ナユタが見落としてるもの
シンドウ・ナユタと名乗る少年は、ソラが感じたとおりこの世界の住人ではない。
進藤那由多という少年がとある世界で命を落とし、ソラ同様この世界に現界した存在なのだ。
だが、ナユタはソラとは大きく異なる部分があった。
それはナユタが、転生者ではないこと。
シンドウ・ナユタは、この世界に二年前に転移した存在なのだ――。
「決闘?」
「ああ。俺が勝ったら、俺がアンタを越えていると証明できたのなら、俺はSランクとして認められるんだ!」
「……なんだそれは」
アキトの冷ややかな目がナユタを射貫く。世界に数少ないSランク冒険者は、誰もが『女神の涙を手に入れろ』という専用の昇格クエストを攻略してきたのだ。
難易度はSランク。生半可な覚悟ではクリアすることなど出来ない、事実上冒険者が挑む最後の壁である。
その内容は、王国や共和国が属するこの大陸から遠く離れた場所――世界の中心とも言われているオリンポス山の頂上にて祈りを捧げる女神アルスイヤの石像から涙を採取する、というものだ。
石像から涙が出るはずがないのだが。一年に一回、確かにその石像は涙を流すのだ。
ありとあらゆる病を癒す治療薬としても扱われる『女神の涙』は市場に出回ることのない、この世で最も貴重な霊水なのだ。
オリンポス山だけが存在するアルスーン大陸には一年に一回、一週間だけ、上陸を阻む大渦が静まる日が存在する。挑戦者はその期間を狙ってオリンポス山に挑むのだ。
山頂へ続く道を守るのはAランクのクエストでは相手をすることすら出来ない、より強固で凶暴な魔物たち。
ギガントオーガを初めとした、首無し騎士デュラハン。六つの腕を自在に操るアシュラ。金属を溶かす酸を吐く巨大なサーベントといった特殊な魔物たちが待ち受けている。
その全てを倒し――山頂を守っている『天使』を名乗る存在に認められた者こそ、『女神の涙』を手に入れることが出来る。
つまりナユタは、自分は『女神の涙を手に入れろ』に挑戦できる冒険者だとアキトに宣言しているのだ。それを踏まえた上でもなお、アキトはナユタの言い分が理解出来ない。
「『女神の涙を手に入れろ』はもう時期が終わっているだろ」
「そうだ! だから俺はアンタを倒して――」
「言葉をきちんと繋げろ」
ナユタの言い分を踏まえて考えれば、ナユタは『女神の涙を手に入れろ』に挑戦する視覚は得たものの、時期を逃してしまいSランクに今年はなれなくなってしまった。ということだろう。
そして、アキトを越えればSランクとして認定される。
どうしてそこでアキトが出てくるのか、アキト自身何度考えても答えが出てこない。脈絡のないナユタの言葉に、アキトは呆れを通り越してしまう。
「アキトさん。私が話をさせていただきます」
先ほどまで突っ伏していたユリアーナが顔を上げる。泣いてすっきりしたのか、少しだけ表情は明るい。無理をしているのは明白だが、アキトはそれをなだめることはしない。
こほん、と小さく咳払いをしてユリアーナが説明を始める。
「ナユタはつい先日、『女神の涙を手に入れろ』に挑戦する資格を得ました。ですが今年の挑戦はすでに終了していたために、未だにAランクのままなのです」
「その通りだ。俺は一刻も早くSランクになりたい。だから――」
「ナユタは黙っててください」
口を出そうとするナユタをユリアーナはきつい目で睨んで諫める。そのあまりの迫力に怯んだナユタは黙って口を閉じる。ユリアーナは冒険者でもましてや魔法使いでもないのに、凄まれただけで萎縮してしまうナユタに誰もが苦笑してしまった。
「ナユタが冒険者として活動するようになり、Aランクに至るのに僅か二年。アキトさんは、これがどれだけ偉業かがわかりますよね?」
「ああ。俺とほぼ同じくらい――いや、俺以上かもな」
