星読師ハシリウス[王都編]12『冥界の使者』を打ち払え(3)
『冥界の使者』4部作の3話目です。
今回は、前半シリアスになります。ハシリウスの少年らしい優しさと、弱さが垣間見えます。
五の章 摂政ソフィア
新暦アクエリアス824年光の月1日、ヘルヴェティア王国では大きな出来事が起こった。前年から体調を崩しがちだった女王エスメラルダ3世が静養のため一時政務を離れ、王女であるソフィアが摂政として国政を総攬することが正式に発表されたのだ。
時にソフィア・ヘルヴェティカ18歳。アカデミー在学中の摂政は前女王のアナスタシア3世の例があったが、王立ギムナジウムに所属したままでの摂政就任は前例がないことだった。
当然、就任前には大賢人ゼイウスや大元帥カイザリオンをはじめとして、四人の『谷の君主』たちもソフィアの意向も含めて十分に協議した。その結果、ソフィアがアカデミーに入学するまでの間、『花の谷』の君主でソフィアの従姉に当たるアルテミス・ファン・ヘルヴェティカが後見役としてヘルヴェティカ城に在城し、ソフィアの勉学中には替わって政務を見ることとなった。
「アルテミス卿、お世話をかけます」
ソフィアは、摂政としての公務を開始するに当たり、アルテミスを親しく『政務の間』に召してそうあいさつした。
「いいえ、ソフィア様こそ大変でしょう。私も叔母上の助けとなるよう、一生懸命補佐させていただきます」
アルテミスは、ソフィアのもとから下がると、
「ソフィア様はまだ18歳なのに、落ち着いておられた。いい女王になりそうだわ」
そうつぶやいてニコリとした。
「王女様は落ち着いて接見を終えられました。各国大使も王女様の威厳にうたれた様子でした」
エスメラルダ3世は、自室でソフィアの接見の様子を侍女から聞き、ベッドの上で満足そうにうなずいた。そして侍従長に静かに言う。
「私は、女王としても、母親としても、ソフィアに迷惑ばかりかけています。私が初めてアナスタシア3世の摂政として国政に参画させていただいたのは、ソフィアの子育てがひと段落した36歳の時。その後4年は摂政としていろいろな経験を積めたのですが……それを思うと、ソフィアが不憫でなりません」
それを聞いて、侍従長は優しい笑みを浮かべて言う。
「では、王女様を親しく呼ばれて、ゆっくりと話でもされたらいかがですか?」
40歳で女王位を継いで5年目になるエスメラルダだが、最初の3年は干ばつなどの天変地異が続いた。それが収まりかけた時、100年に1度と言われる『大いなる災い』が近づいていると分かり、本当に心安らかにしたことは全くない5年間だったのだ。
「そうしましょう。ソフィアの時間ができしだい、ここに案内してください」
エスメラルダはそう言うと、続いて
「ハシリウス卿にも同席していただきたいと思います。ぜひ、ハシリウス卿も召してください」
そう侍従長に頼み、ゆっくりと目を閉じた。
王立ギムナジウムでは、午前の授業が終わった時だった。アクア教諭が教室を出て行くと、ハシリウスの席にアマデウスが来て言う。
「よっ、ハシリウス。たまには一緒に昼飯でも食べないか?」
「ああ、それもいいな。何食べる?」
ハシリウスが立ち上がりながら言うと、アマデウスはうっとりとした顔で
「う~ん、ここの学食、何でも美味いからなぁ。あと2か月くらいで食べられなくなると思うと、名残惜しいよなぁ」
という。ハシリウスも笑って言った。
「じゃ、毎日違うものを頼もうか」
「おっ、それいいね! じゃ、早いとこ行こうぜ。席がなくなっちまう」
立ち上がって教室を出て行こうとした二人に、ジョゼとティアラが話しかける。
「何々、ハシリウスとアマデウス、男同士でどこ行くの? のぞき?」
ジョゼの冗談に、ハシリウスが笑って答える。
「まさか。今から学食さ」
「おお、ジョゼフィンちゃんとティアラちゃん。お昼一緒にどう?」
アマデウスがここぞとばかりに二人を誘う。ティアラがしっぽをピン!と立てて訊く。
「えっ、私たちも一緒に行っていいの?」
「どうぞどうぞ、可愛い子がいるとご飯がより美味しくなるからね」
アマデウスがニコニコして言い、ハシリウスも
「アマデウスの意見に賛成するよ。ジョゼたちも一緒に行こう」
そう言って笑ったときに、ちょうどポッター校長がハシリウスを見つけて呼びかけて来た。
「おお、ハシリウス・ペンドラゴン君、ちょっと緊急の用事があるので、校長室に来てくれませんか?」
ハシリウスは、ポッター校長の温顔を見て、三人に笑って言った。
「すまん、明日は一緒にご飯食べよう」
「どうぞ、かけなさい」
校長室の分厚い木の扉を閉めると、ポッター校長はニコニコしながらハシリウスに椅子を勧める。ハシリウスが長椅子に腰かけると、ポッター校長はその向かい側に腰かけて
「ハシリウス君、セントリウス猊下のお具合はいかがかな?」
そう訊いてきた。ハシリウスは微笑んで答える。
「だいぶ回復されたようです。もう『蒼の湖』の辺に戻っておいででした」
それを聞いて、ポッター校長はほっと溜息をついて言う。
「それは良かった。私は、セントリウス猊下の弟子である賢者キケロ様から薫陶を受けたからね。『冥界の使者』にケガを負わされたと聞いた時は生きた心地がしなかった」
「そうですか」
ハシリウスは、ポッター校長がセントリウスの孫弟子であることを初めて聞いて、少々の驚きと共にそう言う。世の中、広いようで狭いものだ。
「これから君も、アカデミーで賢者セネカ殿から薫陶を受けることだろうが、セネカ殿もソロン殿も、ゼイウス猊下の師であるクロノス猊下の薫陶を受けた方々だ。この国の魔法の系統は、君の一族であるペンドラゴンの系譜と、ゼイウス猊下の属するパンテオンの系譜と、おおむね二つに分かれる。そのことは覚えておいた方がいい」
ポッター校長は、優しい顔でハシリウスに言った。ハシリウスはうなずくと
「校長先生、その二つの系譜に属する方々は、仲が悪いのでしょうか?」
そうズバリと訊いた。ポッター校長はニコニコして答える。
「クロノス猊下とセントリウス猊下は、非常に仲が良かった。今のゼイウス猊下もセントリウス猊下を尊敬しておられる。だから、セントリウス猊下がご存命のうちは、二つの系譜にきしみが出ることは少ないだろう」
そこまで言うと、ポッター校長は急に表情を引き締めて言った。
「しかし、次の代になると分からない。この王国はずっとペンドラゴン系の魔術師が大賢人を務めて来た。けれどここ3代はパンテオン系列から大賢人が出ている。次の次は君が大賢人を務めることに誰も異議を唱えないだろうが、次の大賢人は衆目の観るところ、エンドリウス魔術師長かレヴィ内務長の二人だ。レヴィ内務長はペンドラゴン系でもパンテオン系でもなく、マーリン系列ということになる。まあ、マーリン猊下はヴィクトリウス猊下の盟友であったから、準ペンドラゴン系列と言ってもいいが」
ハシリウスは、『次の次』に挙げられたことで頬を少し赤らめたが、ポッター校長の言葉を遮ることはなかった。
「どなたが大賢人になられようと、3つの系列それぞれで研鑽し、みんなのためになる魔法を開発していけばいいではないですか?」
ハシリウスがそう言うと、ポッター校長はうなずいて言う。
