コハクの成果。疾走のアイナ。
「まったく。兄さんも姉さんもくっついたらくっついたで面倒くさいですねえ」
駆け出したアキトとアイナを見送りながら、コハクは自分を目指して迫る十人ばかりの冒険者たちをすでに捉えていた。
その冒険者たちだけ明らかに動きが違う。アキトやアイナとの交戦を避けるように迂回して、確実にコハクを狙いにきている。
「まあ、コハクもそれなりに名が知れ渡ってますしね」
アキトはSランク冒険者であり、古龍に二度も関わった英雄として有名だ。
アイナは悪目立ちはしないが、Sランク目前の冒険者であり、本人は認めていないがかつてはアキトと肩を並べて戦っていた強者だ。
『秋風の車輪』で働く美人な獣人、ということも相まってアイナの知名度はアキトに次いで広まっている。
そしてそんな二人とパーティーを組んでいるからこそ、自然とコハクの名前も注目されていた。アキトたちを心配させまいと相談したことはなかったが、何度か柄の悪い冒険者に絡まれたこともある。
「――天に星よ、満たせ。地に理を敷き詰めよ。我は偉大なる魔法使いにして語り手なり」
迫る冒険者たちを前に、コハクは詠唱を始める。
抱えていた四つの魔道書の拍子に魔方陣が浮かび上がる。
その魔法は、敵を倒すための魔法ではない。
その魔法は、身を守るための魔法でもない。
その魔法は――ただの、本を読む魔法である。
「独立平行詠唱――起動」
魔道書が、コハクの周囲に浮かぶ上がる。勢いよくページが捲られていき、目当てのページに到達する。
四つの魔道書のそれぞれのページには、異なる魔方陣が浮かんでいる。
そして告げられるコハクの言葉に感応して、魔方陣が光を発した。
「『ファイアーボール』『ウインドバースト』『アクアレイン』『サンダーストーム』!」
同時に四つ。炎の弾が、風の殴打が、滝のような雨が、雷の嵐がコハクに迫る冒険者たちを襲う。
「はぁ!?」
「なんだこれ。同時に、って――!?」
「待って待って待って待って!?」
「タイムタイムタイムタイムぅ!!!」
「コハクが嫌いなモノはいくつかあります。ゴキブリとか蛾とかカマキリとか。あとはコハクにちょっかい出してくる兄さん以外の男性です!」
――本来魔法とは魔方陣と詠唱が必要であるとは周知のことだ。
ソラのような言葉だけであらゆる魔法を行使できる創造魔法はコハクのようなこちらの世界の人間には使うことの出来ない奇跡である。
だが、コハクは常に求めていた。研究を続けていた。
魔方陣と詠唱によるロスさえなくなれば、魔法使いも単独で戦えるようになるのではないか、と。
その研究の成果がこれだ。
コハクが持っている四つの魔道書は全て、魔力が込められた魔具である。
魔方陣の省略こそまだ完成していないが、この四つの魔道書の魔具としての機能は――詠唱の先取り、である。
込められた魔力ですでに魔法が発動する一歩手前の状態になっており、あとはコハクの言葉に応じて本に記載された魔法が、指定したページに存在する魔方陣に感応する。
つまりコハクは、魔法の名前を告げるだけで魔法を使うことが出来る。
詠唱も魔方陣も毎回用意する必要がない。それらを省略することで、誰よりも早く魔法を行使する。
「ページを切り替われ。『アイスランス』『ストーンランス』『ダークランス』『ライトニングランス』!」
コハクの言葉に応じて自動的にページが捲られる。魔法名に答えるようにページが開かれ、光を発した魔方陣が新たな魔法を行使する。
誰もがコハクに寄るよりも早く、魔法の標的となる。
氷が、岩が、闇が、光が闇となって冒険者たちに迫る。
「ページよ切り替われ。『ファイアーウォール』『アースクエイク』『サンダーバレー』」
コハクを守るように炎の壁が展開し、コハクへ到達できないように大地が割れ、慌てふためく冒険者たちに雷が降り注ぐ。
魔法による怒濤の波状攻撃。
今まではアキトとアイナに守られていたコハクだからこそ、二人に迷惑を掛けていると自覚していたからこそ。
そして、ソラに出会ったからこそ。
ここにてコハクの目標は一つ成就される。
誰にも守ってもらえずとも、一人でも戦えるために。
「舐め、るなぁ!」
魔法の隙間をかいくぐるように、魔法を浴び続けてもなおコハク目指して突貫してくる二人の冒険者。コハクも知っている。よくコハクに絡み、難破してくる迷惑な男たち。
真っ直ぐな瞳がコハクを貫く。あと一歩を踏み出せばコハクに刃が届く。
なるほど確かに彼らはAランク冒険者として立派だった。
波状攻撃を抜けてコハクに辿り着けるとは、コハクも少々予想外だ。
「『プロテクション』!」
けれどもコハクの完成した魔法は、それよりも速い!