冒険者は危険性の薄いクエストを受注する分に限っては、満十二歳を迎えた時点でギルドに登録することが出来る。とはいえ命に関わる魔物退治などのクエストは、十四歳にならなければ受けることが出来ない。
ナユタはSランクへの道を、僅か二年で切り開いた。
それは今もなお英雄と語られるアキトと同じか、それ以上の快挙であったのだ。
「それだけの才を持つ冒険者をいつまでもAランクにしておけない、と私がギルドに掛け合ったのです。その結果が、『現存するSランク冒険者に挑み、越えて見せよ』とのことなのです」
「……なるほどな」
アキトとしてはどうしてそれで自分に白羽の矢が立ったのだろうと。確かにユリアーナとは既知の仲であるし、シェンツー家とは六年の間に何度も交流している。請け負ったクエストも少なくない。
アキトの後ろ盾になってくれているシェンツー家のおかげでアキトもクエストをこなすのに大分助かっているのだ。アキトの名声を頼りに名指しで指名されるクエストの一部を断ることが出来るのも、アキトの背景にシェンツー家がいるからだ。
「そういうわけだ。だから俺と勝負――」
「だが断る」
「ぬわんだとぉ!?」
「わぅ!?」
アキトの拒否の言葉にナユタが机を叩いた。あまりの衝撃にコップが倒れ、ソラが驚きの声を上げ咄嗟にアイナに抱きついた。
「何でだ! 俺に負けるのが怖いのか!?」
わかりやすい挑発である。ナユタは夢のためにどうしても早くSランクになりたいのだ。
アキトさえ認めれば、形式上だけの決闘でもなんでもしてすぐに昇格できる。
だがアキトはそれを拒む。ナユタが気にくわないとか、そういう理由ではない。
もっと単純な理由である。
シンドウ・ナユタは――。
「お前はSランクに相応しいとは思えない。アイナやコハクのほうが遙かにSランクとして相応しい」
「な、な、な……!」
「……アキトさん。ナユタの人柄は私が保証します。人柄も、腕前も。どれを取ってもナユタはSランクに相応しい人物であると推薦できますが――」
「『女神の涙』を手に入れることと、俺を越えているかどうかを並べるな」
アキトはこれまでにない鋭い目つきでナユタを睨んだ。ソラはどうしてアキトが怒っているのかを理解出来ないが、事情を理解しているアイナは一人頷いた。
「そうね。私の目から見てもあなたはSランクになれないと思うわ」
「お前にまで言われる筋合いはないだろ!?」
「あるわよ。私だってSランク昇格クエストへの挑戦権は持ってるんだから」
「なぁ!?」
しれっと言うアイナに今度はナユタがたじろいだ。ソラも知ってはいたが、アイナはこの六年間その話題を一言も出さなかった。
恐らくアキトに配慮してたのだろう。だがそれ以上に、働いている姿が似合っているアイナが冒険者として活動していることがソラにはイメージできなかった。
それだけアイナはこの食堂で働く姿板についていて、ソラにとってはそれが当たり前の光景だったから。
「だ、だったらアンタが俺と勝負しろ! Sランクへの挑戦権を得てるんだったら、それでも構わないはず――!?」
「いい加減にしろ」
静かに、アキトが怒った。その声色は恐ろしく静かで、とても怒気が混じっているとは思えない。けれどその一言でナユタは言葉に詰まり、息苦しそうに息を吐いた。
アキトは、ナユタのがむしゃらに上を目指す心意気は認めている。でも、大切なことを見落としていることを見抜いていた。
それを見落としている限り、Sランクにはなれないのだと。
「人を集めろ。Sランクを狙っているAランクたちがちょうどいいだろう」
今にもナユタに斬り掛かりそうな殺気を放ちながら、アキトは冷静に言葉を繋げる。
それはアキトにとって最大限の譲歩であり、ナユタに何が足りてないかを教えるための手段。
「話に乗ってやる。俺を倒すことが出来るならSランクでもなんでも認めてやる。参加する奴ら全員もだ。何十人でも何百人でも連れてこい。纏めて相手をしてやるから」
それは、あまりにも大胆不敵な宣戦布告。




