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悪役令嬢の父親に転生した俺は愛娘を全力で教育する

作者: チェレステ

 一台の馬車が石畳の街道を走る。

 まるでレースにでも出ているかのような速さで、前を走っている他の馬車を次々と追い越していく。

 当然、街道はレースコースではない。追い越された者たちは、走り去る馬車の後ろ姿を驚いた面持ちで見送るばかりである。


「頼む、もっと速く走ってくれ!」

「無茶言わんでください、これが限界です!」


 爆走する馬車に乗る男の声色は、悲痛なほど切羽詰まっていた。

 彼の懇願を聞いてあげたいと思うが、御者には拒否以外の選択肢はなかった。これ以上馬車の速度を上げると、制御できなくなってしまう。

 男の名前はリック・アディス。ブレンダムド王国有数の大貴族、アディス家の当主である。

 リックがここまで急いでいるのは、当然ではあるが理由がある。

 ついさっき、病院から「子供が産まれそうです。すぐに来てください」という報せを受けた。

 病院には、愛する妻であるモニカがいる。

 今この瞬間、夫婦念願の第一子が産まれようとしているのだ。


(クソッ! まだ着かないかよ!)


 普段なら矢のような速さで過ぎる短い時間も、気が狂いそうな長さに感じる。

 しかし、今のリックにできるのは、早く着いてほしいと祈るだけである。


「リック様、着きましたよ!」

「!」


 病院の前で馬車が止まる。

 その瞬間、リックは馬車から飛び降りる。

 不恰好な着地だが、それでも動作は速かった。


「ありがとう!!」


 病院に向かう途中、リックは走りながらも肩越しに振り返り、普通よりずっと速く病院の前まで運んでくれた御者に礼を言う。


「俺なんかにお礼なんていいですから、急いでください!」


 そんな御者の応援を背に、リックは病院の玄関の扉を開けた。


「妻は、モニカ・アディスはどこにいる!?」


 リックの叫び声が病院内に響き渡る。

 病院内にいる数多の人間の視線がリックに突き刺さるが、そんなことを気にしている暇はない。


「お待ちしておりました、リック様。奥様は506号室の病室にいらっしゃいます」


 一人の看護婦がリックの質問に答える。

 準備していたかのように、落ち着いた口調だ。いや、実際に準備していたのだろう。

 ただ、今のリックは看護婦の口調に考えを割く余裕などなく、ほぼ反射的に足を動かした。

 妻がいるのは、いつもの病室だ。頭にあるのはそればかりである。


「あっ、リック様!」


 看護婦の呼び止める声など届くはずもない。

 飛ばし飛ばしで、リックは階段を駆け上がる。

 足の筋肉が悲鳴を上げているのも、肺が必死に酸素を求めているのも、今のリックには気にならなかった。

 あるのはただ、妻が、そして産まれる子供が無事でいるかどうか一刻も早く確かめたいという想いだけである。

 妻の病室がある階層に着き、リックはもう一踏ん張りだと言わんばかりに廊下を走る。

 見慣れたドアが見えた。妻のいる病室のドアである。

 興奮が最高潮に達し、リックは体当たりするような勢いで病室に入る。


「モニカ!!!」


 リックの目に映ったのは、ベッドにいる妻が、すやすやと眠る赤ん坊を抱いている姿だった。


「リックさん!」

「そ、そうか。無事に、産まれてくれたのか……」


 安堵と同時に、これまで無視していた疲労と痛みが怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 立っていられず、崩れるように床に座り込む。

 苦痛の中ではあったが、リックの顔にあるのは満面の笑みであった。


「リ、リックさん!? 大丈夫ですか、今看護婦を──」

「だ、大丈夫だ。ちょっと疲れただけだから……」


 大きく息を吸って、吐いて、それを何度か繰り返して、どうにか呼吸を整える。いや、整えた気になっているだけかもしれない。

 休憩を欲する両足に鞭打ち、立ち上がる。


「すまないな、君に心配させないために来たのに、逆に心配させてしまうなんて。情けない限りだ」

「もう、情けなくなんかありませんよ。疲れも忘れるくらい急いで来てくれたんですもの、とても嬉しいです」

「そう言ってくれると、俺も気が楽だよ。ところで、この子の顔を見てもいいかな?」

「ええ、もちろんです」


 モニカのいるベッドまで歩き、我が子の顔をそっと覗き込む。

 一言で言い表すなら、天使だった。贔屓目かもしれないが、いや、実際贔屓目なのだろうけれど、天使と見紛うような可愛らしさだった。

 リックの顔が自然と綻ぶ。


「そういえば、男の子なのか? 女の子なのか?」

「女の子です。すみません、お義父様たちは長男を期待していたのに」

「お前と子供が無事でさえいてくれれば、どっちだっていいさ」

「……お義父様たちの手前では言えませんけど、実は私もそう思っていました。元気で産まれてさえくれれば、それでいいって」


 モニカは嬉しそうに、そして悪戯っぽく笑う。


「じゃあ、女の子ならこの子の名前はアニカだな!」


 男が産まれた場合の名前、そして女が産まれた場合の名前を事前に考えていた。


「な、なあ。俺もアニカを抱っこしていいか?」

「さっき眠ったばかりですから、起こさないように注意してくださいね」

「ああ、気をつける」


 世界にたった一つしかない宝石を取り扱うよう、慎重に、丁寧に、アニカを抱き上げる。


「──!!!」


 次の瞬間、脳に衝撃が走った。

 娘を初めてこの手に抱いた衝撃── ではない。

 もっと別の、記憶の奥底を揺さぶられるような衝撃だ。

 その衝撃が、今まで脳の奥深くで眠っていた記憶の数々を呼び覚ます。

 日本というこことは違う世界で生きる、とある会社員の男の人生。この流れ込む記憶は何なのか、答えはその記憶の中にあった。

 前世の自分。陳腐な言葉だとは思うが、これ以上に腑に落ちる言葉はない。


(まさか俺が、転生者だったとは……)


 驚きはしたが、それだけだ。

 前世は前世。今の自分はリック・アディスであるし、これから先もそれが変わることはない。

 それに、前世の自分には、今世の自分のように愛する家族がいなかったのだ。前の世界は色々と快適そうだと思うが、未練は微塵もない。


(まあ、だからどうしたという話だ。こんな記憶、墓場まで持ち込むだけで── えっ…… あれ? おい、待てよ、嘘だろ!!??)


 信じられない、信じたくないほど衝撃的な記憶を追経験した。それこそ、自分が転生者だという事実なんて吹き飛ばしてしまうような衝撃である。

 これを奇妙な偶然というだけで切り捨てるのは、あまりにも恐ろし過ぎる。


「……」

「リックさん?」


 アニカを抱いたまま固まったリックを心配し、モニカが声をかける。


「……何でもないよ。アニカの可愛らしさに、思わず見惚れてしまったんだ」


 違う。アニカが可愛らしいのは事実だが、茫然としてしまったのには別な理由がある。

 しかし、その理由は誰にも話せない。たとえ、それが愛する妻であろうと。

 きっと信じてくれないし、リック自身にしか言葉の意味を理解できないだろう。

 アニカを抱いたまま、ベッドの端に腰を下ろす。

 モニカに気づかれないように、人知れず深刻な表情を浮かべる。


(俺の前世の記憶が正しければ、この世界は『わた騎士』が元になってる世界だ。まさか、漫画の世界に転生するとは……)


 わた騎士とは、『私の騎士がこんなにカッコイイはずがない』という漫画のタイトルの略称である。

 わた騎士は、主人公である花売りのレイミィが、上流騎士のシュナイゼンと結ばれるまでの物語だ。前の世界では結構売れていた漫画で、アニメ化もしていた。だからこそ、こうして記憶に残っているのだろう。


(いや、それもどうでもいい。重要なのは、この世界が漫画のストーリーに沿っているなら、俺の娘が悪役令嬢になってしまうってことだ!)


