プロローグ-いつか見た夢。これからの夢。
「ここは……何処ですか?」
意識を取り戻した栗色の髪の少女は、上半身を起こして周囲を見渡した。
ボロボロの崩れかけた石造りの建造物には苔が生えており、いかにも廃墟といった印象を少女に与える。
さらに奥を見れば、どこまでも続く真っ白な海。
雲の海が、廃墟を囲うように広がっていた。
「えと、ボクは……」
此処がどこかもわからない。
どうして此処にいるのかも、少女はわからない。
「おっはよー」
「……? おはようございます」
不意に掛けられた声に思わず返す。ぴょん、と少女の前に姿を見せる幼き少女。
まだ五、六才といったところだろうか。
キラキラ輝く銀髪と、ルビーのような真紅の瞳が少女を見つめている。
「初めまして。ワタシはイブ」
にこっ、と笑顔の花が咲く。イブと名乗る少女は上機嫌にクルクルと廃墟の中を踊り出す。
「えと、ボクは――」
「あ、いいよいいよ。転生者ちゃん!」
「てんせいしゃ……?」
「そそそ!」
少女の名乗りをイブは止める。まるで必要とないとばかりに手で制す。
イブが何者なのかもわからない少女は、首を傾げるだけだ。
「ここはワタシの世界! たまたまここに流れ着いた貴女を転生させる、特別な場所だよ!」
「……ボク、死んだんですか?」
「え、自覚なかったの!?」
イブに告げられて、唐突に少女の頭に最期の光景がフラッシュバックとなって流れ込んでくる。
毎日繰り返される父からの暴力。
そんな生活から逃げだそうと、必死に勉強して手に入れた、特待生の権利。
遠方にあるために寮に入らなくてはならない。
それはつまり、父親から逃げることが出来る。ということだ。
暴力から解放される。はずだった。
父は少女の優秀さを認めず、ただただ「俺を見捨てるのか」と告げ、罵詈雑言を浴びせ――最後に、灰皿で少女の頭を殴りつけた。
「……っ」
「あ、ごめんごめん。思い出させるつもりじゃなかったのっ」
顔色の悪くなった少女の頬にイブが優しく手を添える。
年端もいかない年齢だというのに、少女への微笑みはまるで聖母のようだ。
「ワタシはそんな、不条理な理由で死んでしまった人に新しい人生をプレゼントしているの」
「新しい人生、ですか」
「そのとーり! じゃじゃーん! 貴女は魔法も武器もあるファンタジーな世界で新しい人生を送ることができまーす!」
イブは両手をめいいっぱい広げ、スケールの大きさを語る。
「そ・し・て。ワタシからのプレゼントはもう一つ! その世界で暮らすのに絶対的に有利になるように、ありったけの魔力とか魔法とか身体能力とか、いわゆるチートな力もあげちゃいます!」
「……はぁ」
「あれあれ? 嬉しくない?」
「よく、わかりません」
イブの言葉を理解していないわけではない。理解出来ないわけではない。
ただあまりにも現実味のない言葉で実感が湧かないのだ。
ましてや自分が死んだことも、本当かどうかわからないのに。
「ボクは、その世界で何をすればいいんですか?」
「え? 貴女の好きなように生きていいんだよ?」
「好きに……」
「そう! 赤ちゃんとして生まれてくるところから始まって、特別な子供として成長して、いつかは世界に名を轟かせるすっごい存在に――」
「いりません」
「ほぇ?」
イブの言葉を、少女は否定する。
好きに生きていい、という言葉は凄く魅力的だ。暴力を振るう父親のいない世界であれば、少女は確かに自由だろう。
でも違う。少女が欲しいのは、圧倒的な力ではない。
「力なんていりません。ボクは……」
少女の頭を過ぎるのは、同級生たちがいつも楽しそうに語っていた家族の光景。
暴力を振るわない父親。
休みの日には遊びに連れて行ってくれる、子供のために頑張ってくれる父親。
「優しくて、素敵なお父さんと出会いたいです」
「……そっか。貴女は辛い人生を送ってきたんだね」
笑顔だったイブの表情が、困ったような表情に変わる。
けどそれも一瞬。すぐに笑顔となって両手を叩く。
