トオル23
その日、僕はコロナと一緒に、食事の準備をしていた。
「お皿、ここに並べておくわよー」
「うん。ありがとうー」
作っているのは、川魚の天ぷらだ。
小麦粉(?)や揚げ油なんかは、コロナが調達してくれたものを使っている。
揚げ物ができると、料理の幅が広がっていい。
「うーん。セルベシアにはニジマスで、なにか一品サービスしちゃおうかなぁ?」
「ミュキスねぇ……。あんた、セルベシア様にはいっつもそれだけど、いい加減もう、飽きられてるんじゃないの?」
「ええー? そんなことないって」
だって彼女は、川魚だとこれが一番好きって呟いてたんだから。
「ふんふんふ、ふーん」
僕たちは次々と料理を作っていく。
場所はうろの家だ。窓際に5体のこけし人形が並んでいる。
端から順に、母さん、絵里、僕、セルベシア、コロナ、である。
「それであとのふたりは……。セルベシア様とイネディット様は、いつ来るの?」
「セルベシアはそろそろじゃないかな? イネディットさんは、わかんないよ」
雑談しながら準備を進めていく。
今日はみんなでパーティーなのだ。
黒竜事件から、はや数ヶ月――
ペルエール王国とオイネ国は、和平に向けて動き出していた。
とはいえ長年争い続けてきた両国だ。小さな火種はたくさん燻ったままだし、前途は多難らしい。それでも着実に、一歩ずつ、互いの国は手を取り合える未来に向けて、舵を切り始めていた。
セルベシアの話によると、なんでもキルケニーが、ことのほか張り切っているらしい。きっとイネディットに、良いところを見せたいんだと思う。
『美しき女王の傷ついた心を、俺がこの手で癒してあげたいんだ……』
いっつもそんなことを言っているみたい。ちょっと自己陶酔が激しいタイプなのかも?
でも当のイネディットは、あんまり彼には興味がないっぽい。
この間一緒にお茶をした時なんて、こんなことを言っていた。
『余の男の好みだと? ふむ……。あまり斯様なことは考えたこともなかったが、そうだな……。やはり一本芯の通った、骨太な者がよい。ああ。男だの女だの、性別はどうでもよいな』
骨太と言われてパッと思いつくのは、やはりセルベシアだ。
というかイネディットはバイセクシャルなのか? まさかとは思うけど、僕のセルベシアを狙っていないだろうな? もしそうなら戦争だぞ?
それはともかくキルケニーも論外だろう。骨太とは程遠いという意味で。
ともかくそういう訳で、両国の先行きだけではなく、キルケニーの恋路のほうも道のりはまだまだ険しいのである。
「さ、料理のほうは、このくらいでいいかしらね」
「うん! いっぱい作ったよなー」
テーブルには所狭しと料理が並べられていた。
川魚の天ぷらに、ビーフ(?)シチューに、海老(?)チリ……。和洋折衷である。まぁ、こっちの世界で和も洋もないんだけどな。
そうこうしていると、うろの家の前庭に、一頭のワイバーンが降りたった。
セルベシアの到着だ。
今日は、鎧姿ではない。彼女は騎竜のハービストンから降りて、こっちにやってくる。
「いらっしゃい、セルベシア!」
「…………」
セルベシアはなにも言わずに、真っ直ぐに僕を見つめてきた。力強い眼差しに、ドギマギしてしまう。
「……決意は、変わらぬのだな?」
彼女がゆっくりと唇を動かした。僕はそれに、こくりと頷き返す。
「……そうか。ならばもう、なにも言わん」
セルベシアが僕の体に腕を回して、ギュッと抱き寄せてきた。心臓がとくとくと鳴っている。
「……絶対に。……僕は絶対に、帰ってくるから」
「ああ。信じている」
抱かれた胸から、暖かな体温が伝わってきた。
戦いが終わって数日後、イネディットがうろの家にやってきた。
そして彼女が、教えてくれたこと。
なんでも僕は、元の世界に戻ることができるらしい。
――『望郷の鏡』。
そういうものがあるのだそうだ。
なんでもその鏡は、僕の元の世界に繋がっているもので、その昔、オイネが生涯をかけて探し出したものなんだとか。その話を聞いた僕は、たしかこっちの世界に渡ってくるときも、うちの玄関で見覚えのない鏡を覗き込んだことを思い出した。
『トールよ。……彼方の世界に、戻るか?』
そうイネディットに問われてから、ずっと僕は考え続けた。
母さんに、絵里に会いたい……。
こっちの世界で暮らしていくにしても、せめてふたりの家族には、僕が元気でやっていることを伝えたかったのだ。
それにオイネだって、一度日本に帰ってから、またこの異世界に戻ってきたクチらしい。だったら僕だって、同じように戻ってこられるだろう。