「そのとおりだよ、ハシリウス君。君の意見は正しいし、そうであってほしいと私も思っている。けれど、『闇の使徒』が生まれた経緯が、クロイツェンとグローリウス猊下との純粋に学術的な検討だったことを考えると、『系列』というものの罪深さを見ることができる。君はまだ若いが、君の行動は国の偉い人も注目しているところがある。自分の言葉が思わぬ影響を与えることもあることは、忘れないでおいてほしい」
ハシリウスは、ポッター校長が本当に自分を心配していることを感じて、胸が熱くなった。思えば、2年生の中盤から、校長は自分のせいで振り回されっぱなしだったのだ。
「ありがとうございます。校長先生の教え、忘れません。それに、僕はずっと校長先生にご心配かけたり、ギムナジウムに迷惑かけたりしていました。そのことはここで謝らせてください」
するとポッター校長は、笑って言った。
「はっはっ、君はこのギムナジウムに大変貢献してくれたんだよ? 久しぶりの賢者セネカ猊下ご自身の研究室への合格、ギムナジウム生徒としては破格の王室のご配慮。数え上げたらきりがない。それを思えば、君のことで振り回されるのは大変楽しかった。私の校長生活でも最も充実した期間だったよ」
そして、ポッター校長はハシリウスを慈愛に満ちた表情で見つめて
「つい、私事を先に話してしまった。実は、女王陛下直々に君をお城に呼ばれている。これが招請状だ。すぐに行って差し上げたらいい。アクア先生には私から話をしてあるから」
そう言いながら、王室からの招請状をハシリウスに手渡した。招請状には、こう書いてあった。
『ハシリウス・ペンドラゴン卿へ。時間が取れ次第、登城していただければ幸甚です。摂政の件で重要な要件あり。新暦824年光の月1日、エスメラルダ3rd.』
「分かりました。行ってまいります」
ハシリウスが門衛に招請状を見せると、すぐさま内城から使いがやって来て、ハシリウスを女王の私室へと案内した。直接の臣下ですら女王の私室に入ることはまずない。それを、『大君主』でなければ一介のギムナジウム修習生でしかないハシリウスが通されるのは異例も異例であった。
トントントン、ハシリウスは静かにドアをノックする。すると中から
「お入りください。ハシリウス・ペンドラゴン卿」
と、ソフィアの声がした。
「失礼いたします」
ハシリウスはそう言いながらドアを開ける。
「遠慮せずに入って、ハシリウス」
ソフィアが言うが、ハシリウスはベッドから身を起こしているエスメラルダを見つめていた。そしてエスメラルダが
「どうしました、ハシリウス卿。遠慮せずに中に進みなさい」
そう言うのを聞いて、
「では、失礼します」
と、部屋に入り、ドアを閉めた。そして部屋の中を見回す。ハシリウスが呼び出しを受けた時に想像したとおり、この部屋には女王陛下とソフィア、そして自分しかいないようだった。
「ハシリウス、そこにかけて」
ソフィアが、女王のベッドの横に置かれたソファを指さす。そのドア側の端にハシリウスが腰かけると、ソフィアは女王を見る。女王はニコリと笑ってうなずいた。
そのうなずきを見て、ソフィアは枕元近くに置かれた椅子から立ち上がり、ハシリウスの隣に腰を下ろす。女王はそれを見て満足そうにうなずいて言う。
「ハシリウス卿、今日あなたをお呼びしたのはほかでもありません。卿もご存じのとおり、本日からソフィアは摂政として公務に携わる身となりました」
「ソフィア姫のことですから、きっと滞りなく公務を進められることと思います。陛下も御心安らかにご養生されて、一日も早い本復をご祈念申し上げます」
ハシリウスが言うと、女王はいたずらっぽい目をして言う。
「ハシリウス卿、あなたがいる限り、『大いなる災い』については何も心配いたしません。ただ一つ、私は自身では如何ともしがたいことで悩みを抱えています」
「何でしょうか、私でできることでしたら、何でも致しますが」
ハシリウスが心配顔で言うと、ソフィアがサッと顔を赤くした。それを見て、エスメラルダはにこやかに笑ってハシリウスに訊く。
「今、『何でも致します』と聞こえましたが、私の聞き違いでしょうか?」
「いえ、そう言いました」
ハシリウスがキッパリという。それを聞いてエスメラルダはクスリと笑って
「そうですか。それはありがたいことです」
と言い、ハシリウスの眼を見つめて言った。
「では、お願いがあります。ハシリウス卿、私の願いを聞いてくださるか?」
「はい、何なりと」
ハシリウスは心配顔で言う。ソフィアは真剣なハシリウスの顔を見て、チクリと心が痛んだ。やっぱり、こんないいひと、他にいない。
「ハシリウス卿、ソフィアの婿になってくださいませんか。もちろんすぐにとは言いません。『大いなる災い』の後のことにはなるでしょう」
エスメラルダの言葉の意味を、ハシリウスはたっぷり1分間は考えていた。その沈黙を何と考えたのか、エスメラルダはさらに衝撃的な言葉を口にする。
「ハシリウス卿がお望みなら、今すぐにでもよいですよ? 女神アンナ・プルナ様には、既に卿とソフィアの件は申し伝えておりますゆえ」
「……えっと、ソフィア、これはどういう?」
困ってしまったハシリウスが、隣に座っているソフィアを見る。けれど、ソフィアは真っ赤な顔を両手で押さえるようにして、
「いやん、ハシリウス。そんなことしちゃ……」
と、何か、悶えている。
ハシリウスは、はあっとため息をつくと、女王に一礼して
「ゴメン、ソフィア」
そう言って両頬を引っ張った。
「きゃん!」
ソフィアがそう言って、こっちの世界に戻ってくる。そして、まだ赤い顔のまま、ハシリウスに訊いた。
「……私、何かハズカシイこと言いました?」
ハシリウスはうなずいて言った。
「今日は、君の中でどんな妄想が大暴走していたか分かったよ」
するとソフィアは耳まで赤くして
「えっ! は、ハシリウスのえっち! 知りません!」
と、ハシリウスをポカポカ叩いてくる。ハシリウスは困ったように笑ってエスメラルダに言った。
「失礼しました。てっきりご健康のことでの星読みか、星の祀りのことかなと想像していましたので」
エスメラルダはうなずいて
「卿らしいですね。だからこそ私は卿にソフィアの行く末を頼みたいのです。ぜひ、うんと言ってもらえませんか?」
「ちょっとお待ちいただけますか?」
ハシリウスは慌ててそう言うと、ソファから立ち上がって窓の方へ行き、胸の前で手を組んだ。星に訊いてみようと思ったのだ。
やがて、ハシリウスはゆっくりと戻ってきて、ソファにどっかりと座った。心なしか顔色が悪く、そして疲れた表情になっている。
「ハシリウス?」
ソフィアが心配してハシリウスの顔を覗き込み、その目に涙が浮かんでいるのを見てハッとする。
「ハシリウス……」
ソフィアはハシリウスが天の28神人に未来を聞いたのだろうと見当をつけていた。その未来はどんなものだったのか、知りようがないだけにソフィアは不安になってハシリウスの手を握りしめた。
やがてハシリウスは顔を上げて、はっきりとした口調で言う。
「分かりました。陛下のご希望に沿い奉ります。ただ、その時期は私が辺境から帰って2年後になります」
「おお、そうですか。これで私の肩の荷も下りた気がします。ハシリウス卿、ソフィアをよろしくお願いしますね」
斜めならず喜ぶエスメラルダを見ながら、ソフィアは疑問を抱えていた。それは、
――ジョゼはどうなるの?
