始動
まぶしい朝日がカーテン越しにも目に刺激を与えるせいか、戸口明人は眩しさと眠たさのためにゆっくりと目を開いた。リビングに敷かれた布団は3つだが、男4人が雑魚寝するには十分なスペースだ。のっそりと身を起こし、周囲を見やる。木戸京也のお腹の上に両足を乗せた遠山健司、その健司に寄り添うように眠る未生来武と、全員が無茶な格好で寝ているのを見て小さく微笑んだ明人はそのままそっと部屋を出てトイレに向かった。戻って時計を見れば6時半。いつもであればジョギングに出かけるところだが、よその家に来てそれもどうかと、神手家に来てからは止むを得ず中断しているのだ。3人はまだまだ起きる気配を見せず、明人はそのまま廊下を経由してキッチンへと向かう。本来であればリビングと扉を隔てて隣なのだが、健司がそこで寝ているためにあえてそうしたのだった。飲み物は自由にしていいと言われていたが、1人で冷蔵庫を開けるのもどうかと悩んでいると誰かが階段を下りてくる足音が聞こえたためにそっちを見れば、扉が開いて顔を出したのは桜園凛だった。
「おはよう。早いね」
にっこり微笑む顔はすっぴんでも十分に綺麗だった。元タレントなせいか、寝起きの顔とは思えぬ可愛さに思わず赤面する明人が頷けば、凛は右手首にはめていたヘアゴムでさっと長い黒髪を横にポニーテールにした。その仕草もあって、明人は無表情を貫きながらも心臓の鼓動を早めてしまった。
「待ってて、顔洗ったら何か用意するから」
「どうも」
にこやかにそう言われて素っ気無く返す自分を申し訳なく思った。しばらくして戻ってきた凛はアイスコーヒーを作って明人に差出し、自分にはアイスレモンティーを入れる。そのまま明人の目の前に座った。
「暑くなかった?」
「冷房があったから」
「あの2階の空き部屋より快適か」
苦笑しつつそう言う凛を見つつ、表情のないままコーヒーを飲む。どうやら昨夜は春香は美咲の部屋で、苺が凛の部屋で寝たらしい。残る歩と未来が空き部屋で寝たのだが、さっき覗いた感じではそう暑くはなかったようだ。女子会の延長でそういう部屋割りになったのかと明人が聞いたところ、美咲が春香を誘ったのをきっかけに苺が凛と一緒に寝たいと言い出し、移動するのが面倒な未来に歩が付き添ったためにそうなったのだそうだ。
「せっかくの集合なのに別々とは・・・」
さすがの明人も申し訳なさを出しつつそう言うが、凛は笑ったままだった。
「でもこういったことは時々しようってことになったし、苺ちゃんから君のこともいろいろ聞いたから」
明人はピクリと眉を動かし、上目遣いで凛を見やる。その凛はすまし顔でレモンティーを飲み、それを見た明人はドキドキしながらもそう大した内容ではなかったようだと少し安心していた。
「馴れ初め、っていうか、小学生の頃の話からここまでの話まで。告白のとことか、なんかいいなぁって思っちゃったよ」
思わずコーヒーを噴出しそうになるが、そこはいつものポーカーフェイスで乗り切った。そんな明人を見た凛は小さく微笑むと愛らしい口でストローをくわえる。どうしてこんな美女があの男と、そう思う明人は昨夜の公園でのやりとりを思い出して重い気分になる。
「司君はああだし・・・まぁ、あれも愛情表現なんだろうけど・・・少し君らが羨ましいよ」
一口飲み終えた凛の言葉に明人は少し俯いた。凛は神手司の全てを受け入れている。だが、自分には無理だ。死んだ女性のたった1つの、小さな願いさえも無視するその性格が受け入れられない。凛は司の心は壊れていても司は壊れていないと言った。だが、今の明人にはそうは思えない。司は人として壊れている、そう思っているのだ。
「今日が決戦の日だとして、やっぱり、あなたも付いて行くのですか?」
「うん。一応、心配だし。司君はすぐに無茶するからね」
「無茶?」
「司君は誰よりも人の命の重さを知っている」
母親を亡くし、そして多くの霊を見てきた。憑いたモノ、憑かれる者、その末路も。
「でも、自分の命は凄く軽く見てる。死んでも魂に、霊圧になるだけだって」
凛はそう言い、薄く微笑んだ。現に司は自分たちを守るためにためらいなく命を燃やして邪念を滅ぼし、そして死んでいる。全てを見ていた来武によれば、一抹のためらいも、そして躊躇もなかったらしい。
「でも、私と付き合うようになってそれも今は身を潜めてる。だからといって私が危険にさらされれば、司君は死すら恐れず私を救うために命を投げ出す。そういうことを簡単にしちゃうから、付いて行く」
矛盾してるけどね、と付け加えてから凛は微笑み、レモンティーを飲み干した。大事な人を守るために、霊の最後の希望よりも生きている人間の安全と命を守る。それは正しいと思うが、歯がゆい。あれだけの力があればその両方を叶えることができるはずだ。
