遭遇
放課後になり、春香と歩は部活に向かった。明人はさっさと学校を出て駅へと向かう。健司にメールをしてもやはり返事はなく、電話にも出ないのは変わらずだ。京也に関してはメールは返ってくるものの、体調は最悪なようで飲食すら満足にできないようであった。勿論、それは歩には伏せてある。言えば心配して押しかけるのが分かっているからだ。とにかく健司と接触したいと思う明人はいつもより早い電車に乗って自宅最寄の駅で降りる。そこから自宅とは反対方向に向かって歩く明人の足が止まったのは5分ほど歩いた後だった。目の前をゆらゆらした感じで歩いているのは黒いジャンパーに汚れてぼろぼろのジーンズ姿の男だ。明らかにおかしいその身なりと動きに直感的にそれが通り魔だと悟った。やはり健司を追っているのか、自宅の方に向かっている。
「待て」
背後数メートルの距離を置いて声をかけた。その鋼鉄の声に怯えはない。だが男は振り返ることなく歩き続けた。明人は小走りになって男を抜き去るとすぐに振り返った。元々人通りの少ない道には誰もいない。そう、さっきの男もいなかった。忽然と姿を消した男を捜せば、右横にある小さな公園の中にいた。一体どうやって一瞬で姿を消したのかと思うが、相手が霊ならそれも可能かと思う。そんな明人が公園の中に入れば、男はゆっくりと明人の方へと向いた。落ち窪んだ目はいやに黒目が目立つ。頬もこけ、髪もぼさぼさだった。身なりもぼろぼろで生気すら感じない。本当に霊かも知れないと思う明人が緊張感を持って男の動きを見ていた矢先、一瞬で目の前に移動した男が腕を伸ばして明人の左肩を掴もうとした。咄嗟にそれを避けて回り込み、蹴りをわき腹に浴びせた。男はよろめくが倒れず、逆に蹴った明人の方が悲鳴をあげた。蹴った足に入る激痛。いや、足ではなく全身の内側から痛みを感じたのだ。
「なんなんだ?」
つぶやく明人に再度掴みかかろうとする男に対して間合いをあけるが、男はその間合いもいつの間にか詰めている。仕方なく左足を振り上げ、同時に右足も振り上げた。左足が男の右側頭部を蹴りつけ、ほぼ同時に右足が左側頭部を蹴りつける。左右同時の蹴りを頭部に受けた男はよろめくものの倒れることはない。逆に明人が全身を走る痛みに耐えられず地面を転がる。完璧に入った『亀岩砕』さえも効果がなく、蹴った自分がダメージを受ける矛盾。その現実に動揺しつつも立ち上がろうとするが、それより早く男が明人の左腕を掴もうと手を伸ばした。一瞬触れただけでこの激痛だ、掴まれればどうなるかわからない。必死で身をよじろうとするがまだ残る痛みで動けず、明人は恐怖をもって全身に力を込めた。
「三の術、乱」
公園の入り口付近でした声と男が腕を掴んだのは同時だった。痛みを覚悟していた明人はただ掴まれただけの感触に身をよじり、それを振りほどいて立ち上がる。男の冷たい手はまるで死体のようだ。やはり霊なのかと思うが、蹴った感触もあれば掴まれた感覚もあってそれはないと思えた。
「こりゃ珍しいね。珍品だよ」
男を睨んでいた明人の横に立ったのはジーンズに赤いTシャツを着た同じ年の頃と思える男だった。目が隠れるほどの長い前髪に後ろ髪もまた紙の紐のようなものでくくっている。人懐っこい笑みを浮かべたその男は銀色の数珠をはめた左手を前にかざしていた。
「霊的な防御はしてやるから攻撃しろ」
「お前は?」
「そんなの後だって、ほれ、来た!」
何故か微笑みながらそう言う男に舌打ちをしつつ、明人は掴みに来た通り魔の腕をすり抜けてその腹部に拳をめり込ませる。さっきまでとは違って痛みは感じなかった。
「五の術、穿」
背後で声がした瞬間、通り魔が片膝をついた。その隙を逃さず明人の蹴りが後頭部に炸裂する。一瞬だけ痛みを感じたが、今は平気だ。男はそのまま地面を転がり、そして消えた。そう、文字通り消えたのだ。そこには何もない。呆然とする明人に対し、つかつかとそこにやって来た男は右手を地面に当てている。手首にある金色の数珠が目を引いたが、明人は周囲に目を配った。
「完全に消えたか・・・」
男はそう言うと立ち上がった。横目で自分を見ている明人ににんまりと笑ったその男は馴れ馴れしく明人の胸に左手を置く。
「なんだ?」
「痛かったでしょ?あいつの霊圧が残ってたらまずいから、祓う」
そう言い、今度は右手を胸に当ててぎゅっと握った。