ということだった。ハシリウスはジョゼと付き合っていて、ジョゼもハシリウスとの結婚を楽しみにしているはずだ。ハシリウスが簡単に恋人を捨てたり、裏切ったりするような男ではないことは、長い付き合いであるソフィアにもよく分かっていた。すると……ううん、想像したくない。
その日、エスメラルダはことのほか機嫌が麗しく、心なしか体調も良くなっているようだった。苦労ばかり掛けている愛娘の行く末を、自分が見込み、娘も思い慕っている男に頼んだことで、安心したからに違いない。
けれど、ソフィアはハシリウスとの結婚が期限付きではあるものの確定したことより、ハシリウスの涙とジョゼのことが気にかかって、素直に喜べないでいた。
★ ★ ★ ★ ★
ハシリウスは、ヘルヴェティカ城を出るとギムナジウムの寮ではなく、『蒼の湖』の辺に住んでいるセントリウスを訪ねた。
「おお、久しぶりじゃなハシリウス。元気にしていたか?」
セントリウスは、ハシリウスを見ると笑顔を作って小屋に迎え入れる。ハシリウスは黙って椅子に腰かけた。
「今日はジョゼ嬢ちゃんとは一緒じゃないのか?」
セントリウスがそう言うと、ハシリウスはぽろぽろと涙をこぼし、
「おじい様、ジョゼが、ジョゼが……」
そう言うと、後は大声を上げて泣き出した。
「大君主様……」
星将ポラリスが顕現し、優しくハシリウスの背中をなでる。セントリウスはゆっくりと立ち上がり、木のコップに木の実のジュースを注ぐと、ハシリウスの前においた。
そして愛用のパイプを取り出すと、ゆっくりと煙草に火をつけた。紫色の煙が立ち上がり、その匂いはハシリウスの鼻腔をくすぐる。懐かしい匂いだった。
――僕が小さかった頃、おじい様の膝の上で星の運行図を説明してもらっていたな。
ハシリウスはそう思うと、少し心が落ち着いた。気が付くと周りには星将ポラリスだけでなく、星将シリウス、デネブ、トゥバン、ベテルギウス、アークトゥルス、スピカらが優しい顔で立っていた。
「……お前たちの未来について、星を読んだか?」
やがてセントリウスがゆっくりと言う。ハシリウスは顔を上げてうなずいた。
「その顔では、お前は自分の未来について納得しておらんようじゃのう」
セントリウスの言葉に、ハシリウスはうなずいて言う。
「だって、ジョゼが……あいつはいつだって僕のことを一番に考えてくれているのに」
「それでもジョゼ嬢ちゃんが幸せだとしたらどうじゃ?」
セントリウスが言う意味が分からず、ハシリウスは訊き返す。
「ジョゼが、幸せ?……どうしてそう言えるの?」
セントリウスは優しい目を利発な孫に向けて言う。
「ジョゼ嬢ちゃんが半神になった時、嬢ちゃんは自分の未来について見通しているとしたら?」
「そんな……そんな……。だとしたらどうしてあいつは、あんなに朗らかに笑えるんだよ! 自分の未来が分かっていて、どうして僕に『気にするな』なんて言えるんだよ!」
ハシリウスの脳裏に、半神になって以降のジョゼの笑顔が次々と浮かぶ。あいつの笑顔は、全然変わっていない。それが自分の未来を知った上でのことならば、ハシリウスはジョゼが愛しくてたまらなかった。
「セントリウス、星は変えられますか?」
ポラリスが言う。デネブも涙を浮かべている。二人とも、ジョゼとハシリウスの未来についてのセントリウスの星読みにショックを受けたことがある。
「運命は、変えられぬこともない。ただし、どう変わるかは、神の思し召しじゃ」
セントリウスの言葉に、ハシリウスは唇を引き結んだ。そして、はっきりと言う。
「だったら、僕は、この未来を変えたい。ジョゼには幸せになってもらいたいから」
星将シリウスが優しい目をして言う。
「うん、ハシリウス、お前は『大君主』だ。この世の理を知り、すべての人々に安寧を与える『大君主』だ。俺は、お前は歴代『大君主』の中で一二を争う王道を行く『大君主』だと思っている。だから俺は信じている。お前にできないことはないとな」
その言葉を聞いて、ハシリウスは笑って星将たちに言った。
「ありがとう。僕はきっと、自分も含めてすべての人々に安寧を与えられる『大君主』になってみせるよ」
★ ★ ★ ★ ★
「あら、珍しいわね。長期の休みでもないのに家に帰ってくるなんて」
エカテリーナは、突然のハシリウスとジョゼの帰宅に驚いて言う。無理もない、ハシリウスの自宅は同じシュビーツの中にあり、寮とは何キロしか離れていない。それでも夏休みや正月休みでも寮にいてろくすっぼ帰宅したことがない二人だったからだ。2年生の正月休みに、ハシリウスがケガをしたため帰省して以来だった。
「うん、ボクもびっくりしたよ。ハシリウスったら急に『家に戻ってみないか』なんて言うんだもの」
ジョゼも目を丸くしている。けれどハシリウスはニコリと笑って
「久しぶりに母上のヘルヴェティアンを食べたくなったのさ」
そう言うと、さっさと自分の部屋に荷物を置きに上がっていく。それを見てジョゼは肩をすくめて言う。
「おかしいな。ハシリウスってばきっと何か良からぬことを考えているんだ」
するとエカテリーナは、くすくす笑って言う。
「そうね、寮じゃイチャイチャできないから、実家で思い切り甘えたいんじゃないかしら? あの子は小さい時から甘えんぼだったから」
「え? あ、お、お母様。冗談キツイです」
ジョゼが顔を真っ赤にして言う。けれど、エカテリーナはそんなジョゼにウインクして言った。
「あら、でもジョゼはここに帰ってくるたびに美人になっているわよ? それに今日は珍しく二人とも手をつないで帰って来たじゃない。何か二人が小さかった頃を思い出して懐かしかったわ」
ジョゼは6歳の時からハシリウスの家で姉弟同然にして育てられた。その頃を思い出して懐かしむようなエカテリーナに、ほんわかした気持ちを感じてジョゼは言う。
「ぼ、ボク、荷物置いてきたら、晩ご飯の支度手伝います」
「うわ、このミートパイ、すごくいい味だ。さすが母上だな」
その夜、ハシリウスはジョゼとエカテリーナとともに、久しぶりに実家のご飯を満喫していた。エンドリウスは例によって魔術師寮に泊まり込みなので、帰りは明日の昼になる予定だった。
「ふふ、実はこのご飯、ジョゼが作ったものなのよ?」
エカテリーナがそう言うと、ハシリウスはびっくりして言う。
「えっ! 母上の味付けそっくりだったけれど……ジョゼ、お前、料理上手になったとは思っていたけれど、凄いな」
するとジョゼは胸をそらしていばる。
「そーでしょそーでしょ? 美味しいでしょ? もっとボクを褒めなさい☆」
「うん、ジョゼは料理も上手になったし、すごく可愛らしくなったと思うよ」
ハシリウスが優しく言うと、ジョゼは途端に顔を赤くして
「なっ!……どうしたのさハシリウス。何か気味が悪いくらい優しいじゃない? 褒めても何も出ないよ?」
そう言って大げさに身体を震わせる。ハシリウスは苦笑して言う。
「別に褒めたわけじゃないよ。本当のことを言っただけだ」
