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仏典の勝手な脚色ノベルシリーズ

てきとー訳 縁起経 ~ 苦しい理由の説明「十二縁起」

作者: 阿僧祇

 

 今回はちょっと難しいお経でして、あんまり初心者向きには翻訳できませんでした;


 ここで語られる「十二縁起」はいわゆる「原始仏典」と呼ばれる経典にも出てくる、小乗大乗の全宗派に共通して前提となってた概念でしありまて、「ゴータマ=ブッダは瞑想中にこれについて考えてるうちに人間の苦しみの正体を理解して悟りを開いた」……という説もあるほど重要なものらしいです;


 ぶっちゃけると、「なんで人間は存在してて苦しい人生を送るハメになるのか、その理屈を説明してみろ、オラァ!」……という分析結果が「十二縁起」でして。


 もとから複雑で難しい概念ではありますが、中期大乗仏教のころになるとさらに細かく分析され、専門用語に専門用語が重ねられた高度な哲学となっておりました;


 奈良時代の仏教諸派にこういう哲学の学習に比重を置く傾向があったため、一般の人々には理解しにくくて朝廷や民衆の支持を失った、という話が日本史の教科書などに書かれてますね(実際の事情はそこまで単純なものじゃないだろうけど)。

 しかし現代人は、義務教育によって多少は勉強に慣れており、SF物語の物理解説などもあるていど理解できる論理能力を持ち、厨二病を経験したりしたこともあるから、奈良時代の人々よりは理解に有利なはず!! (>_<)o


 さて『西遊記』で有名な三蔵法師玄奘先生が翻訳した経典の中に、この十二縁起を説明した一巻がみつかりました。

 

 その内容は、いわゆる「苦・集・滅・道」の四諦(四段階の悟り)でいう「集諦」にあたるもの。最初の段階「苦諦(生きてるとは苦しいこと)」を理解してることが前提で、次の第二段階の悟りについて語られております。


 これ、筆者も表面的にしか解ってないし、座禅とかやりこんでの体感がないと、いくら理屈をこねまわしても結局は本質を理解できないんじゃないかという気はしますけども……でもまあ素人なりにわかった範囲で、専門用語の解説を入れつつがんばって翻訳してみます。

 現代常識(「物質が存在するから心が認識する」)からかけ離れた難解な唯識論(「心が認識するから物質が存在する」)の世界の入口……お釈迦さんが語ったという「人が苦しみを感じる原因の分析(集諦)」に、しばしお付き合いくださいませ~、、、


 あっと、独学の素人なので解釈を間違てる部分もあるでしょうが、おおやけの場でバカにされると凡夫ゆえ腹立って対応しにくくなるから、そういう場合はひっそりと修正できるようこっそりと教えてくださいませ~、、、(^^;A

 


 三藏法師 玄奘 奉詔譯

 ど素人 阿僧祇 てきとー訳

 


 

 縁起經一巻


 如是我聞一時薄伽梵在室羅筏住誓多林給孤獨園與無量無數聲聞菩薩天人等倶爾時世尊告比芻衆吾當爲汝宣説縁起初差別義……


 縁起(原因と、その影響として起こる現象との関係)についてのお話、一巻。 


 このように、俺っちゃ聞きましてな~。


 あるとき薄伽梵バカヴォン(世尊、ブッダの敬称)は室羅筏シュラヴァスティの都の近郊、誓多ジュータ林の給孤獨アナータビンディカ園に、無量無数の声聞しょうもん(直弟子)・菩薩(大乗仏教の修行者)・天人(天界の住人、天部)たちとともに住んでましてん。


 で、そんなとき、世尊は比芻衆ビクシュ(出家した修行者)たちにこう告げたそうですわ……。



「キミたちに、縁起の、初義しょぎ(基本的な概念)と、差別しゃべつ(細かい区別)について話そうか。気を付けて聞いて、後でよ~く考えてネ。」

比芻衆たち「うわ、ブッダのお言葉、楽しみです!」


「じゃあまず初義からね。いわゆる、


 『此れが有る縁で彼が有る

  此れが生じる縁で彼が生じる』


「まずこれが前提だよ、縁(関係ある原因)のない起(結果として起こる現象)は無いからね。で、この原則から言えるのが、いわゆる、


 01)無明むみょうが縁でぎょうが生じる。

 02)行が縁でしきが生じる。

 03)識が縁で名色みょうしきが生じる

 04)名色が縁で六処が生じる

 05)六処が縁でそくが生じる

 06)觸が縁でじゅが生じる

 07)受が縁であいが生じる

 08)愛が縁でしゅが生じる

 09)取が縁でゆうが生じる

 10)有が縁でしょうが生じる

 11)生が縁で老死ろうしが生じる

 12)老死が縁で嘆き・憂い・悩み・苦しみが生じる

 (いわゆる『十二縁起じゅうにえんぎ』or『十二因縁じゅうにいんねん』)


