リフェンシル鉱山防衛線
「アキト!」
リフェンシル鉱山の眼前に広がる草原に用意された仮設テントの数々は、応援として呼び出された冒険者たちが集う防衛線でもあった。
防衛線に合流したアキトはディノレックスを冒険者に任せ、声を掛けてきたナユタと合流する。
「ナユタ、被害の状況は」
「酷い有様だ」
ナユタが案内したテントにはヒュドラーの毒にやられた冒険者たちが寝かされていた。
十数人の冒険者たちの中にはAランク以外にもBやCといった、参加してはならないレベルの冒険者たちもいる。
恐らくだが、鉱山で働いていた人たちを逃がすために乗り込んだのだろう。
いくら我の強い冒険者たちであっても、古龍に挑もうとするほど無謀ではない。
「毒の治療は」
「なんとか間に合った」
「ヒュドラーの毒を治せるのか?」
ヒュドラーという存在は遙か古の文献にのみ登場する古龍だ。
その毒の致死性は非常に高いとされ、普通の冒険者であれば耐えきれないはずだが。
「俺の擬装竜牙でヒュドラーを纏ったんだ。纏った状態なら、俺だってヒュドラーの毒が使えるし、ヒュドラーの身体を巡っている血には解毒作用もある」
「お前を呼んでおいて正解だったな」
「ああ。俺も驚いてる」
アキトはナユタが竜王から貰った神の加護である『擬装竜牙』については詳しくわからない。
だがナユタの言葉から察するに、ナユタは竜王ウロボロスだけではなく、古龍の力を扱うことも出来るようだ。
非常に強力で、頼もしい力である。
「ヒュドラーはどうなっている?」
「鉱山地下から現れて以降、ずっとその場に止まっているらしい。時折九つの首で周囲を見渡しているようだが……」
「……なるほどな」
アキトは予感めいたものを感じていた。ヒュドラーは動かないのではなく、アキトを待っているのだと。
何故か、と聞かれればアキトは迷わず竜王の件を話すだろう。
竜王との因縁はアキト自身にしかわからないことであり、だからこそアキトは、ヒュドラーは前哨戦に過ぎないことも見抜いていた。
「ナユタ、お前のその力はどれくらいまで引き出せる?」
「……というと?」
「ヒュドラーをお前一人で倒せるか、だ」
「っ!」
ナユタの表情が強張り、足が震える。わなわなと震えるナユタを見て、やはり無理か、とアキトは判断を下す。
いくらナユタの力が神――竜王から与えられた力とはいえ、古龍を一人で倒すには至らないか、とアキトは少し落胆してしまう。
「……俺は古龍の力を纏うことが出来る。ヒュドラー、バハムート、ファフニールなどだ」
「そうみたいだな」
「ヒュドラーを一人で倒せるかと聞かれれば――はっきり言えば、かなり厳しい。俺はまだ十全にこの力を使いこなせていない」
でも、とナユタは言葉を続けた。その瞳には強い決意が込められており、両足の震えはいつしか止まっていた。
「俺が一人で古龍を倒せたら、アンタに並べるか?」
「まだ拘ってるのか……」
「大事なことなんだ」
真剣なナユタの言葉に、アキトも表情を引き締めて答える。
「そうだな。お前が一人でヒュドラーを倒せたら……それは俺と並んだ、といって間違いない」
「っよし! じゃあやってやる。やってやるさ!」
「まだSランクに拘ってるのか?」
「Sランクじゃねえ! アンタだ。アキト・アカツキに追いついて、追い越したいんだ!」
「……お前はおかしい奴だなぁ」
「なんでだよ!」
追いつきたいも、追い越したいとも言っているナユタの気持ちがアキトにはわからない。
アキトにとって、自分自身は誰かに追いつかれたいと、越されないと思われるほど優れた存在ではないと自覚している。
正直な話をすれば、アキトはとうにナユタの実力を認めている。力を使いこなせば、英雄と呼ばれたアキトを越えることが出来ると確信もしている。
ひとえにそのことを口にしないのは、アキトが負けず嫌いだから、だ。
「まあ一人で倒せってのは冗談なんだけどな。俺も出るし」
「……でも、ヒュドラーの毒はどうするんだ?」
ナユタも自分が使えるからこそ、ヒュドラーの毒の脅威がわかるのだろう。
一度毒を浴びれば、皮膚は爛れ身体の内側から破壊されていく。
そんな状態で、戦闘の最中にナユタの血を摂取することも非常に難しいだろう。
「避ければ問題ない」
「いや、あのな……」
自信満々に言うアキトに思わず悪態を吐くナユタだが、アキトならばやってのけてしまう、ともわかるあたり釈然としない。
目の前にいるのは、転生者の自分ですら敵わない冒険者で。
二度も一人で古龍の脅威から人々を守り切った英雄なのだ。
その背には一体何を背負っているのだろうか。何を考えて、人々を守るために奮起しているのか。
その力の根源を、ナユタは知りたい。
「……毒を浴びても、俺の血を飲めばすぐに回復するはずだ」
「自己強化の間ならそうだな」
「だからほら。これでいいだろ」
「お?」
ナユタが手渡したのは、小さな赤黒い氷の塊だった。
手に取っただけでそれがヒュドラの血――すなわち、擬装竜牙したナユタから採取した血液なのだろう。
「急造だがそれでどうにかしてくれ」
「助かる」
思ってもみなかった特効薬のおかげで、アキトの不安材料が一つ減る。
これならヒュドラーの毒を気にせずに暴れることが出来る。ヒュドラーの毒を受けた状態で、竜王と戦わずに済む。
「行くぞナユタ。俺たち二人でヒュドラーを倒すぞ」
「ああ、アンタの背中は俺が守る」
お互いに剣を握りしめ、防衛線から一歩を踏み出す。
そこからでもリフェンシル鉱山に鎮座するヒュドラーの姿を見ることが出来る。
あまりに巨大な体躯である。鉱山よりも巨大な身体と、天を突き破るかのうように伸びる九つの頭。
戦闘になれば、あの九つの頭全てが襲いかかってくる。
「いや別にお前ごと全部守るから」
「すっげえ頼りがいあるんだけど一緒に戦う意味なくなるだろ!?」
「いいんだよ。お前がいれば俺の負担は軽くなる。そこが重要なんだ」
「……?」
怪訝なナユタには、この戦いの後に竜王が現れることを告げないでおく。
ナユタは他ならぬ竜王の手によってこの世界に転生した存在だ。竜王に恩を感じているかもしれないし、余計な気遣いはさせたくない。
この戦いはアキトのものなのだ。
アキトが竜王と雌雄を決するための戦いなのだ。
ヒュドラーなど前座に過ぎない。
目前に迫りつつある竜王との決着に――アキトはうっすらと口元を歪めた。




