守る者、守られる者。
アキトの不敵な挑発から三日――アキトはソラを連れて霧の森近くに草原に立てられた仮設テントで休んでいた。固いベッドには思わず苦言も出てしまうが、左右をアイナとソラに挟まれればそれはもう不満も出ない。
愛する女と愛娘に挟まれて世界一の幸せ者だなーと起き上がると、部屋の隅でコハクがじーっとアキトを見つめていることに気付いた。
アイナとソラはまだ目覚めていない。そもそもまだ夜が明けたくらいなのだろう。
靄が掛かっている草原は、思ったよりも幻想的で美しい。
「おはようございます、兄さん」
「おはようコハク。いつから起きてた?」
「二時間くらい前からですね」
「……大丈夫なのか?」
明らかに睡眠時間が足りてない。
兄としてコハクの体調にも気を配っていたつもりだが、そんなことは構わないとばかりにコハクはジト目でアキトを睨む。
「いきなりコハクを巻き込んだ人が言いますか?」
「待て俺じゃない。アイナが――」
「姉さんの手綱を握るのは旦那である兄さんの役目でしょう?」
「ぐ……」
「はぁ……。コハクは悪目立ちしたくないんですよ。兄さんと姉さんのためだから付き合いますけど」
「すまない」
「いいからさっさと姉さんと結婚式とか新婚旅行でも行ってきてください。コハクの前でいちゃいちゃされてもむかつくだけです」
「くそ。あんなに純心で俺の後ろをついてきたコハクは何処にいってしまったんだ……!」
「コハクだってもう二十二ですよ……」
+
――話は三日前に遡る。
アキトがナユタに叩きつけた挑発は、ナユタもユリアーナも言葉を失うほどのものだった。
ナユタはアキトに挑み、アキトを越えたと証明できればSランクとして認められる。そのためのアキトへの挑戦状だ。
だがアキトはいくつかの問答の後に、ナユタに「Aランク冒険者を何人でも連れてこい」と言いだした。それら全てを相手にしても、負けないと言っているのだ。
ナユタからすれば明らかにナメられている、バカにされている言葉だ。
その挑発を跳ね返せるほどナユタもまた大人ではないし、アキトと戦うことを望んだのはナユタである。
「何考えてるのよ!」
「大丈夫。負けないから」
「わぅ……。ボクから見てもお父さん、無謀すぎますよ」
「そうか?」
もちろんアキトは負けるつもりはないし、負けるとも考えていない。Sランクに上り詰め、ファフニールやディアントクリスとの戦いを、そして竜王との邂逅により自らと向き合ったからこそ、アキトは自分自身を誰よりも理解している。
ナユタの実力は計り知れない――直に接してみて、アキトはそう感じた。底知れぬ実力を秘めていて、Sランクを、下手すれば自分よりも強いかもしれないと。
でもアキトはナユタには負けない確信があった。
負けないし、負けられないし、負けたくない思いがあった。
「んー……」
そんなアキトを見ているソラは、ナユタが転生者――自分と同じ、神様の加護を得ているという言葉を敢えて飲み込んだ。
教えればアキトは事前に対策を練ることが出来るだろう。警戒心を増すだろう。
それは少し違うと、ソラは考えた。
アキトはナユタが転生者であろうとなかろうと関係なく彼を越え、勝利してくれる。
けれども少しばかりの不安は残る。だって相手は転生者なのだ。神様の加護は、おそらくだけどこの世界の人間では望めない奇跡を与えてくれる贈り物だから。
ソラは【創造魔法】。この世界の魔法とは規格が違う、桁外れの奇跡。言葉にするだけでありとあらゆる魔法を行使できる力こそが神様から与えられた力である。
アキトに使用を禁止されてはいるが、その力は神様がくれた大切なモノだから大事にしたい。
では、ナユタは?
