アキトの選択
「ただいま」
「アキトっ!」
夜が更け、アキトは『秋風の車輪』に戻ってきた。ナユタが勝利の宴を企画していたようだが、全てを無視してアキトは帰ってきた。
ずっと待っていてくれたのだろう。アキトが扉を開けるとほぼ同時に、アイナがアキトの胸に飛び込んできた。
「怪我はない?」
「大丈夫だよ。俺は俺のままだ」
「あっ……」
アイナの安堵した表情を見て心が軋む。嘘は言っていない。アキトはアキトのままである。
人ではなく、竜王になりかけてはいるが。
嬉しそうに微笑むアイナの目は真っ赤だ。不安で泣いてしまったのだろうか。渇いた涙を指で拭い、アキトはアイナに優しく口づけをする。
「っ……。もう。いきなりなんだから」
「いいだろ。愛してるんだから」
「あのー。コハクのこと見えてないんですか?」
「……そんなことはないぞ?」
実のところコハクの存在には気付いていた。気付いていたが、頭の中はアイナで一杯だった。抱き合って触れ合って唇を重ねて、そこでようやくコハクに意識を向けられた。
「……兄さん、身体に異常はありますか?」
「ないよ」
「違和感はありませんか? 零式の後遺症は――」
「全くない。自分でもびっくりなくらいだ」
違和感は、ある。零式の後遺症ではなく、身体の内側が焼けるような感覚だ。
何が焼けているかはわからない。でもきっと、アキト・アカツキであるモノが焼けていっている。
それらはゆっくりと燃えていく。十年の時を掛けて、アキトを焼却し竜王へと昇華させるだろう。
「兄さん?」
「あ、ああ。なんでもない。ソラは?」
時間はとっくにソラが寝てしまっている時間だ。
いつも通りなら、部屋で寝ているはずだ。寝顔でもいいから、アキトはソラの顔が見たくてたまらない。
「あそこよ」
「……あ」
アイナが指差した方向は、いつもアキトが好んで占拠していたギルドと食堂の境目の席。
その席の下に、シロが大きな身体を横たわせている。真っ白な体毛に埋もれるように、ソラはシロを枕にして寝息を立てていた。
「すー……むにゃ……」
「……可愛いな」
「天使の寝顔よね」
「このまま肖像画とかに収めたいくらいです」
あどけない愛娘の寝顔に心が軽くなる。起こさぬように近づいて、そっと眠っているソラの頬を撫でる。
「ん……おとー、さん……」
「ここにいるよ。ただいま、ソラ」
「……ん~……くぅくぅ」
眠っていてもアキトが帰ってきたことがわかるのか、ソラは口元を緩ませた。
暖かなソラの体温の手の平一杯に感じながら、アキトは寂しげな表情を浮かべる。
「話がある。大事な、とても大事な話だ」
竜王との決着を、強引に竜王にさせられた経緯を説明していく。
アイナもコハクもただの冗談かと思ったが、アキトの思い詰めた表情に動揺を隠せない。
残された時間は、十年。長いようで、短い時間。
それが過ぎればアキトがどうなるか――アキトにもわからない。
竜王となったままでも、家族と過ごせるのか。
きっとそれは不可能だと、アキトは考えている。そのような僅かな希望にすがり、結果として家族を悲しませたくない。
だからこそ、悩んでいる。答えは決めたが、それでも揺らいでいる。
残された時間を家族のために使うか。
未来を求め、抗うために使うか。
「……どうしようもないんですか?」
先に口を開いたのはコハクだった。悲痛な表情は今にも泣き出してしまいそうだ。
それでも泣き出さないのは、アイナとソラを思ってのこと。妻であるアイナが涙を堪えているのに、自分が弱いところを見せてはならないから――。
「ああ。成ってしまったからこそ、わかる」
「……うぅ」
「アイナ」
俯いていたアイナに声をかける。小さく身体を震わせたアイナはゆっくりと顔を上げる。
アキトは、微笑んでいた。心配を掛けさせたくないのか、気丈に振る舞っている。
それがわかっているからこそ、アイナは余計に苦しいのだ。
アキトはアイナを心配させないために、強がっている。そうさせてしまう弱い自分が嫌になる。
だから、精一杯声を振り絞る。
「アキトは、もう決めているの?」
その言葉に応えるように、そっと手を伸ばしてアイナの目尻にたまった涙を拭う。
アイナを抱き寄せて、強く胸板に押しつけるように抱きしめる。アイナもまたアキトの背中に手を回し、離れてしまわないように抱きしめる。
「俺は、抗う。残された十年を捧げるのではなく、そこから先の未来も、アイナと共に生きたいから」
「……アキト」
「だから少し待っててくれ。すぐにこの呪いをぶっ壊してくるからさ」
それが根拠のない自信というのはわかっている。
わかっているが、アキトならば出来るかもしれない、というのもわかっている。
アイナの本音は、離れたくない。
これからなのだ。
新しい家で生活して、ソラは魔法学院に通って、コハクは地下で研究をして。
アキトはギルドで働いて、アイナは家で家族を待つ。
アキトとのもう一人の子供も欲しいし、アキトとは離れたくない。
「……わかったわ。待ってるから。だから、絶対に帰ってきて」
見つめ合って、手を重ねて。アキトはアイナを強く抱きしめることで応える。
唇は重ねない。それは再会の時にすると決めて。今にも泣き出しそうなコハクも抱きよsて、アキトは二人を抱きしめる。
「……兄さん、ソラちゃんには」
「……ソラが泣くと決意が鈍りそうだから、上手く誤魔化しておいてくれ」
それに――ソラはきっと、アキトの選択を受け入れてしまうから。
ソラはアキトのことが大好きだから、アキトの選択を拒まない。悲しい思いを、寂しい思いをしても受け止めようとするから。
帰ってくると胸に誓っても、愛娘の我が儘にだけは勝てそうにない。
だから、帰ってきてからきちんと話す。心配を掛けたことも謝罪して、帰ってきてからもう一度親子の愛を育むと。
アイナもコハクも頷いてくれた。アキトは残された時間を無駄にしないためにも、すぐに出発する。
旅支度を手早く済ませつつ、ソラを起こさぬように布団に運ぶ。熟睡しているソラはアキトの腕の中で静かな寝息を立てている。
愛しい娘の寝顔を眺めながら、頬にキスをする。
「ちゃんと帰ってくる」
寝ているソラから返事は来ないけど、アキトの決意を固めるには十分な言葉だ。
部屋を後にしたアキトは、外で待っているアイナとコハクの元に向かう。
お互いに言葉はない。これ以上の言葉を交わせば、別れが惜しくなるから。
例え一時の別れであっても、離ればなれになることは嫌なのだ。
一度離別を経験したからこそ。
今度は違う。アキトは必ず帰ってくると約束をしたから。
去りゆくアキトの背中をアイナもコハクもずっと見送る。当てのない旅になるアキトの背中は、逃げ出したあの頃よりも、小さく悲しい。
竜王にならない未来を掴むため、選ばれた一時の別れ。
残された者は、待つことしか出来ない。
往く者は、答えを見つけなければならない。
幸福な未来を取り戻すために、アキトは旅立つ。