「それ! それが気味が悪いって言うんだ。今までハシリウスって、ボクの事からかったり、バカにしたりばかりだったから、なんで今回そんなに優しいのか気味が悪い。何か良からぬこと考えてるでしょ?」
ジョゼが詰め寄るのに、ハシリウスはニコリと笑って
「だって、俺とお前はもう恋人同士なんだから、お前のこと大切にしたいんだ。ただそれだけだよ」
そう言うと、エカテリーナがうなずいて言う。
「そう、そうだったの。私はジョゼならあなたに相応しいと思っていたから、二人が相思相愛ならうれしいわ。改めてよろしくね、ジョゼフィン・シャインさん」
「なっ! は、ハシリウス、お母様の前で今そんなこと言わなくても……うぅ、こんなの反則だよぅ……」
ジョゼは頭から湯気が出るほど顔を真っ赤にし、わたわたとしていたが、エカテリーナがニコニコして自分のことを見ているのを見ると、
「……よろしくおねがいします、お母様」
と、それでもしおらしくエカテリーナにあいさつをするのだった。
その夜、ハシリウスやエカテリーナとで食事の後片付けを終えたジョゼは、湯船につかりながら幸せに浸っていた。いつかはエカテリーナに二人が恋人になったことを報告しなきゃと思っていたジョゼだったが、まさかハシリウスがあんなにさらりと報告してくれるなんて思ってもいなかったのだ。
「ハシリウス、かっこよかったな……」
ジョゼはそうつぶやく。6歳の時に両親を失ってから、ずっと家族の暖かさに憧れて来た。家ぐるみの付き合いがあったハシリウスのところに引き取られたけれど、やはりどこかに遠慮があったのだ。
いつしか、姉弟同然に育ってきたハシリウスに対して恋心が芽生え、『ハシリウスとボクの家族が持てたらいいな』がささやかなジョゼの夢になっていた。その夢が叶いそうである。
「お父さん、お母さん、ボク、すごく幸せだよ」
ジョゼは、今回ハシリウスが帰省したのは、ボクたちのことを報告するためだったのかもしれないと思い至った。だったら、ハシリウスにお礼言わなきゃ。
ジョゼは、お風呂から上がると、そのまま2階にある自分たちの部屋へと向かう。エカテリーナはもう寝てしまったようだ。
ジョゼはハシリウスの部屋のドアを、静かにノックする。もう寝ちゃってるかな?
トントン
「鍵はかけてないよ」
ハシリウスの優しい声が聞こえた。ジョゼは一つ深呼吸すると、ゆっくりとドアを開けてハシリウスの部屋に入り、ドアを閉めた。
ハシリウスは椅子に座って、こちらをニコニコして見ている。ジョゼは少し顔を赤くして、ハシリウスのベッドに腰かけた。
「どうしたんだい、ジョゼ?」
ハシリウスが言うと、ジョゼは目をそらしながら言う。
「あ、あのさ、アリガト。ボクたちのことお母様に報告してくれて」
するとハシリウスは首を振って言う。
「ああ、隠しておくことでもないし、父上母上がジョゼをお嫁に欲しがっていることは、僕が中等部の時から知っていたからね」
するとジョゼは、びっくりしたような目で言う。
「え! そんなに前からなの? ボクは王立ギムナジウムに入った年に初めてお母様からそれとなく言われたことはあるけれど」
「ギムナジウム受験に響かないようにと思ったんだろうね。ところで僕はジョゼにお願いがある」
ハシリウスはゆっくりと椅子から立ち上がり、ドアに鍵をかけながら言う。ジョゼはそれを見て、
……あれ、何で鍵をかけるの?
と思いながら訊く。
「な、何かな? ボクに改まってお願いって」
「俺、お前が欲しい」
「……え? 今なんて?」
ジョゼは固まったまま言う。ハシリウスはドアのところに立ったまま、静かな、けれどいやに決意のこもったような声で言った。
「俺、お前が欲しい……ダメかな?」
ジョゼは頭が真っ白になりそうだった。何、何で突然? そしてハッとした時には、ハシリウスはジョゼの隣に座っていた。
「ジョゼ……」
ハシリウスの唇が近づいて来る。ジョゼは慌てて言った。
「ちょっと、ちょっと待ってハシリウス」
ハシリウスはおとなしく引きさがった。それを見て、ジョゼはなおさら怖くなった。なぜなら、ハシリウスは『理性的に』ジョゼを欲しているからだ。単に欲望に負けただけなら、フォイエルを食らわせてエカテリーナの部屋に逃げてもいい。けれど、ハシリウスは自分が言っている意味も、行為の結果も、全部分かったうえでそう言っている。
「いやか?」
ハシリウスが訊く。ジョゼはぶんぶんと顔を振って言う。
「い、イヤじゃ、ない。けれど、なんで今なの? そ、そりゃあ、ボクは半神だから、キミと、その、しても、魔力は失わないけれど……」
ハシリウスは、悲しそうな顔で言った。
「俺は、星を読んだ。今後の俺たちについて……」
ジョゼはそれを聞いて、身体を震わせた。そうか、そうだったんだ。
「ショックだった……おじい様に相談したら、ジョゼはそのことをとっくに知っているんじゃないかって言われて……」
顔を伏せるハシリウスの頭を、そっと抱き寄せながら、ジョゼは優しく言った。
「知ってたよ、何もかも。半神になった時にゾンネが教えてくれた」
「じゃあなぜお前はそんなに笑っていられるんだ?」
くぐもった声で言うハシリウスの髪をなでながら、ジョゼは
「だって、ボクとハシリウスが結婚できるってのは本当のことだもの。一瞬でも、ボクはキミと憧れの家族になれるんだよ? それに……」
ジョゼはハシリウスの顔を上げさせると、ゆっくりとキスをする。ハシリウスはジョゼを支え、ジョゼはハシリウスの首に腕を巻きつける。長いキスだった。
「……運命は変えられる。ゾンネもそう言っていた。ボクは、ハシリウスならきっと運命を変えられるって信じているんだ。だから、ちょっとだけ、『大いなる災い』に片を付けるまで待って?」
「ジョゼ」
ハシリウスはまたジョゼの唇を求めた。ジョゼはそれを受け入れた。
ドアの外では、エカテリーナが声を殺して泣いていた。ハシリウスとジョゼの未来について、彼女もセントリウスから聞いて知っていたのだ。
エカテリーナはジョゼが立ち上がる気配を察すると、静かに階段を降りて行った。
「ジョゼ、あなたは立派です」
そうつぶやきながら……。
六の章 大君主と死の乙女
「よし、これでいい。あとはここをしっかり押さえておいてね」
ギムナジウムのジェンナー・テイク医師が、ハシリウスの腕からぶっとい注射を抜きながら言う。ハシリウスは目を開けて、絆創膏が張られた腕を押さえながら訊く。
「先生、状態はどうでしょうか?」
するとジェンナー医師は、ハシリウスのカルテを見ながらにこやかに言った。
「ずいぶんと良くなっているよ。心臓の炎症もなくなってひと月経つが、再発するような兆候もないしね。今回で注射を終えて様子を見てもいいだろう」
それを聞いて、一緒に来ていたソフィアやジョゼ、ティアラもホッとした表情を浮かべる。特にティアラは極太の注射針がハシリウスの腕に刺されるのを見ただけで顔色が真っ青になっていた。
「さて、ハシリウス君」
ジェンナー医師は、まくり上げた袖を戻しているハシリウスに笑いかける。
「何でしょうか、先生」
そう言うハシリウスの眼を見ながら、ジェンナーは真剣な目でハシリウスに言った。
