ソラ、古龍を学ぶ。
共和国に入ること自体はギルドカードによって身分を提示できるためなにも難しいことではなかった。
国境線沿いの関所を越えると、暖かな風が頬を撫でる。ジークリンデは手綱を強く叩き、二頭の馬に加速を命じる。
ジークリンデの焦りがアキトにも伝わってくる。だがこれ以上速度をあげては馬が持たない。
せめて関所で竜車でも手配するべきだったかと考えながら、アキトは共和国の空を見上げた。
自分が生まれ育った王国と何一つ変わりのない青空は、どこまでも無限に広がっている。
「んー」
馬車の椅子の上で足をぷらぷら揺らしながら、魔道書を開いていたソラが唸り出す。
「どうした?」
「ねえお父さん。どうしてディアントクリスは古龍って呼ばれてるの?」
「今更聞くのか……」
とはいうものの、アキトは『秋風の車輪』では敢えてその話題を避けたのだ。古龍には関わるべきではない。それはソラだけではなく、その場にいた全員を思っての判断だった。
正直なとこを言えば、アキトも不安を抱いていないわけではない。
ディアントクリスにではない。ディアントクリスを討とうとした時に、【ソレ】と再び邂逅したら――自分はどうなってしまうのか。
自分を見上げてくるソラを優しく抱きしめる。ソラはくりくりっとした丸い目でアキトを見つめている。胸の中の暖かい命に触れて、アキトの心は安らいでいく。
「古龍ってのは、『天災級危険生物』として認められた魔物なんだ」
「てんさい……?」
「その名の通り、存在するだけで自然に悪影響を与えてしまうレベルってことだな」
空を泣かせるファフニール、大地を砕くジャバウォック、大海を飲み込むリヴァイアサン。嵐を狂わせるバハムートといった古龍と呼ばれる竜種たち。
そのどれもが存在するだけで世界に悪影響を与え、自然を破壊するほどの存在なのだ。
本来はこの世界のどこかで眠っているとも、この世界ではない別次元にいるとも言われている。
それらを纏めて、"古龍"と総称する。
「んー? じゃあディアントクリスは亜種の魔物だから違うんじゃないの??」
「ディアントクリスは、本来の名称を『岩鎧竜ディアントクリス』というんだ」
ソラの疑問に答えようとしたアキトに、ジークリンデが割って入る。
「本来ならアキトの力を借りなくても倒せる相手であるのだが――全身を魔石で覆ったディアントクリスはある特性を帯びたために古龍にカテゴライズされたのだ」
「ある特性?」
魔石とは高純度魔力結晶体。エネルギーでしかないはずの魔力が結晶となった――文字通り、膨大な魔力によって構成されている。
それだけの高純度の魔力は、魔法の形とならなくても自然に影響を与えてしまう。
ディアントクリスが吐く炎のブレスですら魔力を帯び、魔法使いが使う炎の魔法より遙かに強力で凶悪なものとなってしまう。
高純度の魔力にあてられた草木は腐り、大地は溶けていく。緑の草原は底知れぬ沼へと変化してしまう。
魔石を纏ったディアントクリスというのは、それほどまでに厄介な存在なのだ。
「奴がいるだけで草木は腐り、植物は育たなくなる。森に住む我らエルフにとって、あのディアントクリスは脅威以外のなんでもない……!」
「ましてやそんな奴を海にでも近づけたらますますヤバイ。海が汚れて魚も死んでしまう」
それはもう生態系の破壊そのものだ。
故にそのディアントクリスは古龍へと分類された。
「魔鎧竜ディアントクリスと呼称された奴は、共和国をゆっくり北東に向けて進行している。非常にゆっくりと……まるで、大地を侵していくように」
ジークリンデの言葉で事の次第を理解したソラは開いた口が塞がらないでいた。思った以上に危険な存在であること。そしてそれ以上に――そんな存在であろうと勝てると確信しているアキトの偉大さに。
けれど少し不安になってしまう。我が儘で同行して、自分は足手まといだから。
「……お父さん、大丈夫?」
「大丈夫に決まってるだろ」
ソラの不安を吹き飛ばすようにアキトが即答する。ジークリンデの話を聞いても、アキトの心に負けるイメージは浮かばなかった。
逆に一刻も早く討たねばならないと決意が固まったくらいだ。
「共和国の人のためにも、さっさとディアントクリスを討たないとな!」
「うんっ!」
アキトの言葉はソラの心を軽くする。触れ合えば触れ合うだけアキトの優しさが伝わってきて、それが心地よくてソラはアキトにぎゅぅ、と抱きつく。
大好きな父親は自分を愛してくれている。守ってくれる。
でもその父親はどこか自分自身を愛していないのもわかっている。
ずっと傍にいてずっと見ていたから。
だから。だからアキトを守ってくれる人が必要なんだ。
それは自分でもいいのだけれど。それ以上に相応しい人がいるから。
(むぅ。お父さんのお嫁さんにもなりたいのに……ハーレムとかダメなのかなぁ)
この六年間ぼんやりと考えてきたことを思い出しながら、揺れる馬車に誘われて睡魔がソラを遅う。エルフの里に着くまではまだ時間はかかるだろうし、この心地良いアキトの腕の中で眠るとしよう。
そうと決めたソラはゆっくりと全身をアキトに預け目を閉じる。大好きな父の匂いとぬくもりを感じながら意識を手放していく。
目が覚めた時にはエルフの里はすぐだろう。新しい出会いとディアントクリスへの不安を抱きながら、ソラは抱きしめてくれる父に思いっきり甘えることにした。
ソラは不安だけど、アキトを信頼しているからこそゆったりしちゃう。
そんなアキトもソラを不安にさせないために力を振るう――。