 わた騎士に登場する悪役令嬢は── アニカという名前だ。

 アニカはシュナイゼンに恋をして、あの手この手で彼を手に入れようとする。しかし、相思相愛である2人の仲は、何をしても引き裂けない。

 追い詰められたアニカは、レイミィを暗殺しようとしてしまうのだ。

 しかし、レイミィたちによってその悪事は公然の前で暴かれてしまう。


(悪役令嬢の── アニカの末路は、よく覚えている)


 そんなアニカに下された罰は、着の身着のままでブレンダムド王国外に追放されるというものだ。

 誰であろうと、たとえそれが親であろうと、アニカを手助けすることは許されない。たった一人、アニカ自身の力だけで、追放された先の地で生き抜かなければいけないのだ。

 死刑ではない。死刑ではないのだが、それが逆にリックの不安を煽る。

 追放された先で、腹を空かせた猛獣に出会ったら?

 いや、凶悪な盗賊団にでも捕まってしまったら?

 考えれば考えるほど、こんなにも可愛い我が子が迎える最悪な「もしも」が、次々と浮かんでしまう。


(させん、そんなことは絶っ対にさせんぞ!!!)


 リックはある誓いを心に立てる。

 愛娘が悪役令嬢に成長してしまわないように、全力で教育するという誓いを。









 悪役令嬢にしないために、何をすればいいのか。

 前世でわた騎士を読み込んでいたからこそ、リックには考えがあった。

 アニカが悪役令嬢になってしまった原因は、幼児的万能感を拗らせてしまったことにある。

 ならば、何事にも上には上がいるという至極当然の事実を、幼いうちから思い知らせればいいのだ。挫折を積み重ねれば、幼児的万能感も自ずと消え失せるだろう。

 未来のある子供にそんなことをするのは、とても残酷なのかもしれない。それでも、娘のためならやるしかないのだ。

 誓いを立ててから、5年の月日が経った。

 最初にアニカに習わせたのは── 剣術である。

 屋外の稽古場で稽古に励んでいるアニカの姿を、モニカと一緒に見守る。


「楽しそうだな、アニカ」

「ええ」


 やっているのは、他の門下生たちに混ざって剣の素振りをしているだけなのだが、アニカの表情はどこか楽しそうだ。


「でも、アニカに剣術を習わせたいなんて言い出したときは、本当に驚きましたよ」


 モニカが驚くのも無理はない。

 アニカに最も向いてなさそうなジャンルを、敢えて最初に選んだのだから。

 本来、剣術は上流騎士の家系が習わせるものだ。アディス家は騎士とは無縁の貴族なので、遺伝的な才能は期待できない。


「あの子には色々させてあげたいんだ。アニカにどんな才能があるのか、そんなの誰にも、アニカ自身にさえ分からないだろ? だけど、その才能を必死に探すのも俺たち親の役目だ」


 最初はモニカや周囲の人間も困惑していたが、この言葉で説得できた。

 ちなみにこの言葉、半分嘘だが半分本音だ。

 アニカに挫折を味わってほしいと思う反面、その過程できっと秘めているであろう才能を見つけてあげたいと考えている。


「リックさんの言うとおりです。だから私、アニカには音楽もやらせてみたいと思うんです!」

「いいじゃないか、音楽」


 音楽の才能ならあるかもしれないと、リックは大勢の前で楽器を演奏するアニカの姿を妄想する。


「リック殿、奥方殿、ご無沙汰しております」

「やあ、先生」


 リックたちの前に現れた初老の男こそが、剣術の師範である。ブレンダムド王国で最も優れた剣の使い手であり、何人もの剣豪を育てた実績がある。


「アニカはどうでしょうか?」

「素晴らしいですぞ、アニカお嬢様の剣の才覚は! 世界一の剣士になるのも夢ではございませぬ!」

「……んん?」


 予想外の返事に、リックは一瞬呆ける。

 「アニカお嬢様には剣の才能がございません」と返されるのを想定していたのに、実際に返されたのは真逆の意味の言葉だった。


「せ、先生。世辞は要らないぞ」

「儂がつまらぬ世辞を言うとお思いですかな?」

「……思わないです」


 この師範は厳しくて有名だ。どんなに地位の高い家の子供でも、才能がないと判断すれば容赦なく破門を言い渡す。

 つまり、師範の言葉は紛れもない真実なのだ。

 アニカには世界一の剣士になる才能がある。


「すごい、リックさんの言ったとおりね! まさか、アニカに剣術の才能があるなんて!」

「あ、ああ。そうだな……」


 モニカは純粋に喜んでいるが、一方のリックは喜び半分困惑半分といった複雑な心境である。


(嬉しいけど、なんか思ってた展開と違う!)


 できないことを自覚させようとしたのに、まさかの一発目で意外な才能を発掘してしまった。


「おとうさまー!」


 師範と話しているうちに稽古が終わったのか、アニカが駆け寄ってくる。

 他の門下生たちは明らかに疲労困憊な様子で、走れる元気が残っているのはアニカだけである。


「おっと!」


 アニカは迷わずリックへと抱き着く。

 アニカが懐いているのはモニカではなく、断然リックの方である。

 モニカの羨ましそうな視線を感じるのは、今となっては日常茶飯事だ。

 リックはアニカの頭を優しく撫で、アニカの目線と同じ高さまで屈む。


「稽古は順調かい、アニカ?」

「ええ、もろんですわ!」


 アニカは満面の笑みを浮かべる。


(まっ、いっか!)


 それを見たら、余計な困惑なんてどこかに吹き飛んでしまった。

 今はただ、アニカの意外な才能を素直に喜ぼう。

 次はそう、モニカの言うように音楽でもやらせてみればいいのだ。まさか剣術のように、世界を狙える才能なんてないだろう。









 早いもので、あれから13年の月日が経った。

 あんなに小さかったアニカも、今ではすっかり大人に成長した。

 リックは自室の椅子に深く腰かけ、ぼんやりと虚空を見つめる。陽が沈んでいるので、部屋を照らしているのは燭台の灯りだけである。

 リックはとある悩みを抱えていた。

 どうすれば解消できるのか長年考えているが、糸口すら掴めない。

 ぼんやりとして、何かいい考えが浮かぶのを待つのが寝る前の習慣となってしまった。残念ながら、その良いアイディアが浮かんだことは一度もなかったが。


 ──間違いありません。アニカちゃんは、音楽の神様に愛されています……!


 ──たった数日でこの距離の的を射抜くなんて、今まで見たことも聞いたこともありません。間違いなく、彼女は天賦の才能の持ち主です。


 ──すごいですよ、アニカさんは! まるで乾いた大地に水が染み込むように、次々と我々の知識を吸収していくんです! 是非私たちの学校に入学させてください!


