少しだけ、親不孝。
ウミガラの屋敷は長い間手つかずのまま放置されていたため、至る所が腐り床が抜け落ちている。一歩一歩ゆっくり足下を確認しながらソラとコハクは廊下を進み、シロは鼻をスンスンと鳴らし周囲を警戒している。
が、想像以上にウミガラの屋敷の埃が酷いのか、すぐに咳き込んでしまう。
「シロ、大丈夫?」
「バウ……」
シロの頭を撫でながら、物陰から聞こえてくる物音に神経を張り巡らせる。
怖くない、と必死に言い聞かせても身体はいうことを聞いてくれない。
震える手足、得体のしれない恐怖がソラを襲う。
なにかが出るかもしれない、と思っているから怖いのだ。
いっそのこと魔物が襲ってきてくれた方が対処に追われる分思考を中断できる。
それはコハクも同じなのだろう。歩きながらも周囲の警戒は怠らないでいる。
「不思議ですね」
「なにが、ですか?」
「大工ギルドの方たちは、解体作業をしようとして怪我をした。そういう話だったはずですが」
「はい。幽霊を見た、って話ですよね」
「じゃあどうして、ここには解体道具などが一切見当たらないんでしょう」
「……あっ」
言われてみてソラも気が付いた。解体作業を進めようとして、怪我をして幽霊を見たのなら――その時の道具が残されていてもおかしくない。
作業をした痕跡が残されていてもおかしくない。
けど屋敷に入り、廊下を進んでも人が入った形跡すら見つけられないでいる。
怪我をしてからまだ一週間も経っていないだろう。それだけで、こんなにも埃を被るのだろうか。
「なにかおかしいですね。違和感というか――」
「庭に入ろうとして怪我をしたとか、じゃないんですか」
「そうですね。作業をする昼間、屋外で幽霊を見たのであれば」
「わぅ……」
コハクは決してソラを脅かそうとしているわけではない。
ウミガラの屋敷を歩いていて感じた違和感を言葉にしているだけなのだ。
けれどソラを不安にさせるにはそれだけで十分だったのだろう。コハクの袖をつまんで、不安げにコハクを見上げている。
「ごめんなさい。怖がらせるつもりじゃなかったんです」
「わぅー……」
「あはは……。ゴーストがいるかもしれませんが、気配もなにも感じませんね」
露骨に話題を逸らす。
昼間だというのに薄暗い室内は、ゴーストといった霊体系に属する魔物が生まれやすい環境だ。
大気中に霧散している魔力が突然変異して生まれる魔物、と言われているが詳しいことは謎に包まれている。
わかっていることは、ゴーストと接触してはいけない、ということだけだ。
ゴーストと長時間接触していると、思考がどんどん侵されていく。暗い感情に支配され、心の弱いものはそれだけで自殺に追い込まれるとも言われている。
幸いなことにゴーストには物理的な攻撃も通用する。よほどのことがなければ、長時間の接触などまず有り得ない。
ウミガラの屋敷を進む。そこまで複雑な作りをしていないのが功を奏し、五分も経たぬ内に二人と一匹はすぐに屋敷の中央である大広間にたどり着いた。
目の前には二階に上がる階段が存在しており、左右にはいくつか扉が存在する。
ドアノブが壊れている部屋には入れない。
扉が腐って落ちそうになっている部屋は、無理をすれば入れないこともない。
「二階、ですかね」
「……コハクお姉ちゃんも、感じるんですか?」
「ええ。嫌ーな感じの魔力が渦巻いてます。びんびんですよ」
二人の視線の先には階段のフロアに置かれた花瓶が転がっている。枯れた花は根元で折れてしまい、花瓶自体も罅が入っている。
階段はフロアから左右にさらに伸びている。
二人が感じている魔力は二階からだが、どの部屋からかはわからない。
「バウ! バウ!」
階段を昇ろうと一歩を踏み出したところでシロが吠えた。何事かと振り返れば、ある低来た廊下の方から、一斉に人影が向かってきている。
それも一人や二人ではない。十人単位だ。シロの興奮ぐらいから考えても、普通の人ではないことは明らかだ。
「な、なになになに!?」
「ゴースト、出ましたね!」
