最悪な休日に見た空の色(号泣×暴露編)
ずるずると生意気な少年に引き摺られてわたしが向かった先は、わたしが初めて来る場所だった。
「……何、ここ?」
「見てわからない? お姉ちゃん、目が悪いの? それとも頭が悪いの? あ、もしかして両方?」
「…………」
むっかつく……!!
「屋上庭園、初めて来たの!」
「なんだ、わかってるんじゃん」
あんたの言い方が、いちいちむかつくのよ、このクソガキ!!
わたしが睨むと、少年はにっこりと嫌味なほどに綺麗な笑顔を向けてきた。顔がいいからっていい気になって……!!
わたしが少年に連れてこられたのは、ショッピングモールの北の端にある大きな遊戯場の屋上だった。
ここは半年くらい前に新しく建てられた施設だ。全部で4階建てで、各階にゲームセンターやカラオケ、ボーリング場、アイススケート場やビリヤードなど、様々な娯楽施設が入っている。それとは別に、広い屋上にはたくさんの種類の木や花が植えられた屋上庭園があり、中には屋上庭園だけを見に来る人がいるくらい、そこは立派な造りをしている。
市街地ではあるものの、周りにあまり高層ビルがないせいで、屋上庭園からの景色は悪いものではない。そういえば、友達がここからは綺麗に夕焼けが見えるって言ってたっけ。
少年はわたしの右手をがっちりと掴んだまま(決して手を繋いではないの、手首を掴まれてるだけなの!)、わたしをベンチのある所まで引っ張っていった。
昼過ぎで日差しが強いせいか、人影はまばらだ。遊戯場の中はこれでもかっていうほど音楽や人の声がうるさかったのに、屋上庭園は酷く静かだった。わたしは少年に促されて、すぐ目の前に転落防止用の高い柵があるベンチに腰掛けた。後ろにある大きな木がちょうど影を作っていたため、日差しに直接さらされることはなかった。
「あんた、ほんとになんなのよ。いきなり人を引き摺ってきて」
「だから、さっきも言っただろ。お姉ちゃんの愚痴を聞いて慰めてあげるって」
……最初は確か「デートしよう」とか言ってなかったっけ? しかも、なんでわたしがあんたに愚痴らなきゃいけないのよ?!
「だってさー、お姉ちゃん。俺に見捨てられたら、どうすんの?」
「はぁ?」
いきなり何言い出すのよ、こいつ。
「なんだか知らないけど、誰かに水掛けられて叩かれて泣いたんでしょ? 俺に今見捨てられて、その後1人で立ち直れるの?」
「なっ……」
「それで、いつも通りの状態で家に帰れるの? ……無理だろ、その顔じゃ」
少年の言葉の途中で、わたしの顔が強張ったのが、自分でもよくわかった。少年もそれに気がついて、あからさまに馬鹿にしたような顔でわたしを見た。
その態度にはむかついたけど、確かにこいつの言うとおりだ。
夜になれば、家に帰らなきゃいけない……帰りたくないけど。
友達の家に泊まる、という手は使えない。だって、そんなに仲の良い子、いないから。
わたしは基本的に、友達とは深い付き合いはしていない。だって、みんなに合わすのって、疲れるんだもの。家に帰って、お父さんと一緒にいるほうがずっと楽しいし有意義だ。友達と話したり買い物をしたりするのも楽しいけど、ずっと一緒にいたいとは全く思わない。話す内容はくだらないことばっかりだし、つまらないもの。
そう、わたしは結局、帰らなくちゃいけないんだ。お父さんの待つ、あの家に。
そう考えたら、ぞっとした。咄嗟にわたしの頭に思い浮かんだのは、いつもの優しくてかっこいいお父さんの笑顔じゃない。
レストランで初めて見た、わたしを叩いたお父さんの怖い顔。
腹の立つ少年のせいで忘れていたけど、お父さんはわたしを怒っていた、それも物凄く。
こんなことは初めてだ。お父さんは、いつもわたしの味方だったから、わたしのことをあんな風に怒ることはなかった。それなのに。
ふと思いついて、バッグの中に仕舞い込んでいたケータイを開ける。マナーモードにしていたからわからなかったけど……着信、15件。メールも8件。全部、お父さんからだった。
「あ……」
思わず、小さく声を出してしまった。メールも着信も、わたしがレストランを飛び出してすぐくらいから、かかってきている。それなのに……履歴は途中から完全に途絶えている。
何が書いてあるのか、怖くてメールは確認できない。何を言われるのか、怖くてリダイヤルできない。
……わたし、もしかして、お父さんに見捨てられた?
そう思ったら、鼻の奥がツンとして――気がついたら、涙が出ていた。
「お姉ちゃんさぁ……。よくもまぁ、俺みたいな年下の子どもの前でいきなり泣き出したりするよなぁ。羞恥心とかプライドとか、そういうの、持ってないの?」
心の底からうんざりしたような声で、少年がわたしに冷たいジュースの缶を押し付けた。わたしはそれを有り難く頂いた。だって、このジュース、わたしのお金で買ったものだし!
