娘、“ソラ”と名付けられる。
アキトたちは宿屋の一室に通された。まだ掃除が済んでいないから滞在客はこないとのアイナの言葉を聞いて、備え付けの椅子に腰を下ろす。
赤子をテーブルに座らせるとアイナは楽しそうに赤子を指でぷにぷにしている。
さてどう切り出そうか。すでに仲良くなったアイナと赤子の様子を見ているととてもじゃないが話しにくい。
アイナは無邪気に笑う赤子の柔肌を堪能している。
「で、アキト。この子はなんて名前なの?」
「名前?」
「そうよ。拾ったんだからちゃんと名前を付けてあげないと」
「いやだってそいつは――」
「な・ま・え」
アキトはアイナの企みを理解した。アイナはアキトが里親を探していることをいち早く察し、理由はわからないがそうはさせまいと邪魔をするつもりだ。
名付けもそうだ。自分で名前を付けてしまえば愛着が湧くから。そうなれば里親を探すことも諦めるだろうとアイナは踏んだのだろう。
こうなってしまったアイナが強情なのは長年の付き合いからわかっている。意地でもアキトに父親をやらせる腹積もりなのだろう。
深いため息と共にアキトは天井を見上げる。木で出来た屋根は自分の小屋とは違い丁寧に組み合わされており職人の腕の良さを感じさせる。
「……ソラ」
ぽつりと出てきたのは安直な名前だった。
雷と共に出会った赤子。自分の小屋を突き抜けて、小屋から見上げて広がっていた快晴の空。
それが強く印象に残っていたから。
だから、ソラ。
「あー、もう。お前わかってて言ってるだろ」
「あら何のことかしら。私の前で隠し事なんて出来ないことくらい昔から知ってるでしょ?」
ずっと一緒にいたから。ずっと傍にいたから。だからこそわかってしまう。バレてしまう二人の距離。くすぐったくも心地よかった懐かしい感覚。
「きゃっきゃっ!!!(そら。ソラ。ボクの名前! ボク、ソラです!)」
赤子もその名前が気に入ったのか激しく身体を動かして喜びを表している。
言い出しにくいを通り越して、言い出せない空気を作られてしまった。
「……ったく。ソラを連れてちゃ森で生活できないんだぞ?」
さすがにソラを連れて森で生活するほどアキトも馬鹿ではない。衛生面もさることながら強力な魔法を使えるといってもソラは赤子だ。寝ている隙をレアルウルフや他の魔物に狙われてはひとたまりもない。
「じゃあアキトは冒険者になって稼げばいいじゃない。森で狩りをするより稼げるでしょ?」
「……あ。お前まさか!」
そこでアキトはアイナの真意を理解した。アイナはアキトに冒険者として……すなわち、この街で暮らしてほしいのだと。
思わず頭を抱えてしまうアキト。二度と冒険者には戻らないと決めていた。だけど……手に職を持っていないアキトがすぐにソラを養えるほど稼ぐには、冒険者以上に適した職業はない。
そしてなにより――冒険者という職業ほど、アキトに向いている職業はない。
「なーんのことかなー。私はソラちゃんを想って言ってるだけだしねー?」
しかしこの猫娘、策士である。どのタイミングからこの展開を狙っていたかはわからないが、してやったりな表情を浮かべている。
「だー?(おとーさん冒険者になるんですか?)」
「それしかないかぁ……」
気乗りはしないが、乗りかかった船というか背水の陣とでも言うべきか。
アキトに選ぶ選択肢はない。ここで別の職人ギルドに登録しても給料が出るのは早くても半月後。日雇いの仕事ではソラを養えるほど稼げない。
「わかったよ。魔物を狩るくらいならソラ背負ったままでもできるしな」
「だー!(やったー! おとーさんおとーさんおとーさん!)」
それじゃあ早速登録しましょうと言いだしたアイナがソラを抱きかかえる。ソラもまたアキトが冒険者として生きるのが嬉しいのか、アイナに抱きかかえられてもはしゃいでいる。
二人が何故そこまで喜んでいるのかはアキトにはわからない。
「ミカちゃーん!」
一階に下りたアイナが大声でギルドカウンターの受付を務めている少女の名前を呼ぶ。
ちょうど他の冒険者の受付が終わって一息つこうとしていたのだろう。眼鏡を付けている黒髪でお下げが特徴な少女が顔を上げた。
「あれアイナさん。どうかしました? 先ほど休憩に入ってませんでした?」
ミカ・エンペル。『秋風の車輪』で働く数少ない女性であり、受付嬢としてはまさに紅一点。日々荒々しい気性の冒険者たちにも負けず笑顔で受付業務をこなしている存在である。
「ご新規さん一人登録お願いしまーす」
「あ、はい。ではこちらの書類に記入をお願いします」
「はい、アキト!」
「お、おう」
流されるがままに渡された紙にアキトは自分の個人情報を記入していく。とはいえ身体測定や魔力検査があるから必要なのは名前と性別といったざっくりなことだけだ。
「アキト……? え、もしかしてアキト・アカツキさんですか!?」
「そ、そうだが?」
「ええええええアイナさん新規登録なんか出来ませんよ!? 失礼すぎますよ!?」
「だー?(え、どうしたんですか)」
「あそっか。再登録も出来たんだっけ。いやー忘れてたわあいったぁ!?」
どこか抜けてるアイナの頭を思わず叩いた。グーではない。パーで叩いたのはアキトに最後に残った女性への良心だろう。
ミカは恐る恐る奥から木製のファイルを持ってきて、その中に保存された冒険者の登録情報ページを開いた。
そのページにはかつてアキトが登録し、上書きされ続けた彼の冒険者としての記録が残っている。身長や体重などもしっかり書かれており、最後の身分証明書となるギルドカードに記載されている事項は――。
アキト・アカツキ
冒険者ランク:S
ギルドカード:金
備考:Sランククエストである古龍ファフニールを単身にて撃退成功。その後に冒険者として引退。




