約束を交わして。
――アキトの脳裏を過ぎったのは、竜王の邪悪な笑みだ。
また会おう。
去り際の言葉を思い出す。
竜王との対峙はこれまでに二回。
ファフニールを撃退し、ディアントクリスを討伐して――まるで古龍の最期を看取るために、彼女は現れた。
「……っ」
「お父さん?」
ソラはまだ竜王の存在を知らない。いや、正確には――アキトが竜王に目を付けられている事実を、知らない。
アキトがソラを不安にさせないために隠していたことだ。
知ってしまえば、ソラはきっと創造魔法を使ってでもアキトを守ろうとするから。
それだけは避けなければならなかった。
いくらソラが転生者であり神の加護を得ているとはいえ、竜王の圧倒的な力の前にはソラはあまりにも小さな存在だから。
ましてやソラはアキトが守る存在なのだ。ソラに守られることなど、親としてあってはならない。
ソラを抱きしめる力を強くするのは、アキトの不安の表れなのか。
アキトは優しく微笑みながら、ソラを下ろして頭を撫でた。
「行ってくる。ミカ、ナユタにすぐに連絡を取れるか?」
「は、はい!」
「お父さん……っ」
「大丈夫。ソラはここで待っててくれ。アイナやコハクもいる」
立てかけておいたエクスカリバーを背負って、頭の中に現状あるヒュドラーの知識を詰め込んでいく。
九つの頭と毒を持つ古龍。そのサイズがどれくらいかはわからないが、恐らくは――かつて戦った、ファフニールと同等だろう。
文献で断定した、と依頼者であるマルクトは記載していた。
つまり古来から存在していた古龍。ファフニールやバハムートと並ぶ存在なのだろう。
ディアントクリスのような突然変異とは、違う。
「アキトさん、ナユタさんが出ました!」
「ナユタか。詳しい説明は追って話すから、とにかく竜車でもお前の擬装竜牙でもいいから全速力でリフェンシル鉱山に来い」
『は? なにがなんだ――』
「お前の力が必要だ」
『わかった』
アキトの言葉にナユタも事態の深刻さを理解したのか、すぐに『コール』の魔法を切った。
ナユタの行動力ならば、アキトよりも早くリフェンシル鉱山に着くかもしれない。
「移動までは魔力を温存したい。この街で一番早い竜車を呼んでくれ。いくら掛かってもいい!」
「は、はい!」
アキトの飛ばした指示にミカが『秋風の車輪』から飛び出していく。
事態は急を要するのだ。一刻も早く、リフェンシル鉱山に向かわなければならない。
正直はところ、アキト一人でもヒュドラーは倒せると考えている。
自己強化・一式を用いれば古龍を倒せるのは、先に撃退し、討伐したファフニールとディアントクリスで実証済みだ。
それでもナユタを呼んだのは、ヒュドラーを倒した後を考慮してだ。
出来ることならば、ヒュドラーはナユタに任せたい。任せた上で、アキトは竜王との戦いに集中したい。
ナユタには荷が重いかもしれない。だが、ナユタでなければ恐らくヒュドラーを倒せない。
他のSランク冒険者に声を掛けるべきなのだろう。
彼らが、ナユタよりも早く駆けつけてくれるなら、だ。
「顔見知りでもない奴らを戦力には数えられない」
名の知れたAランク冒険者では、古龍を撃退することは非常に難しいだろう。
数を揃えても、我の強い冒険者たちの足並みを一つにする手間を考えればアキトが戦った方が遙かにリスクが低い。
古龍との戦いはそれだけ危険なのだ。
「アキト、古龍が出たって本当なの!?」
話を聞きつけたのか、アイナが飛び込んでくる。愛する妻を抱き留めて、アキトはぎゅう、と強く抱きしめる。
「……ああ。行ってくる」
「でも、古龍が出たってことは――」
「そうだな。多分、奴が来る」
「っ……」
アイナは、アイナだけは竜王との因縁を知っている。他ならぬアキトが語ったから。
そして、竜王を倒すために何をするのかも、アイナは知っている。
共和国で竜王と邂逅した際に寸でのところで使用を止めた、自己強化・零式。
「使うつもりね、レイシキを」
「ああ。奴を倒すために。
――奴を越えるために」
アキトの決意は揺らがない。
それはアキトの背中を押した張本人であるアイナだからわかっている。
わかっているから、アイナもそれ以上は強く言えない。
「必ず。必ず、帰ってきて」
「わかってるよ。アイナがいる。ソラがいる。コハクもいる。帰る場所がここにあるんだ」
「だけじゃないわよ」
「……アイナ?」
意気込むアキトの手を取ったアイナが、そっとその手を腹部に当てる。
手を重ねて、その意味がわからないアキトではない。
「私たちの子供も、ね?」
「出来たのか!?」
「さすがにまだわからないわよ。……でも、私はアキトの子供が欲しいの。だから――」
「アイナっ!」
アイナの言葉を待たずにもう一度アイナを抱きしめる。アイナも背中に手を回し、強く、温もりを分かち合うように抱きしめ合う。
「ソラちゃんの弟か妹――私たちの二人目の子供のために、ね?」
「任せろ。絶対に帰ってくる。死んでも帰ってくる」
「死んじゃ駄目よ!?」
「わかってる。大丈夫だ。ああ、大丈夫だ……!」
アイナの想いで満たされていく。暖かな想いが胸の内に広がっていく。
そう遠くない未来の光景を夢見て、アキトは必ず帰ってくる決意を強く固める。
自分がいて、アイナがいて、ソラがいて。きっとコハクもそこにいて。
アイナの腕の中で眠っている、新しい家族を。
ソラはきっと新しい家族を、姉弟を歓迎する。
「アイナ、行ってくる。ソラも待っててくれ。全部終わらせてくる!」
「アキト、気を付けてね?」
「お父さんを信じてます!」
タイミングよく、ミカが手配した竜車が『秋風の車輪』の前に止まった。
御者もいない、わざわざ危険な場所まで連れて行ってもらうつもりはないのだろう。
ディノレックスに直接跨がってリフェンシル鉱山に向かうつもりなのだ。
何事かと集まったスタードットの住人たちは、自然とアキトを見送るように道を開ける。
準備を終えたアキトはディノレックスの手綱を引く。
ディノレックスもヒュドラーの存在を感じているのか、アキトの指示を待たずにリフェンシル鉱山目掛けて駆け出した。
馬車よりも遙かに早い竜車で、荷車を引かせないならば、ディノレックスはもの凄い速度で駆け抜ける。
スタードットから出て、草原を突き進みながら、アキトは遠い空が濁っている光景を睨む。
ヒュドラーの毒が、空を汚している――アキトはそう確信して、ディノレックスをさらに加速させた。