少年の言葉に忘れかけていた現実を突きつけられて思わず泣き出してしまったわたしを、最初、少年は実に鬱陶しそうに見ていた。でも、わたしがなかなか泣き止みそうになかったからか、無言でわたしの財布を掴むと遊戯場の中へ向かい、自販機で買えるタオルと冷たいジュースを持って戻ってきた。
勝手に人の財布を持って行かないでよ、とか、色々と言いたいことはあったけど、一応それなりに優しい対応をしてくれたから、文句の言葉は飲み込んで、大人しくそれらの品を受け取った。
「う、うるさいわね……。あんたが酷いこと言うからでしょ?!」
「何が? 何が酷いの? ごく当たり前のことしか言ってないけど?」
「……っ」
悔しいけど、その通りだ。わたしが都合よく忘れていただけで、お父さんや十河母子の問題は解決していない。どう足掻いても、わたしがお父さんと2人で暮らしている以上、家に帰ればお父さんと顔を合わせなくちゃならない。……たとえ、お父さんがわたしのことを見捨てたとしても。
ぎゅっと唇を噛んで、また泣き出したくなるのを耐える。これ以上泣いたら、さすがのこのクソガキも呆れてわたしを見捨てそうだ。
こんな生意気なやつに、話を聞いて慰めてもらうなんて、したくない。
でも、今わたしが頼れる人間は、すぐ隣に座ってわたしを眺めている、こいつ以外いない。
友達に、こんな情けない話も聞かせられないし。何より、いつもわたしの一番の相談相手だったお父さんが問題なのだ。なら、話せる相手は、逆にわたしのことをよく知らない相手に限る。
わたしは覚悟を決めて、少年にレストランでの顛末を話そうとして――あれ、と思った。
「あの、ちょっと、今更なんだけど……。わたし、あんたの名前、聞いてないよね?」
「鼻声可愛くないね、お姉ちゃん」
「はなっ……、そういうことはいちいち指摘しなくていいの! そうじゃなくって、あんたの名前!!」
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗りましょう――っていう常識、知ってる?」
む、むっかつくなぁ、こいつ!!
ぎりぎりと怒りで頬が引き攣るのを感じながら、わたしは少年を睨みつけて名乗った。
「わたしは遠野真奈美。ついでに言っとくと、高1よ。で、あんたは?」
「真奈美ちゃんとお姉ちゃん、呼び方はどっちがいい?」
「ど、どっちでもいいわよ!それよりあんたの名前!!」
「んー、別に俺のは知らなくていいよ」
……は?
「何言ってんのよ、あんた」
「だから、別にお姉ちゃんは俺の名前なんか知らなくていいって。どうせ、今日たまたま会っただけなんだから」
「それは、そうだけど。わ、わたしはちゃんと名乗ったのに!」
「お姉ちゃんが勝手に言っただけだろ? 別に今まで名前知らなくても会話できてたんだから、構わないだろ」
「……それは、まぁ、そうだけど……」
「それとも何? お姉ちゃん、そんなに俺のことを何から何まで詳しく知りたいの?」
変態女、と声に出さずに唇の動きだけで言われて、わたしは思わず「ふざけないでよ!」と叫びそうになって、なんとか堪えた。む、むっかつく……こいつ、ほんとにむかつく……!!
真っ赤になって睨むと、少年は目を細めて馬鹿にしたように笑った。こいつ、性格悪すぎ!! どうやったらこんな悪魔みたいな子どもができるのよ?!
「まぁ、俺のことは天使でも悪魔でも、お姉ちゃんの好きなように思ってくれていいからさ」
またもわたしの心の中を読んだようなことを言って、少年はにっこりと微笑んだ。
「さ、いい加減その情緒不安定の原因と過程を話しなよ。あ、でも思い出し泣きはするなよ。鬱陶しいから」
……ほんとにわたしを慰める気があるの? こいつ。
胡乱に思いながらも、他に相談できる人間もいないから、わたしはとにかく今日あったことを話し出した――普通、このくらいの年齢の子に聞かせるような話じゃないけど、こいつが外見以上に精神的に育ってるのは嫌ってほど理解したから、世間一般的な常識とか配慮はとりあえず横に置いといて。
死んでしまったお母さんのことも含めて、気がついたら、わたしはお父さんにも言ったことのない内容まで、たくさんのことを少年に吐き出していた。彼は相槌を打つだけで、全く口出しをせずにわたしの話を聞いていた。
そして、全部話し終わって、わたしが一息ついたときに、彼はおもむろに深く溜息をついて、わたしを心の底から馬鹿にしたような、呆れたような、うんざりしたような目で見て、
「お姉ちゃん。……お前、いまどき珍しいくらいの大馬鹿者だろ」
と、不愉快そうに口を歪めて言った。
な、なんでよっ?!