「こうやって人々は大いに、苦しさを心身へと集めてしまうわけだ。このように、縁(原因と関係)があって起こる(結果)関係なので『縁起』といいますネ。」


 ここ、以下の目次みたいなものなので、そのおつもりで;

 

「さて、次はそれぞれの要素についての差別(詳細の分析)だヨ。


01)

「まずは、無明が縁で行が生じる。無明とは何かというと、

 A)ものごとの前を知らず、後を知らず、前後(現在)も知らない。

 B)中身を知らず、外側も知らず、内外も知らない。

 C)自分の行いを知らず、その結果も知らず、行いと結果(経過や関係)も知らない。

 D)ブッダ(目覚めた人)を知らず、ダルマ(真理の法則)を知らず、サンガ(真理を求める人々)も知らない。

 E)について知らず、じゅう(苦の原因)について知らず、めつ(原因を取り除く理論)について知らず、どう(その方法)についても知らない。

 F)因(原因)を知らず、果(結果)を知らない。

 G)どんな原因で真理の諸法則が生じてるのか知らず、善いことも知らず、善くないことも知らない。」

 H)罪があることを知らず、罪がないことも知らない。

 I)身に着けたことも知らず、身に着けてないことも知らない。

 J)劣ったことを知らず、優れたことも知らない。

 K)黒を知らず、白も知らない。

 L)何がどう違うのか知らない。

 M)縁(原因との関係)によって生じた六処(感覚器官)がものごとを知覚するということを知らない。

「このように、何がどうなってこうなるんだということを何~んも知らない。何~んも見ないし、どう見ればいいかさえも知らない。こういう愚かな疑い(正しくない考え)、明かりの無い暗闇のこと。

「これが無明ってやつです。」


02)

「無明が縁でぎょうが生じる。行とは何かっていうと、行には三種類があって、いわゆる

 A)身行 (体ですること)

 B)語行 (言葉に出すこと)

 C)意行 (心が思うこと)

 (あわせて『三業さんごう』)

「これが行ってやつです。」


03)

「行が縁でしきが生じる。識とは何かっていうと、いわゆる身体で受ける六識だ。

 1)眼識 (視覚)

 2)耳識 (聴覚)

 3)鼻識 (嗅覚)

 4)舌識 (味覚)

 5)身識 (触覚)

 6)意識 (感覚)

 (知覚そのものではなく、それぞれの感覚が働く現象のこと)

「これが識ってやつです。」


04)

「識が縁で名色みょうしきが生じる。名(認識されること)とは何かっていうと、いわゆる無色蘊(物質的じゃない要素)のこと。

 1)受蘊 (感覚を受ける)

 2)想蘊 (心が反応する)

 3)行蘊 (体が反応する)

 4)識蘊 (認識や記憶に残る)

 (いわゆる『受想行識』、人間の知覚と行動の原理)

「で、色とは何かっていうと、いわゆるいろんな存在、すべての四大種(地水火風)と四大種からできてる存在(あらゆる物質)だ。存在には名がある(認識される)から、合わせて『名色』って呼ぶんだ。

「これが名色ってやつです。」


05)

「名色が縁で六処ろくしょが生じる。六処とは何かというと、いわゆる六内処(体にある6つの器官)のことで、

 1)眼内処

 2)耳内処

 2)鼻内処

 4)舌内処

 5)身内処

 6)意内処

 (これは説明不要……ですよね;)

「これが六処ってやつです。」


06)

「六処が縁でそく(触)が生じる。触とは何かっていうと、いわゆる六触身のことで、

 1)眼触 (眼で見る)

 2)耳触 (耳で聞く)

 3)鼻触 (鼻で嗅ぐ)

 4)舌触 (舌で味わう)

 5)身触 (身体でさわる)

 6)意触 (心で思う)

 (ようするに感覚器官が対象と接触して刺激が発生する)

「これが觸ってやつです。」


07)

「触を縁にじゅが生じる。受とは何かっていうと、受には三種があって、いわゆる

 A)楽受 (気持ちいい感覚)

 B)苦受 (嫌な感覚)

