暖かい家族のもとへ
「っは、っは、っは……!」
卒業試験を無事に乗り越えたソラは、息を切らせて草原を走っていた。
魔法学院の卒業証書を握りしめて、王都から広がる草原の先にある小高い丘を目指す。
「バウッ!」
獣の鳴く声と共に、巨大な影がソラに覆い被さる。三メートルを越える巨躯の存在は、真っ白な体毛の狼だ。
レアルウルフと呼ばれる魔物の、突然変異体。
エフィントウルフという種族の狼は、人懐っこい笑顔を浮かべてソラに飛びついた。
「わぅ! シロー!」
「バウ!」
太い尻尾をぶんぶんと振り、シロはソラに覆い被さって顔を舐める。
シロもまたソラが拾われてすぐにアキトに拾われた存在であり、ソラとは半ば姉弟同然に育ってきた。
共に十六年を生きて、すっかり成長したシロはソラたちの家の番犬(狼)として日々草原を散歩している。今日はたまたまソラの匂いに気付き、慌てて駆け寄ってきたのだろう。
シロの柔らかな体毛に顔をうずめ、暖かいお日様の匂いをたっぷり吸い込む。
シロはソラを受け止めるように横たわり、ソラは誘われるがままにシロの腹の上に寝転がる。
「ばうー……」
「わぅー……」
柔らかな風がソラの頬を撫でる。ひらひらと跳ぶ蝶々がシロの鼻先に止まるも、シロは動じずに目を閉じている。
ごろん、とソラが寝返りを打つ。くしゃ、と小さな音と共にソラはがば、と勢いよく身を起こした。
「って駄目だよ! 卒業証書が!」
「ばう?」
「ああごめんごめん。シロが悪いわけじゃないから。さ、帰ろうっ」
「バウッ!」
起き上がったシロの上にソラは跨がり、シロがゆっくりと走り出す。
卒業証書は綺麗なままだ。端の目立たない部分が曲がってしまっただけのようで、ソラもほっと安堵のため息を漏らす。
シロの走る速度はソラの思った以上に速く、あっという間に目的地である丘に着いた。
そこには大きめの家が建てられていた。二階は存在しないが、その分大きい。
王都ではなかなか見ることの出来ない建築物は、大工ギルドが自信を持って手がけた木造建築だ。その佇まいは、ソラがよく知る前世の和風建築によく似ている。
少し違うのは、和風の趣であるというのに煙突が伸びているところだ。
ソラの前世のように技術が発達した世界ではないからこそ、効率よく煙を吐き出すには都合がいいのだろう。
家の前でシロの首輪とリードを繋げると、シロは大人しく伏せる。
玄関からもう鼻腔をくすぐるいい匂いが漂ってくる。昼食もまだのソラの空腹を刺激するには十分だった。
「ただいま、かえりましたー!」
元気よくドアを開けて家に飛び込む。靴を脱いで、慌てつつも落ち着いてすぐにキッチンに向かう。
「ただいま、お母さん!」
「お帰りなさい、ソラちゃん」
キッチンにはエプロンを着けた栗色の髪の女性が柔和な微笑みを浮かべて待っていた。
肩甲骨あたりまで伸びた髪と、女性の特徴的な――猫の耳と尻尾。
アイナ・アカツキ。
ソラの義母であり、アキトの妻である女性だ。
そわそわしているソラに気付いたアイナは火を止めて両手を広げる。
「わぅー!」
ソラはアイナの胸元に飛び込む。自分を受け止めてくれる柔らかなアイナの感触がソラはいつまでも大好きである。
血の繋がっていない自分にも沢山の愛情を注いでくれるアイナは、ソラにとっては本当の母親だ。
「卒業試験はどうだったの?」
「はい。コハクお姉ちゃんにちゃんと合格を貰いました!」
「さすがソラちゃん、私の娘ね!」
「わぅ~っ」
ぎゅう、と抱きしめてくるアイナの胸に顔を埋める。
魔法学院に通う間、ソラは魔法学院の寮に入っていた。この家には長期休暇くらいでしか戻ってこなかったため、ソラもアイナも互いに寂しかったのだろう。
アイナはソラを抱きしめたままくるくる回る。ソラの合格が自分のことのように嬉しいのだろう。
「まあ実はコハクからもう連絡は貰っていたんだけどね」
「コハクお姉ちゃんめっ!!!」
いの一番に自分から報告したかったソラとしては悔しいものだ。
コハクは魔法学院でのソラの保護者でもあり、細かな部分に気が利いていたが――ソラにとっては、今回ばかりはしてやられた、といった表情をしている。
「だから今夜はご馳走よ!」
「本当ですか!」
「ええ。ソラちゃんの卒業祝いのために、お母さん腕を奮ったわよ!」
「わーいっ!」
ひょこ、とキッチンを見れば確かに多種多様な料理が次々に用意されていた。
下ごしらえの済んだものもあれば、あとは火を通すだけで完成する料理もある。
品数を見ればかなりの量になるだろう。ソラとアイナ、そしてコハクが加わったとしても食べきれる量ではない。
「お母さん、ちょっと張り切りすぎました?」
「……バレた?」
悪戯がバレた子供のように笑うアイナに、ソラも思わず笑ってしまう。
作りすぎてもシロが食べるからいいのだが、あまり食べ過ぎては太ってしまう。
「ん~……友達を呼んでもいいですか?」
ソラの頭に浮かんだのは、ユーナだった。お互いにコハクから卒業証書を貰い、退寮の手続きを済ませ、ソラは一足先に家に帰ってきたのだが。
ユーナの故郷は王都から四日ほど掛かるスタードットと呼ばれる街だ。
出立は明後日とも言っていたし、誘えば来るだろう。
「もちろん!」
ソラのお願いをアイナが断るわけがなく、ソラはアイナの言葉に笑顔で返した。
すぐにユーナに連絡を入れると、どうやら引っ越しの準備を進めていたようだ。
ソラの誘いに少し渋るユーナだが、ソラのお願いの猛攻に「しょうがないなあ」と苦笑しながら承諾した。
恐らく夕方にはコハクと共に来るだろう。
「じゃ、そのユーナちゃんの分も色々用意しておくわね。お風呂と着替えと布団と」
指折り数えるアイナに、ソラはもう一度大きく頭を下げる。
「お願いしますね、お母さん」
「任せなさい! そうね、ソラちゃんはお部屋の掃除してきてくれる?」
「はい!」
何しろ家に帰ってきたのは半年ぶりだ。毎日アイナが掃除をしているとはいえ、部屋の持ち主であるソラでなければわからないこともある。
すぐさま自室に戻ったソラは、思ったよりも綺麗な部屋を眺めると、壁際の机の上に並べられている魔道書を手に取った。
『自己強化』の魔法について纏められたその魔道書は、他の誰でもない、父親・アキトがかつて書いたものだ。
本を抱きしめ、静かに目を閉じる。
思い出すのは、父との最後の光景だ。寝たふりをしている自分をベッドの上に運んで、頬にキスをして去っていった父の後ろ姿。
あの頃に、もっと力があれば。困っている父を助ける方法を知っていれば。
何度も何度も考えて、悩んで、悔やんで。
「……待っていてください、お父さん。ボクが必ず、お父さんを見つけます」
この世界のどこかに、父はいる。
魔法学院を卒業したソラは、父を探す旅に出る。
それは十年前から考えていたソラの目的だ。ソラは旅をするために、魔法学院で知識を蓄えたのだ。
もう一度、大好きな父親に抱きしめて貰うために。
ソラ・アカツキは、冒険者を目指す。