「君はもうすぐ卒業する。アカデミーに行くだけであれば私は何も心配しないが、ソロン先生によれば『大いなる災い』がいよいよ本格的に迫ってきているという」
ハシリウスはうなずく。
「そうなれば、君は今までよりももっと過酷な状況の中で、苛烈な戦いを強いられることになると思う。そこで……」
ジェンナーはそこで言葉を切ると、机の引き出しを開けて何かを取り出して
「……君は決して『無理をするな』という忠告を聞く人物じゃない。そのことは王女様やジョゼフィン嬢から幾度となく聞いている。だから、これを持っていくといい」
そう言って、ジェンナーは机の中から取り出した、水晶に似た透明な石をハシリウスに手渡した。
「これは?」
ハシリウスが訊くと、ジェンナーは
「時空結晶だ。賢者キケロ様が創られたもので、それに念じれば時を止めたり、戻したり、場所を移動したりすることができる。ただし、持つ者の魔力次第だがね」
そう言って笑う。ハシリウスはじっとその結晶を見つめていたが、笑ってポケットにしまいながら言う。
「ありがとうございます。危ない時にはこれを使わせていただきます」
「これだけは言っておきたい。もう君の未来は君だけのものではなくなっている。もし病が再発したら、迷わずそれを使ってここに帰ってくるんだ。いいね?」
「はい。ありがとうございます」
ハシリウスはそう笑って言う。やり取りを聞いていたジョゼやティアラも、
「先生、ハシリウスが言うことを聞かなかったら、ボクたちが押さえつけてでもここに連れてきますね」
そう言って笑った。
「ハシリウス、良かったですね。でも、あんまり無理はしないでくださいね? 心配してしまいますから」
ソフィアがそう言ってハシリウスの顔を見上げる。ソフィアも摂政になってからは以前より自分に自信ができたようで、ハシリウスとまともに目を合わせてもおどおどするところがなくなった。
「けれど、大君主様って苦労されるんですね? あんな注射を打ちながら戦わないといけないだなんて」
ティアラが注射器を思い出したのか、身体をブルっと震わせて言う。耳は後ろに伏せて、しっぽは忙しく横に動いている。よっぽど怖かったのだろう。
そこに、前方から凛とした女性が歩いて来るのが見えた。その女性は金の縁取りがされた翠のロングコートを羽織り、中には地方軍の軍服を着て乗馬用のブーツを履いている。彼女はソフィアの姿を見ると小走りに駆け寄ってきて目の前に止まると言った。
「あ、王女様、すぐに城にお戻りください。緊急で決定しなければならない事項がございます」
「アルテミス卿。分かりました、すぐに参ります」
その女性は、摂政であるソフィアの後見としての役割を担っている、『花の谷』の領主アルテミス・ファン・ヘルヴェティカである。ソフィアの従姉でもあった。
「あ、アルテミス卿、お久しぶりです」
ハシリウスはそうあいさつをする。アルテミスとは『妖精の泉』の事件以来の知り合いであった。
「これはハシリウス卿、お久しぶりです。バウムフィーゲル様はご息災ですよ」
アルテミスはそう笑って返してくれた。バウムフィーゲルは『妖精の泉』を守っている妖精の王である。ハシリウスはその名前を聞くと、妖精の王女であり、彼に助けを求めてきて命を落としたフローラのことを思い出し、少し胸が痛くなった。
「そうだ、ソフィア様。ハシリウス卿に一緒に話を聞いていただくわけにはまいりませんか?」
アルテミスはソフィアにそう言う。ソフィアが
「ハシリウスがいた方が良い話でしょうか?」
と訊くと、アルテミスはうなずいて答えた。
「はい。どうも『冥界の使者』たちが関係しているようですから」
ハシリウスたちはハッとしてアルテミスを見つめた。
「最初は、『上の谷』のアレス卿から来た報告です。近ごろ、シュピルナール峠を旅する者たちが、次々と何者かに襲われるとのことでした」
会議室には、ソフィア、アルテミス、大賢人ゼイウス、大元帥カイザリオンが顔をそろえていた。そこにハシリウスとジョゼ、ティアラが加わっている。
「ただの盗賊と言うことも考えられるが?」
カイザリオンが言うと、アルテミスもうなずいて答える。
「はい、アレス卿も同じ手紙に、盗賊の類に違いないとの観測を記し、近々ご自分で調べるとも書いておられました」
「それで、何が問題なのか? アレス卿の調査結果はどうなのだ?」
ゼイウスが隻眼を光らせて訊く。アルテミスは首を振って言った。
「それが、アレス卿はこの手紙の後すぐに自ら軍を引き連れてシュピルナール峠に調査に向かったとのことでしたが、今もって戻って来られないそうなのです。家宰が心配して連絡を寄越しました。これです」
アルテミスはもう一枚の封筒を取り出して、机の上に便箋を広げて続ける。
「この手紙によると、出発して1週間も経つがアレス卿との連絡が取れないとのこと。アレス卿は1週間分の兵糧を持って出陣されたので、兵糧がなくなっているのではと心配しています」
「アレス卿は『谷の君主』随一の猛将だが、猪突する場合があるからな。おおかた盗賊を深追いしているのだろう。軍団を出して捜索と収用に当たらせたらどうかな?」
今度はカイザリオンが言う。アルテミスはその言葉にも首を振って言う。
「それから3日後、家宰たちが捜索していると、地方軍の兵士たちの首でこう書いてあったそうです。『我ら冥界からの使者は、ハシリウスを求める』と」
「首で?」
ソフィアが言うと、アルテミスはうなずいて繰り返した。
「はい、討ち取った者の首を地面に並べていたそうです」
その時、ハシリウスが立ち上がって言った。
「ご指名ならば受けて立とう。王女よ、私が『上の谷』に行く。アレス卿のことや領地のことを少し詳しく聞きたい」
すると、ソフィアは微笑んで言った。
「『大君主』様ならそのようにおっしゃると思っていました。今の時期はまだシュピルナール峠には雪が残っています。山の天気も変わりやすいものです。お気をつけて」
ハシリウスは笑ってうなずいた。
★ ★ ★ ★ ★
『上の谷』はヘルヴェティア王国で最も標高が高く、地勢も険しい。平らな場所も少なく、谷の中央を縦貫する川の両岸に、わずかに畑に適した平地があるに過ぎない。
それでも、ヘルヴェティア王国を構成する五つの谷のうち、最も広い面積を誇る『上の谷』には、主に牧畜と林業、そして手工業を営む人々が住んでいた。
この谷を治めるアレス・ドーリアクスは、もともと平地にあった首府を、城の老朽化と共に更地にして人々に開放し、自らは斜面に新たな城地を求めた。そして出来上がったのが新たな首府ザンクトガレンである。
新たな首府を開くに当たっての話にもあるとおり、アレスは武断的な人物ではあるが領民には優しく、領地の開墾にも積極的な人物であった。よって、領民からの受けは非常に良かった。
その彼が、大シュピルナール峠での噂を聞きつけたのは、今から2週間前である。ちょうど、ナディアとオフェリアがハシリウスたちを襲って失敗した時期であった。
「大シュピルナール峠は、『南の海』につながる王国の重要な道路だ。そこに山賊などが根城を作ったら面倒なことになる。見つけ次第叩き潰せ」