(いや、どうしてこうなった……)


 結論から言うと、アニカは神童だった。

 音楽、弓術、学問やその他諸々。ありとあらゆる分野の指導者から、必ずと言っていいほど天才の太鼓判を押されるのだ。

 アニカは挫折を知らないままに成長し、文武両道、容姿端麗な才女と呼ばれるようになった。

 喜ばしいこと。そう、喜ばしいことではある。リックの思惑とは全力でかけ離れているだけであって。


(でも、高飛車な性格がわた騎士とちっとも変わらないんだよな……)


 自分のことを誰よりも優秀だと思っているのは、わた騎士のアニカとあまり変わらない。決定的に違うのは、その自己評価に実力が伴っていることだ。

 ストーリーの都合という理由は無視して、わた騎士のアニカがこうならなかった理由を考えてみた。

 漫画を読んだ上での推測であり、正解を確かめる術もないのだが、きっとアニカは甘やかされてばかりで、何もさせてもらえなかったのだろう。

 皮肉な話だ。何でもできるわけじゃないのを教えようとしたら、何でもできることを逆に証明してしまった。

 アニカがシュナイゼンに惚れれば、間違いなくわた騎士のような行動に出るだろう。いや、今のアニカにはあらゆる分野で突出した能力があるから、どうなるのか予測がつかない。


(まあ、そこはあんまり心配してないんだが……)


 とある理由で、アニカがシュナイゼンに惚れることはないと断言できる。

 ただし、今はその「とある理由」が悩みの種になっているのだ。


「お父様」


 ノックと一緒に、アニカの猫を被った声がドアの向こうから聞こえてきた。

 ドアが開く。その向こうには、シルクのパジャマに身を包んだアニカがいた。


「あまり夜遅くまで起きていると、体に悪いですわ」

「もうそんな時間だったのか。わかった、俺もすぐ寝室に向かうよ」

「ええ、そうしてくださいまし」


 軽く一礼すると、アニカは扉を閉めた。

 父の夜更かしを心配して、わざわざ部屋にまで来て注意をする。とてもではないが、高飛車な性格とは思えない行動である。

 アニカは他人に対して、自分より劣っている存在とみなして露骨に見下している。

 しかし、リックにだけは殊勝な態度を見せるのだ。

 どうしてこうなったのか、リックには心当たりがない。


「……さて」


 リックは椅子から重い腰を持ち上げ、その足で寝室に向かった。

 寝室のドアを開けると、部屋には妻のモニカと、娘のアニカの姿がある。2人とも寝る準備は万端のように見える。


「お父様、ベッドメイキングは済ませました。どうぞお入りください」

「……なあ、アニカ。今日も一緒に寝るのか?」

「ええ、そうですが?」


 当然のように言うアニカ。

 事実、当然のことなのだ。いつからだったか思い出せないほど前から、ほぼ毎日のように同じベッドで娘と寝ているのだから。

 そう、アニカは極度のファザコンなのだ。これこそがリックの悩みである。

 昔からリックにだけ懐いていたが、成長すると共にそれは顕著になり、反抗期なんて一度も迎えることなく今に至る。


「なあ、アニカ。お前もそろそろ年頃の娘なんだ。そろそろ俺と離れて寝た方がいいんじゃないか?」

「そ、そんな!! 私と一緒に寝るのが嫌に…… 私のことが嫌いになってしまったのですか!?」

「違う違う! そうじゃない!」


 アニカは人生のドン底に叩き落とされたような表情を浮かべ、その表情を見たリックは慌てて否定する。

 アニカの表情は、国外追放の罰を下されたときの表情とよく似ていた。


「なら、どうして離れて寝ようなどとご提案なさるのですか。嫌ではないなら、そうしても構いませんよね?」

「いや、だけどさ……」

「いいじゃないですか、リックさん。何歳になっても娘であることには変わらないんです。アニカが甘えたいと思っているうちは、甘えさせてあげるべきですよ」

「!?」


 予想外の方向から援護射撃をくらい、リックは何も言えなくなってしまった。


「フ、フフッ…… 随分な余裕ですこと、お母様。だけど忘れないでくださいまし。お父様の正妻の地位は、いずれ私のものになることを!」

「もう、アニカは本当にお父さんっ子なんだから。私もリックさんを盗られないよう、気をつけないとね」


 物心ついた頃の少女が「大きくなったらパパと結婚するー!」と口にするのは、よく聞く話だ。

 そんな話を聞けば、第三者の立場であっても微笑ましい気持ちになる。

 モニカは娘のガチさに気づかず、そんな気持ちで接しているのだろう。


(アニカの言葉はさ、そんな微笑ましいものじゃないんだよ…… って言っても、聞いてくれないし)


 2人とも毎回のようにこんなやり取りをしているので、リックは既に言いたいことを言い尽くしている。

 廊下の前で立ち尽くし、遠い目をしながら見守ることしかできない。


「おお、ルーク!」


 ふと、息子のルークが寝室の前を通りがかる。

 ちなみに、ルークもわた騎士に登場していたキャラクターである。セリフが1つか2つあっただけで、モブとそんなに変わらない立ち位置だったが。

 丁度良いときに通りかかった。ルークを味方にすれば、形勢逆転とはいかずまでも、アニカの説得を続けられる。


「おやすみなさい、父上」


 アニカの説得を頼む前に、ルークはさっさとその場を後にした。


(あ、あいつ! スルーしやがった!)


 あまりにも華麗なスルーに、引き止めるのも忘れてしまった。

 結局その日の夜も、リックは娘と妻の間に入って眠ることになった。つまりいつもどおりである。









 ある日の午後の昼下がり。

 リックとルークは同じ席に着いている。

 ルークは静かに本を読み、リックは飲み干したコーヒーカップをぼんやりと眺めている。

 実はこの時間が、リックにとって最も落ち着ける時間だったりする。


「なあ、どうすればアニカを父親離れさせられると思う?」


 ふと、リックが言葉を漏らす。

 心置きなく悩みを相談できる、唯一の相手である。

 ただし、ルークは本をめくる手を止めていない。視線も本のページに落としたままである。

 最初こそルークも親身になって聞いてくれていたが、何度も同じ相談をしてるので最近はおざなりな対応である。

 しかし、悩みを吐き出したいだけのリックは特に気にした様子もない。


「家庭を持てば、自然と父親離れするかと」

「確かにそのとおりだが、それが難しいんだよ」


 困ったと言わんばかりに、リックは頭を抱える。


「父上が真剣になって結婚相手を見繕えば、姉上も泣く泣く従うのではないでしょうか」

「そんなことできるか! アニカを泣かすことは絶対にできん!」


 いつになく強い口調で言い切る。

 アニカを結婚させること自体は可能だが、それでは意味がないのだ。

 アニカが泣かせてしまうくらいなら、迷わずに結婚させない方を選ぶ。


「そもそも、アニカに釣り合う男がいないのだ。アニカを引き立て、アニカを愛し、そして何より、アニカに愛される男でなければ話にならん」

「そうですか」


 リックはそんな男いるのがさも当然のように言っているが、果たしてこの世界に何人いるのだろうか。

 御伽噺に登場するような妖精を見つける方がまだ簡単だとさえ思う。


(父上も大概親バカなのが、何よりの原因ではないだろうか……)


