セルベシア04
どうにも様子がおかしい。
魔女との戦いに敗れた私は、なんとかして魔の森に落ち延びたらしい。
魔の森は生半可な場所ではない。数多の魔獣どもがひしめき合い、例え騎士団といえども安易には踏み込めぬ魔境だ。だが私はそこで拾われ、手厚い看護を受けた。
……しかもだ。
いま私は、白竜に面倒を見られている。
一般に『竜』と言えば、ワイバーンを指す。これは王国でも魔国でも同じだ。
例外的に聖国イエスビーの聖教会では、宣教師どもがドラゴンを指して竜と呼ぶが、これは彼らが喧伝する竜伝承に根ざすものだろう。
ドラゴンは、伝説的な存在だ。
例を挙げるならば、世界の終焉に現れ、すべてを業火で焼き尽くすとされる『獄炎の火竜』。
大海の果ての滝。一切合切を奈落につき落とす、その大滝に棲まうという『最果ての水竜』。
大陸を抉る未踏の裂け目に棲まい、大地震をも容易に引き起こすと言われる『峡谷の地竜』。
どれもお伽話である。
ただ近年の歴史で、唯一その実在が確認されたドラゴンもいる。百五十年ほど前、建国間もない王国に顕現し、あらん限りの破壊をもたらしたと伝えられる『滅びの黒竜』だ。
この黒竜は、王国の開祖たる英雄王ペルエールに討たれた。しかし黒竜の信奉者どもが、北東の枯れた土地へと逃れ、魔国オイネを建てたのだ。
それ以降、ドラゴンは一切確認されていない。
「ぎゅる? ぐりぃ!」
今日も窓から、白竜が私を覗いてくる。朝の挨拶でもしているつもりか。目眩がしそうだ。まったく、一体なにがどうなっているんだか……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日、白竜が村娘を連れてきた。たしか、名をコロナと言ったか。
結った栗色の髪を肩から下げた、翡翠色の瞳をした娘だ。おそらく歳の頃は20というところだろう。
あの娘。……正直なところ私には、ただの村娘にしか見えなかった。
だというのに魔の森に家を持ち、白竜を手なづけていると言う。ならば大樹をくり抜いたこの家も、かの娘が作ったというのだろうか。
とてもそうは思えない。おそらく私は、なにかを隠されている。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
白竜が魚籠を抱えて戻ってきた。
我が騎竜、ハービストンに餌を与えている。あいつも白竜に随分と懐いているようだ。
「ぎゅるるりー」
玄関口に川魚が差し込まれた。ミュキスである。
以前なんとなく私は、このミュキスを食べながら、『川魚のなかでは、こいつが一番うまい』と呟いたことがあった。その独り言を聞きつけた白竜は、それからというもの、この魚ばかりを採ってくるようになった。
この竜は恐らく人語を解するのであろう。ドラゴンとはかくも賢きものかと、感心してしまう。だが、毎日、毎日、ミュキスばかりだ。たしかにこの川魚は美味いのだが、そればかりでは……正直飽きる。
とはいえ私は世話をされる身。感謝こそすれ、贅沢などいうわけにはいかぬ。
バッグから火打ち石を取り出し、竃に火を入れた。受け取ったミュキスのうろこをナイフで削ぎ落とし、下処理をする。岩塩を振ってから、直火で両面を焼き上げた。
「…………ん?」
視線を感じて顔を上げると、白竜が窓から私を見ていた。料理を作る手元を、じっと眺めている。
「……こんなものを見て、楽しいか?」
白竜が何度も頷く。
そうか。楽しいのか……。
僅かばかり考えてみる。そう言われてみれば、私も少し楽しいかもしれない。
「……お前も食うか?」
「ぎゅるあ!?」
なんとなく、白竜が笑った気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
体調も随分と戻ってきた。
本格的なリハビリはともかくとしても、少し辺りを散策するくらいなら出来そうだ。
「……今日も、陽射しが暖かいな」
やはり外は良い。ベッドに体を横たえているだけでは、鈍ってしまう。こうして陽の光を浴びて体を動かすと、手先足先に至るまで、暖かな血が通っていくのがわかる。
「……すぅぅ。……はぁぁ……」
澄んだ空気を肺に大きく吸って吐き出すと、ぼやけていた頭が覚醒し始めた。
首を軽く回して、辺りを見回した。白竜の姿を探す。だがどこにも、かの美しき竜は見当たらない。
「……ふぅ。……いないのか」
ため息を吐いた。いったい私は、どうしたのだろうか。なんとなくだが、あの白く輝く神秘的な姿が見られないことを残念に思う。
「ハービストン。出かけてくる。すぐに戻る」
騎竜に声を掛けて剣を携え、私は森へと足を踏み出した。
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