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一般向けのエッセイ

スマホゲーに思う

 

 


 スマホゲーをインストールして遊んでいる。「ドールズフロントライン」という「艦これ」の準パクリゲーをしているのだが、結構面白い。ただ、「面白い」という一語には無限の階梯があるので、どのレベルで言っているのかというのが問題となる。


 それにしても、スマホゲーというのは、よくできているというか、馬鹿馬鹿しいというか、なんと言えばいいのだろう。今現在、普段の仕事に関しては「社畜」で、空いている時間には必死にスマホゲーをしていて、大量に課金している。そういう人は結構いると思うし、そういう人が「なろう小説」を読んでいるのかもしれない。


 自分はそういう人を馬鹿にする気はないし、そういう人が「なろう小説」とか「スマホゲー」に大量に課金するとしても、愚かだとは思わない。ただ、企業は、人間というものを全力でそういう「愚か」な存在にさせにかかっているのは間違いない。スマホゲーをやっていると、色々な会社がユーザーをゲームに依存させようとしているのがよくわかる。毎日のログインボーナス、少しずつの達成、自分だけが得しているという感覚を味わわさせる。全ては消費者の為というか、消費者を自分達の思うように飼いならしていこうという手腕が透けて見える。しかし、これは別に「悪」ではないわけだ。


 スマホゲーを遊んでいると、なんというか、とにかく「考える」要素、自分の頭で処理していくという要素がどんどん消去されていくというのがよくわかる。「社畜」を例に上げたのも、それと関連しているので、生産の場面でも消費の場面でも、個人の思考とか、創造というか、苦悩というか、そういう「個」を完全に消しにかかっていると思う。それで、「社畜(生産)ーースマホゲー(消費)」の連関が現代における、最も疎外された個人、生きる事から、考える事から疎外された個人であるように感じる。これは他人を批判しているだけではなく、自分もそういう一人だという感情も入っている。


 スマホゲーにしろ、なろう小説にしろ、その画面の範囲内では、自分は特別な存在として扱われる。そこでは、とにかく自分は特別、世界の中心であって、そこで社会によって失われた「自分」が回復するような気がする。社会に出た時、自分は何者でもない、例え自分がいなくても世界が回るという事を否応なく味わわさせられる。その感覚をスマホゲーやなろう小説は補填してくれるのかもしれない。しかし、それもまた企業とか資本によって作られたもので、世界の型の中にがっちりはまっている。この人間疎外の世界は無限地獄なのではないかという気がする。天国と地獄とが一体になった感じがする。


 かつての共同社会では、せせこましい世界の掟や、人間関係に人は縛られていたが、今は縛られる事なく、自由になった。それと共に、自分の特別性、自分というものの拠り所もなくなって、空中に浮かんだ存在となった。いくら高給を貰った所で、自分が死ねばすぐその代わりがいるという感覚、誰も自分を真には必要としていないという感覚はゾッとするものがある。それを金とか地位とかでごまかすのは限界がある。しかし、世界が「関係の絶対性」で動いている以上、一人ではどうする事もできない。それで、とにかく、世界の中の歯車の一つになりながら、自分の生活を、自分というものの不在を感じつつ行っていく他ない。


 社会に出ては社畜、フリーター、派遣社員といった所で、アパートに帰れば、スマホゲー、なろう小説であり、これは、現代的な「疎外」じゃないかという気がする。自分は早晩、マルクスやカール・ポランニーの真剣な読み直しが始まると思っているのだが、これはどうにもならない状況という気がする。アリストテレスは、多岐に渡る世の色々なものが唯一の交換価値(金)に還元できるという事に戸惑いを覚えていたそうだが、現在誰もそれに戸惑いを覚えてはいない。しかし、その結果、スマホゲーの中でも数字を追い、会社に行っても数字を追い、数字の為に人間が捨てられても「やむを得ない」となった。数字は事実なので重要ではあるが、そもそも人間存在を「効用」「生産性」に集約するのが無理だったと思っている。

 

 人間は、人間の作り出した大きな組織・世界によって疎外されている。そこでたまたまスポットライトが当たれば急激な賞賛と金が手に入るが、そうでなければ見捨てられたままだ。先日、どこかのモデルが、有名な3DCGの女子キャラクターとそっくりだったというので、話題になったというのを見た。似ていたのはただの偶然だろう。しかし、この偶然だけでも、仕事が多く入ったり、多くの人の賞賛を浴びたりするだろう。この社会は適当にすごろくを振っている。(神も社会もすごろくを振る) それに当たれば大はしゃぎだが、そうでないと、見捨てられたまま。あるいは、この社会で努力して、一流になるというのだろうか? 一流とは、なろう小説を書いて作家デビューしてみたり、ユーザーを依存させるスマホゲーを作って企業の株を上げる事を言うのだろうか? …まあ、多分そうなのだろう。『それ以外』にはないのだろう…。


 一体、この世界というのは何なのだろう? …しかし、電車の中、あるいは体が疲れている時には、文庫本を読むよりもスマホゲーをポチポチやっている方が「楽しい」し「楽」なのは事実である。スマホゲーを作るのが「支配者」であり、それに金をつぎ込むのが「奴隷」だとすると、この社会は念入りに地獄というものを作り込んだものである。そんな事をボヤきつつ、自分は今日もスマホゲーをポチポチやる。出るか出ないかわからない星5のキャラクターの為に時間を費やす。ああ、早く星5が出やすいガチャにしてほしい。運営に連絡しようかな………


 



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― 新着の感想 ―
[良い点] 結論星五当たんないから調整してくれって話か。 いや普通に考えました。面白かったです。
2018/08/30 17:05 退会済み
管理
[良い点]  或る意味で「パンとサーカス」と言えるのでしょう。無償ではないけれども、安直な手段で得られるようになっているから。
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