トオル22
黒竜の落下したあたりに、女の人が倒れていた。
艶めく長い黒髪を乱しているみたいだけど、土煙ではっきりとしない。
共感していた間に垣間見たセルベシアの記憶によると、たしかこのひとはイネディット、だったっけ?
このひとが本物の魔女なのかぁ。村で散々に、このひとの手先に間違われたことを思い出す。
「……ん、……んん……」
土煙が晴れていく。女性が上体を起こした。
綺麗なひとだなぁ、って――
「ぐるぉ!?(はぇえ!?)」
このひと裸だ!? ろ、露出狂か!?
「ぎゅ、ぎゅりえ……(はわ、はわわわわ……)」
目のやり場に困った振りをしつつも、ガン見する。
セルベシアが彼女に歩み寄った。近くに落ちていたマントを拾い上げ、裸の彼女に投げかける。そうしてからセルベシアは、僕を振り返り、キッとひと睨みした。
(……う、うわぁ)
いまのはバレたな。鼻の下を伸ばしていたのが。……あとでお説教させるかもしれない。
それはともかく、これで戦いも決着である。気が抜けてから気付いた。そういえば僕も、そろそろ限界だったのだ。竜化しているのも、辛くなってきた。
(えっと……。なにか体を隠せるものは……)
キョロキョロと辺りを見回す。お、いいものがあったぞ。
落ちていた旗を拾って、岩陰に隠れる。竜化を解いてそれを体に巻きつけた。
ぃよし。これでオッケーだ。
急いで戻ってきてから、僕はセルベシアの隣に並んだ。
「……余は……負けたのだな……」
「ああ。お前の負けだ」
イネディットは落ち着いていた。
「貴様は……。あの時の若き竜騎士か……」
頷いてから、セルベシアが手を伸ばした。
「イネディットよ。この手を取れ。和睦を……。それが、逃げ出さずここに残った王国騎士たち、すべての願いだ」
けれども彼女は、ゆるゆるとかぶりを振った。その顔には諦念が浮かんでいる。
「今更なにを……。王国とオイネは共存できぬ。どちらかが滅ぶまで戦うしかないのだ……」
悲しげにまつ毛を伏せる。
戦っている間に伝わってきた想い……。
このひとの心は、未だに憎しみに囚われているのだろうか。
「……そんなことはない!」
叫んだのは、金ピカの騎士さんだ。セルベシアが少し驚いた顔をしている。その騎士が歩み出てきた。
「俺の名前はキルケニー・ビーミッシュ。こう見えて公爵家のものだ。……美しき女王よ。聞いてほしい! 俺は貴女の記憶を垣間見て、気付いた! 貴女はもうこれ以上、傷ついてはいけない!」
騎士さまは、熱のこもった視線でイネディットを見ている。顔も真っ赤だ。握った拳なんて、ぷるぷる震えちゃってる。
……ははぁん。もしかして、このひと……惚れたな?
「俺はこの家名に誓おう。必ずや両国が手を取り合える未来を、築いてみせる!」
キルケニーのあとに続いて、何人もの騎士さまが歩み出てきた。
空からは竜騎士さまも降りてくる。
「……俺もだ! 両国に平和を!」
「和平を! 私はオイネとの和平を望む!」
「これ以上の争いなど、俺たちは必要としない!」
「美しき女王を癒やすのは、この私だ!」
騎士たちは口々に思いの丈を伝えはじめた。
ど、どうしたんだろう。皆さん熱っぽ過ぎて、僕だけノリについていけていない。さっきキルケニーとか名乗った騎士が、イネディットの記憶を垣間見た、とか言ってたけど、僕はそれを見ていない。そのせいだろうか?
