イネディット04
宮殿に設けられたとある一室。『降霊の間』と名付けられたその広間の中央には、大きな陣が描かれている。幾何学的な紋様が入り混じった、複雑な陣だ。
「……どうだ?」
その中心に立った余は、ひと声掛けてから周囲の宮廷魔術師どもを見回した。
彼らの顔色は、一様に重苦しい。
「……魔力が、馴染み切りませぬ」
「調整には、いかほどの時を要する?」
「……まだしばらくは」
歯切れの悪い受け応えだ。難航している様子が伝わってくる。
しかし、此奴らが最大限の努力をしていることを、余はちゃんとわかっておる。
とはいえ余の言葉は決まっている。
「急げ。もう猶予はない」
「……はっ。なんと致しましても!」
頭を下げる魔術師どもを横目に、余は広間をあとにした。
日付も変わり、今日も余は単身国境に出向いて、王国騎士どもを相手取り戦ってきた。先程戦闘を終え、宮殿に帰ってきたばかりである。
「陛下……!」
爺が寄ってきた。だが、いつもとは少し様子が異なる。
「どうしたのだ? そのように慌てよって」
「こ、これは申し訳御座いませぬ。つい気が急いてしまっておりました」
「……何があった? 申せ」
爺は畏まった態度で頭を下げる。そして重々しい口調で報告をしてきた。
「シャハリオン帝国よりの知らせが参りました。ついにかの者ども、王国、鋼鉄騎士団を打ち破ったとのことに御座います」
「――ッ!?」
報を受けた余は思わず息を呑んだ。
ついに……。
ついにこの時がやってきたのだ。
「……陛下のご尽力が、遂に実を結びましたのじゃッ!」
シャハリオンの者どもには、随分と手を尽くしてきた。
謀反も裏で糸を引き、王国との戦線維持の援軍を無心される都度、その要望に応えてやってきた。こちらの兵が手薄になるのも構わずにだ。
薄くなった分は、余自らが戦さ場に立ち、補ってきた。
それも全ては、いまこの時のため……。
「……王国の動きはどうなっている?」
「詳しくは、内偵よりの報を待たねばなりませぬが、まず間違いなく、聖銀騎士団めがシャハリオン帝国の対処に乗り出しましょう」
王国最大かつ主力の騎士団、聖銀騎士団。彼奴らの半数は、元より我ら解放国家オイネとの戦線に当たっている。そして残り半数は、王都に詰めていた。
その残りの騎士どもが、鋼鉄騎士団の敗走を受けてシャハリオン対策に当たる。
「……これで王都に残る戦力は、黄金騎士団と王竜騎士団のみということになるな」
「左様に御座います」
黄金騎士団は王都防衛と王族近衛を任とする。
しかしその実、前線に出ることのない黄金騎士団を構成する騎士どもは上級貴族ばかり。公爵家や侯爵家の子女が、箔をつけるために入団している場合もある。そのような温室育ちどもなど、物の数にも入るまい。
王竜騎士団は精鋭集団なれど、規模としては小規模。そもそも竜騎士どもは遊撃部隊なのだ。王都全体を防衛するには不向きである。
「……爺」
一拍置いて命令を下す。
「……元老院、および軍関係者を全て、大議事堂に召集せよ」
「……ははぁ!」
「爺は『降霊の間』で儀式の準備を進めておけ。余は大議事堂へと向かう!」
壇上へ立ち、集まった皆を睥睨する。
どの者らも引き締まった良い表情をしている。来るべき時が来たことを理解しているのだ。
それを眺めて余は確信した。王国との長きに渡るこの戦乱も、我らオイネの戦士たちの志を挫くことは、微塵たりとも叶わなかったと。
「皆よ、よく聞け。……シャハリオンの者らが、鋼鉄騎士団を打ち破った」
事前に知らせを受けていた者らが、重々しく頷いた。知らなかった者らも、薄々感じてはいたのだろう。余の言葉を受けても浮き足立つ者はいない。
「其方らも知っておろう。ペルエール王国めが我らにした仕打ちを」
恋仲にあった開祖オイネを追い落とし、奪い取った地位で王国を築いた、欺瞞の英雄王ペルエール。
余を魔女と罵り、余の愛するこの国を魔国と蔑み、侵略してくるかの者ども。
枯れた大地で貧しさを強いられる民たち。
「……余は王国を許せぬ。悪しきかの国を打倒し、全ての迫害、飢え、絶望から、余の民を……解放する」
集まった皆の心はひとつである。
「……そうだ。解放を!」
「打倒、ペルエール王国……!」
「いまこそ、民の解放を……!」
皆も今まで耐えに耐えてきたのであろう。吐き出す言葉が重い。
この場に集ったのは、等しく苦難を乗り越えてきた者らだ。彼らはいまに至るまで、如何な辛酸を嘗めてきたのであろうか。
「……皆よ」
再び議事堂が静まった。
集った猛者のひとりひとりを見回し、万感の思いを込めて、余は号令を下す。
「余と共に立ち上がれ! これより解放国家オイネは全軍を挙げて、怨敵ペルエール王国へと、進軍を開始する!」
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