アレスはそう言って、自ら地方軍5千を引き連れてザンクトガレンを発向し、大シュピルナール峠へと向かった。これが10日前のことである。
「そしてこの場所に、アレス卿配下の兵の首で、僕を呼び出すメッセージが書かれていたわけか」
ハシリウスは、湖を見下ろす峠道の高台に立ってそう言う。まだ風は冷たく、所々には雪も残っている。
「それにしても寒いねぇ~。まだ息もこんなに白いし」
ジョゼがはーっと息を吐きながら言う。元気印のジョゼは、たいていの季節はショートパンツだが、今回はさすがに厚手のタイツにレッグウォーマーをはいていた。
もともと暖かい地域にいた『猫耳族』のティアラはさらに厚着して、頭にはニット帽をかぶり首元もマフラーでびっちりとガードしている。
「うぅ……こんなに寒いと冬眠しちゃいそうです」
ティアラがそう弱音を吐く。ハシリウスは二人を振り返って笑って言った。
「山にかかった傘雲が破れた。天気が崩れる前兆だから、急いで麓に下りよう」
麓の宿に戻ると、急に雪が降りだし、それはみるみるうちに激しくなった。
「もう少し下るのが遅かったら、危ないところだったな」
ハシリウスがコーヒーをすすりながら言う。ジョゼとティアラも暖炉の近くに陣取ってホットミルクを飲んでいる。
「ハシリウス、こんなに天気が変わりやすかったら、捜索するのも大変だよ? 下手したらボクたちまで遭難しちゃうかもしれないし」
「うん、ソフィアの話を聞いて、何とか目星をつけられると思っていたんだけれど、山の気候の変わりやすさと峠の険しさ、そして思ったより峠が広かったのは想定外だった。明日は村の中でいろいろ聞き込みをしようか」
ハシリウスがそう言うと、二人ともうなずいた。そこに、金の巻き毛が美しい星将随一の智将、アークトゥルスが顕現して言う。
「大君主様、それよりも我らがあの峠を探ってみましょう。今度の敵は『闇の使徒』に勝るとも劣らない奴らです。我らならば適宜連携も取れますし、隠形もできます」
「そうか……この雪の中だが、お願いできるか?」
アークトゥルスはうなずいて言う。
「私とベテルギウス、トゥバン、スピカで探しましょう。ここの守りにはシリウスとデネブを残します」
星将にもいろいろと見た目の違いがある。例えばアンタレス、レグルスは壮年の男性であり、シリウス、ベテルギウス、アークトゥルス、アルタイルは青年の姿である。主将ポラリスとデネブ、ベガは妙齢の女性、トゥバンとプロキオンは少年、スピカは少女の姿である。特にスピカはくりくりした目も相まって、どう見ても12・3歳だった。
「えっと、あたしスピカです。わあ、大君主様ってカッコいい~! よろしくお願いしますね、大君主様」
初対面のスピカが可愛らしくお辞儀をして消えて行くと、さっそくジョゼのやきもち攻撃が始まった。
「ハシリウスってさ、小さいオンナノコ好きだよね?」
「えっ? そうなんですか!」
ティアラがびっくり目でハシリウスを見る。ハシリウスは慌ててジョゼに
「何てこと言うんだ! 僕はただスピカってあんなに幼く見えるのに星将なんだなって感心していただけだ」
そう言うと、ジョゼはジト目でハシリウスを見て、
「ふぅ~ん、感心ねぇ。キミの鼻の下は感心すると伸びるのかい?」
そう言う。ハシリウスたるもの、これは黙っていられない。
「誰が鼻の下伸ばしてたって? ティアラ、君はどう思う?」
ハシリウスがティアラに訊くと、ティアラはおずおずと答えた。
「ええっと……『カッコいい』って言われた時、ちょっとお顔が締まりなかったかなって……ハシリウス様って、ロ〇コンだったんですね? ティアラさんショックです」
「えええええ!」
ハシリウスが叫ぶと、ジョゼがにんまりと笑って言った。
「ふふ、ハシリウス。やっぱりキミはロリ〇ンだってことだね?」
その30分後、ハシリウスは降りしきる雪の中、近くの店まで食料の買い出しに出かけていた。
ハシリウスたちが泊まっている宿はコテージタイプで、食事は基本、自炊である。けれど、ハシリウスたちはコテージに到着したなり調査にかかったので、食べ物を買う時間がなかった。当然、コテージには食べ物はない。
「これはハシリウスの出番だね! 間違いない」
ジョゼがそう宣言する。
「えっ? でも僕、お前たちの好みとかよく知らないぞ。みんなで買い物に行こうよ」
ハシリウスがそう言うが、ジョゼは言う。
「大丈夫だよ。ボクたちは基本肉食だから、お肉さえあればご機嫌だよ。それとも何かい? キミはこの寒い中、女性に重いものを持たせたいって言うのかい?」
「すみません、私寒さに弱くて。冷え性ですし……」
ティアラもなかなか図太い。
「じゃ、せめてジョゼだけでも」
と哀願するハシリウスに、ジョゼはとどめの一言を放った。
「ボクたちがいないときにティアラが襲われたらどうすんのさ? ロ〇コンハシリウスくん」
「お前もなかなか苦労するな」
星将シリウスがニヤニヤしながら言う。
「星将シリウス、笑ってないで手伝ってくれ」
大荷物を抱えながらハシリウスが言うと、星将シリウスは
「スピカはああ見えて恋多き星将だ。ちょっといい男であればすぐに色目を使って秋波を送る。それにまんまと引っかかったお前にデネブもお冠だ。お前を手伝うと、俺がデネブからお仕置きを食らう。諦めろ」
そう言って笑っていた。
その夜は、ハシリウスが運んできた食材をジョゼが料理した。ジョゼはラム肉の塊を豪快にスライスし、葡萄酒で臭みを取ってミディアムレアに焼き上げた。
暖炉の上段にはオーブンがしつらえてあったので、それを使ってナンのような食べ物まで作って見せた。
「ジョゼって、見た目に似合わず女子力高いですね?」
あつあつのラムステーキにかぶりついてティアラが言う。それはハシリウスも認めざるを得ない。
「そうだね。でも、中等部の時は凄かったよ? 焦げ焦げのビーフシチューに生焼けのパンだったからね」
ハシリウスが言うと、ティアラはクスリと笑って
「そうだったとしても、今のジョゼって凄いじゃないですか。きっとハシリウス様のために努力したんですよ? ハシリウス様って、幸せ者ですね?」
そう言う。未来を知っているハシリウスとしては、
「そう思うよ」
としか言いようがない。
「な~んか、ボクの悪口が聞こえたような気がする」
暖炉の側で調理しているジョゼが、振り返ってそう言う。ティアラが笑って答えた。
「ジョゼの可愛らしいところを聞いていたんです。それに、ジョゼって本当に料理上手で、ハシリウス様って幸せねって話していたの」
それを聞くとジョゼは機嫌を直して、
「そ、そうなんだ。じゃ、腕によりをかけて美味しいもの作ってあげるね」
そう言って、鼻歌を歌いながら料理をするジョゼだった。
夜、ジョゼとティアラはコテージ備え付けのベッドに横になり、ハシリウスは暖炉の前のソファに横になっていた。
「ハシリウス」
不意に、星将シリウスのささやくような声が聞こえた。ささやくような声だが、言外に緊張が感じ取れる。ハシリウスはハッと目覚めると、静かに答えた。
