セルベシア05
大樹の家を離れ、森へと足を踏み入れた。この森には魔獣が多く棲息している。
とはいえここら一帯は、あの白竜のテリトリーだ。危険を犯してまで侵入してくる獣も、そうはおるまい。
だが一応の警戒だけはしつつ、森を散策する。澄んだ空気を楽しみながら、周囲を見渡した。
樹々の合間から光が射している。豊かな自然だ。そして、いくつもの生命の息吹を感じる。
これで魔獣さえおらねば、付近の村々もその恩恵にあずかれようものだが、こればかりは仕方がない。そんな詮のないことを思いながら、歩く。
すると遠くからチョロチョロと、水の流れる音が聞こえてきた。
「……ふむ。……小川か?」
私はそちらのほうに足を向けた。
小川に近づくにつれ、私の耳は水音以外の音を拾うようになっていた。
複数の人間らしき者どもの声。恐らくは、まだ年若い男女のものだ。だがそれが、ひとの発する声とは限らない。魔物のなかには、人間を模したようなものもいる。
海には船乗りを惑わせるセイレーンなる魔物もいるし、この森にだって、ドライアドや、ハーピー、ラミアなどが出没するのかもしれない。
息を殺しながら、声のするほうへと近づいてく。腰に佩いた剣の、柄の感触を確かめた。
徐々に視界が開けはじめた。見えてきたのは沢だ。
(……ぬ。……あれは……?)
沢の大きな岩に、ふたりの人間が腰掛けている。ひとりは以前に話をした村娘、コロナ。
そしてもうひとりは――
(…………なっ!? 魔女……だと……!?)
もうひとりは、黒髪黒瞳の魔女だった。もしやイネディットが追ってきたか!?
(……い、いや。……違う)
あいつではない。遠目では判然としないが、あれは……男だ。
そこにいる黒髪黒瞳の男は、まだ成人したてという風貌だった。おそらく年の頃は18から19だろう。魔女イネディットではない。では魔女の手先の何者かであろうか。
(……一体、なにを話している……?)
聞き耳を立てながら、繁みに身を隠した。
「……はい、コロナ! 前に約束しただろ? ご飯をご馳走してあげるって!」
「そ、そういえば、そんな約束をしたかもしれないわね?」
「なんだよ、もう忘れてる。約束したんだよ! だから、ほら! ジャーン!」
黒髪の男がなにかを取り出した。
なにを取り出したのだ? ここからの角度では、手元が見えない。
「たくさん用意したんだ! ニジマスの直火焼きに、ニジマスの蒸し焼きに、ニジマスの香草焼き!」
「……同じ魚ばっかりじゃない?」
「これの美味しい食べ方を、いま研究してるんだよ。だからコロナも、どれが美味しかったか、感想を教えてねー」
「……ま、いいけど」
どうやら食事を始めたようだ。あれは……ミュキスだろうか。
「そういえばさ、あんたいまは、どこに寝泊まりしてるのよ?」
「えっと、寝泊まりは竜の姿で大樹のうろの家の前だな」
「じゃあ、寝泊まり以外は?」
「ちょっとここからは見えにくいけど、もう少し沢をのぼった先に、岩塩の採れる小さな洞窟があるんだよ。そこで料理したりお風呂入ったりしてる」
ふたりは食事をし、雑談を交わしているだけに見える。
「へえー。あんたも大変ねえ」
「そうかなぁ。……うーん、そうかも?」
「そんな苦労しないでも、騎士様に正体を明かして、家で暮らせばいいじゃないの」
「だ、だめだって、そんなの!?」
しばらく眺めていると食事が終わった。
黒髪黒瞳の青年は大きく伸びをして、岩にゴロンと寝転がった。
「ふぃー。食べた食べた! 余は満足だ!」
男の口調が、イネディットと僅かに重なる。やはりこの者……魔女の手の者か?
緩みかけた気を引き締め直し、注意深く耳を傾ける。
「……ふん。ご馳走さま。な、なんならまた一緒に、ご、ご飯食べてあげても、いいわよ?」
「うん。また一緒に食べようか。あ?……。でも最近、川魚には飽きてきちゃったなぁ。お肉が食べたいよー」
……肉? 肉が食らいたい?
一体なんの話だというのだ。さっぱり理解が及ばない。
「あたしはそろそろ戻らなきゃ」
「あっ、そうだな。じゃあ送ってくよ!」
黒髪の男が立ち上がって、こそこそと服を脱ぎ始めた。村娘コロナは少し離れ、赤面しながら男に背を向けている。なにが始まろうというのか。
「じゃあ、変わるぞー。……ふんぬぬぬ」
男の肢体が膨らんでいく。刹那ののち、あらわれたのは白竜。
(……なっ!?)
それは、見慣れたあの、白き竜だった。
「ぐるぉ」
促されたコロナが、白竜の背によじ登っていく。竜が羽ばたいた。巨体が宙に浮く。
そのまま白竜は天高く舞い上がり、彼方へと飛び去っていった。
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