過去
来る時とは違い、春香や歩が前を行き、その後ろを司が歩いている。さらに少し離れて凛と明人が並んでいた。先頭集団は京也と歩の馴れ初めを話している春香が盛り上げ、未来と来武もまた興味深そうにその話を聞いていた。司はぼーっとしながら歩いているだけだ。そんな司を見ていた明人が前を見たまま口を開く。
「あいつ、女性の体も人間としか見られないと言っていたが・・・・」
言いにくいのか、珍しく語尾を濁す。そんな明人だが、表情もなくただ前を歩く司を見ていた。
「司君の心は壊れてる・・・昔のある事件がきっかけで、愛や恋、嫉妬とかいう感情を全て消し去ったの」
「レイプ疑惑、、か?」
何故それを明人が知っているのかと困った顔を向けるが、明人は前を向いたままだ。
「ネットでそれらしいブログを見た」
その言葉に納得しつつ、凛は少し暗い顔を見せる。
「本当はそうじゃない・・・除霊をしてただけ。でも、彼女や家族はそう思わなかった。そして司君を責めて彼は心を壊したの」
「で、あなたがその唯一の例外か?」
驚く顔を見せる凛を目だけで見た明人は表情に変化を見せない。すぐに視線を前にした明人はそれ以上何も言わなかった。
「例外でも、壊れた心は戻らない・・・でも、芽生えた心は大事にしてあげたい」
その言葉を聞いた明人の口元が小さく緩む。愛情に溢れた想いが込められた言葉に素直な感情を見せた結果だ。淡い微笑を浮かべたのは一瞬だったが、凛はしっかりとその優しい笑みを見ていた。
「羨ましい言葉だ」
無表情でそう言う明人に凛が微笑む。そうしていると駅に着き、今度は健司の家に向かう。揺れる電車は空いていたが、女性陣が座り、京也と明人、司、来武はドアのところに立っていた。
「何故、遠山君が狙われたのか、わかるといいが」
「わかるのかな?」
「さぁね」
司はそう言い、目を閉じた。昨日、遭遇した通り魔の思念はバラバラだった。怒りと憎しみ、そして悲しみ。何に怒り、何を憎んでいるのか。そして何故、悲しいのか。霊圧は不安定で、それでいて巨大だ。ただ不可解なのは普通は霊が憑くという状態は精神に憑く場合と肉体に憑く場合がある。精神に憑かれた場合は肉体の機能は奪われ、元の魂は心の奥底に封印されてしまう。逆に肉体に憑いた場合は京也や苺がそうだったように気だるさを感じ、体を乗っ取られるようになるのだ。だがあの通り魔は違う。肉体的にも精神的にも乗っ取られていながら自我を保ち、霊と共生関係にあるように思えた。だからこそ肉体と霊体の境界線が曖昧になり、肉体を持ちながらも霊体のごとき神出鬼没さを持っているのだ。あれを祓うとなれば大仕事になり、逆に滅ぼすとなれば最悪、憑かれている人の精神も滅ばしてしまうだろう。
「やっかいな相手だ」
小さくそう呟く司は一瞬自分を見た明人を知りながらあえて無視をした。明人もまた司に向けていた視線をすぐに外している。そうしていると電車はすぐに駅に到着し、ぞろぞろと改札を出た。
「大人数で行くと迷惑、だよね?」
春香の言葉に大半が頷いた。
「俺の時は迷惑だって思わなかったの?」
京也の質問に満場一致で頷く面々。がっくりとする京也を歩が慰めつつ、とりあえず司と明人、春香、来武の4人で向かうことにした。残る5人はひとまず外で待つことにし、健司の家に向かう。そして家まであと10メートルと迫ったとき、来武がその足を止めた。
「来てるぞ」
「わかってる」
そう言った司が不敵に微笑む。そして2人がほぼ同時に右側の路地を見た。路地の向こうに立っているのは黒いジャンパーにぼろぼろのジーンズを履いた男だ。女性陣はおろか京也もまた小さく悲鳴を上げる。恨めしそうな目でじっと自分たちを見る男に対して警戒をする来武をそこに残し、司はポケットに手を突っ込んだままそっちへと向かった。
