激突。魔鎧竜ディアントクリス。
エルフの里から首都へは、激しく蛇行した渓谷を抜けなければならない。
ディアントクリスは渓谷を抜けた先の草原を直進しており、真っ直ぐに首都を目指している。
つまり、アキトがディアントクリスを強襲するには、その渓谷が障害となっている。渓谷さえ無ければ、すぐにでもディアントクリスを襲うことが出来るのだが。渓谷の激しい蛇行は通行者の速度を厳しく制限する。
本来であれば余裕のある時間を利用して渓谷を抜け、エルフや冒険者たちによって築かれた防衛ラインで待ち受ける段取りだったのだが、それではもう間に合わない。
渓谷を進んでいては間に合わない。
普通に峡谷を進んでいたら、だ。
アキトは思い切り地面を蹴って――渓谷の壁を走り出す。身体が重力に引かれて落ちるよりも早く一歩を踏み出し壁を蹴り、当たり前のように壁を走る。
いくら複雑に蛇行していようとも、壁を地面として駆け抜ければ確かに凹凸の激しい地面だけとなるが。
アキトはそんなことを平然とやってのける。それが最善の選択であると確信して。
最短は障害となる蛇行全てを魔法で爆砕することだが、アキトがそれを行うには少々詠唱に時間が掛かる。コハクであれば容易にやってのけたかもしれないが、いない人物を頼るわけにはいかない。
少しだけコハクに突っつかれ続けた魔法の疎さに苦笑いを浮かべながら、アキトは壁を走り続ける。
渓谷を抜けた先には、地平線の果てまで続いているのかと思わせるほど草原が広がっていた。月夜に照らされてひっそりと輝く草花はそよ風に流され揺らされている。
静寂だ。草原は静寂に支配されている。
風の流れに、僅かに血の臭いが混ざっていることに気付いたアキトはエクスカリバーを引き抜いた。月光を反射し、夜の世界に突如として現れた陽の光とも感じられる暖かな輝きは、アキトに不退転の決意を固めさせる。
後方には首都が近いことを示す大型の風車が回っていた。恐らくはここがジークリンデが刺していた防衛ラインなのだろう。
「……行こう」
かすかに聞こえてきた激しい足音がディアントクリスの接近を教えてくれる。
エルフたちの予測よりもさらに速い。これほどの速度を、ディアントクリスが出せるのだろうか。
本来のディアントクリスは非常に緩慢な動作で鈍い竜だ。そのためディアントクリスが気付かぬ内に背中に飛び乗り、体表の鉱石を採取することも不可能では無いくらいだ。
全身を魔石で覆ったことにより、なにか変異が起きたのだろうか。
突然変異種であろうと、そう簡単に本来の特性は失われないとアキトは考えている。
けれどアキトはそこで思考を停止する。柔らかな草原の大地を蹴り、ディアントクリス目掛けて疾走する。
徐々に濃くなっていく大気の違和感を不快に感じながら、それこそディアントクリスが近づいていることを証明しているのだ。
高純度の魔力が大気にすら影響を与え、瘴気を発生しているのかもしれない。
魔鎧竜ディアントクリス。その特性は未だに知られていない。
情報が少なすぎるのだ。
かつてのファフニールはまだ、古文書に記された情報を元にいくつか対策を施すことが出来た。大半の対策は意味をなさなかったが、それでもその対策があったからこそファフニールとアキトの戦いに巻き込まれる者は少なくて済んだ。
「見えたっ!」
地面が黒に染まり、草花が枯れていく光景。自然は腐り、泥のように溶けていく。
中心には、禍々しい赤い輝きを放つ塊がいた。鱗のように赤く輝き鉱石――魔石を全身に付着させている。
その全容はアキトの記憶の中のディアントクリスとは大きく異なっていた。全長は普通のディアントクリスの倍以上はあるであろう。二十メートル以上の巨体を誇り、本来のディアントクリスは鉱石の間にディアントクリス自体の体表が見え隠れしていた。
