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 銀河歴1120年、私たちは生まれた。

 銀河歴1170年、私たちは第二地球へ到着予定だ。


 ジリリリリリリリ、と目覚ましの音が鳴る。銀河歴1134年7月6日午前7時、今日は私の14歳の誕生日だ。真っ白なシーツの隙間から這い出て、制服に着替える。足は鉛のように重く、スカートを履くだけで頭がくらくらする。第一地球時代から1500年続く伝統だとかいう白襟のセーラー服を着て、食卓へ向かうと、私はディスプレイの向こうにお母さんを呼び出す。この壁一体型ディスプレイも、開発されたのは第一地球時代らしい。宇宙船の中は、文化的にも技術的にも「時が止まっている」そうだ。

「もしもし、お母さん」

「おはよう、小夜。お誕生日おめでとう。今日のお粥は小夜の好きな卵入りだからね」

「うん」

 今日は水曜日だから、学校へ行かなければならない。私は学校が嫌いだ。食欲がないけど、空っぽだと胃が痛む。だから、お母さんが出勤前に作った粥を一口だけ飲み込む。磨りガラスのテーブルに、主を失った三つの椅子。名前も知らない観葉植物。妖しく白い照明は、銀のスプーンを煌めかせるようでいて、却ってその錆を目立たせた。うらぶれた銀の輝きでは掬いきれない、大量の粥。身の回りの些細なものたち全てが、私の人生を削ぎ落としていくような気がする。

「そういえば小夜、太一くんのお別れ会、今日だったかしら?」

「いや、明日」

「そう、お菓子はもう買ってあるからね」

「うん」

「それじゃあ、いってらっしゃい」

「うん」

 お母さんのいた場所は、ただの白い壁になって、私を見つめている。


 玄関のドアを開けると、少し冷たい空気が頬をなでた。どうやら、さっきまで雨を降らせていたようだ。オテントサマは出ているけど地面は水浸しで、足元で反射した光の粒は私には眩しすぎた。私は気象局が嫌い。せっかくの誕生日なのに、勝手に雨を降らせたから。私は雨が嫌いだ。私の心の中だけの特別な憂鬱さが、この宇宙船に乗る全ての人に盗まれてしまう気がするから。私はどうして生きているんだろう。天気はどうして、気象局が決めるのだろう。太一くんはどうして、別の船に行ってしまうのだろう。太一くんのいない宇宙船は、どうして変わらず進むのだろう。人間なんて、滅べばいいのに。

 そんなことを考えていても、足は勝手に、私を学校へと運ぼうとする。学校へ行くことは私に課せられた義務で、義務からは逃れられないことを、私の足はよく知っていた。私の頭よりも、ずっと深く理解していた。

「朝から雨でウザかったわー。誰だよ天気決めたの」

「星宮んちの量子コンピューターだからな、仕方ねえよ」

「星宮はずるいよなあ、先祖のおかげで億万長者だからな」

「でもさ星宮って、父親に逃げられただろ?」

「え!?いつ!?」

「お前知らなかったの?1年くらい前じゃね?」

 にきびだらけの汗臭そうな男子たちが、何か話をしている。私は耳を憎いと思う。私の耳は、大切なことは何一つ教えてくれないのに、知りたくない世界のことばかりを、まざまざと見せつけてくる。


「みやちゃん、おはよう!」

 野暮ったいノイズを掻き消すように、ひどく懐かしい声がした。

「おはよう」

 振り返るとそこには、太一くんがいた。

「やっべ」

小汚ない男子たちは小走りで逃げていく。

太一くんとは、中学に入学して初めて知り合った。大きな瞳を覆い隠すかのようなメガネに、桜のように白い肌、少しウェーブのかかった黒髪。一体どこを見ているのかわからない、視線の角度と、光を失った眼。そして、左手首の傷。太一くんは本当は人間じゃない何者かで、いつか私の全てを見透してくれるんじゃないかという気がして、目が離せずにいた。彼の幼馴染たちはみな太一くんを避けていたけど、私たちはいつの間にか親友になっていた。目の前の、体温を持った太一くんは寂しそうに微笑みながら、私の髪に手を伸ばした。彼の死んだ目線の先には、間違いなく私がいた。

「みやちゃんの髪は本当にきれいだね。それに」

 制服のシャツから、太一くんの匂いがした。おひさまの匂いって、きっとこういうものなのだろう。私も嗅いでみたかった。1135年前まで当たり前だった匂い。明日が最後の匂い。太一くんは私の髪に顔をうずめて、動かなかった。


 私と太一くんの横を、何人もの生徒が通りすぎて行く。彼ら、彼女らの動揺や苛立ち、冷笑さえも、太一くんといれば、どうだってよかった。

「俺、明日で最後だよ」

 私は耳を憎いと思った。夢だったらいいのに、嘘だったらいいのにと、何度願ったことだろう。

「だからさ、お願いがあるんだけど」

「なに?」

 太一くんは、私を強く抱き締めたかと思うと、唇を耳元に寄せて囁いた。

「今日一日、俺と、一緒にいて」

 私は無言で頷いた。

「一生分、一緒にいような」

 私たちは手を繋いで、学校とは逆方向へ歩き出した。

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