「司君!」
凛の叫びに振り返ることなく、司は通り魔の手前2メートルで立ち止まった。
「目的、なんなの?復讐?」
その瞬間、黒い風が司に吹きすさぶ。だがその黒い風は司の前に壁があるかのようにして届かない。それを見ている明人たちはそのあまりに現実離れした光景に言葉もなかった。だがこんなことには慣れている来武や未来、凛にすれば驚くことではない。
「久保善行ってあんた?」
その瞬間、風は止まった。司はにんまりと笑うとポケットから両手を出す。いつの間にかその手首から数珠は消えていた。それを見た凛はホッとしつつも気を緩めない。明人は目の前の光景を見逃すまいと瞬きすら惜しむように前を見据えていた。
「久保さんなら、南秋穂って人があんたを止めてくれって言ってるけど・・・何を止めたらいいの?」
その言葉を、いや、秋穂の名前を聞いた瞬間に男はよろめく。霊圧が大幅に下がったことを確認した司が一気に間合いを詰めて右手を通り魔の胸に添えた。
「え?」
その戸惑いは背を向けていても全員に伝わった。来武と未来は顔を見合わせ、凛は不安そうにしてみせる。明人は眉間にしわを寄せた。いつも余裕というか、お気楽な感じの司ではないからだ。明らかに動揺している。そのまま司は通り魔から離れた。
「お前・・・・・・・」
何かを言おうとした瞬間、男は消えた。完全に霊圧も消えたことを確認した来武が司に駆け寄る。
「どうした?」
「あいつ・・・あいつが南秋穂だ・・・・どういうことだ?」
「何?」
「外見は久保って男かも・・・だけど、精神は、魂は南秋穂だった・・・・」
「馬鹿な・・・ありえないだろ?」
「でも、廃村にいた彼女の霊圧でもない・・・どうなってんだ?」
珍しく動揺する司に凛の中の不安が爆発的に膨れ上がった。そんな凛に一瞬光を感じた明人が横目に凛を見るが、もう眩しさは感じない。やがて司の元に集まる一堂だが、何が何だかわからない状態だった。明人たちにすれば詳しく聞かされていないこともあって全てが意味不明で、来武たちにすれば司の言っている意味がわからないし、ありえないとも思う。
「とにかく、除霊をしよう」
来武の言葉に頷きつつ、司の表情は苦渋に満ちていた。何を感じ取ったのかは分からないがこんな司を見るのが初めてなだけに凛の中の不安も大きくなっていた。とりあえず冷静になった司は明人に促されて健司の家に入る。残された5人はさっき見たことに関して凛と未来に説明を求めた。だが説明できるはずもなく、今は報告を待つことに決めるのだった。
*
明人によって健司の部屋に案内されたが、症状自体は京也よりも遥かに軽かった。ただ通り魔のせいか、声帯をやられているようで声も出せず、体も少し硬直した状態であった。熱もそうないが、これでは確かにメールも電話も不可能だ。司の指示で来武がのしかかるように健司に憑いている霊圧を自ら取り込み、動けるようにする。研修のつもりだが、これぐらいは来武にとって朝飯前だ。その後で司が健司の体を起こし、左手で胸を押し、右手でややきつく背中を叩いた。苺の時の除霊を見ているだけに明人は平然としていたが、初めて見る春香にしてみればそれはどこか不気味に見えた。何かを吐くようにゲホッと言った後、健司はさっきまでの硬直や気だるさが嘘のように治っていることに狂喜乱舞した。声帯も戻り、思わずそこにいた春香に抱きつく。さすがに恥ずかしいと思うが、よかったという思いから抱きしめ返す春香。
「お互いに好きなのはわかったからさ、浄霊するから離れて。あ、シャツ脱いでね」
司にそう言われた春香は赤面しつつ健司から離れる。春香が来てくれたことが嬉しい健司はそそくさとシャツを脱いだ。その胸に左手を当てて何かをブツブツ言い、今度は右手を胸に当ててそれをぎゅっと握った。