「絶」
小さくそう呟いてから手を離し、さらに笑顔を濃くした。
「これで大丈夫」
「お前・・・」
「俺は神手司。霊能者ってとこ。あの通り魔を探してるんだ」
「何故?」
「んー・・・めんどうの大元だから」
そう言ってにんまり笑う司にため息をついた明人はまっすぐに司を見やった。
「戸口明人だ。詳しい話を聞きたい」
「いいよ」
あっさりとそう言う司を見た明人の表情が曇るが、司は笑ったままだった。
*
公園のベンチで一通りの説明を受けた明人は鋭い目を司に向けていた。全部を全部信じることはできないが、司の口から出た笹山という名前に無理矢理自分を納得させる。猟奇殺人事件と通り魔事件の関係、そして封じられていた霊の関与。どれも現実的でなく、どちらかといえば3流のオカルト話だ。
「とにかく、そういうこと」
「もう少し詳しい話が聞きたい」
「いいけど、ここじゃねぇ」
「問題でも?」
「猫の霊が多い・・・にゃーにゃーうっさいんだよね」
苦笑する司から公園を見渡すように視線を向けた。何も感じない明人にしてみれば誰もいない静かな公園だ。
「俺の家に来い」
健司の家はすぐそこだが、後からでも来られる。それに健司に助言をしたのがこの司であれば、昨日の話も聞けるだろう。そうして公園を出た2人は会話もなく道を歩く。司はきょろきょろしつつ明人に並んで歩いた。明人は司に興味がありつつも何も口に出さなかった。ただ、この司が持つなんとも言えない不思議な雰囲気を感じとり、そしてある違和感を抱いていた。それもあって口を開かなかったのだ。やがて2人は大きな家の前で立ち止まる。
「俺の家だ」
「でかいね・・・羨ましい」
そう言うが、司の家も大きい方だ。確かに明人の家の方が大きいが、羨むほどのものではない。明人が門に手をかけた時、司は隣の家、苺の家の方を見ていた。それも苺の部屋がある2階部分を。
「どうした?」
「お隣、よく知ってる?」
「ああ」
「2階にいる人も?」
「・・・幼馴染がいる。俺の彼女でもあるが」
何故そこまで言ったのかは自分でもわからない。だがその答えを聞いた司は満足そうに頷いた。
「よし、じゃ、会おうか」
そう言うとさっさと苺の家の前に立ち、勝手にインターホンを押した。
「お前・・・」
さすがの明人も呆れてしまうが、睨むようにしただけで文句を言わなかった。司はそんな明人に微笑み、2階を見上げる。インターホンの向こうで苺の母親が出たために明人は見舞いに来たと告げた。そんな明人に興味がないのか、司はさっさと門をくぐって玄関の前に立った。やはりこの男はどこかおかしいと思うが、あえて何も言わずに司の横に立った。やがてドアが開き、40代にしては美貌を放つ苺の母親が姿を見せた。
「明人君、いらっしゃい。苺はまだダメなのよ」
そうにこやかに言いつつ、明人の隣に立つ見慣れない男子に目をやった。明人は司のことをどう説明しようかと思案するが、それよりも先に司が口を開いた。
「俺、中学時代の友達です。そこで久々に会っちゃって。それで彼女のお見舞いを一緒にと思って」
口からでまかせにもほどがある。よくもそんなことを笑顔で言えるなと思いつつ表情を変えない明人を見た母親は微笑み返し、家に入れてくれた。
「お邪魔します」
同時にそう言い、靴を脱いだ。
「あとで飲み物、持って行くわね」
「お構いなく~」
無言で頷く明人とは対照的に微笑んでそう言う司に母親も微笑んだ。愛想のいい司にどこか好感を得たようだ。
「お前・・・精神破綻者か?」
会った時から感じていたことを口に出すが、司はにんまり笑うだけだ。
「そうかもね」
笑いながら言うことではないが、明人はため息をついて階段を上がった。そうして苺の部屋の前に立った明人はノックをする。中から小さな声が聞こえたためにドアを開こうとノブを掴んだ。が、その手を押さえるようにして司が明人の手首を掴む。何なんだと横目で司をけん制するように見ると、鋭い目をドアに向けていた。
「濃いな・・・濃い」
言葉の意味がわからないが何も言わず、明人はドアノブから手を離した。司は左手の数珠を外すとそれを明人に渡す。
「左手につけて」