 C)不苦不楽受 (嫌でも気持ちよくもない感覚)

 (接触すると 快感/不快感/どーでもいいけどとりあえずわかった感 のどれかが生じる、ということ)

「これが受ってやつです。」


08)

「受を縁にあいが生じる。愛とは何かっていうと、愛には三種があって、いわゆる

 A)欲愛 (欲求に基づいたこだわり)

 B)色愛 (物質に原因するこだわり)

 C)無色愛 (精神的な理由のこだわり)

 (現代でいうポジティブなイメージの『愛』とは違い、『こだわり』とか『執着』とかの原因となるネガティブな概念)

「これが愛ってやつです。」


09)

「愛を縁にしゅが生じる。取とは何かっていうと、いわゆる四取のこと。

 1)欲取 (快感への執着)

 2)見取 (正しくない見解への執着)

 3)戒禁取 (象徴や手順への執着)

 4)我語取 (自分の主義主張への執着)

「これが取ってやつです。」


「取を縁にゆうが生じる。有とは何かっていうと、有には三種あって、

 A)欲有 (好悪の印象のある存在)

 B)色有 (感情には関係なくとりあえずあるもの)

 C)無色有 (物質的には確認してないけどあると認識されているもの)

「これが有ってやつです。」


10)

「有を縁にしょうが生じる。生とは何かっていうと、いわゆるあれこれの有情うじょう(心のある存在たち)、あれこれの有情みたいなもの、もろもろの生きるものは生まれる所から蘊(身体の構成要素)を持って現れる。そうやって宇宙に発生して、居場所と体を得て、生き物は命の根が発生して出現する。

「これが生ってやつです。」


11)

「生を縁に老死ろうしが生じる。老死とは何かっていうと、いわゆる、

 A)髪が衰えて色も変わり

 B)皮膚が弛んで皴が増え

 C)体が衰えてあちこち傷み

 D)背が曲がって染みが増え

 E)息が切れやすく早くなり、喘ぐようになり

 F)顔や姿が若いころより醜くなり

 G)杖の類に頼るようになり

 H)味覚が衰え

 I)いろいろなものを失い衰え

 J)感覚器官が衰えて鈍くなり

 K)役に立たなくなって

 L)体のあちこちが動かなくなって

 M)腐敗しだす

「これが老ってやつです。で、死とは何かっていうと、

「いわゆるあれこれの有情、あれこれの有情みたいなものが、ついに壊れ尽くして没し、寿命が尽き誰にも助けられず、命の根もなくなって、その体の要素もみんな棄てなきゃならず、運も尽きて死ぬ。

「これが死ってやつです。老いると必ず死ぬから、合わせて老死と呼びます。」


「12)は説明するまでもないよね。以上が、縁起の『差別』、専門用語に関する説明でしたっ☆

比芻ビクシュのみなさん。私の説明はもう終わったから、こんどは皆さんがその意義(問題の本質と解決方法)について分析し考える(黙想や議論をする)時ですヨ」


 薄伽梵バカヴォンがこの経(伝えるべき教え)を説き終わるってーと、声聞・菩薩・天人衆の皆はん、ブッダの教えを聞けたことに大歓喜しちゃって、今までになかったほどおおいに信じて行うことにしたんやとさ。めでたし、めでたし。



 縁起について伝えること一巻、えんいー(¥e)。

 


 

 このお経では「苦しい理由」の説明だけで終わりですが、じゃあどうすれば「嘆き・憂い・悩み・苦しみ」を無くせるのか、それは最後にブッダが聴衆のみなさんに宿題としたわけですね。

 しかし冒頭に二行のヒントが提示されてますから、具体的な方法はともかく、方向性を見つけるのはそれほど難しくないでしょう。


 ただし、哲学は面白いけどところどころに罠があり、理屈のための理屈にハマッて自縄自縛となることも多々あります。ブッダの悟りは言葉にすると「群盲、象を撫でる」(※ある人は尾、ある人は足、ある人は牙、ある人は鼻、といったように一部分しか認識できず、たしかにそれも正しいのだけれどそれだけが絶対で他は間違いと思い込むこと)という状態だそうですから、思惟は深めつつも言葉で表現することに拘らないよう、そして拘らないことにも拘らないよう(?)おたがい気をつけませう;


 こうして集諦を理解することで般若心経とかの『滅諦』の経典が何を言いたいのかだんだんわかるようになり、さらにその先が『道諦』の経典……いやー先は長えぜwww

 


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