「あ、あれが!?」
階段前に現れた人影――ゴーストたちは、ソラの想像以上に人の形をしていた。
ソラは会話の中で自然と足のない人間が浮かんでいるイメージだったが、実際のゴーストはもっと人間の姿をしていた。
真っ白な人間、とでもいいのか。服も武器もなにもない。表情もなにもない。のっぺらぼうの人間だ。
時折ゴーストのうめき声が聞こえてくるが、何処から言葉を発しているのだろうか。
物理的な接触によっても霧散してしまうゴーストは、捕まえることも非常に難しい、未だに研究が進まない危険な魔物なのだ。
「ソラちゃん、後ろに」
「は、はい。お姉ちゃんは?」
「たかがゴースト。兄さんたちとクエストをこなしている時に散々吹っ飛ばしてきました!」
魔道書を広げたコハクの言葉に応じて、自動的に魔道書のページが開かれる。
屋敷を壊してはいけない。だが、ゴーストたちを追い払わなくてはソラを危険な目に遭わせてしまう。
自分は最悪どうなってもいいが、ソラだけは守りきる。大好きな兄の愛娘なのだから。
コハクにとっては大切な、妹のような存在なのだから。
「ウインド・タクト」
コハクは風を呼び起こした。掲げた指に従うように、コハクの指先に風が集う。
ゴーストの大群へ向けて指が振り下ろされれば、風は一斉にゴーストを襲う。
うめき声を上げながら次々に霧散していくゴーストたち。抵抗もせず、ただただ風に流されていく。
(……なんか、おかしいです)
ものの数秒でゴーストたちは散った。自慢げに魔道書を閉じたコハクがソラに向き直ると、ソラは目を見開いた。
コハクが振り向いた瞬間――散ったはずのゴーストたちが蘇る。それも大群ではなく、今度は一つの存在として。
「お姉ちゃん、危ない!」
「え――」
ソラが叫んだ時には遅かった。巨大なヒトガタとなったゴーストの手がコハクを掴み二階の奥の部屋へと連れて行く。
魔道書ごと手の中に捕まれたコハクでは逃れることが出来ない。
二階の最奥の部屋。階段から最も離れた部屋にコハクは連れて行かれる。
「っ、ソラちゃん。コハクなら大丈夫ですから、逃げ――」
コハクの叫びも全てが届く前に扉が閉められた。ゴーストたちは再び散り散りになり、大群となってソラとシロを囲んだ。
「っ……!」
「グルル……!」
ゴーストたちはじりじりとにじり寄ってくる。
シロはソラを守ろうとうなり声を上げて威嚇するが、ゴーストたちは気にも止めない。
どうすればいいか、ソラは考える。
コハクと違い魔道書を持ち歩いていないソラは、いちいち魔方陣を用意しなければ魔法を使うことが出来ない。
ゴーストたちとの距離は、数メートルしかない。魔方陣を描き上げている間に捕まってしまうだろう。
「……お父さん、ごめんなさい」
ここでゴーストに捕まるわけにはいかない。コハクを助けに行かなくてはならない。
ソラはコハクが捕まってしまったのは自分の所為だと感じている。自分を守るために、自分を気に掛けていたから不意を突かれたのだと。
だからソラは、アキトの言いつけを破る。
だって、後で怒られることよりも――ここで、自分の所為でコハクを失うことが嫌だから。大好きな「お姉ちゃん」を助けるために。
「ウインド・タクト!」
ソラが魔法の名を叫ぶ。それは先ほどコハクが使って見せた魔法。
イメージは固まっている。コハクと同じように指を指揮棒に見立てて、ソラは風を操る。
ソラが転生し、イブという神に与えられた加護。
それは身体能力の強化ではなく、並ぶ者のいない圧倒的な魔道の才能。
ナユタの擬装竜牙に並ぶ、規格外の力である。
魔方陣も詠唱も必要としない、ただの言の葉を現実にする――創造魔法。
「ライトニング/シャドウ/フレイム/ウォーター/ウインド/サンダー・スピア――マジカル・オーケストラ!」
風だけではない。屋敷を破壊しないように出力を抑えながら、光の、闇の、炎の、水の、風の、雷の矢を作りだし、ゴーストたちを一撃でかき消すための一撃を、一斉に放つ――!