笑みの無い表情に何かを感じたのか、明人は何も言わずに言われるままに左手に数珠を着けた。司が頷き、明人は今度こそドアを開けた。左側にベッドがあり、苺はパジャマを着たまま青い顔をして寝ていた。少し微笑むが、力が無い。そのまま見慣れない顔の司を見た苺だが、咳き込んでしまった。マスクをし、大きな胸が早いリズムで上下しているのが分かる。熱のせいだろうと思う明人が苺の傍らに向こうとした矢先、先に司が苺の真横に立った。
「座れる?」
優しい口調に素直に頷いた苺は司を不思議そうに見ながらも自力で座った。近づこうとする明人を制するように待てとばかりに左手をかざし、明人もまた何も言わずその場に佇む。
「濃いね、つらいわなぁ」
言いながら無造作にパジャマの上から左手を胸に押し付けた。ほどよい弾力が手に伝わり、ただ見ているだけの明人にもその柔らかさが見て取れる。普段冷静な明人には無い動揺した表情で司に近づくとそのまま左肩に手を置いた。
「お前!何を!」
そう言いかけたのと苺が胸をかばうようにするのは同時だった。だがそれよりも早く左手を離した司が今度は右手でやや強めに背中を叩いた。すると苺は大きな咳をする。心配そうに苺に寄り添う明人に対し、司はさっさと立ち上がると勝手に机から椅子を引き出してそこに座った。
「あれ?嘘?あれれ?」
苺の言葉に怪訝な顔をしつつ司を睨む。その司はにんまりと笑い、そして左手を差し出した。
「数珠もういいよ、返して」
明人は怒りを含ませた表情をしつつ乱暴に数珠を取るとそれを投げた。司は苦笑しつつそれを左手にはめると苺を見る。苺はマスクを取るときょとんとした顔を明人に向けた。
「大丈夫か?」
「治った」
「なに?」
「すっごい体が軽し、熱くもないし。すっきりしてる・・・なんで?」
そう言いながら椅子に座る司を見た。さっきまであったつらそうな顔もないいつもの苺を見ている明人は呆然としているのみだ。
「憑いてたものを祓っただけ」
「憑いてた?」
「悪い霊の波動を受けたんだよ。で、憑いてたそいつの霊圧を祓った」
にっこりしてそう言う司の言葉に、あの時ぶつかった人のことを思い出した。やはりあれは人ではなかったのかと思うが、ぶつかったのだから人間だとも思える。不思議そうにしている苺だったが、不意に明人に抱きしめられて顔を赤くした。
「よかった・・・」
「明人君・・・もう・・・」
司が見ていることもあって恥ずかしいが、嬉しいとも思う。ぎゅっと抱きしめ合う2人を見て何かを考えるようにした司は頭の中に浮かんだ疑問を口に出した。
「そうやって抱き合うのってさ、恥ずかしくないの?」
そう言われてあわてて離れるが、司の意図はそこではない。
「俺、ダメなんだよなぁ・・・そうされたら恥ずかしくて死にそうになる」
心底羨ましそうにそう言うが、2人にはそれが理解できなかった。そんな2人の表情を見て苦笑した司は椅子から立ち上がると苺の横に座った。
「じゃ、浄霊すっからパジャマ脱いで」
「は?」
「なに?」
普通に言う言葉ではない。それだけに苺は顔を真っ赤にし、明人は呆然としていた。
「直に胸を触らないとできないんだよ」
にっこり笑って言う台詞ではないが、どうやら本気らしい。苺は胸をかばうようにし、明人は司を睨むようにしてみせた。
「服の上からしろ」
「無理だよ」
「なぜだ?」
「服もまた人がまとう結界だからね。だから」
そう言われても納得できず、明人は司を睨み続けた。だが、次に苺が口にした言葉に明人は絶句する。
「わ、わかった」
顔を赤くしたままの苺の言葉に動揺ありありの明人が心配そうな顔を向ける。こんな明人など見たことが無いだけに苺は苦笑したが、しっかりと明人を見つめた。
「この人は私を治してくれたから、だから信用するよ」
当の本人に微笑みながらそう言われては返す言葉は無い。病院へ通おうが薬を飲もうが一向に改善されず悪化の一途を辿った症状をさっきのあれだけで治しただけに信用はできる。かといって服を脱ぐ必要があるとは思えないが、それでも苺は司を信用したのだ。
「じゃ、脱いで」
言われるままに苺はパジャマを脱いだ。下着の無い綺麗な肌が露出された。明人は気まずそうに視線を外すが久しぶりに見るその大きな胸に心臓の動きを早めていた。対する司は変わらぬ笑みを浮かべたままだ。
「じゃ、始めるね」
そう言い、左手を胸に押し付けた。そしてそっと目を閉じてなにやらブツブツと言い始める。明人以外の男性に触られたことが恥ずかしいが、それよりも手を通して胸が熱くなるのを感じていた。司は左手を話すと今度は右手を置く。その仕草を見た明人は公園でされたことを思い出し、不機嫌そうに司を見やった。
