ソラ、やっぱり甘えたい。
「どうして竜車を用意しなかったんだ?」
馬車に乗り込んでから一日半。レイティア共和国まであと少しというところで馬の休息のために国境線付近でアキトたちは野営をすることにした。
馬車を引いている二頭の馬は野草を食べて満足したのか今は横になっている。
「竜車は馬車に比べれば体力が長続きしない。それに往復で六日となれば値段も嵩む」
「だが、一刻も早く向かうべき何だろ?」
たき火を絶やさぬように適度に薪をくべながらアキトとジークリンデは向き合う。
丸太を椅子代わりにし、寝る時は馬車を使う。馬を気遣って早めの野営となったため、日はまだ高い。
「シロも連れてくればよかったなー」
遊び相手がいないソラはどうにも暇を持て余してしまう。一応コハクから借りた高位の魔道書をいくつか持ち込んではいるが、帰りのことも考えてまだ一部には手を付けていない。
なにしろソラは魔道書を読めばその魔法をすぐに使えてしまうのだ。創造魔法を使わないようにしてから六年経つが、六年間学んだ結果同年代の子供たちよりかなり賢く育っていた。
「お父さん、だっこ!」
普段はアイナのために気を使って控えているが、今はアキトと二人の旅なのだ。
だからソラは精一杯甘えることにする。アキトの胸元に飛び込んで、アキトも嬉しそうに受け止める。
「えへへ。お父さん大好きっ!」
すりすりと胸元に頬ずりする。薄着のアキトには髪がこすれてくすぐったいが、懐いてくる愛娘が可愛くないはずがなく頭を撫でてソラを愛でる。
浮かべた微笑みは父親のものだ。その表情を眺めているジークリンデは意外そうな表情をしている。
ジークリンデの視線に気付いたアキトが、苦笑しながら指摘する。
「意外そうだな?」
「あ、ああ。気に障ったらすまない」
「いいんだ。よく言われる」
六年の間で自分が変わったかどうかはアキト自身にもわからない。
でも、かつてアキトと交流があった冒険者と会う度に「変わった」「柔らかくなった」などとよく言われるようになっていた。
「アキト、あなたの噂は里にも伝わるほどだ。古龍ファフニールを一人で撃退した英雄。イメージしていたものより、あなたはずっと柔らかい」
「そんなにか?」
「ああ。ソラちゃんを見ているあなたの顔は完全に父親の顔だ」
「……そうか」
スキンシップを楽しんでいるソラの頭を撫でながらアキトは嬉しそうに目を細める。
ジークリンデはアキトとソラは血が繋がっていないことを知らないから、アキトが必死に父親になろうとしたことも知らない。
でもそんなジークリンデにこそ親子として見て貰えることがアキトには嬉しい。
わしゃわしゃとソラの髪が乱れるほど強く撫でると、ソラも困ったような反応をしながら表情を綻ばせる。
「くすぐったいよ~っ」
「はは。悪い悪い」
微笑ましい光景を見てジークリンデも表情を緩ませる。
アキトはぐにぐにとソラの頬を引っ張ったり、ソラもアキトの頬をつねったりと和気藹々と楽しんでいる。
アキトとソラの関係を知らないジークリンデだが、存在しない母親については言及しなかった。触れてはならない部分だと判断し、また、アキトとアイナのやり取りを見てげんなりしていた以上、心配する必要などないと理解したからだ。
「む……!」
「囲まれたか?」
「わう?」
その時、周囲がざわめいていることに気付いた。すぐにジークリンデは大剣を、アキトはエクスカリバーに手を掛ける。ソラも少しだけ表情を緊張させる。
国境線沿いはスタードット近辺よりも少し出没する魔物のランクも高い。結局はアキトの脅威になりはしないのだが、囲まれていることにアキトもジークリンデも表情を引き締める。
「ゴブリンだろうな」
「おそらく強化種のレッドゴブリンだろう。たいした敵ではない」
アキトより共和国に詳しいジークリンデが補足する。その言葉に反応したのか、赤い肌の小さな角を生やした小柄な魔物が姿を見せた。
緑の肌のゴブリンより少し強い、レッドゴブリンだ。とはいえランクはDランク、オークなどと同じくらいでしかない。
「襲われるとは俺も舐められたかなぁ」
「たくさんいますね!」
「レッドゴブリンは元々集団で行動する魔物だ。普段はゴブリンを従えている方が自然なのだが……レッドゴブリンしかいないな」
「まあ、たいした敵じゃないさ」
エクスカリバーを抜こうとしたアキトをジークリンデが手で制した。
戦う必要はないと。
「あなたに余計な消耗をして欲しくない」
「だがこの数だぞ?」
手強くはないが、ジークリンデの実力を知らないアキトは半信半疑だ。
三十はいるレッドゴブリンの集団に囲まれているが、ジークリンデは不敵に微笑んだ。
「私とてランクAの冒険者くらいの実力はある。任せてくれ」
「……わかった」
「わっ! お父さん見えないよ?」
アキトとしてもソラの目の前で命を奪うことはなるべくしたくない。
だから馬車の方へ下がり、ソラの両目を塞ぐ。出来れば耳を塞ぎたいのだが、馬車の中に入れば問題ないだろう。
「ソラは寝ような」
「え、ボクまだ眠くないですよ? それにジークさんの戦いも見てみたいです!」
「だーめ。明日も早いんだ。ほら、お父さんも一緒に寝るから」
「お父さんと! はい、寝ます!」
いつも一緒のベッドで眠っているが、アキトがベッドに入るころにはソラが眠っていることも多い。アイナに遠慮してスキンシップを控えているソラにその提案はなにより魅力的だ。
「お話! たくさんお話ししましょう!」
「はいはい。じゃあスライムの軍勢を前にアイナとコハクの服が溶かされる話でもするか」
ソラの目を塞いだままジークリンデに目配せする。ジークリンデもすぐに頷き、アキトはソラを連れて馬車に戻った。
「さて、では行こうかっ!」
大剣を構えたジークリンデに、レッドゴブリンが一斉に襲いかかる。
けれどジークリンデの振るう一撃の前にレッドゴブリン程度では脅威にもならない。薙ぎ払い、七匹が一度に倒れる。一匹一匹を相手していては時間がかかるために、集団を見つけてはそこに大剣をぶつけていく。
自分の身長以上ある大剣を軽やかに操り、ジークリンデは踊るように剣舞を披露する。
沈み始めたあかね色の陽光が大剣を照らす。まるで陽の光までもがジークリンデの剣舞を絶賛するかのように、エルフの戦士は舞い続ける。
三十のレッドゴブリンを制圧するのにそれほど時間はかからなかった。
片付ける手間はあるが、レッドゴブリンの角はギルドに持っていけば小銭にはなる。夜が明けたら片付けようと決めて、ジークリンデは馬車で休む二人を邪魔しないようにたき火を見守るのであった。