「絶」
「見事だ・・・いつ見ても感心する」
「これぐらい早くできるようになれよなぁ」
その言葉に苦笑する来武だが、嫌な気はしていない。確かに早くこうなりたいと思うだけだ。ただ、術はまだ覚えたての上、こういう除霊を行えるほど霊圧のコントロールが出来ていないためにまだ少し時間がかかりそうだった。
「健司が狙われたわけ、わかったか?」
部屋の隅に立っていた明人の声ににんまりと笑う司は健司から離れてその横に立った。
「探してるんだよ・・・久保善行って人を」
「久保さん?」
「健司、知り合いなの?」
久保の名前に反応した健司に春香がそう聞けば、健司は頷いた。
「ああ。昔、近所に住んでたんだ。家族ぐるみでキャンプ行ったりして仲良かった・・・6年ぐらい前に俺が引っ越して、それから会ってないけど・・・久保さんがどうかしたのか?」
久保家とは家がすぐ近所とあって家族ぐるみ遊んでいた。キャンプにも行き、良き兄貴分として面倒を見てもらった記憶もある。3つ年上の優しい人で、健司はよく懐いていた。それも健司一家が引っ越したことで会うことが少なくなり、ここ2年ほどまったく会っていない。
「わからん」
素っ気無い返事に怪訝な顔をするしかない。だが、ここへきて分かったこと、そして新しい謎も出来たことは間違いない。
「神手・・・全てを整理するためにも全部を聞きたい」
「わかってる」
明人の言葉ににやりと笑う司を見た来武も頷き、春香も神妙な顔つきになった。全く事情がつかめない健司だけが困ったようにしているが、今は春香が傍にいてくれるだけで幸せな気持ちになるのだった。
*
農作業を終えた上坂刃は日陰に入ると小さなため息をついた。新しい水路を確保するだけでこんな時間になり、照りつける太陽もあって体力も限界に近かった。そんな刃は向こうからやってくる小さな人影を見て優しい笑みを浮かべてみせた。
「旅行ですか?」
首から提げたタオルで顔を拭き、立ち上がった刃は自分の目の前で止まった少女、いや姿は10歳程度の少女だが中身は33歳の女性へと向き直った。両目を閉じ、銀色の髪を腰まで伸ばしたその姿は外人のようだが、彼女は純粋な日本人だ。大きなカート形のバッグを立て、女性は小さな笑みを浮かべてみせた。
「あなたの弟子に会いに」
「そりゃ長旅だ」
刃はそう言うとなだらかになった地面に腰掛けた。女性もまた日陰に入ると同じようにカート形のバッグの上に座った。彼女が軽い上にバッグ自体が硬いのでなんら問題はない。
「かつて父が封じたモノが町に出たようです。遺言がある以上、見届ける必要があるので」
「そうですか・・・アレが・・・」
「おそらく、あなたの弟子が動いているでしょうが、彼では荷が重い」
「あいつで荷が重いなら、誰もアレを倒せないよ」
苦笑し、そう言う刃とは違って女性は険しい顔をしてみせた。
「アマツにミコト、カグラが揃っただけでも奇跡。でも、彼は死ぬ運命にあったはず」
ずっと閉じられた目を開くことなくそう言う。その言葉に薄く微笑んだのが分かったのか、女性はますます不機嫌そうな顔をした。
「そんな顔をしちゃ、美人が台無しだ」
「あら、私を美人と認識しながら結婚から逃げたの?」
「するよ・・・あと2年したらね」
その言葉に女性は驚いた顔をするが、やはり目は開かない。
「約束の時まであと2年だからね」
「約束?そう言えば・・・彼の母親とした約束・・・あれは本当だったのですね」
刃はますます笑みを強くした。閉じた目でそれが見えているのか、女性は大きなため息をついた。