だが魔鎧竜ディアントクリスは、隙間も無いほどに魔石に覆われていた。まるで魔石自体が生物となって動いているようにも見えるほど異様な光景であった。
あまりにも禍々しい魔石から放たれる高濃度の魔力は、人間すら狂わせてしまうほどの瘴気を放っている。
ディアントクリスの進路を塞ぐように、アキトは正面に立ってエクスカリバーを構える。
だらだらと戦いを続けるつもりは無い。人間のアキトとディアントクリスを比べれば、さすがにディアントクリスのほうが体力がある。
長期戦になればなるほど周囲の環境は汚染され、静かな草原は穢されていく。それだけではない。ここは共和国の首都にも近い草原だ。少なからず影響も出てしまうだろう。
「術式解錠――果てへと導け。我が体内を駆け巡れ。我は永久に危うきを踏破する者」
三節の詠唱と足下に描いた魔方陣によって、アキトが自身に掛けた自己強化の魔法が上書きされていく。
「自己強化――二式」
かつてファフニールを倒した時は、一式にまで高めた自己強化。
二式で止めたのは決してディアントクリスを甘く見ているからでは無い。
一式による身体への負担は非常に大きい。下手をすれば一日はベッドから身体を起こせないレベルになるほどだ。
そして、一式は身体への負担を考慮して限界時間が定められている。一式を使わなければならないほどか、見定めなければ使えない諸刃の剣でもあるのだ。
故に二式を使う今こそ、アキトがデメリットを気にせずに戦える全力であることでもある。
高められるは身体能力だけにあらず。動体視力や反応速度に至るまで、アキトが戦いに置いて必要とする全てのステータスが爆発的に向上する。
本来のアキトの数倍以上の身体能力は、はっきり言えばすでに人間のレベルを越えている。
「グルゥォオオオオオオオ!!!」
「セイっ!」
肉眼で捉えられるようになったディアントクリスの足目掛けて、エクスカリバーを振るう。けれど踏み込みが浅かったのか、体表を守る魔石に弾かれてしまう。
「っ……」
手に走る痺れを振り払い、ディアントクリスを追う。二式を発動しているアキトにはすぐに追いつける速度だが、それでも一刻も早く足を止めなければならない。
エクスカリバーは弾かれたとはいえ刃こぼれ一つしていない。足りなかったのはアキトの踏み込みだけだ。
走りながらではいまいち力を込めることが出来ないから、もう一度回り込んで――アキトは両手でエクスカリバーを、振り下ろした。
「ッシ!」
アキトの目論見通り、今度は魔石を断ち体表にまでダメージを負わせることが出来た。
零れた血と激痛によってようやくディアントクリスは足を止め、魔石に覆われていない数少ない部位である両の瞳でアキトを睨んだ。
「ガァァァァアアアアアアッ!」
まるで邪魔をするなと言わんばかりに、ディアントクリスは威嚇の咆哮を上げる。
けれどそれでアキトが怯むわけがない。アキトはディアントクリスを討伐するために現れた冒険者なのだ。
それに。
「来いよディアントクリス。切ってみて確信したさ。『お前は古龍では無い』――お前からは、ファフニールから感じた圧力もなにもいっさい感じない」
アキトからすれば、ディアントクリスはただ周囲を汚染する固いだけの竜だ。
ファフニールのように雄大で強大で恐ろしさも感じない。
【ソレ】のような恐怖すら抱かない。
相対してみて理解したのは――ディアントクリスを仕留められる“確信”だ。
魔鎧竜は咆哮を上げ、アキトを敵として認識した。
ディアントクリスの全身に満ちるエネルギーは魔力。それは激しく体内を駆け巡り、体表を覆う魔石を呼び起こす。
「っ!」
「ゴガァァァァァアアアアア!!!」
全身の魔石はディアントクリスの魔力に感応し、爆発的に膨れ上がる。
それはまるで魔法のようで。魔法ですら無い。ただの、爆発だ。
気付いた時にはもう遅い。ディアントクリスを中心に引き起こされた爆発は、一瞬でアキトを飲み込んだ――。