 ルークは頭の片隅でそう思いながら、本に書かれた文章を追う。


「ところでルーク、お前は今後どうしたいと考えているんだ?」


 突然の話題転換に、ルークは本から視線を外し、そしてリックに視線を向ける。

 リックの目は真剣そのものだった。

 ただならぬ雰囲気を感じたルークは本を閉じ、姿勢を正して座り直す。


「今後、とは?」

「まだ先の話だが、アディス家の家督を継ぐのはお前になる。そのことについてどう考えているのか、聞きたいと思ってな」

「……そうですね。形式的にはアディス家の家督を継ぎますが、実質的な権力は姉上に譲りたいと思います。そして、自分はその補佐を務められればと。姉上の才能を腐らせるのは、アディス家にとって大きな損失ですから」


 リックは複雑な表情を浮かべる。

 理想的な答えだ。ルークの意地やプライドを度外視するならば。


「……すまない。苦労をかけるな、ルーク」

「いえ、弁えていますので。それに、父上が謝ることでもないでしょう」


 ルークは何でもないように言っていたが、ここまで割り切れるようになるまで辛い想いをしたはずだ。

 良くも悪くも、ルークは平凡だった。どれだけ努力しても、天才と呼べる領域には踏み込めない。

 しかも、常に天才の姉が影につきまとい、何をするにも姉と比べられてしまう。どれだけの劣等感が、ルークの心に刻まれたのだろう。


「ですが、どうして突然そんなことを?」

「大したことじゃない。少し胸騒ぎがしてな。だが、お前の言葉を聞いて安心したよ。もしものときは任せたぞ。どうかアニカを守ってやってくれ」


 その言葉を聞いて、ルークは深刻な表情を浮かべる。


「まさか、御病気なのですか……?」

「いや、全然違うが」


 思い返してみると、確かに己の死期を悟ったような言葉だった。これでは勘違いされても仕方ない。

 ただ、ルークに語った言葉の中に、嘘が1つだけ混じっている。

 妙な胸騒ぎでアニカを案じたのではない。

 明日、ブレンダムド国王の誕生パーティが開催される。リックとモニカはそれに参加する。そこで運命の分岐点を迎えるかもしれないからこそ、アニカを案じているのだ。

 わた騎士でも、アニカとシュナイゼンはそこで初めて出会った。筋書きどおりの未来が待っているかは不明だが、そうなると思って行動するに越したことはない。そもそも、シュナイゼンは上流騎士なのだから、参加してる可能性の方がずっと高いのだ。

 最初はアニカを欠席させることも考えたが、国王に名指しで招待されている以上、欠席するのは無礼に当たってしまう。そうである以上、欠席させるわけにはいかない。


(それに、魚の骨が喉に刺さったような気分でいるのはもう十分だ)


 アニカがシュナイゼンに惚れることはないと断言できるが、結局は蓋を開けなければわからない。

 心の奥底には、常に万が一が起きた場合の恐怖がこびり付いているのだ。

 そんな状況にも、そろそろ決着をつけるべきだ。


(明日、アニカとシュナイゼンを会わせる)


 どんな結果であろうと受け入れよう。覚悟はとっくの昔にしている。









 ブレンダムド城のとある大部屋。そこにはいくつものテーブルが並び、その上には豪華絢爛な料理が置かれている。

 椅子も用意されているが、座っている者は非常に少ない。誰もが歓談という名の腹の探り合いに勤しんでいるのだ。

 ここが今日、ブレンダムド王の誕生パーティが開催されている会場である。

 その会場の中心に、リックとアニカの姿がある。

 パーティーが始まってからというものの、アニカはずっとリックの隣にいる。

 男たちは遠巻きにアニカを眺めるだけである。

 それもそのはず、リック(父親)がいる前で口説こうとする大胆な男はそうそういない。


「お父様、グラスが空いていますわ」

「えっ? ああ、そういえば……」


 今になって、手に持っているグラスが空になっていることに気づく。頭にあるのはシュナイゼンのことばかりで、グラスの残りに気をかける余裕はなかった。


「ちょっと、そこのメイド。お父様のグラスが空いているでしょう。早く注ぎなさい」


 アニカは氷のように冷たい声で、近くにいたメイドに声をかける。


「た、只今!」


 そのメイドは真新しいワインボトルを手に、慌ててリックの側に駆け寄る。

 顔から一気に血が引いて真っ白になり、全身が小刻みに震えている。まるで極寒の地に着の身着のままで放り出されたような有様だ。

 だが、そうなるのも無理もない。

 アニカの声を聞いただけの者たちでさえ、恐怖で震え上がっている。

 誇張でも何でもなく、アニカはあらゆる武術に精通した武人でもあるのだ。世間知らずで我儘な小娘の言葉とは、その威圧感は比べ物にならない。


(なんてこった……)


 リックだけは誰とも違う感情を浮かべたいた。

 その心にあるのは、メイドに対する罪悪感だ。

 これだけ大量の客人がいる中、リックのグラスが空いているのに気づくのは無理がある。

 メイドに落ち度はない。こうしてアニカの不興を買ってしまった理由も、運が悪かったの一言で終わってしまう。


「失礼しました……」

「ああ、ありがとう」


 グラスにワインが注がれる。

 しかし、それだけではアニカの怒りは収まらない。


「お父様のグラスを空けたままにするなんて、あなたの目は節穴ですこと? ブレンダムド城に仕えるメイドだというのに、聞いて呆れますわ」

「も、申し訳ありません!」

「あなた、メイドの仕事が向いてないのではなくて? メイド長にでも進言するべきかしら」

「申し訳ありません! 本当に申し訳ありません! どうかそれだけは御勘弁を!」


 メイドは必死に頭を下げる。

 それもそのはず。ブレンダムド城のメイドは、この世界では珍しく安定した職業である。

 しかし、その対価として血の滲むような努力が必要となる。彼女もきっとそうだったのだろう。

 なのに、こんな理不尽な理由で水泡に帰すなんて哀れ過ぎる。


「おい、アニカ──」


「今日は目出度い場なのだから大目に見てやれ」と口に出すだけで、事態は簡単に終息する。

 だが、運命はそうなるのを許さなかった。


「差し出がましいようですが、そのメイドさんは仕事を辞めさせられるような失態はしていないと思いますが」


 群衆の中から一人の男が現れる。

 端正な顔立ちで、他の者たちとは一線を画した雰囲気を醸し出している。

 一目見ただけで、リックは彼が何者なのかを理解した。


(おまっ、ここで来るのかシュナイゼン……!)