「宇宙に住むものの全ての運命が記載されているというアカシックレコード、それを見ることが出来るのはこの地球上に男女1組だけ。1人はあなたの師であったミュンヒハウゼン公、もう1人は木戸静佳という女性。その真理眼を持つ者が見た死は絶対のはず。書き換えることなど不可能なその記録を・・・・」
「書き換えたんじゃなく、書き加えたんですよ、自分の命と引き換えに」
刃はそう言うと立ち上がった。かつて恋した人と交わした約束は今でも忘れることは無い。自分は身を引いたが、それでも彼女の幸せを願って止まなかった。そんな時、彼女が病に倒れたと聞いて会いに行った。彼女の夫である信司の目を盗んで会ったこともあり、刃の中では今でもそれをタブーとしていた。
「彼女は自分の息子が死ぬことを知っていた・・・どやって知ったのかはあなたも知る通り。だが、彼女は必ず助けると約束をした」
「運命を書き足すほどの力で?」
「言葉には力がある」
「知っています、言霊でしょう?」
「彼女は言葉に念を込めることで、口にしたことを現実にしてきた。そういう能力者だった」
言葉の持つ力は大きい。罵声も賞賛も人に与える影響は大きいのだ。愛を口にし、呪いを口にする。それだけで相手は喜び、悩み、苦痛に思う。
「現実にするために、それなりのものを失う・・・今まで彼女はその能力を使用した代償に友をなくし、財をなくし・・・・でも愛を得た。それだけは自力で」
幼馴染の神手信司と佐川新、そして刃は司の母親である由美子に恋をした。言葉の力で友達を失い、家も貧しくなったが、彼女はそれに頼らずに得たのが信司の愛だった。由美子は信司を選び、結婚した。それ以前に能力を磨くためにミュンヒハウゼンに師事していた刃はそこで由美子が選ぶ相手を知って身を引いた。師から聞いた決められた未来を知ったからではない。由美子が信司を好いていたことを見抜いていたからだ。そして2人は結婚し、司と美咲が生まれた。師から司が伝承にあるアマツの生まれ変わりだと聞かされたが、興味はない。元々凄まじい力を持った兄妹は両親の能力を受け継いだ結果だと思っていたからだ。
「彼女は本来助かる病気だった。だが、息子を救うために自らの命を代償に言葉の力を使ったんだ」
「しかし、記録は・・・」
「死ぬというのは記録どおり。死んだあと、彼女は自らの霊圧で司を救っただけ」
由美子は息子を救った。そして、刃は司を鍛えた。元々は由美子から相談を受けていたのだが、身を引いた者のけじめとしてそれを断っていたのだ。だが、由美子の死で塞ぎこんだ司を救う意味でも鍛え、そして自分はこの地へ引っ込んだ。
「魔封剣も封神十七式も今ではあなたの家のものになった、なのに・・・」
「あいつはアマツで、どれもアマツの遺したものだ・・・俺は返しただけ」
「彼はアマツじゃないんでしょう?」
「自分でも矛盾していると思う」
苦笑する刃を見たままの女性は立ち上がるとさっさと刃に背を向けた。
「会えばわかるよ。司は、あいつは不思議と人を引き付ける」
その言葉にゆっくりと振り返った女性は表情もなく閉じた目で刃を見やった。
「壊れているのに?」
「壊れていても、あいつは神手司だよ」
にっこりと微笑む刃にため息を残し、女性は舗装された道を歩いていった。その背中を見つめつつ、刃は小さな微笑を浮かべた。
「あと2年しないと、あなたは子供を産めないでしょうに・・・」
見た目は10歳というよりも肉体年齢が10歳なのだ。特殊な霊圧のせいで体の成長が極端に遅いこともあって、女性の肉体成長速度は通常の三分の一程度でしかない。あと2年で肉体年齢は16歳程度に成長するのだ。
「あなたの父上との約束です」
刃はそう言うと眩しい空を見上げた。雲が多いが快晴だ。子供が産めるようになってから嫁にもらってくれ、そう言ったあの女性の父の言葉を思い出しながら、刃は一つ大きな背伸びをするのだった。




