ソラが差し伸べた手
コハクの身体を借りて語る少女の過去を、ソラは黙って聞いていた。
口を開けば、勝手に言葉が出てきてしまいそうだから。ぐっと喉に詰まった言葉を飲み込んで、ソラは少女の言葉を聞き続ける。
『お父さんは、私が女の子であること自体を疎んじていました。跡を継ぐのは男であると常に言い張り、使用人や執事にことあるごとに苛立ちをぶつけていました』
少女の言葉に合わせて、ソラの頭の中に少女の記憶が流れ込んでくる。
貴族の一人娘として生まれた少女は、生誕と同時に母親を失った。
失意の父は生粋の男尊女卑だった。
少女は物心つく前から、父に暴力を振るわれていた。
幼児の時に騒げばぶたれ、言われたことをこなせなければ叩かれ、痛みに泣き喚けば殴られた。
『痛くて、辛くて、苦しくて。何度も何度も叫んでも、誰も助けてくれなくて』
人前に出ることもある少女だから、顔や見える部分の肌だけは傷つけられなかった。
けれど服の下は痣だらけで、少女は常に苛まれていた。
自分はいつか父に殺される。そう確信していたくらいだ。
少女が自分に魔法の才能があると気付いたのは、六歳の頃だった。
たまたま手に入れた魔道書に、心に浮かんだ詠唱を口ずさんで。
小さな光源を生み出す簡単な魔法だった。
でもそれは、虐げられてきた少女にとって初めて人に誇れるものだった。
生み出した光を、少女は父に見せた。
もしかしたら。
もしかしたら、褒めてもらえるかもしれない。
けれど淡い期待は打ち砕かれる。
「貴族の娘であるお前が暇を持て余してどうする」と。机に縛り付けられ、経済の教科書で頭をぶたれた。
少女が初めて抱いた父への期待は露と消え、少女から徐々に感情が失われていった。
父には逆らえない。父に逆らってはいけない。女として生まれたのなら、せめて最低限の礼儀を覚え、いつか立派な婿を取れと。
自分は父の自己満足を満たすためだけの存在なのだと自覚して。
十二歳となった少女に父は嬉しそうに縁談を持ってきた。相手は王都で莫大な利益を上げている商人ギルドの若きリーダー。
これ以上ない縁談だった。先方の受けも良く、少女は初めて父の笑顔を見て。
……自分の内に、ドス黒い感情がわき上がっていることに、気付いた。
そして設けられた縁談の席。何事もなければ順当にこのまま婚約が決まる席で――少女はわざと、縁談を失敗させた。
当然父は激怒する。激怒のままに少女を殴りつけ、床に張り倒し――花瓶を持ち上げて。
殺される。
死にたくない。
だから咄嗟に、魔法を使った。簡単な、短文ですぐに詠唱が終わる爆発の魔法。
魔法の素人が使ったものでも、人を傷つけるのには十分すぎて。
胸を穿たれた父はそのまま息を引き取った。
『……え?』
驚かして、退かせるつもりだった。これまでのお返しも込めて、ほんの少しだけ、意趣返しのつもりだった。
『ちが、う。ちがう。ちがう、ちがう、ちがう!』
骸となった父はいくら揺さぶっても目を覚まさない。
殺すつもりはなかったのだ。
こんな魔法で、死んでしまうとは思わなかったのだ。
『いや。いや。いやぁ!?』
違う、と。自分に必死に言い訳を繰り返す。自分をここまで追い込んだ父へと責任を転嫁する。
追い詰められていた少女の精神は父の死によって完全に崩壊する。なにをすればいいかも、なにをすべきかも見失って。ただただ少女の心に残ったのは、呪いのように父が言い続けた言葉。
『私が、悪い』
『ごめんなさい』
『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』
『生まれてごめんなさい。生きててごめんなさい。殺めてごめんなさい。ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん――』
少女は自分の喉へ向けて、父を殺めた魔法を放った――。
強すぎた後悔の念は、無人となった屋敷に漂い、たまたま発生したゴーストと混ざり合い、そして、幽霊屋敷が誕生した。
進入するものを排除する幽霊屋敷へと。
父を殺したことを悔やむ少女の念が、父が大事にした屋敷を荒らす不届き者を排除するようになった。
誰もいなくなった屋敷で、少女は泣き続ける。謝り続ける。誰にも言葉は届かない。誰かに聞いて欲しいわけでも無い。
少女は永遠に苦しみ続ける。全てを拒絶して、ウミガラの屋敷は未来永劫呪われ続ける――。
「大丈夫ですよ」
そっと、ソラは少女が宿るコハクの身体を抱きしめた。
コハクを通して、少女に伝わるように。ぎゅ、っと優しく抱きしめる。
「もう、自分を許してください。もし、あなたがそれでも自分を許せないのなら」
「――ボクが、あなたを許します」
少女を諭すように、ソラは柔らかく微笑んだ。
理由も告げず、言葉も足らず。でも。でも。
『いいの?』
「はいっ」
少女はきっと、その言葉を待っていた。自分を許してくれる存在を、待っていた。
ソラは少女の気持ちを理解している。それは前世の、父に虐待された過去があるから。
もしかしたら、自分も少女と同じ運命を辿っていたかもしれない。そう思うと胸が張り裂けそうになる。
少女の過去を知って、ソラは、自分は幸福者だと実感した。
今ではアキトやアイナ、コハクにしっかりと愛情を注がれて。
似た過去を持つ自分は、愛情によって救われた。
そんな自分だからこそ、少女が求める言葉を伝えなくてはならないのだ。
コハクの身体から力が抜け、倒れそうになったコハクをシロが支えた。コハクの身体から飛び出してきた霊体の少女は、いつの間にかゴーストと完全に分離していた。
にっこりと微笑む少女に、ソラは手を伸ばして。
「あなたの来世に、神様の祝福を」
『……ありがとう』
ソラの言葉に少女はゆっくりと消えていく。徐々に薄くなっていく少女を、ソラは見送る。
気付けば屋敷は静寂さを取り戻していた――が、先ほどまでとは明らかに雰囲気が違う。
窓からは日が差し込み、割れた窓からは清らかな風が吹き込んでくる。
鬱屈としていた空気は消え失せ、屋敷にいたはずの大量のゴーストたちは消え去っていた。
「……終わったの、かな」
「バゥ!」
ソラの言葉にシロが頷くと、背中に横たわっていたコハクが頭から床に滑り落ちた。
「ふべしっ」
「あ」
「ガウ」
「あ、あいたたた……って、ソラちゃん! 無事だったんですか! シロも大丈夫ですか!? 任せてくださいすぐにコハクが全部吹き飛ばしてあげま――」
「もう終わりましたよ」
「……え?」
意識を取り戻したコハクが周囲を見渡して、明らかに空気が変わった屋敷に戸惑っている。自分が意識を失っている間に何があったのだろうか。
少し自慢げに、でも少し悲しげにソラは笑う。
「帰りましょう。帰りながら、全部説明しますから」