置いてけぼりを食らっている間にも、キルケニーの訴えは白熱していく。
「ほら、みんなもこう言っている! 最後のヤツとは、ゆっくり話し合う必要がありそうだけど……。それに黄金騎士団には上級貴族も多いんだ。この場にもたくさん残っている! 俺たちなら王国を変えられる! 絶対に……、必ず王国を変えてみせるから……!」
イネディットが戸惑い始めた。
このひとも、この暑苦しいノリについていけないのだろうか。だってクールビューティーって感じだしね。
困惑する彼女に、セルベシアが最後の後押しをする。
「魔女……いや、女王イネディットよ。この手を取るんだ。……共に歩もう」
イネディットがふっと笑った。
肩の荷を下ろしたのだろうか。
見上げたその表情は、どこか晴れやかだった。
「まだ余の内には、憎しみが燻っている。……だが余にも、……余にも、開祖オイネの想いは伝わっていた。その想いが、願いが、……もしも叶うのであれば……」
イネディットがそっと手を伸ばす。
セルベシアがその手を力強く握った。
イネディットは、空に浮いて去っていった。
なんでもオイネの進軍を止めに行くらしい。
彼女は去り際に、僕を見て呟いた。
『黒髪黒瞳の迷い人か……。探していた其方に、よもや余の侵攻が阻まれることになろうとはな……』
なにを言ってるのか、よくわからない。でもイネディットは僕に用があるらしく、また会いたいとのことだったので、うろの家の場所を教えておいた。
家のある大樹は目立つから、きっと迷わずに来られるだろう。
「……トール! ほんっと、あんたは!」
コロナが飛びついてきた。
「ご、ごめんね、コロナ!」
「心配かけて! バッカじゃないの!」
続いて、騎士のみなさんが寄ってきた。セルベシアと僕を取り囲む。
「団長! すごい戦いでした!」
「まさか白竜を、己が騎竜にしてしまうとは……」
「ところで……あの白竜はどこに?」
わいわいと騒ぎ始めた。どのひともぼろぼろだけど、皆さんいい笑顔だ。
輪のなかから、ひとりの騎士が前に歩みでた。さっきイネディットを、熱い視線で見つめていた彼だ。
「ああ、そうだ。紹介しようトール。こいつはキルケニー……」
なんでも金ピカの彼は、セルベシアの長年の友人らしい。
友人といってもふたりは全然タイプが違う。でもこういうのって、案外そのほうが馬が合うものなのかもしれない。だって僕とコロナも、親友なのにタイプ違うしね。
「ところでセルベシア……」
キルケニーさんがニヤニヤしている。
「俺にはそっちの坊ちゃんを、紹介してくれないのかい?」
坊ちゃんって僕のこと? いきなり失礼なやつだな。これでも26なんだけど。
「ああ。紹介しよう……」
セルベシアのしなやかな腕が、腰に回された。そのままグイッと引き寄せられる。
「ちょ、ちょっとセルベシア!?」
「こいつの名前はトール。皆が先程みた白竜は、こいつが変じたものだ。……そしてこの者は、この私を、妻に娶る男だ」
「――ひゃわぁ!?」
な、なな、なぁ……っ!? つ、つつ、妻に娶る!?
た、たしかに! たしかに……プロポーズはさっき受けたけど!
まだ返事もしていないのに!
「はわ、はわわわ……。トールがお貴族さまと……」
直ぐそばでコロナが呟く。彼女も顔を真っ赤にして、目を回していた。
「……あは、あはははは! いいねぇ! いいじゃないかセルベシア! あはははは!」
キルケニーは凄く愉快そうだ。というか笑いすぎじゃない?
彼は目尻に浮かんだ涙を、指で拭っている。
「……私は、本気だ」
「わかってる! わかってるってセルベシア! でもその坊ちゃんは白竜なのかもしれないけど、貴族じゃないんだろう? 身分差はどうするんだい?」
「うぬ……。それは……」
セルベシアが眉を顰めた。対称的に、キルケニーはニコニコ笑顔だ。
「俺にいい考えがあるよ? 聞いてみる?」
「……なんだ? 言ってみろ」
金色の彼はコホンと咳払いをする。
「それはねぇ……」
もったいぶって言葉を区切った。
「はやく言え」
「……それはだねぇ。聖教会の連中を担ぎ出すのさ! なんたって、竜伝承の『救いの御手たる白き竜』だ! きっと聖国の連中ってば、救世主だ、勇者だって持ち上げてくれるよ!」
は、はぅえ!? ぼ、僕が勇者!?
なにを言ってるんだこのひと! 頭は大丈夫だろうか?
「……ほう。それなら釣り合うな」
セルベシアがあごに指を添えて考え込んでいる。……って、「ほう」じゃないでしょ!
「な、なんの話なんだよぉ!?」
辺りの騎士たちも「勇者……。勇者だ……」と口にしながらざわめきだした。
なんなんだ、このひとたち!
「あはは! これからよろしくな、勇者さま? あはははは!」
大空に、彼の楽しげな笑い声が響き渡った。
8時、12時、15時、18時、21時、0時の、一日6回更新になります。