トオル17
セルベシアが森から帰ってきた。
ここ最近の彼女は、森を散策できるくらいに回復している。
「ぐるぁー(おかえりー)」
「……ああ。ただいま」
見ればセルベシアは、左手になにかをぶら下げていた。なんだろう。眺めてみる。
「……気になるか?」
彼女はそれを、僕に向けて掲げてみせる。
「ホーンラビットだ。以前、散策のついでに仕掛けた罠にかかっていた」
掲げられたのは、あの角の生えたうさぎだった。
2羽いる。いつだったか、僕がペットにしようかなぁって、頭を悩ませていたやつ。
「少し待っていろ。すぐ捌いてやる」
「……ぎゅる?(……捌く?)」
「……肉が食いたいと、そう言っていただろう?」
「ぐ、ぐるり!?(お、お肉!?)」
食べたい! お肉が食べたい! 食べさせてくれるのか? さすがセルベシア!
僕のなかのセルベシア株はうなぎ上りである。
でも、はて……? 僕、そんなことを彼女に、言ったっけ?
「……っと、まずはここを開いて」
考えていると、すでに彼女は獲物の解体を始めていた。
「……ぐ、ぐるぉ(……グ、グロいな)」
顔を背けてギュッと目を瞑る。このうさぎはもう、ペットには出来ないわぁ……。
しばらく待っていると、お肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。渇望したその香りに、否応なく食欲が刺激される。
「ほら、出来たぞ。『ホーンラビットの丸焼き』だ」
料理をお皿にのせて、差し出してくれる。脂がジュウジュウと弾けて、とっても美味しそう! 僕は頭を下げて、鼻の先をお肉に近づけてみた。
「……きゅわぁ(……ふわぁ)」
いい匂いだ。
感動に胸を震わせていると、急に鼻先を撫でられた。ビクッとなる。
触ってきたのは、もちろんセルベシアである。
(ど、どうしたんだろう……?)
彼女から触れてくるなんて、初めてのことだ。戸惑っていると、その手が頬に移動した。セルベシアは無言で、竜になった僕の顔を撫で続けている。なんだか優しい手つき。
(はわ……、はわわわわ……)
待望のお肉のことも忘れて、童貞丸出しの僕は、柄にもなくドキドキしてしまった。
夕方。
僕はセルベシアと一緒に、うろの家の前庭にいた。
「日が落ちてきたな……」
言われてみれば、辺りが少し薄暗くなってきた。
竜化した僕の目は、どんな暗闇も見通すことができる。だから夜になっても灯りは不要だ。でも彼女は、そうではない。
「……っと。なかなか点かないな……」
セルベシアは火打ち石で、焚き木に火を起こそうとしている。けれども上手に火が点かない。今朝は少し雨がぱらついたから、組んでおいた薪が湿気ってしまっているのだろう。
「ぎぎるるー(僕がやるよー)」
彼女は頷いて、薪から離れた。
焚き木に顔を近づける。僕は細く細く息を吐いて、炎を吹き出した。でも最大限まで加減しているというのに、吐き出す炎は結構な勢いである。
しばらくすると、薪がパチパチと音を立てだした。焚き木に火が灯って、ボワッと燃え盛る。
……ぃよし。こんなものだろう。
灯った炎を見つめていると、また頬になにかが触れる感触がした。
セルベシアの手のひらだ。
「……すまないな。ありがとう」
今日も彼女は優しい手つきで、僕の頬を、鼻を、顎を撫でまわす。
なんだか頭がぽーっとしてきた。意識がふわふわとしてしまう。
「さあ、食事を作ろう。そうだな……。ワイルドボアのシチューなんかどうだ? 柔らかくなるまで肉を煮込むんだ」
「……きゅるふぅ(……じゃぁそれでぇ)」
月明かりと焚き木の炎が、柔らかく辺りを照らす。
僕たちは仲良く鍋を囲んで、食事を楽しんだ。
今日も今日とて、彼女が料理をしてくれている。なんでも今日は『ドードー鳥のスパイス焼き』とかいうご飯らしい。
どんなのなんだろうか。セルベシアの作るお料理は、みんな美味しいから期待してしまう。
ここのところの僕は、すっかり彼女に胃袋を掴まれてしまっていた。
(……は!? これって餌付けじゃないのか!?)
いま気付いた。これまで彼女がなんとなく優しかったのは、僕をペット扱いしていたからか!? こ、これは由々しき事態……。でも実際にもう、すっかり僕は彼女に手懐けられていた。
「少し時間を置くぞ。スパイスを馴染ませたほうが、うまいからな」
うんうんと首を振る。
いつからか、セルベシアは僕によく話しかけてくれるようになっていた。最低限の会話しかなかった最初の頃を思い返すと、ここ最近は随分と楽しい。
彼女を眺めた。捌いた鳥の肉にスパイスを擦り付けている。
お互いしばらく無言になる。
そうしていると、視線を料理に落としたまま、彼女が語り始めた。
「……私はな。ずっと、偉大な竜騎士である、父の背中を追いかけてきたんだ……」
僕に聞かせているのだろうか。でも独り言みたいにも聞こえる。
「兄には剣の才能が微塵もなかった。逆に私は幼い頃、父に才能を見出されてな。それが嬉しかったことを覚えているよ。だから小さな頃から学問も、武術も、出来得る限りの努力を惜しまなかったし、実際に私は、様々なことが人よりも上手く出来た。……父の期待にも、応え続けてこれたと思う」
相槌を打つのはやめておく。しっかりと、彼女の話に耳を傾ける。
彼女もそんな僕を軽く振り返って、柔らかく微笑んだ。
「だがいつのころからか……、私の肩には、力が入りすぎていたのかもしれん……。いつからか私は、友人からも配下の騎士からも、恐れられ、気付いたときには距離を置かれるようになっていたよ……」
彼女は話しながら、馴染ませた鳥肉を、石のフライパンで焼き上げていく。美味しそうな匂いが漂いだした。
「きっと視野狭窄に陥っていたんだろうな。……だが白竜よ。私はここでお前と出会い、お前と穏やかな時を過ごしてから、……なんだか張り詰めていた緊張が、解けた気がするのだ」
セルベシアが軽く笑う。僕もいまの彼女のほうが好きだ。
「さぁ、出来たぞ。食事にしよう!」
お皿を差し出してくれる。
そこには、最初の頃の気難しそうな彼女は、もういなかった。
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