 そう、彼こそがシュナイゼン・ダリウスだ。

 話をこじれさせるタイミングを狙いすましたかのように現れたので、リックの内心は動揺で大荒れだ。

 しかし、同時に納得もした。シュナイゼンの性格なら見て見ぬ振りはしない。絶対にメイドを庇う。


「どこのどなたか存じませんが、私の言葉を否定するのですか?」

「ええ、そうです」

「……思ったことを素直に口にする性格は嫌いではありませんが、相手を考えた方がよろしいのではなくて?」

「相手を考えればこそですよ。アディス家きっての才女、アニカお嬢様。主君に諫言を申すことこそ、真の忠臣の役目。アニカお嬢様ができるレベルのことを相手に求めては、お互いのためになりません」


 アニカが食ってかかるが、対するシュナイゼンは一歩も引かない。

 シュナイゼンは信念に満ちた表情で真っ直ぐにアニカを見つめ、アニカは無表情で彼を見つめ返す。

 場の緊張感が一気に張り詰める。

 次に何が起こるのか、誰もが固唾を呑んで見守る。


「弱者を躊躇なく庇うその勇気に賞賛を贈ろう。行くぞ、アニカ」


 だからこそ、誰よりも先じてリックが動いた。

 シュナイゼンとの予想外の接触で、リックはこの場にいる誰よりもテンパっているのだ。さっさとこの場を切り上げて、一度落ち着きたい一心での行動だった。


「あっ、はい、お父様!」


 リックに来いと言われれば、喜んで従うのがアニカである。

 シュナイゼンに背を向け、リックは歩みを進める。そして、アニカは忠犬のようにその背中を追う。

 集まっていた観衆たちは何も言わず、リックたちに道を譲る。


「彼の名はシュナイゼン・ダリウス。ダリウス家の秘蔵っ子だ」


 シュナイゼンからある程度離れてから、リックは口を開いた。


「お、お父様が名前を覚えておくほどのお方なのですか……!?」

「ああ、まあな。お前が私のためを想ってやってくれたのは嬉しいが、彼の言葉が間違っていないのも事実だ。それを心の隅にでも留めてくれ」

「はい、承知しました」


 我ながら甘いと思う。

 ついさっき、娘は誰かの人生を壊しかけたのだ。

 本当ならもっと叱るべきなのだろう。

 だが、それができない。

 自己中心的な理由ならまだしも、一から十までリックのためにやっているのだから、あまり強く叱れないというジレンマに陥ってしまうのだ。

 それに、本気で叱ったときにアニカがどれだけ取り乱すか。


「……なあ、アニカ。シュナイゼン君の印象はどうだった? 噂によると、彼はかなり優秀な男らしいが」


 そして、ここからが本題だ。

 心臓の鼓動が速くなり、全身が強張る。

 あれほど心配ないと思っていたはずなのに、どうして今はこんなにも不安を感じてしまうのか。


「確かにそこらの有象無象とは違うようですけど、お父様の魅力の足元にも及びませんわ」


 全身の筋肉が弛緩するような感覚だった。

 アニカは、シュナイゼンに一目惚れしなかった。ファザコンが功を奏し、アニカがわた騎士のような末路を回避したことが確定した。

 きっとこうなると思っていたはずなのに、湧き水のように安堵が溢れてくる。

 思い描いていた道筋からは初っ端から大きく外れていたが、行き着く場所が同じならそれでいい。


「そうか、俺の足元にも及ばないか」

「ええ、そうですわ! お父様は世界で一番素敵なお方ですもの!」


 しかし、リックたちには知る由もない。わた騎士のストーリーから大きく逸脱した今、完全に別物の苦難がリックたちを待ち構えていると。









 ブレンダムド王国の中心に聳え立つ、山と見間違えてしまいそうなほど巨大な城。ここまでの大きさとなると、世界中を探してもそうそうお目にかかれない。

 そして、この城には「この国を支えているのは自分だ」と言わんばかりの貫禄がある。

 それもそのはず、これこそが王の住まう城── ブレンダムド城なのだから。

 リックはその最上階、それも玉座の間にいた。


「リック・アディス、只今参上しました」


 リックは真紅の絨毯の上に片膝をつき、玉座に座る男に── ブレンダムド王に頭を下げる。

 そろそろ初老に差しかかる年齢なのを、顔に刻まれた皺と、立派な白い髭が証明している。

 しかし、王の威光は微塵の衰えも感じさせない。


「面を上げよ」


 言われるがままに、リックは顔を上げる。


「余の誕生祝い以来だな、リック」

「はい。ご健在のようで何よりです、ブレンダムド王」


 ブレンダムド王。一国の王という唯一無二のバックボーンなだけあって、わた騎士でもそこそこの出番があった。

 その人格は、英雄色を好むという言葉を体現している。決して悪人ではないのだが、女性関係が非常にだらしないのだ。浮気ぐらいなら、それこそ呼吸のように当然とやってのける。

