出会い。喧嘩。涙。
「アンタがアキトって奴?」
「ああ、そうだが」
アイナとアキトの出会いは、アキトが十歳、コハクが六歳の頃だった。
午前中はシスターと勉強をし、午後はアキトの町の冒険にコハクもついていく、というのが毎日の流れだった。
見知った町であろうと飽きることなく歩き回るアキトと、そんなアキトを追いかけるコハクの姿はいつしか町中でも見慣れた光景となり、微笑ましい兄妹、と町の住人たちはイメージを抱いている。
いつもの町並でも、人が変われば景色も変わる。昨日はあの店が花を飾っていたとか、あの鍛冶屋で火事が起きそうだったとか。
シスターから学んだことをアキトはコハクに自分の意見を織り交ぜながら説明し、コハクはそんなアキトの後ろにずっと隠れていた。
そんなアキトとコハクの前に颯爽と屋根から飛び降りてきたのが、アイナだった。二人にとって初めて見る獣人であり――それが、運命の出会いでもあった。
「ふうん。お父さんが『教会に凄い才能を秘めた子供がいる』とかいうから探してみたんだけど、思いっきり普通じゃない」
「何が凄いんだよ……」
「お、お兄ちゃん……」
ぽりぽりと頬を掻くアキトと初めて見たアイナに怯えたコハクはアキトの後ろに隠れる。アイナにはそれが気にくわなかったのか、ぐい、と一歩詰め寄った。
「私がどうかしたの?」
「ひ……っ」
アキトの後ろで萎縮してしまったコハクはしゃがみ込んでフードを被ってしまう。咄嗟にアキトが壁となるように入り込み、強い瞳でアイナを睨め付けた。
「用件は何だ」
「っとと。そうだった」
コハクになにかしてしまったのではないかと不安げにしているアイナがアキトとにらみ合って対峙する。アイナの興味はコハクからアキトに移ったようで、コハクはびくびくしながらアキトを見上げる。
「勝負よ、勝負! 私だって由緒ある獣人の一人娘として、私より強い奴がいるなんて見過ごせないから!」
「…………くっだらねぇ」
「何がくだらないのよ!?」
フシャーと威嚇するアイナに過剰にコハクが驚いてしまい、アキトはコハクが気が気でない。背中に隠したコハクをなだめながら、冷たい瞳でアイナを睨む。
「どっちか強いとか、決める必要なんてない」
「嫌よ。私は誰よりも一番でいたいのよ!」
「じゃあお前が一番で良いよ」
アキトが言葉に怒気を混ぜていることに気付いていないアイナはそれでも引き下がらない。どうしてもアキトを心から自分の格下だと思い込ませたいのだろう。
アイナの父親は、獣人の中でも特に武芸に秀でた一族だ。
そんな父親に育てられたアイナは、自然と誰よりも強くありたいという願いを抱くようになった。
冒険者でもある父のクエストに同行して訪れた町で、父から聞いた「アイナより凄いかもしれない」と言わしめたアキトに、アイナは興味津々だったのだ。
けれども不器用なアイナは上手くアキトに伝えられない。その結論が、アキトと勝負をして決着を着けることである。
後にこの言い合いはアイナの父親とシスター両方の耳に入り、アキトもアイナも二人して怒られるのだが。
「そっちがやる気がなくても私にはあるのよ!」
そう言って突貫してきたアイナを、アキトはひょい、とかわす。喧嘩をするつもりはないし、コハクを怯えさせるアイナは正直好ましくなかった。
だからアイナの隙を突いて、足払い。
「あっ」
それだけでアイナは転んでしまい、地面に顔を打ち付けてしまう。
「いたたた……」
「もうやめとけって。無駄な喧嘩だ」
「無駄じゃないわよ! 私にとっては――」
「無駄だから」
膝小僧をすりむいて今にも泣きそうなアイナだが、持ち前の性格が泣くことを許さない。痛む膝に鞭打って立ち上がると、アキトは大きくため息を吐いた。
ため息を吐いたアキトを見て――アイナは隙を見せたとばかりにまた突撃して。
「跪け」
「っ!?」
アキトの低い声に、アイナの身体が勝手に従った。片膝を突いて頭を下げる身体に、アイナ自身が困惑していた。
何が起きたのか理解する間もなかった。
それと同時に――理解出来なかったからこそ、敵わないと痛感させられた。
手を使わずに、足も使わずに、武器も魔法も使わずに。
ただ一言で、アキトはアイナを屈服させた。
アキトの冷ややかな目がアイナを見つめ、はぁ、とため息を吐く。
「っ……!」
お互いに言葉をかわさずに、アキトはコハクを連れて帰っていった。
残されたアイナは、大粒の涙を零して――わんわんと大声で泣き出した。
悔しくて、情けなくて。強さに拘った自分が、敗北した。
+
「――で、どうしてお前がここにいるんだ」
「決めたのよ」
翌朝、いつもの勉強を終えたアキトとコハクの前にアイナが現れた。だがその表情はすっきりしており、昨日の逆恨みではないことはすぐにわかった。
「昨日は……ごめんなさい。コハクちゃんにも迷惑を掛けました。本当に、ごめんなさいっ」
「…………あぁ、別に」
少々面食らいながらもアイナの謝罪を受け取るアキトであるが、コハクはアイナを見てすぐに部屋の隅で毛布に包まってしまった。
アキトはアイナに無言で謝るように指示すると、アイナは頷いてコハクの前に座った。
「怖がらせちゃって、ごめんなさい」
コハクの身体の震えが止まるまで。
コハクが毛布から顔を覗かせるまで。
コハクが気にしてない、と声を震わせながら言うまで。
床に頭をこすりつけてまで謝るアイナをコハクが許すまで、夕方まで掛かった。
毛布から出てきたコハクはなおもアキトの後ろに隠れながらアイナも共に夕食を食べる。気まずい空気の中で、アイナが口を開いた。
「追いつく」
「は?」
「私は強くなる。強くなって、アンタに追いつく!」
「人に指を差しちゃダメってお父さんに教わったでしょうが!」
「あいたぁつ!?」
アキトを指差したアイナにシスターの折檻が飛んでくる。不意を突かれたアイナは目に涙を浮かべながら、それでもアキトを睨むように見つめる。
「今は勝てない。すっごく悔しい! でも私はいつか、アキトに『参った』って言わせてやる!」
「参った」
「今じゃない!!!」
なんなんだよと呆れながらアイナはシスターが焼いたパンを一口で食べてしまう。
正直に言って、アキトはアイナが苦手だった。シスターもコハクもアキトの性格をよく理解してくれているから必要以上に関わろうとしないが、アイナは違う。
アキトのことなど関係ないとばかりにぐいぐい来る。苦手を通り越してウザいとも思うほどに。
冒険者であったアイナの父は、そんなアイナの願いを聞き入れて教会の援助をすることに決めた。その結果、旅を続ける父と別れてアイナは教会に残ることとなった。
ゲラゲラと豪快に笑うシスターと、思いっきり不機嫌な表情のアキト。
その頃には少しだけ打ち解けたコハクはニコニコとアイナと暮らせるのを喜んでいた。
今回の回想は前後編となります。