セルベシアやコロナと、今生の別れになるわけではないのだ。
『……はい。……僕は、帰ります』
僕は、日本に帰ることを決意した。
イネディットが到着した。
ふわふわと空に浮いていた彼女が、着地する。
「皆、揃っているようだな。待たせたか?」
「そんなことないですよー」
彼女は手に、大きな鏡を持っていた。これが例の鏡か……。
鏡にかけられていた厚手の布を、彼女が取り払った。
「ちょ、イネディット様!? ここ、こっちに向けないでください!」
コロナが慌て出した。
異世界に飛ばされるのを怖がっているのだ。それをイネディットが静める。
「慌てるな。この鏡は素養のあるものしか通さぬ」
彼女が手本を見せるように、鏡を覗き込んだ。けれども特になにも起きない。
「これこのようにな。この鏡で世界を渡ることの出来る人間は、そう滅多にはおらぬ。安心するがいい」
コロナがホッと胸を撫で下ろした。安全となると俄然興味が出てきたらしい。彼女は鏡を覗き込んで、コンコンと叩いたりしている。
「あたし、鏡ってもの自体、こんなにしっかりと見るの初めてかも……」
「女王よ。その鏡の繋がる先は、どのような場所なのだ?」
「なんでも『フジの樹海』なる場所だそうだ。そして彼方の世界の鏡は、此方の世界では『魔の森』に繋がっておる」
ふーん。行き先固定なんだ。
ランダムで飛ばされたりしないのはありがたいけど、富士の樹海って……。ちょっと不安になってきたぞ? これはしっかりと準備してから行かないと!
「そうか。しかし一見すると、なんの変哲もない鏡のようだが……」
セルベシアが身を乗り出した。そのまま鏡を覗き込む。
その瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
「――はぉわぁ!?」
な、なんだぁ!? なにがどうなってる!?
「ほぅ……」
「あわ、あわわわ……。セルベシア様がぁ!?」
「え!? なに!? どういうことなんだ!?」
「くく……。くはは。これはこれは……」
イネディットが楽しげに目を細めている。
「ちょ……!? まっ……!? ええええ!?」
「案ずるなトール。彼奴にも、世界を渡る素養があっただけの話。まぁ珍しくはあるがな。ふふ……」
なんだってこのひとは、こんなに落ち着いてるんだろう。僕なんてもうパニックだ! イネディットも、少しはコロナを見習って慌てて欲しい。
「ト、ト、トール! どどど、どうするの!? ど、どうすれば……っ!?」
これだよ、この反応!
やっぱり、こういうのが普通だよな? ちょっと落ち着いてきた……。
いやいや、落ち着いちゃダメだろう!
でもコロナの言う通り、一体どうすればいいんだ!?
「ど、どどど、どうしようーっ!?」
「すぐに追いかけるがよい。さすれば世界を渡った先で落ちあえるだろう」
「そ、そうかっ! そうですよねっ!」
用意してあった荷物を、手繰り寄せるみたいにして引っ掴む。
「じゃ、じゃあ早速……」
鏡に向かって一歩を踏み出したところで、背中に声を掛けられた。
「ト、トール! ちょっと待ちなさいよ!」
振り返ってコロナを見る。
「……絶対に。……絶対に帰ってくるのよ!?」
心細そうな表情。
まったくなんて顔をするんだろう……。
彼女から視線を外して、住み慣れた部屋を見渡した。
テーブルには沢山の料理。 僕の送別会だったのに、結局バタバタしてパーティーは出来なかったなぁ。
イネディットは超然としている。このひとはいつも変わらない。
なんだかそれが、ちょっとおかしい。
「……ねぇ、トール。……なんとか言いなさいよぉ」
彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「うん。絶対に……。絶対に戻ってくるから……」
コロナは何度も何度も頷いている。
「彼方の世界でも、鏡を探すのだぞ?」
「はい! 多分すぐに、見つかります」
玄関にあった鏡。さすがに割られたり、捨てられたりはしていないだろう。
……してないよな?
僕はコロナに向き直った。彼女はちょっと目が赤くなっている。
「じゃあね、コロナ……」
「うん……。トール……」
僕はコロナを安心させるように、満面の笑みを浮かべる。大きく息を吸ってから、ひと息に吐き出した。
「それじゃあ、いってきます!」
おしまい。
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