 そして、この世界でもその人格はしっかりと反映されている。


「何故貴様をここに呼んだか、わかるか?」

「いえ、恥ずかしながら。どうか教えていただけないでしょうか」


 他でもないブレンダムド王に呼び出されて、リックはここにいる。

 王の謁見は初めてではないのだが、王直々に呼び出されるのは初めての経験である。何を言われるのかという不安と緊張は、どうしても拭えない。


「うむ、実を言えば貴様の娘── アニカに関することである」

「!」


 アニカの名前が出てきたことで、リックの様子が明らかに変化する。それこそ、スイッチを入れたかのように。

 リックの胸中にある不安と緊張は、風に吹かれた埃のように吹き飛んだ。

 代わりに芽生えたのは、娘のために俺は何をすべきなのかという、どんな大嵐でも吹き飛ばない岩石のような意志だ。


「誕生祝いの日、貴様はアニカを連れて挨拶に来たな」

「はい。自慢の娘ですので、是非ブレンダムド王にお目にしていただきたいと思いまして」


 リックは、アニカがブレンダムド王国を支える人材になると、一抹の疑いも挟まずにそう思っている。

 今のうちからでもブレンダムド王とコネクションを作っておけば、将来のプラスになるだろう。

 そう考えた上での行動であったが、人生とは思い通りにいかないものだ。予想外の結果になることもあれば、予想外の経緯で望んでいた結果を出すこともある。

 そして今回、リックの行動はマイナスに働いた。


「そうだな。あの美貌、そしてあの才覚。まさに余の妃に相応しい」

「は?」


 リックの顔から一切の感情が消え失せる。

 しかし、ブレンダムド王はそれに気づかない。


「貴様をここに呼んだのは他でもない、アニカと婚姻を結ぶ段取りを話し合うために──」

「お断りします」


 一切の躊躇いを感じさせない口調だ。

 もし言葉に切断力があれば、その言葉はきっと世界最高峰の名刀のような斬れ味を誇るだろう。

 これにはブレンダムド王も顔をしかめる。こんな断られ方をしたのは、生まれて初めてだった。


「…………ほう、まさか断るとはな。つまり貴様は、娘が一国の王の妃となるという栄光を──」

「お断りします」

「っ、この無礼者めが! 二度も余の話を遮りおって! それがどれだけ不敬と心得──」

「お 断 り し ま す」


 リックは顔色を変えず、壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す。

 娘が王の妃になれば、自動的に一族の地位が向上する。普通の貴族ならば、棚から牡丹餅と言わんばかりに快諾するだろう。

 しかし、リックは違う。愛娘をブレンダムド王の嫁にやるなんて、到底許容できる話ではない。

 一国の王というのは、いい。許容できないのは、ブレンダムド王の浮気性だ。アニカを妃に迎えた後でも、きっと浮気をするだろう。論外である。


「もういい! 衛兵、この男をひっ捕らえろ!」


 未だに呆然とした面持ちの衛兵たちは、異様なほど冷静でいるリックを捕らえる。

 いや、捕らえるという表現では語弊がある。

 リックは少しも抵抗しようとしないので、自然と客人をエスコートするように丁寧な対応となる。

 玉座の間の外へ連行されるが、リックの表情には後悔も、迷いすらもない。その目に燦然と輝くのは、娘は絶対に渡さないという決意だけであった。









 ブレンダムド城の地下には牢獄が広がっている。

 だが、使用されることは滅多にない。それこそ、片手で数えられるくらいだろう。

 しかし、リックはその牢獄に囚われていた。

 罪状はブレンダムド王に対する不敬罪である。

 リックが囚われている牢獄は綺麗に掃除されるだけに留まらず、家具まで補充されている。

 囚人とは思えない待遇である。不自由なくとまではいかないまでも、そこそこ快適に過ごせている。


「──ということで、捕まってしまったんだ」

「もう、何やってるんですかリックさん」


 檻の向こうにいる妻のモニカに、捕らえられた経緯を一通り説明する。

 モニカは呆れたような、それでいて安堵したような表情を浮かべた。

 捕らえられた翌日、すぐに面会の許可が下りた。普通の囚人には考えられない異例の早さである。


「ブレンダムド王の怒りが収まるまでは、きっと釈放されないだろうな。いつになるかは、わからんが」

「大丈夫、すぐに出られますよ」


 浮気性ということは、ブレンダムド王はそれだけ恋多き男ということだ。

 アニカのことはさっさと諦めて、他の女に目移りする可能性が高い。

 それに、言うほど怒っていないのかもしれない。もしも本気で怒っていれば、リックはこんな丁重な扱いなど受けていないだろう。


「そういえば、アニカはどうしてる? 正直、ここにいないのが怖すぎるんだが」


 たとえ面会の許可が下りていなくても、強引に突破して会いに来そうなのがアニカである。

 今この場所にいないのは、どう考えても不自然だ。


「アニカなら家にいますよ。リックさんが捕まったと聞いて、余程ショックだったんでしょうね。そのまま倒れてしまったんです。ルークはアニカの看病をしています」

「た、倒れた!?」


 これまた予想の斜め上の反応だった。

 親としては心配するべきだが、少し安心した。

 暴走して、ややこしい事態を引き起こされるよりはずっといい。


「そうか…… 余計な心配をかけてしまったな。だけど、この牢獄も思ったより快適なんだ。看守の人も良くしてくれるしな」

「そうですから安心しました。酷いことをされていたら、もう私どうしようかと」

「ああ、アニカにも心配するなと伝えてくれ」


 一旦会話が途切れる。

 すると、モニカは檻の隙間から細い腕を伸ばした。

 自然と、リックはモニカと手を重ね合わせた。


「実は私、あなたが捕まった事情を聞いたとき少し嬉しかったんです。ああ、私が大好きなリックさんから少しも変わっていないんだなって」

「モニカ……」


 リックとモニカは、檻越しに互いを見つめ合う。

 およそ牢獄には似つかわしくない、切なくも甘い雰囲気が辺りに漂う。


「んんっ!!」


「自分もいますよ」と主張するように、看守はわざとらしい咳払いをする。

 ハッとした2人は、慌てて繋いでいた手を離す。看守の存在がすっかり頭から抜け落ちていた。


「だけど、こんな無茶なことをしてほしいって意味じゃないんですよ? もっとやんわりと断れば、こうして捕まることもなかったんじゃないですか」

「……いいや、それではダメだ。こういうことは、最初から明確に意思表示するべきだ。曖昧な断り方をするのはつまり、余計な希望を持たせるってことになる。そうなれば相手も食い下がってくる。それに、希望を持った期間が長ければ長くなるほど、ハッキリと断られたときの失望と怒りは大きくなる。少しの間、俺がこうして捕らえられるのが最善の方法なんだ」

「最善だなんて、そんな言い方……」


 リックは子どもたちを優先する余り、自分を蔑ろにする傾向がある。アニカが天才だと分かった日から、更に拍車がかかった。


「リック様、モニカ様、申し訳ありませんが……」


 モニカがそれを指摘しようとしたとき、看守が会話に割り込んできた。

 面会の時間が終わりを迎えたのだ。


「すまない、モニカ。もう時間のようだ」

「……ええ、そうですね。リックさんが帰ってくるときは、ご馳走を揃えて待ってますよ」

「ああ、楽しみにしてるよ。あの子たちにもよろしく言っておいてくれ」


 モニカが去った後、リックはフカフカの椅子に身を預け、中断していた読書を再開した。








 投獄されてから、もう2週間近くが過ぎた。

 予想に反して、釈放される兆しはない。

 だが、牢獄の住み心地は快適になっている。今では街の高級宿にも引けを取らないレベルだ。

 どうしてこんな奇妙な状態になっているのか。

 少し考えて、すぐに答えが出た。

 リックがアニカとの結婚を認めるまで、釈放しないつもりなのだろう。こうして囚人としては破格の待遇を受けているのは、少しでも後腐れを残さないためだろう。

 どうやらこちらが思っているよりもずっと、ブレンダムド王は本気のようだ。


「やってやるよ、我慢比べだ……」


 誰に向けるでもなく、リックは呟く。

 何年でも牢獄にいるという覚悟がリックにはある。

 ただ、唯一気がかりなのはアニカの精神状態だ。今のリックの状態は、アニカの精神に大きな負荷をかけてしまっているだろう。実際、面会に来たときもアニカの様子は少し変だった。