肉薄した瞬間に告げる魔法。あらゆる攻撃を弾く魔法の障壁。
アキトやアイナによく使っていた魔法が、コハクの身を守る。
「ち、くしょう……!」
「これで終わり、です!」
「かはっ……」
迫っていた二人の冒険者の意識を奪い、コハクを狙っていた十人の冒険者は全て戦闘不能となった。
大地を抉られた戦場を前に少々やり過ぎた、と思いながらもコハクは確かな手応えを感じている。
「さて。兄さんたちと合流しますか」
+
彼女は風だった。疾風とも、烈風とも。
あまりにも速く。
あまりにも荒々しかった。
「遅いッ!」
気付けば背後に回り込まれている。気付けば身体のどこかに衝撃が走っている。気付けば大地に伏せている。
アイナを抑えるために動いた十人の冒険者たちは、三人が『秋風の車輪』でクエストを受ける冒険者たちだった。
残りの冒険者たちは、共和国や王都を中心に活動している冒険者であり、アイナの存在すら知らなかった者たちだ。
だから、彼らは知らなかったのだ。
英雄、アキトの名を知っていようとも――常に傍らに居続けた、Sランクに最も近いアイナの存在を。
悪い意味で、アキトの名前に埋もれてしまった冒険者を。
アイナは戦場を駆け抜ける。風のように。
Aランクの冒険者たちではアイナを目で捉えることすら出来やしない。
元々身体能力が極めて高い獣人が、狩りのためではなく、戦うために編み出した技術。
単純な肉体強化。魔法ですらない、獣人たちの天性の肉体を用いた戦闘技法。
誰よりも速く。誰よりも重い一撃を。
アキトと一緒にクエストをクリアしてきたアイナが見出したバトルスタイルは極めて単純なものだった。
相手を翻弄して、一撃で昏倒させる。ただそれだけを追求していった。考えることがあまり得意ではないからこそ、導き出した答えだ。
つまり、“やられる前にやれ”。
冒険者たちは声を出す間もなく意識を奪われる。英雄を相手にしなくても、アイナであれば倒せると判断した彼らは自分たちの愚かしさを思い知る。
乱戦にすらなりはしない。
――いや、戦いにすらなりはしない。
圧倒するために自己強化を用いたアキト以上に、アイナは速い。
速さと要所要所での一撃の重さだけは、アキトに迫る――いや、越えている。
「おーわりっ! ったくもう。この程度しか寄越さないだなんて私も舐められたものだわ」
十名ほどの人の山を背中にして、アイナはアキトが戦っている方角に視線を向ける。
多分アキトももうすぐ終わるだろうと思っていたが、そこで異質さに気付いた。
「……なによ、あれ」
空が金色に染まっている。あまりにも鈍い、輝きを失った金色だ。
アイナの胸中に不安が過ぎる。それは不安を越えた恐怖だ。アイナが最も恐怖していること。
それは言うまでもなく、アキトを失うこと。自覚しているアイナだからこそ、不安に駆られて地面を蹴った。
アキトの元へ。一刻も早く。大好きな人が笑顔で無事を知らせてくれることを祈って、アイナは合流を目指す。
その恐怖こそ、竜王が振りまく恐怖である。
「アキト……!」




