トオル19
その日、セルベシアが剣を振っていた。跳ねた汗が日の光を反射する。
「……はっ! ……てあ!」
素人目にもその太刀筋は美しい。流れるように弧を描いて、訓練用の丸太を断ち切っていく。
凄いなぁ……。というか、丸太って剣で斬れるものだったんだぁ。
おそらくリハビリなんだろう。もう彼女は、力強く動き回れるまでに復調していた。
「……白竜か」
「ぐるぅ。ぎゃりりる?(ごめん。訓練の邪魔しちゃったかな?)」
彼女はハービストンの背から手拭いをとり、額の汗を拭う。
様になった振る舞いだ。思わずドキッと胸が高鳴った。
「……ちょうどいい。話しておきたいことがある」
なんだろう? 頭をセルベシアの目線まで下げて、耳を傾ける。彼女はいつものように僕の顔を撫でながら、ゆっくりと話し出した。
「……世話になった。明日、ここを出る」
「ぎゅらぁ!?(そんな!?)」
いくらなんでも急過ぎる! 別れはくるとしても、まだ先だと思っていた。
「ぐ、ぐるぅ!?(ど、どうして!?)」
「もともと騎竜さえ飛べれば帰れたのだ。……ハービストンはとっくに回復している。ここは居心地が良すぎて、つい長居が過ぎた」
僕は何度も騒いで説得をした。けれども、セルベシアの決意は変わらない。彼女が真っ直ぐに僕の顔を見据えた。
「私は、明日、王国にもどる」
最後に一言そういって、彼女は押し黙った。
僕はそれ以上もう、なにも言えなくなって、口を噤んだ。
別れの日がやってきた。
今日のこの場には、コロナにも来てもらっている。セルベシアに呼ぶよう頼まれたからだ。彼女には家の持ち主はコロナだと伝えてある。だから僕に、連れてくるよう言ったのだろう。
「今まで家を使わせてもらって助かった。礼を言う」
「い、いえ! あ、あたしはなんにも……!」
頭を下げるセルベシアに、彼女はタジタジだ。
「この礼は必ずする。差し当たりだが、滞在中になめしておいた毛皮や、塩漬け肉を家に置いてある。受け取ってくれ」
「は、はい……! あ、ありがとうございます!」
コロナと話し終えた彼女は、今度は僕に向き直った。
でも彼女はなかなか口を開かない。僕と見つめ合ったままだ。
セルベシアはいま、なにを想っているんだろう。
(心のなかが、覗けたらいいのに……)
竜の僕と竜騎士の彼女。
視線を絡めあい、じっと見つめ合う。
しばらくの間そうしていると、なにか暖かなものが、胸に流れ込んでくるような気がした。
共感? 感応? よくわからないけど、お互いの気持ちが共鳴するような、そんな得も言われぬ想い。不思議な感覚。
……それでようやく理解できた。彼女も、僕との別れを惜しんでくれている。
セルベシアが僅かに目を伏せて、もう一度顔を上げた。
「……白竜よ」
手を伸ばしてくる。それを察した僕は、頭を下げて彼女のもとに頬を差し出した。彼女がいつもの柔らかな手つきで、僕を撫でる。
「これが最後ではない。……きっと、また会える」
呟きながら彼女は、ずっと頬を撫でてくれた。
セルベシアが僕から離れ、騎竜のもとへと歩んでいく。その後ろ姿をなにも言えずに見送る。
「……あんた。……ほんとにいいの?」
コロナが表情で叱責してくる。でもそんなに責めないで欲しい。
僕だって彼女にすべてを打ち明けたい。
でも受け入れて貰えなかったとしたら……。魔女の手先だなんて罵倒されたら……。
そう思うと震えがくるほど怖いのだ。
セルベシアが足を止めた。ゆっくりとこちらを振り返る。真っ直ぐに僕を見据えた。
「……やはり、……顔を見せてはくれぬのだな」
僕も彼女を見つめ返す。その表情はいつもと変わらない。