「司君と何かあったんでしょうけど、凄く嫌いになっちゃったんでしょうけど・・・でも、今日の司君を見たら、少しは、少しだけ印象が良くなると思うよ」
全てを見透かしたような凛の言葉に明人は呆気に取られた表情を浮かべるしかない。いつもの無表情は消え失せ、動揺もありありと出ていた。そんな明人に微笑みつつ、凛は時計を見て立ち上がると朝食の準備を始めた。まだ誰も起きていないにも関わらず、1枚のパンを焼き、目玉焼きやウィンナーを焼いた。
「戸口君、どうする?もうすぐ信司さんが起きてくるけど、一緒に食べる?」
自分を振り返る凛に小さく頭を横に振るのが精一杯だった。自分の彼氏を嫌っている男に掛ける優しい言葉。そんな凛を尊敬しつつ、心の中で司に苛立ちが募った。
「おはよう。戸口君も早いね。さすがは格闘家」
「空手家、だよね?」
「厳密に言えばどちらでもないですけど」
その素っ気無い返事に2人が苦笑し、信司は取ってきた新聞を手に朝食のパンを食べようとした。
「食べながら読むのは禁止です」
「あ、そうでした・・・」
息子の彼女に怒られる父親を見た明人は心の中で小さく微笑んだ。凛と信司の仲も良好で、ここに来て日が浅い明人でさえ凛がこの家の母親を兼ねている状況を把握しているほどだ。司にとっては彼女、美咲にとっては姉、信司にとっては息子の奥さんのような感覚なのだろう。
「おはよう~」
眠そうな声を出しながらやって来た春香に凛と信司が挨拶をするが、明人はため息をついた。薄手のジャージの下は膝までめくれ上がり、半袖のTシャツを少しめくりながらぼりぼりとお腹を掻くその仕草はどう見ても中年のおばさんだ。ショートカットの髪も跳ね上がった春香は欠伸をしつつ凛に促されて洗面所へと向かう。どうやら朝日もあって暑くなったらしい。美咲はまだ寝ているようで春香だけが起きてきたのだ。そうしていると信司が朝食を終えてさっさと新聞を読み、キッチンを出て行く。その頃には京也や来武も起きてきて、凛が忙しそうに朝食を準備していった。
「手伝おう」
「いいよ、大丈夫」
「お世話になっているんだ、それぐらいは」
そう言い、明人は皿を出したりコップを出したりしていく。そうしていると春香も動きを見せ、来武と京也も手伝い始めた。やがて歩と未来が降りてきて自分の分の朝食を準備していった。人数が多くなったためにリビングを片付けようということになり、春香の愛のこもった起こし方で健司が最悪の目覚めをしてみんなを笑わせる。あちこちが痛む中起きた健司は起きてすぐには食べられないと顔を洗いに行き、そのままキッチンでぼーっとする状態だった。
「おっはよー」
誰よりも元気良く起きてきた美咲に全員が挨拶を返す。相変わらずぼーっとしている健司だが、そんな美咲を見て目を丸くした。Tシャツの裾をくくり、へそも丸出しのスタイルにショートパンツ姿だ。胸はないが少女の色気というものを感じた健司が思わずニヤつくが、すぐにハッとなってきょろきょろとしてみせた。幸いにも春香はリビングにいて談笑中とあり、気づいてはいなかった。これで残るは苺と司だけなのだが、これに関しては凛が起こしに行くことになった。このままいけば際限なく寝ているのは目に見えている、そう思っての判断だった。そして10分後、ようやく全員が揃い、キッチンには凛と司、そして健司と苺が残り、他の面々はリビングで朝のワイドショー番組を見ていた。春香や歩にすればどこか部活の合宿の朝のような感じがしていおり、楽しい気分になっている。そんな様子をぼんやりと見ている明人は京也と来武、そして未来と歩が打ち解けあっていることに驚きつつも小さく微笑んだ。どうもこの2組はウマが合うようだ。美咲と春香も仲が良く、みんな和気藹々としたいい雰囲気を作っている。そうでないのは自分と司ぐらいかと思う明人がため息をついたときだった。速報を伝える音の後で画面上部に流れ出るテロップに全員が釘付けになるのだった。
*
夏休みとあって学生がいない電車はラッシュとはいえ随分とましな状態であった。地下鉄は二見中央から東西に伸び、私鉄の南北線と住み分けをする形で混在していた。そんな状態は西扇駅でも同じであり、二見中央から東へ3駅向こうにある比較的大きな駅である。朝8時44分に西扇駅に到着する電車が急ブレーキを踏んで停車した地点は駅まであと4百メートルに迫った場所だった。運転手の機転でカーブの手前で減速したのが功を奏し、崩れ落ちた壁の残骸の手前数メートルで完全に停止できていた。もし、少しでもブレーキが遅れていたら大きな事故になっていたはずだ。運転手と車掌はすぐに無線を通じて本部に事の詳細を告げる。線路を横切る形で巨大な穴があいているのだ。