「絶」
ぎゅっと拳を握ってそう言い、目を開く。
「終わったよ」
そう言った瞬間、司は明人に胸倉を掴まれていた。パジャマを着つつ驚く苺に対し、司はされるがままでいた。
「明人君!」
「公園で俺にした時は服の上からだったよな?」
「ああ」
「なんで苺は脱がせた?」
目当ては苺の胸を直に触ることだと思った明人の怒りに司は口元を緩めた。今にも殴らんとする明人を見たまま、薄い笑みを浮かべたまま質問の返事をする。
「あんたは泥水を被った状態だった。だから泥水を流したんだ、服の上から。彼女は泥水を飲んでいた。だから服が邪魔だった」
「服が邪魔?」
「言ったろ?服もその人が持つ霊的な結界になる。結界があると効力は発揮できず、この子はまた寝込む」
そう言われ、明人は苺を見た。あれだけ辛そうだった苺が今はも元通りだ。
「それに俺は女の裸も男と一緒。ただの人間の裸にしか思えないからさ」
「どういうことなの?」
「そういう部分を失っててね・・・だから男も女もないんだ・・・ま、例外が1人だけいるけど」
司はそう言うと少し顔を赤くした。それを見た2人は顔を見合わせ、渋々ながら明人は司から離れた。司から感じていた違和感がそれだと思ったせいだ。会った時から人間としてどこか壊れていると感じていた。それがそこの部分だったのだろうが、それ以外にも破綻している部分が多い。
「例外って、彼女?」
「まぁ、ね」
照れた顔をした司に苺も微笑んだ。司に触れられて感じたのは、そこに邪な考えがなかったということだ。やらしさも何も感じなかった。
「とにかく、もう大丈夫」
にっこり笑う司に笑い返し、苺は明人を見た。どこか罰が悪そうにしつつも頷く。
「あら、苺・・・あなた・・・・」
「治った」
微笑む苺を見た母親は絶句した。ついさっきまで死にそうになっていただけに、この変わりようは信じられない。一体何があったのかと思うが、明人も司も何も言わない。そこが不気味だったが熱を測っても平熱だった。とりあえずジュースを置いて夕食の準備に戻りつつ、腑に落ちない顔をした母親はそれでも治ったことは嬉しく思っていた。
「お前のこと、詳しく知りたい」
「告白みたいだよ、それ」
司を見た明人の言葉に苺がそう言うが、明人はまっすぐに司を見ていた。さっきは嫉妬と動揺で自分を見失ったが、今はもう普段の明人だ。
「いいけど・・・」
そう言った瞬間、司の携帯が鳴り響く。あわててポケットからそれを取り出せば、それは凛からの着信だった。
「も、もしもし」
『あ、司君、今どこ?』
「今は・・・・・・・ここどこ?」
「西二見だ」
「西二見」
『私二見中央にいるんだけど、一緒に帰る?どうする?』
「あ・・・うん、すぐ行くよ」
そこで一旦電話を耳から外した。
「二見中央までどれぐらかかる?」
明人はそこが学校のある最寄駅なため、考えずともすぐに答えは出た。
「15分か20分、だな」
「20分ぐらいかかるけど、いい?」
『うん、待ってるね』
「お、おお」
『じゃ、なるべく早くね』
電話を終え、深いため息をついた。声だけならばまだどうにか普段のままでいられるようにはなった。だが、それでもさっきまでの司ではないだけに苺も明人も苦笑していた。
「明日、二見中央でいいか?」
「あー、そうだね・・・そうしよっか」
そう言い、お互いの携帯番号を交換した。詳しいことはメールでもすることにして司は立ち上がった。
「もう大丈夫だから」
苺にそう言うと微笑む。苺もまた微笑み返し、丁寧なお礼を言った。とりあえずパジャマ姿なのと体力がまだ回復していないこともあってそこで別れ、司と明人は苺の母親に礼を言って家を後にした。
「悪いがあと2人祓って欲しい」
「2人?」
「昨日通り魔に襲われている。そこでそいつらに霊がどうのと話した人物がいるらしいが、心当たりないか?」
そう言われた司は来武と未来のことを思い出した。
「心当たりはあるけど、俺じゃない」
「そうか」
「明日はその場にいたヤツらも連れてくるよ」
「わかった」
そう言う明人ににんまりと微笑んだ司は駅の場所を聞くとさっさと行ってしまった。その後ろ姿を見つつ、明人はこの出会いが何かの縁であり、そして必然であったのだろうと感じているのだった。