「なんだい、星将シリウス」
「アレス・ドーリアクスたちの居場所が分かった。幼馴染さんと猫耳の姫に聞かれてはマズい話がある。寒い中悪いが、外で話ができないか?」
「分かった」
ハシリウスは音も立てずに起き上がると、大君主のいでたちとなり、ジョゼたちに気付かれることなくコテージの外に出た。そこには星将シリウス、デネブの他にアークトゥルスとベテルギウスがいた。
「トゥバンとスピカはどうした?」
ハシリウスが訊くと、星将シリウスが
「トゥバンが敵の罠にはまって負傷した。スピカを護衛につけて天界に帰した」
そう言う。ハシリウスは眉を寄せて訊く。
「トゥバンが? トゥバンが引っ掛かる罠なら、かなりのものだろうな」
星将アークトゥルスがうなずいて言う。
「敵は、『負のエネルギー空間』を作っていた。トゥバンはそれに跳ね飛ばされた」
「『負のエネルギー空間』?」
ハシリウスが訊くと、星将アークトゥルスは簡単に説明した。
「その中ではエネルギーの向きが逆になる。身体を構成するすべての原子の持つエネルギーベクトルが逆になるわけだ。すると、良くて魔力が使えなくなる」
「悪くすると身体がバラバラに引き裂かれるというわけだ」
星将ベテルギウスが付け加えた。
「トゥバンは大丈夫だったのか?」
ハシリウスの問いに、星将デネブが答えた。
「最悪でも最良でもない、中間くらいさ。手足が吹っ飛ばされていたからね。よく首がもげなかったもんだと感心しているよ」
そこで星将シリウスが眉を寄せて言う。
「手足がもげようが、星に還らない限り、俺たち星将は時間が経てば復活する。だが、問題は俺たちではその空間に入り込むことができないということだ」
「シールドを破壊すれば、空間を消滅させられるのだが」
星将アークトゥルスが金髪をいじりながら言う。
「つまり、僕しかそこには入れないということなのか?」
星将シリウスが沈痛な表情でうなずく。
「『繋ぐ者』の力は届くだろうから、厳密には大君主様が一人でその空間に飛び込むわけではないけれどね?」
星将デネブがそう言って髪をかき上げる。そして、コテージを目を据えて見つめながら
「あのお嬢さん方が聞けば、人間のままでその空間に飛び込みかねないからね。何と言っても、彼女たちは『大君主様命』だからね」
そう言って笑った。
ハシリウスは碧色の眼を細めて訊く。
「で、何処なんだ? アレス卿たちが閉じ込められている場所は?」
★ ★ ★ ★ ★
シュピルナール峠の近くに、アールベルグと言う山がある。そんなに険しい山ではないが、街道筋から離れていることもあり、あまり人は立ち入らない。
その山の中腹にある洞穴の中に、一人の男が幽閉されていた。金髪を短く刈り込み、がっしりとした体格をした精悍な男である。要所に赤で刺繍がされた黄色のロングコートを着込み、その中には地方軍の制服を着ている。その制服やロングコートはあちこち破れ、血が滲んでいた。
男の名はアレス・ドーリアクス、『上の谷』の君主である。
男は、乾いた砂の上に寝転がされていたが、人の近づく気配を察して、ゆっくりと身体を起こした。
「目が覚めたようですね?」
アレスの目の前に、灰色の革鎧に身を包んだ女性騎士を引き連れたナディアが現れる。
アレスは、ナディアを見て一瞬『ソフィア殿下か?』と思った。無理もない、ナディアはソフィアの双子の妹であり、ナディアの存在は生誕当時立ち会った者の他は、限られた者しか知らされていないのだから。
「どうしました、アレス・ドーリアクス?」
ナディアが冷たい声でそう言うと、アレスは鳶色の瞳をした目を不審そうに細めて訊く。王女に似ているが、王女ではないらしい。それは、自分を襲ってきた謎の兵団を率いていた女騎士が後ろに控えていることからも分かる。
「あなたは何者だ?」
「あなたは知らないようですね? 私は、ナディア・ヘルヴェティカ。今の王女ソフィアの双子の妹です」
アレスは、初めて聞く名前に猜疑心を募らせて言う。
「今の摂政殿下に妹が居られるなどとは聞いたことがない。虚言を吐くと女性であろうと容赦はせぬぞ」
するとナディアは、よく通る声で哄笑する。
「何が可笑しい!?」
アレスが強面で言うと、ナディアは笑いを残したまま
「ふふふ、あなたが知らないのも無理はないわ。私は産まれた時に不祥の姫として『処置』されていますから。今は『冥界の大賢人』として女神デーメーテール様にお仕えしています」
そう自己紹介した。その目は妖しく輝いていて、アレスには彼女の言うことが真実だと分かった。
「なるほど……しかし、その姫が何故にわが領土を旅する者たちを襲う? 『処置』されたとはいえ、元は王家の一員ではないか? ぐふっ!」
アレスは、いきなりナディアに剣で突き飛ばされて呻いた。がっちりとした体格のアレスが、小柄で細身のナディアから、剣で一押しされただけで5メートルほど吹き飛ばされたのだ。
「余計なことは言わない方がいいですよ? 私はもう、王家とは縁もゆかりもない身ですからね?」
そして、ナディアが指を鳴らすと、アレスは抗いようもない力で身体を緊縛され、指一つ動かせなくなった。直立したままのアレスに、ナディアはゆっくりと近づいて、ニヤリと笑って言う。
「あなたの部下たちを全滅させたのは悪いと思っているわ。でも、こうでもしないと『大君主』をおびき寄せられないんです」
「くっ! 貴様の狙いは『大君主』か」
ナディアは笑って言った。
「ええ、私はハシリウスの愛がほしい。首尾よくハシリウスを手に入れられたら、あなたは解放して差し上げます。それまではおとなしくエサになっていてください」
★ ★ ★ ★ ★
「この辺りだ」
ハシリウスは、小屋の守りにデネブを残し、シリウスとアークトゥルスを連れてアレスが閉じ込められているというアールベルグ山の中腹まで来た。ジョゼとティアラは、『日月の乙女たち』のままでは敵の『負のエネルギー空間』に入れないため、小屋においてきたのだ。
「なるほど、禍々しい魔力だ」
ハシリウスの眼は、闇夜を見通す『シュバルツ・ウーフー』を発動させているため、漆黒の瞳になっている。その瞳に、『冥界の使者』たちの魔力の残滓がはっきりと映し出されていた。
「この辺りに鏡面魔法による結界が張られています。私たちもこの結界を破れませんでした。これにてこずっているうちに、トゥバンは敵の『負のエネルギー』による攻撃を受けたんです」
星将アークトゥルスが言う。ハシリウスは鏡面結界をしばらく眺めていたが、
「敵に気付かれてしまうが、背に腹は代えられないな。どうせ敵は私のことを待っているのだろうからな」
ハシリウスは、そうつぶやいてゆっくりと神剣『ガイアス』を抜く。凍てつくような寒さの中、天を見れば満月が凍えたように輝いていた。ハシリウスは月の光の中で、ゆっくりと呪文を唱えだす。
「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」
唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は天空の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。
「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの『冥界の使者』の魔力を破砕させしめ給え……」
ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。
やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。
「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南東へ、ホラハ・ハラグ神は北東へ、ウッタラアシヤダ神は北へ動きたまえ!」
ハシリウスが神剣『ガイアス』を南東に、北東に、そして北にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。
「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」
神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。
「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」
そしてハシリウスは、神剣『ガイアス』を逆手に持ち、ドスンと地面に突き刺した。その途端、『星々の剣』はハシリウスを中心に同心円状に広がり、『冥界の使者』が張っていた鏡面魔法は大きな音を立てて粉々に砕け散った。そして、『冥界の使者』が根城にしているという洞窟がはっきりと視認できた。
その途端、洞窟から立て続けに魔弾が発射される。
「ハシリウス、これが『負のエネルギーの魔弾』だ!」
星将シリウスが、魔弾を蛇矛で弾きながら言う。アークトゥルスも剣で魔弾を弾いているが、何しろ数が多い。しかし、不思議なことにハシリウスには一つも魔弾が飛んでこない。
「星将シリウス、星将アークトゥルス、下がっていろ。私に魔弾が飛んでこないということは、私をあそこに招いているらしい」
ハシリウスがそう言うと、星将シリウスは
「しかし、だからと言って『大君主』をみすみす敵の罠の中に一人で行かせるわけにはいかん!」
そう言って、ますます激しくなる魔弾の攻撃を跳ね飛ばしている。
しかし、
「ぐっ!」
星将アークトゥルスが、いくつかの魔弾を受けて呻いた。ハシリウスはそれを見て洞窟に呼び掛ける。
「『冥界の使者』よ、ハシリウスがそちらに行く。星将はこの場において行くので、魔弾を止めよ!」
すると、魔弾がぴたりと飛んでこなくなった。ハシリウスは星将シリウスと星将アークトゥルスにうなずくと
「行ってくる。シリウスは小屋を守ってくれ。アークトゥルスは天界に帰って養生しておいてくれ」
そう言って、一人で『負のエネルギー空間』へと歩き出した。
「さすが『大君主』ハシリウス、一人でここに来るとは見上げた度胸ですね。まあ、そうでないと私の相手には似つかわしくありませんが」
ナディアは、ハシリウスが星将を押しとどめ、たった一人でこちらに向かって歩いて来るのを見て、そうつぶやいた。そして、後ろに控えたオフェリアを振り向いて命令する。
「ハシリウスが洞窟の入口に差し掛かったら、『負のエネルギー空間』の結界を解いて差し上げなさい。彼を招き入れるのです。彼が空間内に入ったら、入口は元どおり閉じなさい」
「承知いたしました」
オフェリアはそう言って畏まる。
ハシリウスが洞窟に入ると、それまで洞窟の奥で揺蕩っていた空間の歪みが消える。
「入って来いということか」
ハシリウスはそうつぶやくと、神剣『ガイアス』を鞘に納め、ゆっくりと洞窟の奥へと入って行った。
「ハシリウス、無事でいろよ……ベテルギウス、間に合ってくれ」
星将シリウスは、星将アークトゥルスに肩を貸しながら、ハシリウスの消えた洞窟を見つめてつぶやいた。
★ ★ ★ ★ ★
一方、コテージでは、星将デネブがジョゼとティアラに責められていた。
「どうして起こしてくれなかったのさ! 星将トゥバンまで負傷するような危ないところにハシリウス一人で行かせられないでしょ?」
「そうです! 何のために『闇』の魔力を持つ私が『月の乙女』に女神さまから召命されたんですか? こんな時のためではないのですか?」
星将デネブは、左右からそう騒ぎ立てるジョゼとティアラを、優しい目で見ていたが、
「すまなかった、幼馴染さん、猫耳の姫。でも、アンタたちを置いて行くってのはハシリウスの決定だったんだ」
そう言う。『ハシリウスの決定』と言う言葉で、ジョゼとティアラは黙り込む。
「敵は、『負のエネルギー空間』という罠を張っていた。そこにはアタシたち星将もアンタたち『日月の乙女たち』も、魔力を発動したままじゃ入れない。幼馴染さんは半神だから、魔力を解くことは出来ない。かと言って生身の猫耳の姫を連れて行くことは自殺行為……ハシリウスはそう考えたんだよ」
星将デネブの言葉に、それでも不満そうにジョゼが言う。
「だからと言って、説明もなしに置いてけぼりにすることはなかったんだ。ハシリウスがそう言えば、ボクだって納得したよ?」
「私は、魔力なしでもハシリウス様について行きたかったですけれど、この爪が通用するような敵じゃないのでしょうね?」
ティアラも、引っ込めていた爪をため息と共に伸ばして言う。猫耳族の特徴である出し入れ自在の爪は、オリハルコン並みの強靭さを誇り、鋼鉄をも引き裂く。
「そのとおりだ。寝耳の姫よ」
そこに、星将シリウスが顕現して言う。その服にいくつかの魔弾がかすった後を見つけて、ジョゼが驚いて訊く。
「星将シリウス、ハシリウスは無事? 敵と戦ったんでしょ?」
すると星将シリウスは鋭い目をしたままニヤリと笑って言った。
「攻撃を受けたのは俺とアークトゥルスだ。敵はハシリウスに手を出してこなかった」
「そ、そう……で、ハシリウスは?」
ホッとして訊くジョゼに、星将シリウスは言う。
「一人で敵の洞窟に入って行った」
「ええっ!」「そんな! 何かあったらどうするんだよ?」
ティアラとジョゼが叫ぶ。星将シリウスは二人を見つめてうなずきながら
「ベテルギウスが王女のもとに行っている。いかなる時空も越えられる『繋ぐ者』の力があれば、何とかなるだろう。心配するな」
そう、自分に言い聞かせるような口調で二人に言った。
(『冥界の使者』を打ち倒せ(4)に続く)
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
ハシリウスの観た運命は、王都編の最終回でチラッとお知らせできるかと思います。
次回は、『繋ぐ者』ソフィアの覚醒と、『冥界の使者』の最後のあがきをお届けします。ただ、ナディアとの決着は王都編最終回でつく模様です。
4部作の最終話は、明日投稿します。お楽しみに。