 早まった真似をしないように釘を刺しているが、何をしでかすかわからない怖さは健在だ。


「父上」

「!」


 檻の向こうにルークがいた。

 だが、おかしい。今は、面会が許される時間帯ではないはずだ。


「ルーク、どうしてお前がここに──」

「今、お出しします」


 ガチャリという音が牢獄に鳴り響いたと同時に、ルークは淡々とした様子で檻を開けた。まるで自分の部屋のドアでも開けるように。

 目の前で起こった出来事を、呆然とした面持ちで見るしかなかった。

 ルークの手には鍵が握られていた。考えるまでもなく、この牢獄の鍵だ。

 だが、いくらアディス家の跡取りといえど、看守から牢獄の鍵を授かるなんて不可能だ。それこそ、強奪するくらいしか入手する手段はない。


「……えっ、いや、どういうことだ!!??」


 まさか、本当に強奪したのか。

 夢にも思わなかった事態に頭が混乱する。


「今はついてきてください。移動しながら説明しますので」

「移動ってどこに!?」

「玉座の間です。そこに姉上もいます」

「はあ!!??」

「さあ、行きましょう」


 何が起きてるのかさっぱりわからないまま、ルークの背中を追う。

 ブレンダムド城の廊下を進む。堂々と脱獄しているのに、警備の兵士は1人も現れない。

 異常事態の連続である。


「おい、説明してくれ! 本当にどういうこと!?」

「今、この城は姉上が占領しています」

「な、何で!?」

「姉上の目的は2つ。父上の救出。そして、ブレンダムド王を退位させることです」

「退位ぃ!?」

「はい。父上を投獄した報いを受けさせる、と姉上は仰ってました」


 一瞬、目の前が真っ暗になった。

 築き上げたものが一気に崩れ落ちて、奈落の底に落ちていくような感覚だった。

 国家反逆罪。それを企てた者たちが、断頭台へと送られるのは免れない。生き残る目がある分、国外追放の方がまだマシだ。


「どうしてそんな馬鹿なことをさせたんだ! お前なら、アニカの暴走を止めてくれると思っていたのに……!」

「俺の役目は、あくまで姉上の補助ですので」


 その口調は普段と変わりないが、今この場においては現実離れした冷静さを帯びていた。それこそ、リックに冷静さを取り戻させてしまうほどに。


「自分が言うまでもありませんが、姉上は天才です。どんな困難でも、必ず乗り越える力を持っています。だからきっと、この反乱も成功に終わりますよ」


 肩越しに振り返ったルークの顔には、一切の不安を感じさせない笑みが浮かんでいた。









「お父様っ!」


 リックが玉座の間に足を踏み入れた瞬間、アニカが飛びかかってきた。獲物を待ち伏せしていた猛獣のように俊敏な動きだ。

 反応できるはずもなく、リックはその身でアニカを受け止める。

 かなりの勢いだったのに、少しよろめく程度の衝撃で済んだ。アニカの力加減が、それこそ針の穴に糸を通すように絶妙だったのだ。


「ご無事で何よりです、お父様! こうして触れ合えたのも16日と5時間23秒ぶりですね!」


 恋するヤンデレのような発言は、普段のリックなら内心を盛大に動揺させるだろう。

 しかし、今回ばかりは違った。

 リックの胸中は既に怒りで満たされていて、余計な感情が立ち入る隙なんてない。


「……離れろ、アニカ」


 その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。

 今回ばかりはアニカでも何も言えず、リックから離れる。


「正直に言うと、俺は怒っている。 この反乱が失敗したらどうするつもりだ? お前だけじゃない、親戚やモニカまで処刑されるかもしれないんだぞ」


 その一言に、アニカは小さく肩を震わせる。

 リックが怒るのは当然である。

 内乱罪の首謀者には重い罰が下される。首謀者の命だけでなく、一族全員の命で償うことになってもおかしくはないのだ。


「……ごめんなさい、お父様。だけど私は、どうしてもお父様を救いたかったんです」


 リックは険しい表情のまま、言葉を返さない。

 アニカもまた、どんな言葉で取り繕ってもリックの怒りの炎に油を注いでしまいそうで、何も言えずにいる。

 玉座の間に重い沈黙が訪れる。

 想像していたよりもずっと重苦しい痛みが胸の奥深くで走るのを、アニカは感じた。こうしてリックに怒られるのは、初めての経験である。


「……だけど、お前ならやれると信じてもいるんだ」


 沈黙を破ったのはリックだった。

 怒りで強張っていたリックの表情が、空気の抜けた風船のように緩む。

 そこにあるのは、子供の悪戯や失敗を許すときのような微笑みだった。


「お前がすごい子なのは、俺だってよく知っている。だから信じられるんだ。言いたいことは言うのは、全部終わってからにするとしよう」


 アニカも同様に、悲痛に沈んでいた表情から一転、歓喜に満ちた晴々とした表情を浮かべる。


「何日でもお聞きします。だからもう少しだけお待ちください、お父様」

「いや、そんな何日もかけてまで言うことはない」


 愛する人(リック)からの「信じている」という言葉は、アニカにとって何よりの激励である。

 元より、絶対に成功させる気概で反乱に臨んでいたのだ。そこにリックの激励が加わり、失敗するかもしれないという胸の奥底に残っていた不安は、跡形も残さず吹き飛んだ。

 より強固となった自信を持ち、アニカはブレンダムド王の座る玉座へと歩み寄る。


「痴れ者め。余が退位を認めると思っているのか?」


 ブレンダムド王は苛立たしさを前面に押し出し、アニカを睨みつける。

 複数の兵士に囲まれ、武器もないこの状況で啖呵を切れるのは流石の胆力である。

 しかし、アニカだってブレンダムド王の眼光程度では余裕を崩したりしない。


「ある大臣からお聞きしましたわ。ブレンダムド王は、共に戦場で戦った臣下の政策ばかり取り入れていると」

「……それがどうした?」

「前回の会議では、いかに農作物の生産量を上げるかについて話し合っていたそうですね? 私も会議に挙がった政策を拝見しましたけれど、どれが優れた政策なのか一目瞭然でしたわ。ですがあなたは、その日も直属の臣下の政策を採用した。根本的な問題を解決せず、その場しのぎにしかならない愚策を」

「っ、何を根拠に愚策だと言うのだ!?」

「人手を増やさないにもかかわらず、無闇に畑を広げさせたところで、農民たちが疲弊して手が回らなくなるのは目に見えています。重要なのは、今の耕地の広さでどれだけ生産量を上げれるかですわ」


 アニカの口調は、まるで出来の悪い教え子を指導するかのようだった。


「彼ら、余程不満を溜めていたのでしょうね。少し唆しただけで、すぐにこちら側に付いてくれましたから」


 アニカ側に付いている兵士たちは全員、その大臣たちに仕えている。他でもない大臣たちの指示によって、共に反乱に加わっているのだ。


「そんなことで裏切ったか……! これだから、戦場を共にしていないやつらは信用ならんのだ……!」


 この事実には、ブレンダムド王も失望を隠せない。

 これだから、戦場を知らない軟弱者たちは信用できないのだ。

 彼にとって部下とは、躊躇なく命を預けることができる者を指す。

 王になってからというもの、元々いる部下を除いたら、本当の意味で部下と呼べる者たちは数えるくらいしかできなかった。なんて嘆かわしいことだろう。


「思ったとおり。やっぱりあなた、王の器ではありませんわ」


 しかし、いや、だからこそ。

 呆れていると言わんばかりに、アニカは大きく息を吐いた。


「言うではないか、小娘が……!」


 ブレンダムド王はアニカの言葉を挑発と受け取ったが、側で聞いていたリックは違った。

 アニカが挑発するときは、もっと悪辣な言葉を選ぶはずだ。だからこれは、挑発ではない。


「だってそうでしょう? あなた、玉座の上にいることを望んでいないんですもの」

「!」


 ブレンダムド王の表情から苛立ちが消えた。


「昔の戦争で多大なる武功を挙げて、王になったんでしょう? 自分らしく生きられるのは戦場だけ。それでもあなたは、王の座を継承した。それもそうですよね。王になるのが、王子に課せられた使命ですもの。だけど後悔しているんでしょう? 椅子の上に座るだけで、鍛え上げた肉体が衰えていく日々を」


 心の奥底で複雑にからまった想いを紐解くように、アニカは言葉を重ねていく。

 アニカの言葉がただの出任せでないことは、ブレンダムド王の大きく見開いた目が証明している。


「私がやっているのは、あなたがあなたらしく生きるための後押しなんです。さあ、王という枷から解放されましょう」


 アニカの言葉には、人を惹きつける魅力があった。

 ブレンダムド王の臣下たちも、きっとこのようにして味方につけたのだろう。

 アニカには指導者としての才能もあるのだ。どうやらそのカリスマ性は、王であろうと通用するらしい。


「余にも王の矜持がある。素直にそなたの言葉に乗せられるのは、少々癪に触るな」


 癪に触ると言いつつも、ブレンダムド王の表情は晴々としていた。


「アニカ・アディス、余と手合わせ願いたい。そなたが勝てた暁には、王の座を退いてやる。だが、負けたときは余の妃になってもらおうか」

「ええ、受けてたちましょう」

「!?」


 まさかの申し出に、まさかの承諾。

 黙って見守ると決めていたリックも、これには動揺を隠せなかった。

 いや、動揺してるのはリックだけでなく、ブレンダムド王を取り囲んでいた兵士たちもである。


「ルーク、ブレンダムド王に剣を渡しなさい」

「はっ」


 しかし、状況は待ってくれない。

 アニカの指示に従い、唯一冷静なルークは何の躊躇もなくブレンダムド王に剣を渡す。


「1つ忠告しておきますが、お父様が見てる今、私が負けることは絶対にありませんよ?」

「ふん、面白い。ならばその力、とくと見せてみよ!」


 いよいよ運命を決める勝負が始まった。

 攻防が目まぐるしく逆転し、甲高い金属音がひっきりなしに玉座の間で響き渡る。


(は、始まってしまった。というかやばい、残像しか見えない!)