「わかったよ! ワタシが貴女を『優しくて素敵な父親』と巡り合わせてあげよう!」
「本当、ですか?」
「もちろん! 貴女が幸せを得られるように動くのがワタシの役目だしね!」
行動にこそ起こさなかったが、イブの言葉に少女は喜びの感情に包まれていた。
優しい父親――自分を愛して、守ってくれる人と出会わせてくれる。
目の前の少女は、それを約束してくれたのだ。
「貴女の次の人生に、幸福があることを。イブの名に誓います――」
祈るように左の手を右の手で包みこむと、ゆっくりと少女の意識に靄がかかっていく。
身体から光の粒が立ち上り、徐々に少女の身体は薄くなっていく。
ああ、これが転生なんだ――。
消えゆく意識の中で、少女はまどろみに意識を預ける。
目が覚めればきっと、『優しくて素敵な父親』と会えるだろう。
嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。期待に胸を躍らせながら、少女は意識を手放した。
+
身体が何度も揺すられて、空色の髪の少女は強引に意識を引き戻される。
少女の意識の外から掛けられてくる声は聞き覚えはあるものの、寝起きの悪い少女の意識を覚醒させるには少々物足りない。
「ソラ。ソーラ! 起きなさい、ソラ・アカツキ!」
「ん~……今すぐおとーさんを連れてこい……」
「いいから、起きなさい!」
「わぅー!?」
ごろん、と少女の世界が反転する。ごつん、と頭を床に打ち付けて、痛む場所をさすりながらなんとか身体を起こす。
どうやらなかなか目覚めない少女に業を煮やしたのか、ベッドのシーツごとひっくり返されてしまったようだ。
「なにするのー。ユーナちゃん」
「ソラが起きないからでしょ! ほら、もう卒業試験が始まるのよ!?」
「あぁー……。みたいだねぇ」
ユーナと呼ばれた朱色の髪の少女は、空色の少女・ソラのルームメイトだ。
今日は二人にとってこの学院生活でもっとも重要なイベント――卒業試験の日なのだ。
部屋に備え付けられている時計に目を向ければ、なるほど確かに試験が始まるまであと一時間もない。
「ん、わぅ~~~~~……」
「ほら顔洗って! パンは焼いておいたから! バターとジャムは!?」
「カツサンド~」
「朝から用意してるわけないでしょ!?」
「うぅ。秋風スペシャルが恋しいよぅ」
ユーナに急かされてソラは準備を済ませていく。顔を洗って、ユーナが用意してくれたトーストを食べる。紅茶を飲み干し、卒業試験のためにと母親が綺麗に整えてくれた学院の制服に袖を通す。
「ふわぁぁぁ~……」
「また欠伸して。昨日は私よりも早く寝たじゃない」
「わぅ。昔の夢を見てね……」
夢の全てを覚えているわけではない。
ソラにとっては懐かしい、“この世界”に来る直前の記憶のことだ。
ソラは、この世界に転生した少女なのだ。
神様であるイブは『素敵な父親との出会い』を確かに叶えてくれた。
その父親は――今は、いない。
ソラにとってとても素敵で、優しくて、大好きな父親は、十年前に旅に出て以来行方不明なのだ。
アキト・アカツキ。
英雄と呼ばれた男。
冒険者ギルドに名を連ね、名だたる高難易度クエストをことごとくクリアしていった、Sランク冒険者。
彼の名は今でもギルドで語られるほどだ。
「さ、ユーナちゃん今日は卒業試験だよ! 今日もボクが一番を取りますから!」
「今日こそ負けないわよ!」
準備を終えたソラとユーナは鞄を持って寮の部屋を後にする。
アキトを失ったソラは、ある決意を秘めて魔法学院に通っていた。
この魔法学院で最優秀成績を収めた魔法使いは、希望通りの進路をほぼほぼ叶えて貰えるのだ。
ソラの希望は、冒険者への道。
最短で真っ直ぐに一直線に、父親を探すために選んだ道だ。
「待っててくださいお父さん。今、ボクが探しにいきますから!」
強い決意を込めて、ソラは青空に向かって手を伸ばした――。
三章のスタートです!
16歳となったソラがどんな活躍をするのか、お楽しみに!