(…………あ)
けれどもわかった。また想いが流れ込んできた。さっきからなんなんだろう、この感覚は。でもいまは細かなことはどうでもいい。
気丈に振る舞ってはいるものの、彼女も寂しさを押し殺していることがわかる。
セルベシアはいま思い返している。僕との最初の出会い、一緒に食べた食事、焚き木を囲んで語り合った夜。
そこに僕の想い出が重なる。彼女をはじめて見つけた日のこと。目を覚ますのをいまか、いまかと待ち侘びた日々。それから始まった、彼女との、心踊る毎日。
(…………ぁ、……ぁあ……)
ごちゃ混ぜになって溢れた感情が、怖さを上回った。
「……ぐるぉ」
漏れ出した声は、もはや意味をなさない。
けれども彼女は、それですべてを察してくれた。黙って僕に背を向けて、じっとその場に佇む。それを見届けてから……。
――僕は、竜化をといた。
コロナがうろの家から、毛皮を取ってきてくれた。それを体に巻きつける。
「……もう。……こっち向いて、いいよ?」
ゆっくりと、セルベシアが振り向いた。優しい眼差しで僕を眺めて、柔らかく微笑む。
「ようやく、顔を見せてくれたな?」
「……驚かないの?」
白竜の正体が僕だと言うことも。この黒髪と黒瞳のことも。
「ああ」
「……どうして?」
「……知っていた、からな」
息を呑む。知っていた?
「……すまない。お前が言いたくないのであれば、聞かないでおこうと思っていた」
「ど、どうして、知っているんですか?」
「沢でな……。彼女と話しているところを、見た」
コロナに視線をちらっと移す。
なるほど。そういうことだったんだ……。
「……言ってくれれば良かったのに。意地悪だよ。これでも結構悩んだんだから」
「……すまなかった。私も怖かったんだと思う。要らぬ追及をして、お前との心地よい関係が、壊れてしまうのではないか、とな」
お互いに黙って見つめ合う。ふいに彼女が口を開いた。
「……名前を、聞かせてくれるか?」
「上坂、とおる……。僕は、とおるです……」
「……ト、オ、ル。……トールか」
繰り返し、彼女が僕の名前を反芻している。
「トール……。こっちに来て、もっとよく顔をみせてくれ」
促されて、一歩を踏み出す。そこで僕の足は、また止まってしまった。
「なぁに、ビビってんのよ! ほら!」
「うわっ!?」
コロナがドンと僕の背中を押した。でも強く押しすぎだ。勢いよくつんのめって前にでた僕を、セルベシアが抱きとめてくれる。豊かな胸に頬が埋もれた。
「……顔を、あげてくれ」
彼女の胸から顔を離す。
セルベシアと目が合った。真っ直ぐに僕の瞳を見つめている。憂いを含んだ碧い瞳が潤んで揺れていた。ふっくらとした薄桃色の下唇が、わずかに濡れている。
「それで……、それでだな……」
彼女の頬が紅潮していく。耳まで真っ赤だ。
「トール……。私は、だな……」
セルベシアが言葉に詰まった。肩が小さく振るえている。その様子に気付いて、僕の覚悟は決まった。
「す、少し、いいかな?」
彼女の腰に手を回す。思い切って引き寄せた。
「……っ!? なにを!?」
戸惑う彼女に構う余裕は僕にはない。そのままセルベシアの唇に、僕の唇を添えた。湿った感触が、触れあった唇を通じて伝わってくる。
「……ん!? んんん!? ぷはぁ! お、お前!?」
黙らせるようにもう一度唇を塞ぐ。限界まで見開かれていた彼女の瞳が、やがてゆっくりと閉じていく。セルベシアが僕を受け入れていく……。
心からの愛情を込めた情熱的な僕の口づけは、彼女の息がもたなくなるまで続いた。
8時、12時、15時、18時、21時、0時の、一日6回更新になります。