ウミガラの幽霊屋敷
件の屋敷はスタードットを出て北西へ十五分ほど歩いたところにある。
かつてはウミガラ家という貴族の屋敷であったが、当主の変死により一族は衰退したという話だ。
それから数年が経ち、建物自体の老朽化も酷くなったために王国直々に大工ギルドに解体の依頼が来たのだが。
「こ、ここですか……」
「外からでも異様な雰囲気がしてますね」
昼下がりだというのにウミガラの屋敷は異様な雰囲気に包まれていた。まだ日が昇っているからこそ怖さは薄れているが、もし夜に此処を訪れていれば、あまりの異様さに恐怖も倍増しただろう。
屋敷はいくつも窓が割れ、二階建ての建物の至る所に蔦が伸び、蜘蛛の巣が張られている。
庭は放置された草木が生い茂っており、至る所に放置された十字架が不気味をより一層引き上げている。しまいには棺桶まで放置されている。
何があったのかを気にする以上に、ウミガラ家の実態の方が気になってしまう。庭に十字架を立てるのは百歩譲ったとしても、棺桶を置くことは冷静に考えて有り得ない。
「グルル……ッ!」
「シロ、どうしたの?」
用心棒として連れてきたシロも屋敷の異様な光景にうなり声を上げている。
シロは敵意をむき出しにして屋敷を睨んでいる。まるでそこになにかがいるかのように、これまでに見たことのない凶暴さを垣間見せる。
「シロ、伏せ!」
「きゃんっ!」
シロを落ち着かせるために、ソラが一喝する。テイムの魔法によってソラと繋がっているシロは、ソラが強く意識した言葉には逆らえない。
可愛らしい悲鳴を上げて伏せたシロの首に抱きつき、もふもふを堪能しながらソラは優しく語りかける。
「シロはボクを守るんです。勝手に暴れちゃ、ダメですよ?」
「……クゥーン」
エフィントウルフ、もといレアルウルフであるシロはこの六年ですっかりウルフとしての誇りを失ったのだろう。ずっとソラと共に過ごしている内に、自分がレアルウルフであることも忘れてしまったのかもしれない。
けれどそれでいいのだ。シロはソラにとって大切な家族であり、弟のような存在なのだ。
暖かいシロの体温ともふもふをもふもふしていると、シロも落ち着きを取り戻していく。
「……うーん。やっぱり、レアルウルフの凶暴性は種族ではなく生活環境にあるようですね」
と、落ち着いたシロを観察していたコハクが言葉を漏らす。コハクの言葉に首を傾げるソラに気付いたコハクが、六年の間に得たシロの生態について説明する。
「レアルウルフは本来集団で敵を追い詰める、冷静ながら凶暴な魔物なんですよ」
レアルウルフの脅威についてはソラもよく知っている。
何しろこちらの世界に来て真っ先にレアルウルフの集団に襲われたことがあるから。
アキトと出会い、スタードットに向かおうとした矢先の出来事であったとソラは記憶している。
その時はソラの魔法で散り散りに逃げていったが、あの時もアキトを囲むようにしっかり配置についていた。
「それに、体毛も」
「もふもふ?」
「レアルウルフの体毛は鋼のように固いのですが――恐らくですが、殺して喰らった獣や魔物の血や脂で固まっていくのでしょう」
シロは生きている獣や魔物を襲ったことは一度もない。
アキトに引き取られてから毎日満足するほど大量の餌を貰っているからだ。
それでも太らないのは、毎日ソラと一緒のスタードットの街を散歩しているからだろう。
レアルウルフであるというのに凶暴さの欠片もないシロは、もはや狼というより大型の犬に近かった。
「んー。シロは特別、ってことですか?」
「それでいいと思いますよー。シロはソラちゃんと兄さんのおかげで立派なワンちゃんに育ってるようなものです」
「わぅ。シローっ!」
「バウ!」
シロにぎゅー、と抱きつくソラをシロも甘えるように身体を擦り付ける。
和気藹々な光景に自然とコハクの表情も柔らかくなる。ソラとシロの姉弟のような光景は見ているだけで和んでくる。
「さ、シロも落ち着いたことですし行きましょう!」
「はい!」
「バウッ!」
コハクの言葉に一人と一匹が答える。ぴょん、とシロの上に飛び乗ったソラがウミガラの屋敷を指差した。
「シロ、行きましょう! お父さんたちの新しい家のために! 幽霊なんか怖くないです!」
「ガウッ!!!」
ソラの言葉に力強くシロが答え、歩を進める。ウミガラの庭に一歩を踏み出すと、バサバサバサ! と木の陰から一斉にカラスが飛び去っていく。
あまりにも不吉の前兆だ。少しだけ怯んでしまったが、意を決してソラとコハクは屋敷を目指す。
障害となるモノはなにもない。二人はすぐに屋敷の扉の前に立った。
「……開けますよ?」
「……はいっ」
扉の前に立てばより嫌な感じが二人を包む。コハクが屋敷の扉を開こうと手を伸ばすと、鈍い音を立てながらゆっくりと両扉が開いていった。
ソラとコハクは互いに顔を見合わせて、開かれた扉の向こう側、つまり屋敷の中へ視線を向ける。
埃まみれのウミガラの屋敷は、とてもじゃないがつい最近大工ギルドの職人たちが入ったとは思えないほど廃れている。
加えて二人は違和感のある魔力に気付いていた。恐らくだが、屋敷の最奥にその魔力の持ち主はいる。
「お、おばけじゃないですよね?」
「……そもそも、幽霊の魔物かもしれませんしね」
「いるんですか!?」
「ええ、まあ。とはいっても死者というわけではなく、空気中に存在する魔力が突然質量を得た存在みたいなものですが」
ですが、とコハクは言葉を続けた。脅かすわけではないのだが、知っておかねばならないこととして。
「普通のゴーストはこんなに変な魔力を発しません。というかゴーストなんてちっぽけ魔力過ぎて人を驚かせるくらいしか出来ない魔物です」
「じゃ、じゃあ……?」
「屋敷の奥に、なにかがいるのは間違いないですね」
「屋敷ごと魔法で吹き飛ばせば解決しますよね!!!!」
「……怖いんです?」
「こここここ怖くなんかないですよ!?」
漂う瘴気は明らかによくないものがいることを明示している。
引き返すか、もしくは、ソラだけでも入り口で待たせるべきだろう。
ソラが物騒なことを口走ってしまうのは、恐怖を誤魔化すためというのはすぐにコハクは見抜いていた。
震えている足も見て見ぬフリをして、コハクはソラの手を優しく握った。
「行きましょう。大丈夫です、ソラちゃんはコハクが守りますから」
シロが先行するように廊下を歩き出し、コハクはソラを引っ張りながら後を追う。
二人が廊下を歩き出すと、ゆっくりと扉が閉まっていく。
もう驚くものかと意気込んでも、閉じ込められたかもしれない恐怖がソラを襲う。
でも、繋いだ手が暖かいから。
「が、頑張ります……!」
「ま、ちゃちゃーって片付けちゃいましょう」
コハクが自作の、大量の魔方陣が記載された魔道書を開いた。どんな魔法でもすぐに使えるように段取りを整えて、周囲への警戒を強める。
『…………ヤ……メテ』
『ヤメ…………ン』
『ゴメ………オト………ンナ…………アァァァァァァァァァァァァァ』
突如として聞こえてきた声に、二人は身体を緊張させた――。




