トオル03
僕は必死の形相で森を逃げ回る。
「な、なんなんだよ、これええええっ!?」
後ろから巨大猪が追いかけてくる。樹々をメキメキと押し倒して、地鳴りみたいな足音が近づいてきた。
もうだめだ。脚がうまく動かない。すぐ背後まで猪がやってきている。
「はぅわあっ!?」
木の根に足を取られてすっ転んだ。ごろごろとむき出しの地面を転がる。
「いたぁ……。あいたたた……」
打ったところがあちこち痛い。ついでにいうと、なんだか体が燃えるように熱い。腰を押さえて起き上がると、目の前に巨大猪がいた。
「あ、あは……。あははは……」
猪は僕を見下ろしながら涎を垂らしている。ギラリと光る大きな牙が恐ろしい。
「もう……、だめかも……」
怪物が「ぶるるぅ」と鼻を鳴らす。吐き出された生臭い息が、僕の前髪を揺らした。
「いやだ! やっぱり死にたくない!」
これで終わりなんてあんまりだ。まだ彼女だって出来たことないんだぞ! こんなところで死んでたまるか!
「ひ、ひぅぃ……?」
四つん這いになって、這い回りながら逃げようとする。さっきからこう……体が熱い。
猪が大きな口を開いた。凶暴な歯を見せつけるようにして、顔を近づけてくる。
「いや……いやだ……。絶対いやだ!」
気持ちとは裏腹にすくんだ脚は動かない。腕で頭を庇いながら、亀みたいに丸くなった。
――死にたくない死にたくない死にたくないまだデートもしたことない童貞なんだぞ死んでたまるかこのまま死んだらいったい僕はなんのために生まれてきたんだ絶対に死にたくない!
動悸が激しくなる。
どくんどくんと心臓が激しく脈打ち始めた。さっきからずっと、体が燃えるように熱い。もしかすると、死ぬときってこんな感じなのかな?
体の内側が引き裂かれるように痛む。メキメキと筋肉が軋む音がうるさいくらいだ。
「ぶるっ!? ぐ、ぐるぉふ……ッ!?」
巨大猪が声を漏らしている。なんだ? いただきますとでも言おうというのか? ふざけやがって! 僕はお前の餌じゃないぞ!
体をジタバタさせて必死の抵抗を試みる。振った腕が硬いものにぶつかった。
「ぶ、ぶるるふぅっ!?」
ガキンと硬質な音がして、大きななにかがすっ飛んでいく気配がする。
(な、なに!? いまのは一体!?)
抱えた腕の隙間から、猪をちらりと見てみた。すると、あんなに立派だった大牙をへし折られて、這々の体で逃げていく巨大猪の後ろ姿が見えた。
(どういうこと!? 僕、助かったのか?)
丸くなった体をほどく。少しだけ緊張を解いて息を吐き出すと、周囲の草木がざわざわと揺れた。その場にお尻を下ろすと、ずんっと重たい音がした。
なんだろう、いまの音は? まだ危険は去っていないのだろうか?
不意に自分の手のひらをみた。
するとそこには、強靭な鉤爪のついた、爬虫類らしき生き物の巨大な手のひらがあった。
「……ぐぉ?」
なんだこれ。にぎにぎしてみる。それにあわせて白く大きな手のひらが、閉じ開きする。
パチンと指をならしてみた。すると目に映った鉤爪つきの指も、同じように指をならそうとして失敗する。指ならすの下手くそだな、こいつ。
今度は自分の体を見下ろしてみた。
「…………ぐるぉ?」
だから一体なんなんだこれ。そこには純白の竜鱗に輝く、巨大な体があった。
はち切れんばかりの筋肉に覆われた、恐ろしくも美しい体躯。ぺちぺちとお腹を叩いてみると、たしかに感触が伝わってくる。もしかして、これは、僕……?
「…………ぐる、……ぐるぉおおおおおおっ!?」
声にあわせて、ばさばさと鳥たちが羽ばたいていく。僕の叫びは恐ろしげな咆哮になって、深い森に響き渡った。
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