真っ直ぐに、ただ、真っ直ぐに。
戦場に恐怖が伝播する。ある者は死。ある者は誇り。ある者は喪失に。
あらゆる者が己が己であるための輪郭を歪められていく。自らの信念が歪められていく。
周囲に恐怖を振りまくその力は、まさしくアキトがかつて対面した竜王ウロボロスのものだった。
冒険者たちも恐怖に膝を突く。意識を失っている冒険者たちは実に幸運だろう。
わけもわからない恐怖に襲われないのだから。
その中で、恐怖に抗う者がいた。
アキト・アカツキ。
二度、竜王と対峙し生き延びた英雄。自らの弱さに向き合い、アイナの支えがあるからこそ、彼は彼のまま恐怖と対峙することが出来る。
そしてもう一人、戦場を眺めながら――唯一恐怖に支配されない者がいた。
その者こそソラ・アカツキ。
恐れがないわけではない。齢六歳のソラはアキトを失うことを最も恐怖するだろう。大切な父親を失うことは、自分がこの世界に来た目的を失うと同義だから。
違うのだ。
ソラ・アカツキだけは違うのだ。
少女だけは、恐怖に支配されない。
それはきっと、ソラだけがこの中で違うから。
「……神様っぽいんだけど、ボクの知ってる神様と違う……?」
「グルルルル……ッ!」
「シロ。落ち着いて。よしよし」
「ワゥ……」
シロもまた恐怖を紛らわせるように戦場を睨んでいる。得たいのしれない空気を感じ取っているソラは、シロをなだめながら戦場を眺める。
自分の魔法だったら、事態の解決はできるかもしれない。
感じている神の加護――神の力には、自分で無くては対抗できないかもしれない。
でも、ソラはそれをしない。
だって、アキトと約束したから。
この力を無作為に使わないと。他ならぬソラ自身を守るために、アキトと交わした約束だから。
だからソラは、祈ることしか出来ない。
アキトが、アイナが、コハクが無事に帰ってくることを。
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「それがお前が奴から貰った力なのか?」
「ああそうだ。底上げされた肉体と! 決して誰にも負けないために得た力! それこそが俺の擬装竜牙だっ!」
変質したナユタは、竜人という言葉が見事に当てはまる。
肌に浮かぶ金色の鱗は見るからに頑丈そうで、右の目は金色に光り輝いている。
彼らしさでもあった尖った髪はそのままだが、額から生えた二つの角に光が走る。
吐いた息が白く染まる。あまりの高熱に一瞬で蒸気に変化しているのだろう。
背には翼、爪は鋭利に伸び、今にもアキトを襲わんと猛り狂う。
「確かに似ているな、竜王に」
「――行くぞッ!」
「ッ!」
剣を放り投げたナユタが大地を蹴る。一瞬でアキトに肉薄し、胴体を狙って拳を振り上げる。
アキトは驚愕した。ナユタの力が跳ね上がった以上に、目で追いきれなくなったことに。
咄嗟に木刀で拳を防ぐも、ナユタの拳は軽々と木刀をへし折りアキトの鳩尾に一撃を食らわせる。
「が……っ」
アキトの身体は大きく吹き飛ばされ、空中で体勢を整えようとした矢先に追いついたナユタが再び拳を振るう。アキトはすぐさま判断し――左腕で繰り出された蹴りをガードする。
ミシミシと耐える音が聞こえた次の瞬間、なにかが折れる音がして。
アキトの身体は地面に激突し、何度か地面を転がる。
「が、はっ。は、は、は……!」
息が荒い。ひゅー、ひゅー、と短い呼吸を繰り返してなんとか整える。
左腕が折れている。走る激痛を無視しながら、アキトは悠然と歩み寄ってくるナユタを睨む。
アキトの口元が、歪んだ。
「……強いな、それは」
「そうだ。俺は強い。この力をもってして、俺は英雄を越える。俺が世界一の存在とな――」
「だが、弱い」
「なんだとぉ!?」
ナユタを認める言葉を、アキトはすぐに切って捨てる。
確かに擬装竜牙の力は目を見張るモノがある。その力があれば、きっと誰にも頼ることなく世界一強い存在になれるだろう。
――なったとして、どうなる?
「何度でも言ってやる。シンドウ・ナユタ。お前は弱い。この戦場の誰よりも。俺を越えることなんて、お前には出来やしない!」
折れた木刀を投げ捨てる。左腕はぶらんと垂れ下がって使い物にならない。
「強さを求めることは構わない。だがな、その果てに、自分を見失う力だけは絶対に使ってはいけない! なんのための得た力だッ!!!」
ナユタは強さに囚われている。
擬装竜牙の力は非常に強力だ。その力があれば、なんでも出来ると勘違いしても仕方がない。
けれどもその力は、強すぎるために全てを見失う力でもある。
アキトがどうして自己強化を段階的に出力を上げる方式にしたのか。
それは今のナユタと同じ思いを、アキトが抱いたことがあるからだ。
強さを求め、相手を越えることを望んだアキト。相手と同じ条件で、相手を越えられるかを試したくて。
力を求めることは間違いではない。
でも――その力で何をすべきか。
アキトは自らの力で愉しむことを選んだ。それはナユタにも通じている部分だ。
でも、アキトはそれ以上に――守りたい者を守るために、その力を行使している。
それは己の誇りでもいい。大事な人でもいい。
「強くなって何がしたい、と聞いた時。お前は一番になれればそれでいいと断言した。じゃあ一番になった時、お前に何が残る。周囲の人も、自分の誇りも全部捨てて得た力で何に誇れる!」
アキトがソラの創造魔法を禁止したのは、ひとえにソラが悪目立ちをして捕まることを避けるためだ。
いつか、きっと。ソラがその力を正しく使えると判断した時に、その禁を解くつもりでいる。
ソラなら、創造魔法を正しく使える。
誰かのためにも、自分のためにも。
ナユタとは違う。ただの暴力として力を振るわないだろう。
「黙れ。黙れ黙れ黙れぇ! 勝てばいいんだ。勝てば! 結果なんて後からついてくる!」
「違えるな! その力はお前の自尊心を満足させる為だけのモノじゃないだろ!」
力の使い道は、人それぞれだ。冒険者として困難に立ち向かうもヨシ。
騎士として誰かを守るために使うもヨシ。
賊として誰かを傷つけるために使うもヨシ。
でも、間違えてはならない。
その力で何が出来るかを。その力で、何を壊し、守ることが出来るかを。
ナユタの力はまさしく、全てを破壊する暴力“だけ”ではない――!
「術式解錠――果てへと至れ。我が体内を駆け巡れ。我は人の領域を踏破する者」
指の皮膚を噛み千切り、溢れた血で胸に魔方陣を書き起こす。
詠唱と共に魔方陣から立ち上った光が次々にアキトの体内に取り込まれていく。
一瞬の閃光の後に、アキトは魔法を完成させた。
「自己強化・一式――限界突破」
例え左腕が動かなくても。
例え握るべき武器が無くても。
アキトはナユタに負けない。
負けてはならない。
負けるつもりは、ない!
アキトは転生者とは違い、自らの強い力とずっと向き合わなければならなかったから。
その力をどうすればいいかを、ずっと考えていたから。
アイナの言葉で、守ることを見出して。
だからこそアキトは、ナユタの気持ちがわかる以上に――導かなくてはならない。