誰かが掘ったというよりは何か巨大なものが無理矢理突っ切って行った様な状態に運転手は首を傾げ、それを見た乗客は騒然となる。その視線が両サイドにある穴ではなく、右側に向けられるのは何故か。いや、正確には右側の穴のふちに立っている異様なモノに釘付けになっていた。黒く歪んだように見える巨大な蛇のような物体がいる。いや、それは人間なのか、蛇なのか。上半身は人間で下半身が蛇であった。その下半身は蛇の尻尾ではなく、頭部であるのもまた不気味だ。上半身の人間は男のようで、短い髪を逆立てて、色も金か、いや銀か、とにかく異様な感じで輝いていた。鋭い目つきで運転手たち電車の中にいる人間を見た後、下半身の蛇が先導して男は左の穴に消えた。蛇男の残した異様な黒いオーラはしばらく滞留してやがて消えたが、捜索に来た警察や鉄道員たちが見たものは乗員乗客全員が意識を失い、昏睡状態にある異常な光景であった。
*
地下鉄トンネルの崩落事故というテロップの後、ワイドショーのMCが慌しく動きを見せる。事故の詳細はまだ伝わっていないものの、それを見ている面々にも緊張が走る。来武と美咲が顔を見合わせ、まったりとパンを食べている司を振り返る。やはりこれは禍と呼ばれる悪霊のせいなのかと明人もまた司を見やった。
「動きを見せた、のか?」
来武の言葉に頷き、パンを食べ終えた司は優雅にコーヒーを飲んだ。そんな司にまたも苛立ちを募らせる明人だが、今はそれをぐっと堪える。
「動いたね」
コーヒーを飲み終えた司はそう言い、立ち上がる。
「向かう先はわかってる。支度してね、30分ぐらいで」
司はそう言い、洗面所に向かう。来武があわててリビングにあるバッグから着替えを出すと残る男性陣も一斉に着替え出す。それよりも慌てた女性陣は勢い良く2階へと駆け上がり、身支度をすべく奮闘した。司は顔を洗い終えるといつものペースで2階に上がり、着替えを済ます。そして窓の上に掛けられている太刀、魔封剣を掴むとそのまま下に下りた。男子は既に準備完了であり、あとは女子を待つばかりだ。
「それが・・・」
「そう、魔封剣」
明人に答える司が小さく笑う。魔を封じ、神をも斬る剣。高次元にまで高めた霊圧をもってどんな霊すらも斬り裂く無敵の剣だ。だが実際は完全に無敵ではない。より高次元の存在、最近でいえばカグラの邪念体などは斬ることもダメージを与えることもできなかっただろう。所詮はアマツが、そして今では司が持つ太陽剣の物質化、レプリカのようなものでしかない。そして真に神さえ斬れる太陽剣は光天翼が形状を変化させたものだ。その光天翼も今は凛が所有しており、どうやってそれを司が使えるようになるのかはわかっていない。ただ、今回の禍と呼ばれる悪霊は魔封剣で十分対応できるというのは司の、そして神地王遮名の見解だ。それにカグラの邪念体を超える存在など、おそらくこの地球上に存在しないだろう。来武は険しい顔でその魔封剣を見つめていた。これを使えば禍など一撃で滅ぼすことが可能だろう。だが、大場と久保の憎しみと敵意を取り込んだ禍の霊圧がもし魔封剣に耐えうるものだったとしたら。その懸念は常に頭の中にある。
「神手、ヤツの行き先は分かってるのか?」
魔封剣から司に視線を移した来武の言葉ににんまりと笑う司だが、その笑みがどこかいつもと違う気がする。
「まぁね」
そうとしか言わない司を睨む明人だが、すぐに視線を外した。
「おまたせ」
「10分遅い」
春香の言葉にそう返す司だが、顔は笑っていた。ため息をつく春香の後ろでは来武と同じようにその笑みがいつもと違うことを見抜いた凛の姿があった。
*
窓の外を見つめる遮名もまた身支度を整えた後だった。西扇で感じた巨大な黒い霊圧は間違いなく禍のものだ。そしてその禍が動いた先がどこなのかももう分かっている。
「因縁を断ち切る、ということね」
遮名はそう呟き、窓を離れてドアへと向かう。そのままドアを出れば、オートロックの鍵がかかった。相変わらず目を閉じたまま、まるで全てが見えているかのように足早にエレベーターホールへと向かうと下へ向かうボタンを押した。
「彼も動く、か」
司の動向はまだつかめていないが、間違いなくその場所へ向かうはずだと思う。やがて近い未来、神地王家の残した悪しき因縁を断ち切る存在。遠い祖先であり、神地王家始まりの男であるアマツの生まれ変わり。その司がその悪しき因縁を断ち切るのはまだ少し先の話になるだろう。今はただ父が封じた禍を滅ぼすところを見届けることが先決だ。
「お手並み拝見ね」
小さく微笑む表情の中にも緊張が見える。背筋が凍るほどの巨大で悪意に満ちた霊圧。自分に祓う力はないが、それでも禍を目の前にして戦う勇気が出るか疑問だ。身震いしそうになる自分を何とか堪え、遮名はホテルを後にするのだった。