「じゃあ、お母さんがお父さんと一緒に戦えばいいんじゃないんですか?」
「へ?」
「は?」
「おういいぜそれなら俺も少しくらいは良心が痛まないしなあっはっは!」
「ウニは黙ってろ」
「だからウニじゃねえって!!!」
ソラの提案にすぐさま乗っかるナユタだが、アキトもアイナも面食らっている。
微塵も考えていなかったのだろう。アイナはかつてアキトに追いつくために研鑽を続け、アイナ自身も語っていたように『女神の涙を手に入れろ』への挑戦資格を得ている冒険者なのだ。
アキトと共に事実上引退したとはいえ、冒険者としての籍は抹消されていない。『秋風の車輪』の経営に関わっている以上クエストを受ける暇がないだけなのだ。
「……まあ確かに、アキト一人に背負わせたくないわね」
「おい、アイナ」
「うん。私も参加するわ。アキトのパーティーとして」
「だからな――」
「大丈夫よ。危なくなったらアキトが守ってくれるでしょ?」
「当たり前だ。大切なお前を傷つける奴がいたら地の果てまで追い回してやる」
「アキト……」
「アイナ……」
「そこで惚気られると私はどうすればいいんですかね……」
すぐに二人の世界に浸ってしまうアキトとアイナをユリアーナが諫めた。
アイナのアキト側への参戦自体に問題はないのだろう。ナユタもユリアーナも了承する。
「もう一人くらいだったら連れてきてもいいんだぜ! どうせ俺が勝つんだしな!」
何処からその自信が湧いてくるのかアキトには理解できない。けれどその提案はアイナにとっては喜ばしいことなのか、話を終わらせようとするアキトの言葉を遮ってアイナがもう一人の参戦を提案する。
「じゃあコハクを連れていくわね」
「おいアイナ……」
「いいじゃないアキト。六年ぶりにもう一回、皆で戦いたいのよ」
「…………わかったよ」
大切なアイナの願いであり、その願いが叶わなくなったのは過去に逃げ出してしまった自分が原因だから。
だからアキトは断れない。受け入れるしかない。こんなろくでもない戦いにコハクを巻き込むのに気が引けるが、アイナの笑顔を見てしまえばそんな思いは霧散してしまう。
思った以上にアキトはアイナに夢中なようだ。アイナの一挙手一投足に目を奪われ、アイナのために生きようとすら考えている。
それがとても嬉しくて心地良くて――アキトはもう、アイナ無しでは生きられないだろう。
「こちらの参加者は私が集めておきます」
「頼むぜユリア。俺のSランク昇格が掛かってるんだしな!」
「別にナユタのためじゃないんですけどね……」
ユリアーナは率先してアキトとナユタの戦いを仕切ることを引き受ける。それは恐らくナユタを引き合わせた負い目であり、ユリアーナ自身がアキトとナユタの戦いを見届けたいからだろう。
冒険者を集めるという点において、貴族の声は重要だ。六年前よりも貴族と冒険者の軋轢は減り、豊富な資金を持っている貴族からの頼みは冒険者側も聞き入れやすいからだ。
「戦いの場所は三日後、霧の森近くの草原一帯をフィールドとします」
「ああ、それで構わない」
「オーケー! 首を洗って待ってろよ!」
+
そうしてコハクは半ば強引にアイナに説き伏せられて参加することとなった。本来であればソラのお守りとして観客であるはずだったコハクは、強引ながらも昔みたいに三人で動きたいアイナの思いを汲んで、参加を受け入れたのだ。
「基本は俺が遊撃に出てアイナがコハクを守る感じで動いてもらうが……」
「あ、それはいいです。兄さんも姉さんも自由に動いてもらってください」
「ダメだろ。それじゃお前が危険だ」
昔から一緒のクエストを受ける時は、アキトかアイナのどちらかが必ずコハクの傍にいた。魔法を使うためにその場で詠唱をしなければならないコハクを守ることこそが、クエストを最短でクリアする方法でもあったからだ。
だがコハクはその戦法を自分で断った。それはつまり、コハクは自らを守る手段を手に入れた、ということになる。
「いいんですよ。コハクだって兄さんたちに守られているばっかの子供じゃありませんから」
コハクがリュックの中から取りだしたのは、分厚い四冊の魔道書。
かすんできた靄の隙間から差し込む陽光を忌々しげに睨みながら、コハクはアキトによく似た不敵な笑みを浮かべた。
「兄さんにも姉さんにも、そしてこっそり裏でコハクを馬鹿にしてるであろう冒険者の皆さんにも見せてあげますよ。コハクがたどり着いた、新しい魔法使いの戦い方って奴を!」