 リックの目に映るのはブレる線だけである。

 あそこに娘がいて、ブレンダムド王と剣を交えているなんて信じられない。

 今のリックは完全に、バトル漫画によくいる一般人キャラである。主人公とその敵の強さに驚くのが役目だ。


「ルーク、どっちが押してるかわかるか!?」

「ええ、今のところは互角ですが……」


 本当に互角なのかと、ルークは怪しんでいた。

 ブレンダムド王は戦争の英雄だ。言うまでもなく、ブレンダムド王の方が実戦経験は豊富である。

 アニカは天才だが、実戦経験という差をひっくり返すのは容易ではない。

 このまま事態が膠着するとは、ルークにはとてもではないが思えなかった。


「ぬぅん!」


 鋼の刃が、勢いをつけて振り下ろされる。

 それを受け止めたとき、戦っているアニカだけは気づいた。

 さっきからずっと同じ箇所で、斬撃を受けてしまっている。


「そら、砕けろ!」


 剣と剣が衝突した一瞬、ブレンダムド王は渾身の力を加える。

 甲高く、それでいて重々しい音が響いた。

 アニカの剣が砕けたのだ。

 細やかな破片が、無数に散らばる。

 光を反射させ、破片はまるで宝石のように輝く。

 人を傷つける道具が生み出したとは思えないほど、その光景は美しかった。


「アニカ!」


 リックは思わず叫んだ。

 剣が砕けてしまっては、戦うことができない。

 ブレンダムド王も勝利を確信した笑みを浮かべる。

 しかしそれは、常人の固定観念に過ぎない。


「!?」


 アニカの剣を砕き、ブレンダムド王はほんの一瞬だけ気を緩めた。

 アニカはそこを見逃さず、ブレンダムド王の剣を持つ右腕を絡め取る。

 ブレンダムド王は、確かに剣の天才である。

 では、アニカは?

 アニカは剣の天才でもあり、そして徒手空拳の天才でもある。武器を持った相手に素手で立ち向かう心得は、それこそ免許皆伝の師範代くらいにはある。

 力が伝わらず、剣はブレンダムド王の右手から抜け落ちる。

 そして、アニカはその剣が地面に落ちるよりもずっと早く、柄を掴み取る。


「私は一度も、自分の剣だけで戦うとは言ってませんわ」


 そう言うと同時に、ブレンダムド王の首筋に刃を当てる。

 アニカにやられたように剣を奪い取ろうにも、指一本動かせば首を斬られるだろう。

 つまり、逆転の道は完全に閉ざされている。

 次に取るべき行動を促すように、アニカは神妙な表情でブレンダムド王に視線を送る。


「……完敗だ。余は── いや、俺は王を退位する。自分を偽って生きるのは、もうやめだ。ガウス・ブレンダムドという戦人に戻るとしよう。王なんぞ下らん。俺が俺らしく生きれるのは戦場だけだ! ガッハッハ!」

「ええ、そうして下さいまし」


 その言葉を聞き届けて、アニカを剣を下ろした。

 勝った。アニカが勝ったのだ。

 リックは大きく息を吐いた。アニカの剣が砕けた瞬間から、息をするのすら忘れてしまっていた。

 緊張から解き放たれて、全身から力が抜けるのをリックは感じた。勝利という結果に、当事者であるアニカよりもずっと安堵している。


「あなたの甥、リエル・ブレンダムド様に王の座を継がせますわ。ただ、安心してくださいまし。私があなたに御誂え向きの舞台を整えると約束します」

「何から何まで感謝する、アニカよ」

「どういたしまして、ですわ」


 それは、とても現実離れした光景だった。

 アニカに向かって、王が頭を下げている。

 それを眺めていたリックは、我が身のことのように誇らしく思う。


「さて、これから忙しくなりますわね」


 アニカはブレンダムド王に背を向ける。

 そしてその瞬間、神妙な表情から一転、悪役令嬢顔負けの悪どい笑みを浮かべた。

 それに気づいているのは、リックとその隣にいるルークだけである。


「ふふふ…… ご安心ください、お父様。あの男にはお父様を謂れ無き罪で投獄した報いを絶対に受けさせますから。死神も裸足で逃げ出すような戦場に放り込んでやりますわ」

「おおぅ……」


 娘ながら、敵に回すと恐ろしいと思った。

 ちなみに、まだまだずっと先の未来。

 どんなに過酷な戦場に放り込もうと必ず成果を上げて生還するガウス・ブレンダムドに、アニカは珍しく困惑を露わにすることになるのだが、それはまた別の話である。









 それから、長い時が流れた。

 リックは()ブレンダムド城の頂上に立ち、地上を埋め尽くすように集まる国民たちを眺める。アリーナでライブをする人気アーティストの気分だ。

 隣にはアニカがいて、まるで王族のような服装に身を包んでいる。そして、リックもまた王族のような服装に身を包み、王冠を頭に載せている。

 そう、王冠(・・)を頭に載せているのだ。それが許されるのは、王の立場にいるものだけである。


「今ここに、リック王国の樹立を宣言します!」


 割れんばかりの歓声がここまで聞こえてくる。

 誰も彼もが、リックを国王と認めているのだ。意味がわからない。


「…………いや、どうしてこうなった」


 お決まりとなった言葉を呟く。

 どうしてこうなったのか、本当に理解できない。

 アニカがブレンダムド王国の中枢に参入してから、その権力を強めていった。

 最終的には、ブレンダムド王国の全てを引き継いだ新しい国── リック王国を作ってしまうほどに。

 国王が誰なのか、国名から誰でも察せるだろう。

 そう、リックである。

 リック王国の2番手はアニカであり、その次はルークである。アディス家による権力独占と思われても仕方ないのに、何故か反発はない。

 ちなみに、モニカは王妃として、宮殿でどっしり構えている。順応し過ぎである。


「……なあ、アニカ。ずっと気になっていたんだが、どうして俺のことをそんなに好きでいてくれるんだ?」


 どうしてアニカがここまで好いてくれるのか、最初から当たり前のようにそうだったので、リックも気にしてこなかった。

 アニカは目を丸くした後、とびっきりの笑顔を浮かべた。


「お父様の好きなところを数えればキリがありませんけれど…… キッカケになったのは、お父様が私以上に、私の才能を見抜いていると理解したからですわ。私の才能を活かせる舞台を作ってくれたのは、他でもないお父様です。そんな方を敬愛しないでどうするのです!」


 不覚にも、本当に不覚にも、アニカに対して胸がときめいてしまった。

 国の存続なんてそっちのけで、リックは願う。手遅れになる前に、早くアニカの夫に相応しい男が現れてくれと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めて作品を拝見しましたが、文章力があるのでとても読みやすく、情景も頭に浮かぶので、2万字もあるとは思えないほどすんなりと読めました。描写が丁寧で、かといってくど過ぎず、想像の余地も残して…
[一言] 短編にしては長めなのにとても読みやすかった
[気になる点] お父様のフルネームがMSみたい [一言] もうこの娘は手遅れじゃないんかな?
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