に向かった。

 とりあえず、商店街へ行こう。あそこなら、あーちゃんのことを知っている、八百屋のおじさんや花屋のおばさんがいる。

 

 そう思いながら、あーちゃんが運動靴をはいていると、いきなり玄関の扉が開いた。 

 あーちゃんはびっくりして、顔をあげた。


 あーちゃんの目の前には、あーちゃんが見たことのない、きれいなお姉さんが立っていた。


 肩まである真っ黒い髪が、真っ白な肌に映えて、とてもきれいだった。髪と同じくらい真っ黒い、とってもきれいな目が、あーちゃんを見つめた。

 あーちゃんがぽかんとしていると、お姉さんは不思議そうに首を傾げた。


「どこに行くの?」


 きれいな声で、お姉さんはあーちゃんに聞いた。

 あーちゃんは、お姉さんに答えようとして、困ってしまった。まーくんと、「知らない人とお話してはいけません」というお約束をしているのだ。

 困ったあーちゃんが、あーちゃんの横に座らせていたゆーちゃんを抱き寄せて考え込むと、お姉さんは「ああ」と何かに気がついたような声をあげて、ポケットからひとつの鍵を取り出した。それを、あーちゃんに見せる。

 鍵には、あーちゃんがまーくんにあげた、フェルトで作ったゆーちゃんのマスコットが付いていた。


 まーくんの鍵だ!

 

 そう思って、あーちゃんは嬉しくなって、お姉さんに声をかけた。

 

「お姉さん、まーくんのお友だち?」

「うん、そうだよ」


 お姉さんはにっこり笑って、あーちゃんと視線を合わせるように屈みこんで、優しく言った。


「『まーくん』に頼まれたんだ。まーくんが帰ってくるまで、一緒にいようね?」

 

 天使みたいにきれいな顔で、お姉さんはあーちゃんに微笑みかけた。

 

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